6.初めての恋 side涼介
思い付きでかおりに学祭の案内を頼んだが、明らかに迷惑そうだった。
そこを家庭教師先の生徒っていう立場を利用して無理矢理了解させた。
何やってんだ?
らしくない自分に半ば腹立たしく思っていた。
何となく広げていた参考書をバタンと閉じると、財布を持って部屋を出た。
「ちょっと本屋行ってくる。」
そう母親に告げると、もう9時過ぎてるけど、という母親の言葉を振り切るように家を出た。
しばらくするとメールの着信音がなった。
母親からメールだった。
“あまり遅くならないように。”
母は、やることさえきちんとやっていれば、あまりうるさく言わない。
そういう所は助かっている。
さて、どこへ行こうか。
本屋へ行くとは言ったが、本気で本屋に行くつもりは無かった。
どこかで気分転換ができれば良かった。
信吾の家に行こうかとも思ったが、そんな気分にもなれない。
どこへ行くともなく歩いていたつもりだが、結局、本屋へと足が向かっていた。
ようやく、雑誌でも買うかと決心して本屋に入ると、正面から店員が歩いてきた。
たくさんの本を抱えて、少しヨロヨロしながら、こちらを見る余裕も無さそうに。
そして、オレはその店員に真っ直ぐ近付いた。
手を貸そうとしたその一瞬、オレは一体何をしようとしてるんだ、そういう思いが過った。
その茫然とした瞬間に、彼女がオレにぶつかった。
咄嗟に、彼女の手から滑り落ちそうになる本を支えた。
「あっ、申し訳ありません。」
「大丈夫ですか?」
彼女がゆっくりと顔を上げる。
「り・・・涼介・・・くん?」
「この本屋でバイトしてたんですね?」
あの距離からでもかおりだとわかるとは・・・。
そんな事を考えていると、ふと昼間母親が話していたことを思い出した。
確か、この本屋の近くで、女子高生だか女子大生だかが不審者にに遭遇したと言っていたはずだ。
「バイトって何時までですか?」
そう言いながら、確かこの本屋の通りの向こうにはカフェがあったはずと、確認した。
さらに腕時計で現在時刻を確かめる。
「えっと、10時まで・・・だけど?」
10時まで、あと30分ほどだった。
「そうですか。
じゃあ、引き続き仕事、頑張ってください。」
そう告げると、はじめからそうする予定だったかの様に参考書コーナーへと向かった。
参考書なんて買うつもりは無かったが、かおりには勉強していたと言う方が良いだろうと思った。
本屋で買った参考書を片手に、向かいのカフェに入った。
コーヒーを買うと、窓際のカウンター席に腰掛けた。
ここなら彼女が10時前に出てきても、直ぐにわかるだろう。
・・・わかるって何だ。
オレはストーカーか。
自分でもバカな事をやっていると頭を抱えた。
それでも彼女に、この夜道を一人で歩かせたくなかった。
そろそろ10時だ。
この30分がこれまでの人生で一番長く感じた。
本屋から出てきた彼女に何て言おうか、そんな事ばかり考えていた。
不信感は抱かせたくないが、彼女が断らないような言い方を、ずっと考えていた。
腕時計で10時になったことを確認すると、オレはカフェを後にした。
「お疲れ様です。」
「えっ!?
・・・どうして・・・?」
かおりが驚いている。
無理もない。
自分がかおりの立場だったら、不信感100%だ。
「・・・実はうちの母が、この辺りに不審者が出たって言っていたので。
そういうの知ってて一人で帰せないですよ。」
カフェで考えた言葉をかおりに告げる。
頬が熱かった。
「遠回りになるのに、ごめんね。」
かおりが申し訳無さそうに言う。
「もし知ってる人が襲われたりしたり、さすがに寝覚め悪いんで。
それに、オレから言い出したことなので、気にしないで下さい。」
「待っててくれた・・・んだよね?」
「30分くらいでしたし、新しい参考書もgetしましたしね。
本当に気にしないで下さい!」
かおりの斜め後ろを歩く。
この微妙な距離感が、今のオレとかおりの距離なんだろうなと、漠然と思っていた。
まだこの距離をどうしたいのか、分からずにいる。
沈黙を破ったのはかおりだった。
「そうだ・・・学祭!
学祭って、何か行きたいところとかある?」
しぶしぶ引き受けたにしても、やるとなったらきちんと考えてくれる、かおりのそういう所には好感を持っていた。
オレは考える姿勢をとりながら、問いに答える。
「そう言われても、まだ詳しいことは何も知りませんからね。
かおりさんは、何かするんですか?」
「へっ?」
思いがけない事だったのか、かおりのおかしな返事に、思わず吹き出しそうになる。
「あぁ!
あれ、サークルで写真展。
天文写真展やるの。」
気を取り直して、かおりが教えてくれる。
「そういえば、達兄も言ってました。
今年は流星群がキレイだったから、きっと良い写真があるはずだって。」
「そうなの!
今年の夏合宿のテーマは流星群で、ペルセウス座流星群に合わせて合宿を計画したんだよね。
深夜には月も沈んで、結構な好条件で見られて、シャッター押すの忘れちゃってたくらい。
達也先輩も、俺の門出祝ってくれてる・・・の・・・かなって。」
達也の話を出してしまったと、少し後悔した。
しかし、かおりのサークルの話では、どうしても達也が関係してくる。
かおりが達也の事をどう思ってるのか、考えずにはいられなくなる。
「達兄から夏合宿のことも聞いてます。
コレが終わったらいよいよ出発なんだって。
天体観測はしばらくお預けだなって言ってましたよ。
達兄のことだから、全く当てになりませんけどね。」
「確かに!
日本の夜空はしばらくお預けでも、達也先輩なら、もう向こうで天体観測友達見つけてるだろうね。
夏合宿も、普段は写真はオマケみたいな感じなんだけど、今回は達也先輩のこともあって、結構みんな真剣に写真撮ってたんだよね。
思い出に残しておきたかったのかな。
来年、達也先輩が戻ってきても卒研あるだろうし、今までみたいにはいかないだろうなぁ。」
でも、サークルの話や達也の話をするかおりは、いつになく饒舌で、そんな彼女をもっと見ていたいと思う自分もいた。
「達兄、慕われてるんですね。
オレの中では、うちの兄貴とバカやってた達兄のが、らしいですけどね。」
かおりが思わずといった感じで、声をたてて笑った。
それから程なくして、かおりが一棟の賃貸マンションの前で立ち止まった。
「私の家、ここのマンションなんだ。」
言いながらかおりが振り向く。
「割と良いところですね。」
「年季入ってるけどね。」
家まで送り届けた。
もう用はない。
「じゃあオレ、帰ります。」
オレは、軽く会釈をすると、かおりに背を向けて歩き出した。
また、こんな風に笑いながら、かおりと時間を過ごしたいと思っていた。
「あの!」
不意に後ろからオレを呼び止めるかおりの声がした。
「どうかしました?」
「お茶でも・・・どうかな?」
かおりが話す言葉の意味をゆっくりと考えた。
考えれば考えるほど、妙に腹が立った。
そういう事を他の男にも言ってるのか、それとも、オレを全く男として見てないか、どちらにしても最悪だ。
「あんたバカか?」
あまりに腹が立って、つい思っていた事を口走ってしまった。
かおりが耳を疑っている。
「だーかーらー、あんたバカ?」
それを皮切りに言葉はどんどん出てきた。
「こんな夜遅くに男を家に上げるとか、何考えてんの?
襲って下さいって言ってるようなもんなんだよ。
それとも何、襲ってほしいの?」
かおりの手首に手を伸ばした。
「イヤッ!」
かおりから手を振り払われる。
「あっ・・・。」
半ば怖がらせるためにしたことだが、ハッキリとしたかおりの拒絶は、正直、傷付いた。
かおりの困惑した表情が、さらに胸をざわつかせた。
「男なんてすぐにその気になるんだから、少しは気を付けろよ。」
そう言って再びかおりに背を向けた。
しばらくするとかおりの足音が遠ざかっていった。
きっと家に向かったのだろう。
立ち止まって振り返り、マンションに入っていくかおりを見届けた。
そして、自分の気持ちにはっきりと気付いた。
オレは、かおりに恋をしている。
無意識にガタガタと音を立てながら席に座る。
それと同時に本鈴がなった。
前の席の信吾が心配そうに振り返った。
「涼介にしては遅かったな。」
間もなく担任が、席につけー、と言いながら教室に入ってきた。
信吾に、後で話すと言い、前を向くように促した。
昨夜のかおりとのやりとりが頭から離れない。
自分でもどうしてあんな事を言ったのか分からない。
もっと簡単に断ることもできたし、あのまま彼女の部屋に入ることだってできた。
少なくとも2か月前のオレなら、多分部屋に行っているだろう。
しかし今は、そんな2か月前のオレ自身に嫌気がさしている。
4時間目の終わりを告げるチャイムが鳴った。
信吾と一緒にどこかで昼食をとるか、と考えていると、信吾もそのつもりだったのだろう、購買でパン買ってくるから屋上で待ってろ、と言われた。
「信吾。
何か飲み物買ってきてくれ。」
そう言って信吾に小銭を渡した。
「しょーがねーなぁ。」
ヤレヤレと信吾が教室を出ていくのを見送ると、弁当を持って席を立った。
「涼介!」
教室を出ていったはずの信吾がオレを呼んでいた。
顔を上げると、お客さんと言って、信吾が教室の出入り口を指差した。
信吾の指した方向には、少し俯いた女子が立っていた。
オレは少し顔をしかめると、信吾に近寄った。
「さすがだなぁ。
今度は1年の一番人気の松下 愛梨じゃん。」
信吾がニヤニヤと笑いながら言う。
「とりあえず、屋上集合な。」
信吾にそれだけ言うと、オレを呼んでいるという“松下 愛梨”とやらのところへ向かった。
オレが近づいてきたことに気付いた松下は、呼び出してすみませんと言ってきた。
そう思うならそっとしておいてくれ、と言いたいところをぐっと堪えた。
「少しお時間いただいてもいいですか?」
「まあ。」
場所を移すか。
「ここじゃあ何だから・・・。」
それだけ言って歩き始めた。
松下も大人しく付いてくる。
ギャラリーの声が遠くなった所で、空き教室に入った。
松下と一定の距離を保ちつつ、彼女と対峙した。
「オレ、さっきの信吾とも約束があるんで、手短にお願いしても良いかな?」
松下は顔を真っ赤にして俯いていた。
沈黙が長く感じたが、せいぜい2~3分くらいだろう。
松下が口を開いた。
「あの、伊藤先輩の事が好きです。
夏希先輩と別れたって知って、どうしても先輩に気持ちを伝えたくて・・・。」
松下は赤くなった顔をこちらに向けて一生懸命に、オレに話しかけていた。
松下が一歩近付いたとき、オレは無意識に一歩下がっていた。
以前のオレだったらどうした?
そのままルールの説明を始めたはずだ。
“オレが君の事を好きになる事は100%ないが、それでも良ければ付き合おう。”
“クリスマスなどの、いわゆる恋人同士のイベントもできそうもないが、それでも良いかな?”
相手が本気でも遊びでも、そんな事はオレには関係のないことだと思っていた。
松下は祈るように瞳を潤ませながらこちらを見ている。
こいつはオレの何が好きなんだろう。
大して話したこともないのに、どうして好きだと思えるのか分からない。
いや、そうだろうか。
オレはいつからだ。
いつからかおりを好きになったのか・・・。
好き・・・なのか。
「ごめん。
今は誰とも付き合う気にはなれない。」
「まだ夏希先輩の事が好きなんですか?
そうだとしても、私、それでもいいです。」
松下 愛梨は涙声だ。
「そういう事じゃないんだ。」
なんだか滑稽だった。
夏希の事を好きだと思ったことはない。
今も、頭を過るのはかおりの事だけだ。
「本当にごめん。」
それだけ言うと、彼女を置いて教室を後にした。
「これ、お前の。」
屋上で待っていると、信吾が買い物袋から缶コーヒーを取り出しながらやって来た。
「サンキュ。」
ヨイショと信吾がオレの隣に腰を下ろした。
「で、次は松下 愛梨ってわけ?
羨ましいヤツだなぁ。」
「松下は断ったよ。」
オレは弁当を頬張りながら言った。
「そうか。
断ったのか・・・。
・・・えぇっ!?」
信吾が手に持っていたパンを取り落としそうになりながら、驚いていた。
「何、すでに告られてんの?
松下も早いと思ってたけど、ちょっと早すぎねぇ?」
「パンくず飛ばすなよ、汚ねえから。」
「てか、冷静だな?」
「お前が驚きすぎなんだろ。」
「だってオレ、新しい彼女のこと聞いてないし。」
「居ないし。」
オレは弁当を食べながら淡々と答えた。
「居ない?
彼女が?
でも、松下の事は断ったんだろ?」
信吾は信じられないとばかりに、オレに詰め寄る。
「涼介、お前どうした?
何かあったのか?
あんなかわいい子、フリーなのに断るなんて今までなかったろ?」
「別に見た目とか気にしたことねぇよ。」
心配顔の信吾が覗き込むようにこちらを見ている。
「・・・この前会った、オレの家庭教師って覚えてるか?」
意を決してオレも話し始めた。
「あぁ、達兄の後輩の女子大生だろ?
チラッと見ただけだけど、かなりナイスバディだったよな。
何お前、そのカテキョとやっちゃった?」
思わず信吾の頭を小突いていた。
「いてーよ。
ってか、お前本当にどうした?」
自分でも自分が信じられなくて、冗談にしてしまいたくなる。
でも、多分、信吾にはそのうちばれるだろう。
変な気を遣わせるくらいなら、こいつには話しておきたい、そう思っていた。
「まぁ、信吾には信じてもらえないかも知れないけど・・・。
オレ、どうやらそのカテキョの先生の事が・・・気に・・・なってる。」
「なんだよそれ?
身体が?」
「あんま茶化すとマジ切れるけど?」
信吾に対して批判するような事を言うには言ったが、信吾の気持ちも分からなくはない。
少し前までオレはそんなヤツだった。
「そうか、マジなのか。」
信吾は大きく息を吸い込んだと思うと、長く息を吐き出し、さらに言葉を続けた。
「・・・お前のそういう顔、いつ以来だろうな。」
「顔?」
「いつからなのか、感情をあんま見せなくなったよな。
それがお前の成長みたいなもんかと思ってたけど、実は違ってんだな。」
「・・・そう・・・か?」
「何年一緒に居ると思ってんだよ。
そんくらいの事が分かるくらいには、付き合い古いだろ。」
普段とぼけている事も多いが、結構細かいとこにまで気付いていて、信吾のそういうところに救われたことも多かった。
「やっぱお前スゴいな。」
「で、どうすんの?
告んのか?」
「だよなぁ・・・。」
オレは渋い顔で昨夜の出来事を話した。
信吾はさらに渋い顔をして、それ誰の話?、と聞いてきた。
「・・・オレの話だよ。」
「マジか?」
「つうか、マジかマジかうるせえよ。」
「いや、本気なんだなと。
お前が他人の為に30分も無駄に過ごすとはね。
それも不審者なんてあやふやな情報で。」
オレは空になった弁当箱を脇に置くと、ゴロンと寝転がった。
「自分でも良く分からないけどな。
でも、あの人が達兄の話をしてると、どうしようもなく胸が苦しくなる。
カッコ悪。」
「逆だろ?」
「何が?」
「すげぇカッコイイじゃん。」
「だから、バカにすんなって。
あの人が絡むとコントロールできなくなんだよ。
それの何がカッコいいんだよ。」
信吾もオレの隣に寝転がった。
二人で突き抜けるような青空を見上げた。
空を見ながら、信吾が話しはじめた。
「バカになんかしてねえよ。
どっちかって言ったら、羨ましいよ。」
「なんだそれ?」
「お前の恋愛遍歴はずっと適当だったからな。
告られたら付き合って、別れようって言われたら別れて、また同じように繰り返して・・・。
そういうお前の性欲処理的な付き合い方は、正直どうかと思ってたし、でもだからといって、俺がどうこう言っても仕方ないし、お前が変わるとも思ってなかったからな。」
「だから何だよ。」
信吾はガバッと起き上がり、オレを見下ろした。
「どっかでお前のそういう付き合い方より、俺の方がまだマシって思ってたんだよな。
でも、まさかそんな本命が出てくるなんて・・・。
そんなの俺、経験したことないわ。」
大きくため息を吐きながら、また信吾が寝転んで空を見上げた。
「性欲処理か・・・。
兄貴が知ったら何て言うんだろうな?」
「啓兄ならめちゃくちゃ怒るだろ。
希美さん一筋だからな。」
兄の啓介は真面目で、高校生の頃は浮いた話は何もなかった。
しかし、大学に入ってすぐ、同じ学部で彼女、希美さんに出会った。
「あの時はマジうけたよ。
兄貴が真面目な顔して、天使がいたって言ってたからな。
でも、何が一番ウケるかって言ったら、あん時の兄貴の気持ちが今のオレには分かるかもってことかもな。」
思わず渇いた笑いが出た。
「確かに。
で、そのカテキョの女子大生は達兄が好きなのか?」
「いや、知らん。」
「さっき、お前そんなようなこと言ってなかったか?」
「ああ・・・。
少なくともオレよりは達兄の方が好かれてるだろうと思うっていうだけで、彼女に彼氏が居るのか、好きなヤツがいるのか・・・。」
そうか、そんな事、今まで気にしてこなかったからな。
そんな初歩的な事も知らないで、ただただ彼女に惹かれたのか。
信吾がよっこらせっと言いながら立ち上がると、ズボンや背中に付いた砂を払いながら言った。
「じゃあ、カラオケでも行くか。」
「はぁ?」
何だこれ?
放課後、半ば信吾に引きすられるようにカラオケに連れてこられた。
「隣、良い?」
声が聞こえたかと思うと、返事をする間もなく、無理矢理隣に座ってきた。
「あたし、千明。
知らなかったなぁ。
晴香の友達に、こんなイケメンがいるなんて。
しかも、K高だなんて頭も良いんだ?」
あまりの図々しさに、ため息を吐いた。
「そういうあんたは、すげぇバカそうだな。
その程度の乳、強調されてもピクリとも動かないわ。」
「なっ!?」
後ろからさっきの女の罵声が聞こえる。
「信吾、悪いけどオレ帰るわ。」
「涼介、お前もう帰っちゃうの?」
信吾ではなく、信吾が声をかけて集まってくれた中学の時の友達が、何だよと声をかけてくれる。
「信吾が何て言ってたか知らないけど、今、盛り上がれる気分じゃないんだよ。
悪いな。」
財布から千円札を出すと、信吾の胸ポケットに突っ込んだ。
「また明日、学校でな。」
「気晴らしって感じにはならなかったみたいだな。」
「悪いな。」
「そんな事思ってないだろ?」
そう言って信吾は笑った。
「お前の気持ちには感謝してるよ。
ただ・・・オレが重症ってだけだろ。」
じゃあな、と声をかけて部屋から出た。
帰ろうと店から出る直前に、名前を呼ばれた。
「ちょっと涼介!
相変わらず歩くの速すぎ。」
そう声をかけて来たのは、小学校中学校が一緒だった、後藤 晴香だ。
中学までは、信吾と3人でよくつるんでいたが、高校が別になり、今日は久しぶりに顔を合わせた。
「どうした?」
「涼介が帰っちゃうのって、あたしが連れてきた友達が原因かと思って・・・。」
「あぁ。」
「千明はそんなに悪い子じゃないの。
ただ、彼氏欲しいって頑張ってるだけで。」
晴香が苦笑しつつも、友達の千明とやらを庇っていた。
そういう面倒見の良いところが、男子にも女子にも好かれるんだろう。
「いや、こっちこそすまない。
集まってくれたみんなには感謝してるけど、今はそういう気分になれないんだ。」
「何かあった?」
「まあね。
・・・詳しい事は信吾にでも聞いてくれ。
とりあえず、オレは帰るわ。」
晴香は心配そうにこちらを見ていたが、かまわず踵を返した。
ちょうどその時、大学生らしき集団が店に入ってきた。
顔を伏せてやり過ごそうとした瞬間、視界の端にかおりが見えた。
思わず、顔をあげて彼女を目で追った。
その動きで、彼女の方もオレに気付いた。
「涼介くん?」
世界が一瞬止まった。