第3話 「もう一人の凡人」
―Side:モエ―
「ふふ、ふふふ……あぁ、本当に馬鹿馬鹿しい。これで、私と”貴方”の計画は全部おじゃんよ」
モエはモニタを見て笑う。そこには、最前線の様子が映っていた。その空は、一面が無数の眼球で覆われていた。あれこそが、14年前の戦いに出現した”イレギュラー”――現在では”百目型”と呼ばれる存在。
かつての戦いにおいて、あれは中核型に一定以上接近した時、突然に現れた。そして眼球から、まるで雨の如く熱線を降り注いだ。防ぐ事も躱す事も出来ない攻撃に、戦力の大半が蜂の巣になり、外国部隊は撤退を選択した。
――だが、今はもう違う。
眼球が出現すると同時、戦車部隊、あるいはEXMは上空へと何かを射出した。それは百目型の側まで飛翔すると、まるで花火のようにパララララと小さな破裂音を連続して鳴らした。上空が白い煙に覆われる――煙幕だ。
――百目型はECHOの中で唯一、感覚器官の存在が確認されている。
光情報によって照準を行っていることが判明した今は、百目型は絶対の脅威ではない。空は煙幕により、まるで雲に覆われたような白に塗りつぶされていた。
そして、そんな空の下に、まるで鬼か怪物といった様子で人類側の戦力を蹴散らしていくカイエン――いや、”開演型”の姿があった。それをなんとか食い止めようと奮闘しているのは、2機の専用機――第162機人連隊と第163機人連隊のエースだ。
だが、そんな奮闘など、無駄でしかない。開演型には敵うはずがない。そんなモエの言葉に、どこか機械的な声が答えた。
「あぁ、そうだね……」
車椅子に座ったミイラ男だった。ここは師団長室。彼はこんな状況でありながら指揮の全てを副師団長と副官に任せ、そこにいた。部屋にはモエと彼、二人だけだった。
モエは、目の下に隈を浮かべた顔で、乱れた髪を揺らして笑う。
「ふふっ……。所詮、私は凡人でしかなかった。最強のEXMを作り上げECHOを討つ事で、証明できるはずだった……何せ父にも母にもできなかった事だもの! そして、証明されたはずだった……私も天才だったんだ、って。家族の中で唯一の落ち零れ、なんかじゃなかったんだってッ!」
彼女の脳裏に浮かんでいたのは、幼い日の記憶だ――。
……モエは両親の影響でロボットが大好きだった。両親の研究室に入り浸っては、彼等に色々な説明をせがんでいた。とはいえ、当時のモエはまだ小学校を卒業するかどうか、といった年齢でしかなく、話の内容はちんぷんかんぷんだった。
それでも、両親が議論し合いながらモエに説明をしてくれる時の、楽しそうな笑顔と声が大好きだった。
――あの日、までは。
その日も、モエは研究部屋を訪れようとした。その時、薄く開いていた扉の向こう側を見てしまう。”向こう側”の話を聞いてしまった。
『おとうさん、ここのプログラムびみょーだっておもうなぁ、わたし』
『ああっ、やっぱりアイもそう思うかい! 父さんもそうじゃないかと思ってたんだ!』
『えぇ〜! アイはそっちに付いちゃうの!? お母さんはこのままでいいんじゃないかって思うんだけどぉ。だって全部システム側でやる必要なんてないじゃないの!』
『折角だし、ロマンを追い求めていこうじゃないか!』
『わたしも、ろまん!』
『……あ〜はいはい! はいはいはい! わかったわかった、わかりましたっ! じゃあ、二人の言う方にするわよ、もうっ! まーた私の負担増える〜っ! お父さんにも手伝って貰いますからねっ!』
『ははは……と、父さんも既に手一杯』
『文句言わない!』
そこにあったのは、モエと話している時よりもずっと楽しそうな両親の姿だった。彼等はホワイトボードに書かれたよくわからない式や文字列、図を書き換えたりしながら議論を交わしている。その中に、まだ幼子といった年齢でしかないアイが混ざり、会話を理解し、意見を出していた。
「は……は、はは」
――子供だから、わからなくて当然。
そんな風に思考を停止しながら、両親の説明をただの音としてしか聞いていなかった自分がマヌケに思えた。同時に気付く。彼等にとって、モエは”同類”ではないのだ、と。
モエはそこから、必死に勉強した。あの惨めな気持ちを払拭したくて、必死に勉強して、勉強して、勉強して、勉強して……気付くと、両親は死んでいた。認めさせるはずだった。彼等に、『私だって天才だ!』『見下すな!』と言ってやるつもりだった。
――それは、叶わなくなった。
それと同時に、あれだけの天才だった両親をあっさりと殺したECHOに強い憎悪と、羨望と、嫉妬を抱いた。やがて、両親にすら成しえなかった『ECHOの撲滅』を己の力で成し遂げる事こそ、モエの生きる理由となり――。
……その結果が、このザマだ。
ディスプレイで、第162機人連隊と第163機人連隊のエース機が、開演型と戦い続けている。だがあっという間に劣勢へと追い込まれていた。
開演型は特別性なのだ。機体も、パイロットも。
「これで、もう、ぜーんぶおしま――」
――バンッ!
と勢いよく扉が押し開けられた。こんな時に一体誰だ、とモエは胡乱そうに入り口を見、そして動きが止まる。
「やっと見つけた……お姉ちゃん」
そこにいたのは、アイだった。
「なんで、ここに貴方が……」
確かに『生きていた』という話は聞いた。ここへ辿り着くのも、戦闘による混乱状況を利用すれば可能だろう。『モエの妹』という肩書きもある。わからないのはただ一つ――何をしに来たのか。
「――”英雄計画”」
ぽつり、とアイは呟き、手に持っていた資料を室内にバラ撒いた。巻き散らかされた資料にはパイロットの製造方法や、シュウエンの設計図が書かれていた。
「”英雄”新津タツミの体細胞クローンの製造。薬品投与によりその性能を強引に引き上げられた”使い捨て”のパイロットを作り上げ、英雄として戦わせる”外法”」
アイはどこか苦しそうにそれらを読み上げ始める。
「英雄の機体、シュウエンの後継機――シュウエン改の設計。過去の機体とは一線を画す、”ECHOを燃料”にして動くEXM。その副作用として、およそ1戦〜2戦で人間を”使い潰し”完全に身体をECHOに汚染させ……そして、機体そのものも自壊を引き起こしてしまう――文字通りの”決戦兵器”」
アイはそこから先も、感情を排した声で言葉……モエが作り上げた物への批判を、紡ぎ続けた。機体設計の荒さ、パイロット製造方法の迂遠さ……その他、諸々。彼女はモエの作ったそれらがいかにガラクタでしかなかったのかを挙げ連ねた。
そして全てを語り終えた彼女は、設計図を踏みにじった。
「お姉ちゃん……こんなのは、”ロボットじゃない”」
モエの中には様々な感情が湧いていた。
どうやってこれだけの情報を集めたのか、突き止めたのか、辿り着いたのか、改善点を見つけたのか。それら全てをひっくるめて、ただ一言だけが頭に浮かんだ。
――『天才め』。
「……それが? ECHOを使うのがそんなにいけなかった? 別にいいでしょう、それで結果が出せるのなら」
「……それ自体は、別に悪い事じゃない。きっとお姉ちゃんが作らなくても、いつか……ううん、”今年中にも”わたしが作ってた。わたしが言ってるのはそんな事じゃない。わたしが言ってるのは、」
アイがキッとモエを睨みつけた。
「――お姉ちゃんの”燃え”はどこへ行っちゃったの!?」
モエには、言葉の意味がわからなかった。
「こんなの……ちっとも熱くないよ。”愛”が感じられない! お姉ちゃんはあんなにもロボットが好きだったのに、どうして!? なんで、なんでこんな……!」
アイは涙を流しながら叫んだ。
「ロボットは道具じゃないッ! パイロットはパーツじゃないッ!」
そこまで聞いてようやく理解する。彼女は使い捨てのパイロットを作った事を、使い捨てのロボットを作った事を、怒っているのだ。
――この状況でそれを言うのね、貴方は。
モエには、アイの方こそよっぽど”狂って”見えた。怪物に、見えた。そんなアイは「でも、」と言葉を零した。
「……パイロットの強化工程と、ECHOを燃料に転換する手段だけは、すごかった」
アイがそう、認めた。瞬間、モエの口から、「ははっ」と笑みが溢れていた。喜び、ではない。あまりにも――”馬鹿馬鹿しかった”のだ。アイはそれで、モエを認めたつもりなのだろうか。
「――違う」
気付くとモエは口を開いていた。誰にも……共に研究を行っていた後輩や、あるいは研究本部でモエを引き上げてくれた門口ヒロ――当時は陸将補で、”研究本部総合研究部長”であった彼にすら告げた事のない、真相を口走っていた。
「その二つを組み立てたのは、私じゃない。――お父さんと、お母さんよ」
「……え?」
アイが挙げ連ね否定した部分全てがモエの作った部分で、残りのアイが認めた二つだけが、両親の作った物だ。結局の所、凡人と天才の差はこれっぽっちも埋まっていなかった……努力など、無意味だった。
アイは今、そう言ったのだ。
「家の隠し資料棚に、お蔵入りになった理論や、”早過ぎた”研究なんかがまとめて収められてたのよ……知らなかったでしょ? 二つとも、そこから引っ張り出してきた両親の研究成果よ。私じゃあ、ない」
結局のところ、モエに付き従っていた後輩も、崇拝していたのはモエではなく両親の方だったわけだ。後輩だけじゃない……モエを知っている者、全員がそうだ。
――それでも。
理論を実用レベルにまで高め、成果を出したのであれば……それでも十分な手柄だと、天才性の証明になると、そう言い聞かせながらここまで来たのだ。ズルにまで手を出して、ここに辿り着いたのだ。それが……それがッ! こんなッ……!
「はは、はははっ……! 燃え? 愛? 馬鹿馬鹿しいにも程があるわ。ロボットに心でもあると言いたいの? だったら言ってあげる。そもそもね、EXMなんて……人型ロボットなんてッ、必要でもなんでもなかったのよッ!」
モエは自分の口から言葉が溢れるのを止められなくなっていた。
「あんなもの、外見だけのハリボテでよかったのよ。中身なんて必要じゃなかった。”民衆が勝利を信じられるもの”であれば、なんでも良かったのよッ! ただその条件に、日本じゃ人型ロボットは都合が良かっただけ。わかりやすいヒーローだっただけ」
モエは馬鹿にしたように「ここがアメリカなら、研究者達は青と赤の全身タイツを縫ってたわ」と笑った。
「ロボットはただの舞台装置でしかないの。例えロボットがいなくたって、物語は成立していたのよ」
そこまで言うと、急にモエの心から高ぶりが消えた。沸き上り続けた嘲笑が引き、今度は諦念が心に満ちていた。
「ふふ……まぁ、もう全てどうでもいい事よ。全部、終わった事。このまま”アレ”に全滅させられて、それで終わり」
「……そう」
アイは短く頷いた。
「そっか……お姉ちゃんもトオルくんと同じだったんだね。ずっと苦しませちゃってたんだね」
モエはその言葉で、そういえば彼も同じように失敗して、潰れたのだったと思い出し、
「でもねお姉ちゃん、」
アイは、不敵な笑みで言った。
「――”まだ終わらんよ”」
すぐにモエはそれが、『赤い彗星』と呼ばれた男の台詞だと気付く。「何を今更……」と思った時、アイの視線がディスプレイを向く。釣られるようにしてそちらを見た。そこには、開演型と、そして既に1機が破れ、残り1機になっていたエース機の戦いがあった。
開演型は今まさに、もう1機も破壊せんと刀を振りかぶっていた。狙われた機体は躱すために足に力を込める。が、ガクンとその膝が落ちた。脚部は痙攣するように震えていた――機体トラブルだ。激しい戦闘に疲労が蓄積していたのだろう。
死んだわね――モエがそう冷静に判断を下した、その時だった。
――緋い閃光が、走った。
「え――?」
開演型の遠方から緋い矢が飛んでくる。道中にあったECHOの全てが、一瞬にして消し飛ぶ。
「そんな……なぜ、今更あんなものが……」
モエの口から声が溢れる。
「あれ、は」
緋色のそれが最前線へと到達し、もう一つの”緋色”と激突した。
「――シュウ、エン」
戦いに幕を降ろすべく現れたその緋色の機体を、モエは目撃していた――……