第6話 「白銀のエース」
―Side:ギン―
「……貴様は、本物なのか?」
ギンは至近で鎬を削り合う緋色の機体へ問うた。答えはない。ただグッと剣圧が増した。ギンは強くフットペダルを踏み込み、対抗する。ナイフがギリギリと耳障りな音を立てる。
「答えないか……いや、答えなど必要はないか。あの人は一方的な暴力をこそ嫌う人間だったッ!」
ギンの目に緋色の光が灯った。機体の各部が真っ赤なラインを浮かび上がらせる。敵機を一気に抑え込みに掛かる。グググ、とカイエンが劣勢に体制を崩していき……しかし、ある所でピタリと止まった。カイエンが全身から緋色の光を放つ。今度は逆に、こちらが押し込まれ始めた。
「ぐッ……」
久々の感覚だった。誰かと拮抗して戦うなどもう何年もなかった事だ。
「あの人と共に戦場を駆けたい……そう叶わぬ願いを抱いた事もあったが、まさか敵味方で叶えられるとはッ……!」
強い。地面に亀裂が走った。胸中には当時の――”間に合わなかった”記憶。
たった一人でECHOの大群を堰き止める彼の元へと、完成したばかりのこの機体――”アロウルート”(正確にはその試作機)で向かった。敵を追い返し、ボロボロになった緋色の機体――シュウエンの胸部装甲を引き剥がした。
「あの時の光景は、未だ記憶にこびり付いている……」
彼のコクピット内はひどく静かだった。その中で彼はか細い声で言ったのだ。
『”あいつら”を、頼んだ……あいつらの住む世界を、お前が……』
それはギンが聞いた、最初で最後の、彼の”感情”だった。ギンはそれまでただの一度も、彼が英雄以外の姿を何かである所など見た事がなかった。彼に、ECHOに襲われていた所を救ってもらったあの瞬間から、ずっとギンにとって彼は英雄以外の何物でもなかった。
だから、彼が死ぬ事などないと思っていなかった。
――だが、そこにいたのはただの人間だった。
妻と子の幸せを願う、父の姿があった。そして、ただの人間であった彼は当然のように死んだ。彼の死後、長く雨が降り続いた。その雨音を聞きながら、ギンは己の勘違いに激しく後悔し……そして決心したのだ。彼の、最後の願いを叶える為に生きよう、と。
それ以来、ギンは戦い続けた。何度もアロウルートを壊し、死にかけ、そこから這い上がり、改良した機体で再び戦場へと赴いた。だが、そんな無茶は心と身体を確実に蝕んでいた。
心身ともに疲労し尽くしていた、ある日。
――ギンは己の身体が”歪んだ”のを見た。
それはすぐに治まった。だがそれは、ギンが絶望の淵に立たされる度に起こった。やがて、それがなんであるかに気付く。……いや、”己”が何になっていたのかに気付く。
――ギンはECHOになっていた。
別に、それそのものになったわけではない。だが、身体の何割かがそれになっていた。死にかける度、その淵から蘇る度、ギンは無意識で支配下に置いたECHOにより身体を補填していたのだ。
だから、意志がブレた時――制御を離れた時、ECHOはあるべき所へと帰らんとした。あるべき姿へと戻らんとした。その頻度は時間が経つにつれ増えていった。
――だから、後継達を育てた。
日本中から外国人孤児を集め、育てた。特に”適正”の高かったエイミーには幹部としての教育も受けさせた。彼等を育てたのは己の後を継がせる為。それが外国人差別の改善に繋がったのは偶然だった。
そして時間が尽きようとしていた……そんあ、ある時。新型機の披露会で、ギンはあの人の面影を残す”彼”に出会う事となる。
――新津トオル。
あの人の忘れ形見。
英雄が婚姻を結んだ事、子が生まれた事は、ごく一部の人間を除き秘匿された。命を狙われる可能性があったからだ。敵はECHOだけではなかった。
ギンは己がまだパイロットですらなかった当時、たった一度だけトオルを直接見た事があった。ただ純粋に父へと憧れを向ける彼の眼差しが、深く胸に刺さったのをよく覚えている。
――だから。
ギンは決めたのだ。破砕したカイエンがの下へ駆けつけ、その胸部装甲を引き剥がし……しかし、まだ生き残っていてくれた彼を見た瞬間に、ギンは決めたのだ。残り少ない時間で、彼を鍛え上げる、と。
――しかし……。
ギンは己の経験の全てを彼へと叩き込んだ――いや、叩き込もうとした。だが、そこで初めて気付いだのだ。彼はあの人とは違い、ただの凡人でしかなかった事を。初戦での活躍は”彼の力ではなかった”のだ。
――天才の息子が、天才とは限らない。
そんな当たり前の事を、今更に理解した。ギンの知る限り、新津タツミという男は一度見た事はそっくり……いや、見た以上に上手くこなす事ができた。1を聞けば10を察する事ができた。一度身につけた知識は二度と忘れる事はなかった。それと同時に、全人類を受け入れ、全人類の思いを背負い、それでもまっすぐに前を向き、歩いていけるだけの度量と、自我があった。
――しかし、トオルは違う。
彼は必死に努力をする人間だった。いや、努力を必要とする人間だった。彼はありったけの時間を己の鍛錬に当て、繰り返し学習して知識を脳へと刻み込ませ、限界まで集中力を引き絞り……そうしてようやく成績のトップを維持できる。そんな……ただの人間でしかなかった。
そして、来るべき時が訪れる。トオルがついに、ミツキに敗北した。
――当然の結果。
そうギンは思わざるを得なかった。ミツキはギンやあの人と同じ――”天才”に属する人間だった。トオルが必死にやってなんとかできるようになる事を、ミツキは一度見るだけであっさりやって見せてしまうのだ。
……酷使され続けたトオルの身体も、精神も、もはや限界だった。ギンはここまでだ、と判断した。
――彼を止める。
いや、止めなければならない。彼には才能がない。ギンがどれだけ、彼自身がどれだけ、強くなる事を望もうとも……それは決して叶う事がないのだ。
彼を鍛え上げる事が出来れば、それが本望だった。しかしそれが叶わぬと知った今、彼を生き残らせる為にできる事は……パイロットを辞めさせる事だけだった。
ギンは覚悟する。
――トオルの”心”を折る。
と。
心が折れた時、身体と置き換わっていたECHOは暴走を起こすだろう。
これまでにも、心が限界を迎えて死んだパイロットというのは大勢いた。その者には死体すら残らない。ECHOに置き換わった割合にもよるが、その身体はECHOと同じように宙へと溶けて消えるのだ。
ここ最近でも、カイエンのテストパイロットだった男がそうして死んだと聞く。目の前で一番守りたかった女性を失ったそうだ。
だが、
――トオルが死ぬ事は”絶対に”ない。
確かにトオルの初戦は激しいものではあった……が、しかし。1戦で置き換わる量など高が知れているのだ。”あの程度”の死地、ギンは何度もくぐり抜けてきた。いや、ギンでなくとも、パイロットなら誰でも。
だから今ならまだ、例えトオルに”発作”が起き、あまつさえ完全にECHOの制御を完全に手放してしまったとしても……大事には絶対ならない。どころか発作さえ起きず、ただECHOが消えさる可能性さえある。わずかな体調不良が起こって、終わり。たったそれだけで彼はただの一般人へと戻る。
――それが、最善。
だからギンはシミュレータで徹底的に彼を叩きのめした。彼の心は完全に折れた。自身は凡人だと自覚し、やがては本来あるべき日常へと帰っていく。
――その、はずだった。
トオルが、実戦訓練に参加を表明した。一体彼に何があったのか、一体何が彼をそこまでお追い詰めたのかは、わからない。だが彼は実戦に参加し……そして案の定、失態を演じ死にかけた。
だがそれは、幸いとも言えた。世間はトオルを見放したのだから。
もはやこうなっては、彼自身が望もうと、彼がパイロットであり続ける事は叶わない。叶うとしても、それは英雄の息子という特例ではなく、1から高等工科学校に入り直して、という形になるだろう。
実際、彼に与えられるはずだったカイエンは接収され、そして”研究”に使われる事になった。……そして今日、ギンは”その姿”を目撃する事となった。
「ォオオオオオオオッ――!」
フットペダルを踏み込む。カイエンを押し返す。バカバカしいほどに純粋な力比べ。緋色の光が両者の間で奔流する。ギンにはそれがまるで、『どこまでやれる?』と試されているように感じられた。
「舐め、るなァアアアアアアッ!」
ガキィインと音を鳴らし、アロウルートがカイエンのナイフを弾き飛ばした。同時にその右腕部が可動する――肩部へコンパクトに折りたたまれる。そして代わりに右腕があった部分へ、背部に背負われるようにしてあった巨大な装置がせり出してくる。重厚な音を鳴らして肩口に接続されたそれは……。
――”杭打機”。
あまりにも巨大なそれの先端を、わずかに距離の開いたカイエンへと突きつける。トリガーを引いた。瞬間、杭打機の側部から十字に炎が吹きだす。地揺れを起こす程の衝撃とと共に杭が放たれた。
それが、カイエンへと突き刺さる……寸前。
「――ッ!?」
カイエンの機体が”緋い靄”に包まれる。何も握っていないはずの両手を振り上げる。そして――ガキィイイイインという音を鳴らし、杭が上へと弾かれた。カイエンの手には振り抜かれた大太刀。そして全身は、緋黒い……血肉にも見える追加装甲を得ていた。それはまるで、鎧武者のようにも見え……。
「……換、装……だと」
武者鎧を纏ったカイエンがこちらへ足を踏み込んでくる。ギンは後方へ跳んだ。返す刀がアロウルートへ迫る。躱しきれない。
――アロウルートに、深く、袈裟懸けの傷が刻まれた。
右肩に描かれた第161機人連隊の部隊マークに深い傷が生まれ、先ほど折り畳んだ人型の右腕が宙を舞った――ギンに確認できたのはそこまでだった。刀が胴体を……ギンの腹部を抉っていたのだから。
――アロウルートが、ガクンと膝を着いた。
その戦いを目撃していた者、皆が動きを止める。静寂があたりを包み込んでいた。どこかでギンのモニタを行っていた管制官が言った――『パイロットの心拍停止。バイタル消えました……』と。
――エースの、敗北。
誰かの口から悲鳴が溢れかける。静寂が破られようとした……まさにその瞬間。
――ガシャン。
と、杭打機が音を鳴らした。そこには先ほど放たれた杭が再装填されていた。そして、アロウルートの銀の脚が地面を強く踏みしめた。飛翔するかのような勢いで立ち上がり、カイエンへと迫る。杭打機の先端を、カイエンの腹に押し当てた。
驚愕した様子でカイエンが跳び退こうとする。だが、ガクンと止まる。いつの間にかアロウルートの左腕がその身体を掴み、離さない。
――そして、杭が放たれた。
シンと静寂があたりを包んでいた。死んだはずのギンの声が、あたりへと響いた。
――なぁ、タツミさん……オレ、アンタとの約束、ちゃんと守れたかな……?
それを最後に、今度こそ、ガクンとアロウルートは膝を着き、二度と動く事はなかった。ギンはその中でゆっくりと目を閉じていた。いや、目を閉じずともとっくに目など見えていなかった。
彼の肩からするりと、緋色の羽織がすべり落ちた。ギンの……そして、かつてタツミの物だった緋色の羽織。彼の耳に雨音が聞こえた。
――やはり……雨は……好か、な……。
やがてその身体は、ぱんっと破裂して空気中へ溶けて消えた。最後の彼の声は、どこか”満足そう”だった。空は、晴れ渡っていた。
青空の下で、緋色の機体が白銀の機体を見下ろしている。緋い機体には杭が深々と突き刺さっていた。だがそれは押し当てたはずの腹部――ではなく、肩口に突き立っていた。
カイエンが躱したわけではない。杭打機が放たれたあの瞬間、甲高い音を鳴らし――杭打機が自壊したのだ。傷付いていた肩が杭打機の衝撃に耐え切れず捥げ、その狙いを外したのだ。誰が狙ったわけでもない。ただ……ただ一つ、その勝敗の原因を挙げるとするならば。
――運。
ほんのわずかに、それが、緋い機体の方が優っていたという……ただ、それだけの話だった。
緋い機体はしばし自身を追い詰めた銀の機体を見下ろした後、踵を返す。肩口に突き立った杭を抜き、去っていった。なぜそのまま虐殺を続行しなかったのかは不明だ。あるいは、負傷が外見以上に大きかったのかもしれない。
なんにせよ、そうして緋い機体は去っていき……誰もそれを止める事などできなかった。演習場へ侵入してきていた蜘蛛型も殲滅され、一旦は平和が取り戻された。
しかし、人々の心には絶望だけが満ちていた。……ただ一人、最後の一撃が外れた事を知らぬギンだけを除いて。
空っぽのコックピットに、緋い羽織だけが遺されていた――……
* * *
―Side:トオル―
先ほどまで激しい振動の響いてきていた駐屯地。その寮の自室からトオルは外へ出る。彼はあの実戦訓練以降、何の指示も訓練も与えられず、放置されていた。トオル自身、何かをする気分にはなれなかった。
――何か、あったんだろうか。
だがすぐ、どうせいつものECHOの侵攻だろう、と思い直した。空腹を満たす為に食堂を目指す。こんな時でも腹は減るのだから、ホント救えない。と、駐屯地内をふらふらと歩いていた時、アラジや第一小隊の面々に遭遇する。
トオルは気まずさを覚えた。軽く頭を下げて、すぐにそこを去ろうとして……気付く。
「あれ……末岡1佐は?」
口から零れていた。瞬間、全員の目が一斉にこちらへと向いた。ギョッとしてトオルは後ずさる。なぜ彼らがこうも敵対的な視線を向けているのかわからない。
アラジが代表するかのようにトオルの前へと歩を進めた。彼の丸太のような腕がトオルへと伸ばされる。グッと襟首を掴み上げられる。
「ぅぐっ……!? な、何を……」
「テメェはァアアアアアッ! アイツはッ、テメェの為にッ……!」
アラジの形相はトオルが見たことがない程、激情に駆られていた。確かに彼は、エイミーが攻撃を受けた際も……いやそもそも訓練中は大体いつも怒鳴り散らしている。だが、これだけの”私情”を表にしている所を見るのは初めてだった。
アラジが腕を振り上げる。巨大な握り拳が作られる。殴られる、とトオルは瞬間悟った。そこへ、
「――叔父さん」
ミツキがそっと手を添えていた。アラジはそれで我に返ったようで、自身の怒りを押し込めるように、ゆっくりと一本ずつ指を襟首から離していった。
足が地面に着く。トオルはやや噎せながら、ミツキに尋ねた。
「一体、何があったんだよ……?」
ミツキは淡々と答えた。
「末岡1佐は殉職された」
「……は、」
トオルは頭を撃ち抜かれたような衝撃を受けた。だって、そんなの。
「ありえない……あいつが死ぬわけ、ないだろ? だってあいつは――”天才”なんだぞ」
――俺とは違って。
そんな、言葉を口にした次の瞬間。
――パンッと、乾いた音が響いた。
「……ぇ?」
周囲の人間が驚きに目を見開いていた。それはトオルも同じだった。
――ミツキがトオルの頬を張り倒していた。
トオルは蹈鞴を踏んだ。とと、と……と後退し、背中を壁にぶつけた。
その場にいた全員がミツキを見ていた。先ほど殴ろうとしたアラジですら、驚いてミツキを見ている。先の発言、誰が彼を殴り飛ばしていてもおかしくはなかった。だがミツキだけは止めに入るだろうと、その場にいた全員が思っていたのだ。それだけ周囲には、ミツキとトオルの仲が良く見えていたし……トオルもなんだかんだと、心のどこかでは彼を信用していた。
ミツキは無表情でトオルを見下ろし、言った。
「――パイロット辞めなよ……”凡人”」
それは、誰もが認識しながら、誰もトオルへ言わなかった一言。
ミツキは踵を返して去っていく。周囲の面々も引きずられるように去っていった。トオルはズルズルと壁に背を預け、ぺたんと床に尻を着ける。ただ一人、廊下に残されたトオルは呟いた。
「……痛い」
ジンジンと、張られた頬が痛みを発していた。
そこへ、カツンと足音。もう全員去ったと思っていたのだが、一人だけそこに立っていた者がいたようだ。視線を向けたそこにいたのは、片腕を懸架した人物。
「――フライクーゲル2尉……」
第161人機連隊・第1人機中隊・第1人機小隊に所属する、ギンの一番の部下――エイミーだった。