最終話 「緋い雪の降るクリスマス」
―Side:トオル―
「……っ」
トオルの指先がピクリと震えた。ゆっくりと瞼が持ち上がる。酷く身体が痛んだ。しかし、それ以上に周囲の爆音が気になった。身体を起こすとそこはコックピットではない。地面だ。振り返ったそこにあったのは、
――戦争。
だった。
EXMが一方的に蹂躙されていく。鋼鉄の腕が、足が、頭が、胴が、バラバラに砕け散っていく。外国部隊の戦車が砲弾を放つたびに、それは起こった。しかしEXMは立ち止まらず、敵へと足を踏み出していく。
――憎い。
「……ッ!」
トオルの中に、コールタールのような黒く粘性の高い感情が流れ込んでくる。
――憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い……奴らを殺せッ!
機体も何もない生身だというのに、身体は立ち上がろうとする――敵へと突撃せんとする。と、その時。ポケットから一つのビニール袋が落ちた。それを見た瞬間、トオルは本能的にそれを引っ掴み、中に入っていた薬をガリッと噛み砕き、飲んだ。
「……はぁッ、はぁッ、はぁッ……はぁ……」
徐々に心が落ち着いていく――いや、違う。ただの精神安定剤ではない。
「お袋……」
思わず声に出る。この薬は、トオルが戦闘に巻き込まれ、入院し……1週間ぶりに家に帰ってきた時、テーブルに置きっ放しになっていた物だ。もう飲む必要はなくなったと言われたが、それでも御守り代わりに持ち歩いていたのだ。
今なら、この薬にどんな効果があったのかが解る。
――この薬には、周囲との”共感”をカットする力があるのだ。
パイロットはただ、ECHOに与える影響が大きいだけではない。人にも、同様に感情やイメージが伝播しやすい――人々に希望を与える事ができるのだ。もちろん、悪意も。
もしこの戦争が”終わって”しまえば、もはや止められなくなる。全面戦争が始まる。それも、日本人全員が特攻隊・決死隊の、だ。皆殺しにされるまで、それは止まらない。
「やめ、ろぉおおおおおおッ!」
トオルは叫んだ。しかし周囲は誰も耳を貸さない。戦いがただ一方的に進められていくだけ。今ここで動けるのはトオルしかいなかった。トオルが、この戦争を止めなければならないのだ。
そんなトオルが、ふと振り向く。自分の背後にある物に気付く。
――中核型。
それにトオルは、アイが掴んだという情報――”英雄計画”のあらましを聞いていた。その計画の要であるタツミのクローンには、ECHOを倒す以外にもう一つの役割があった。開演型が一度の搭乗でパイロットをほぼECHO化してしまうのも、ある意味では副作用ではなく、効能。
それは、
――ECHO化したパイロットを、中核型のコントローラーとする事。
ECHO化したパイロット……それはある意味では、人工のECHO……人語を理解するECHOだ。それを中核型に同化させる事で、ECHOをコントロールする事こそが最上の目的。
既にタツミは消えてしまった。しかし、こにはもう一人、開演型に搭乗した影響で身体のほとんどがECHOと化している人間がいる。
「――俺、は」
トオルの頭にアイ達――大切な人達と、そして、その他大勢――顔も知らない人達とが浮かぶ。トオルが死ねば、アイ達は悲しむだろうか。きっとアイは悲しむだろう。凡人だとか天才だとかじゃなく、トオルだからと言ってくれた、アイ。
――『トオルくん、待って……ダメっ……!』。
そんな声が聞こえた気がした。
悩み立ち尽くすトオルに、砲口が向いていた。トオルは、はッと気付き振り向く。が、遅すぎた。炸薬の燃焼――砲口の奥で閃光。砲弾が飛び出し、こちらへと飛んでくる。
――死。
何も選べないまま、ただ死ぬ。そんな未来をトオルは見た。
――そこへ、手が差し伸べられた。
ギギギとカイエンの身体が崩れ落ち、トオルに覆いかぶさるように倒れていた。着弾――激しい爆発が起こる。しかし弾丸はカイエンの半身を吹き飛ばしただけで、まるで奇跡のようにトオルを守りきっていた。
「……親、父?」
トオルは不思議と、そう言葉を紡いでいた。コックピットには当然、誰もいない。なのに、なぜか父に守られたように感じられた。
「……あぁ、そうだよな」
同時に、決心が着く。
トオルは地面を蹴っていた。向かう先は――中核型。
「もう、結論はあの時に出てたんだ」
あの時……アイの袖を振り払った瞬間に。そうして、中核型へと辿り着く。腕を伸ばす。背後では、次弾を装填した戦車砲がトオルを向いていた。
「アイ……俺は、皆の英雄になるよ」
砲弾が放たれた。それと同時、腕は、身体は、まるでそこが本来あるべき場所だったというかのように、あっさりと中核型へと溶けていった。
爆発がトオルの居た場所で起こった――……
* * *
―Side:アイ―
アイはディスプレイの向こうでそれを見ていた。
トオルが中核型へと溶けた直後、ECHOに異変が起きていた。全てのECHOが溶け、緋い靄へとなっていく。蜘蛛型も、投石機型も、百目型も、膨胎型も、巨大な口も……そして、中核型も。
赤い靄は空へと消え、やがて、空からは緋い光が降ってきた。
――緋い雪。
それを見てアイは今更、今日がクリスマスイブだった事を思い出した。
奇跡のような光景だった。緋い雪を浴びた機体は……あるいは戦車は、攻撃を止めた。我に返った様に、あるいは夢でも見ているかの様に、彼等はコックピットやハッチから身体を出すと、ただ空を見上げた。
いや、ディスプレイの中だけじゃない。アイ達の上にもその紅い光は落ちてきた。その小さな光をアイは両手で受け止めた。光は雪のようにすぐに溶けて、やがて消えた。ただ、無性に愛おしさと悲しさだけが胸に溢れた。
ぽろぽろと両目から涙が溢れ続けた。涙はいつまでも、いつまでも止まる事なく流れ続けた。モエはそんなアイを強く抱きしめた。
戦いはそうして、終わりを迎えた。
戦場で空を見上げるEXMの眼から、溶けた紅い雪が雫となって流れていた――……
あとはエピローグです。