第後話 「英雄の最後」
―Side:Other―
崩壊した家屋。折れた電柱。荒れた田畑。あちこちから上がる煙。荒廃した風景の中を、異形の怪物が動き回っていた。いや、異形というのは少し語弊がある。何せそれは、あまりにも見慣れたもの――人間の”手”なのだから。ただし、熊をも一握りで潰せてしまえる程の大きさの、だが。
それが、村の物を薙ぎ倒し、踏み潰し、蹂躙していた。悲鳴はない。既に住人は避難を終え、誰もいない。だが一つだけ、その怪物の群に立ち向かう存在があった。
――鋼鉄の巨人。
全長6メートルの人型戦車だ。その燃料タンクとエンジン、それから機体制御用の演算装置が詰め込まれた背中はまるで蜘蛛の腹のように大きく膨らんでいる。頭部の眼のようにも見えるバイザーの奥にはセンサ類が。そして胸部の装甲の奥には、座った人らしき影がうっすらと見えている。その機体は全身を緋色に染め上げられていた。
それに相対していた無数の怪物がざわりと動いた。次々とその、たった一機の人型戦車へと襲いかかる。
人型戦車が、背後に立てられていた巨大なコンテナ――その脇のレバーを引く。途端、コンテナが稼働し機体を包み込んだ。次にその姿が現れた時、その身体はまるで鎧武者のような外見に様変わりしていた。
緋色よりももっと暗い、黒にも近いダークレッドの手甲を纏ったその腕が腰へと伸びた。怪物がそこへ飛びかかってくる。次の瞬間、機体の腕がブレた。怪物は機体を握りつぶさんとし――その掌は真ん中でぱっくりと分かれ、脇をすり抜けて転がっていった。
いつの間にか、その鋼鉄の刃は振り抜かれた状態で日の光を照り返していた。それが、一体、二体、三体……十体、二十体と繰り返されていく。が、あまりにも数が多い。やがて刃がガッと音を立てて肉の途中で止まる。ナマクラになっていた。すぐさま放棄し、次の刀を抜いて斬り掛かる。
斬る。斬る。斬る。そしてナマクラになった刀を捨てて、次の刀を使う。やがて全ての刀がなくなる。それと同時についに、怪物の一体が機体の腕を捉える。ギギギィとその装甲が歪む。判断は一瞬。
「パージッ!」
その胸部の奥――パイロットが叫ぶ。すると、機体に着けられていた鎧武者のような装甲が一斉に弾け飛ぶ。怪物が一緒に剥がれる。
バックステップで飛び退る。と同時に、最初からこの展開を見越していたのだろうか。地面に突き刺すかのように立てられていた散弾銃――いや、6mの巨体に見合う事を考えれば散弾砲と呼ぶのが正しいだろうそれを、手にする。
トリガーを引く。発砲音が轟く。空中を弾丸が駆ける。しかし、飛んだのはただの弾ではなかった。
着弾。と同時、怪物はビクンと痙攣を起こしたかのように震え、崩れ落ちる。突き刺さっていたのは、金属の針だ。それらから定期的に火花が散り、その度に怪物が痙攣を起こす。
――電撃弾。
それは、弾丸そのものに発電体が組み込まれたスタンガンだ。ショットキャノンは、この砲弾を放つための武器だった。そういう意味では、”1発弾”しか撃たないこれが散弾砲と呼ばれるのは、正しいとは言えない。
――撃つ。撃つ。撃つ。
次々と怪物がその弾丸の餌食となり、動きを止めていく。やがて、その後方から続いていた怪物達が動きを止めた個体に躓き、転んだ。それは連鎖し、大きな雪崩を引き起こす。
全てを撃ち尽くすと機体は次のコンテナのレバーを引いた。コンテナがその機体を包み込む。次に現れた時、それはまるで忍の如き姿に変貌していた。
機体が足を踏み出し、そして跳んだ。怪物の一体へと飛び掛る。しかしその手には先ほどまでの刀のように仰々しい武器はない。あるのは両手に構えられた苦無だけ。着地と同時にそれを突き立てるも、とても相手を分断させる程の威力はない、かに思われた。
――ガチャリ。
音がした。その苦無の柄にはなぜか備えられたトリガーが引かれていた。直後、プシュゥウと炭酸ガスが抜けるような、しかしそれとは比べ物にならない遥かに激しい音が響いた。
一瞬の静寂。そして、
――ボコリ。
と怪物の身体が内側から膨らんだ。ぼこり、ぼこり、とそれは連鎖し……やがて、破裂した。真っ赤な血肉があたりへと飛び散った。それを引き起こした苦無の先端――そこには穴が空いていた。
――WASPナイフ。
それは、蜂の名を冠した武器だ。切っ先からガスを送り込むことで、相手を内部から破壊する武器。
柄尻から空っぽになったガスカートリッジが落ち、地面に大きな音を響かせる。機体は自身の腰元から次のカートリッジを引き抜き、ガシャリと装填する。
次。次。次。
怪物が一体、また一体と物言わぬ死体となっていく。
――しかし、そこに死体はなかった。
死体が次々と”消えて”いた。空気に溶けるかのように、緋い煙となって霧散する。それが、この怪物の特性だった。と同時に疑問が沸き起こる。
――この機体は、一体いつから戦い続けているのだろうか。
怪物には死体が残らない。その所為でまるで先ほど戦いを始めたばかりのように感じていたが、よく見ればあたりには折れ曲がった刀やガスカートリッジ、残弾が切れただの鈍器と成り果てた銃器、空っぽになったコンテナ、ひしゃげた装甲……無数の武装が散らばっていた。
と同時にもう一つの疑問が沸き起こる。
――この戦いは、一体いつになれば終わるのだろうか。
この機体は、あるいはこの機体を駆る者は、間違いなく、圧倒的に、強者だった。だが、その眼前には未だ数え切れないほどの怪物が押し合いへし合い、雪崩込み続けていた。
何度目かの、敵の大群――波が訪れる。その中には全長20mはあろう”腕”も混ざっていた。
最後のコンテナがその機体を包み込み、現れたその機体は肥大化した右腕と、破城槌にも似た武器を持っていた。その破城槌の後部からはチューブが伸び、機体背後に増設されたタンクに繋がっていた。
機体が駆ける。20mの巨腕へと武器を叩きつけトリガーを引く。瞬間、まるで鐘が打ち鳴らされたかのような音が辺りに響き渡った。先端付近から十字に炎が噴き出す。槌が――いや、巨大な”杭”がそこに打ち付けられる。タンクからガスが一気に送り込まれる。そして、
――巨大な腕が、内側から破裂した。
一度きり。それで内部のガスを使い果たしたその装備をパージし、機体はすでにボロボロになった中から選んだ、まだ使えそうな武器を握り――。
……一帯は赤い煙に包まれていた。
半ば溶けた死骸が無数に散らばっていた。その中心で全身がボロボロになった――内部フレームがむき出しになった機体が、なんとか、という風に立っていた。関節がついにイカれたのか、手足が時折不自然に震えていた。
「はぁ……はぁ……」
もう、限界などとっくに超えているのだ。
胸部装甲の奥――コクピット。メインモニタは、センサが感知した機体にある無数の異常を、エネルギーの枯渇を、パイロットの瀕死を、赤い文字で繰り返し告げていた。
パイロットは苦しそうに呻き……だが、そうすべきだという風に笑みへと顔を変えた。手を伸ばしてモニタを操作すると、それらエラー報告の一切をカットした。
と、その背後から複数体の怪物が接近していた。振り向きざまにショットキャノンのトリガーを引く。が、
「――ッ!」
ガキンと音を鳴らして動きを止める――弾詰まり(ジャム)だ。他の武器が尽き、引っ張り出してきた旧式……いずれこうなる事がわかっていて、それでも使い続けていた結果だった。
怪物の突進が機体を直撃する。地面を二転、三転し、あちこちのパーツが弾け飛んだ。凄まじい衝撃がパイロットを襲う。
「ぅ……ぐっ……」
仰向けに、ようやく回転が停止する。日の光がパイロットを照らしていた。無意識に彼は、光へと手を伸ばしていた。しかし、光が突如消える。ボロボロの機体に怪物がしがみついていた。メキメキという音が響く。我に返った。
「――ぁああッ!」
怪物へと腕を振り下ろす。その手に握っているナイフを突き刺す。何度も、何度も。既にガスは切れていた。強引に切り裂き、屠っていく。
そして一層強くナイフを突き刺すと同時に、その刀身が音を立てて折れた。最後の武器が、壊れた。だが、その怪物は身体を動きを止めなかった。万力の如く機体を締め上げ続ける。機体から破砕音が響き――ふと、その動きが止まった。既に致死量のダメージを負っていたのか、時間差で緋い煙へと化していった。
人型戦車は、緋く濡れていた。その片手と両足は捥げ、頭部と胸部もひしゃげている。背部の装置も大きく歪んでいた。頭部のバイザーのぐしゃぐしゃで、もはや内部のセンサなど全滅している事だろう。当然、そんな機体の内部にいるパイロットも無事ではない。
だが、それでも、機体は怪物へと向かって手を伸ばし、地面を這っていく。装甲が地面と擦れて甲高い音が響いた。
――執念。
その様子は、怪物達にとってすら異様に見えたのだろうか。怪物達がまるで、怯えたかのように後ずさった。しかし……次に伸ばされたその手は、宙で止まった。機体のエンジン音が小さくなっていき、やがて消える。腕はゆっくりと地面に下ろされた。
背部装備の脇――排熱孔から、白い蒸気が一気に吐き出される。
――『EMPTY』。
コクピット内。ヒビの入ったモニタにはそう文字が浮かんでいた。
怪物達がもうそれが動かないと気付いたかのように、再び集り始める。それと同時に、その機体が食い止めていた怪物の群れが、一斉にその背後へと流れ始める。市街地へと侵攻していく。
しかし、暗闇と血の匂いで満たされたコクピットに、小さな笑みが浮かんだ。
「……間に、合ったか」
そう呟いた瞬間。怪物の群れへと次々とスタン弾が降り注いだ。そして重厚な音を鳴らし、彼の背後から、4体の巨大な金属の塊が飛び出した。白、黒、金、銀の――人型戦車だった。
共通した内部フレームを有しながらも、特定の武器に最適化された装甲・装備を有した4つの機体が、次々と怪物を撃ち倒していく。暗闇の中、彼はその様子を見ながらゆっくりと瞼を降ろした――。
……これは、西暦2026年。怪物の出現から10年が経とうとしていた、ある5月の出来事。たった一人で日本を救った”英雄”の、最後の記録だった――……