4. 気付き side涼介
あの「ハヤブサ」の話のあと、特にかおりに大きな変化があったわけではなく、相変わらず硬い表情に戻ってしまっていた。
正直、もう少し和らいだ表情が続くかと思っていた。
ここ数日、そんなもやもやとした自分の気持ちをもて余していた。
「ねぇ!ちょっと聞いてるの!?」
「ああ・・・、悪い。」
そうだ、今は彼女の木ノ下 夏希に呼び出されてたんだった。
夏希とは、6月の文化祭の時に告白されて付き合う事になった。
確か、ミスコンで優勝したって言っていた気がする。
「何の話だった?」
どうやら不機嫌らしい。
「・・・全然、話聞いてないんだ?」
夏希が責めるように言う。
「だから、悪かったって。」
なんでこんな面倒な事をしてるのかと、ほとほと自分に呆れていた。
夏希が改めて、気を取り直して話はじめた。
「・・・涼介、少しでも私の事好きだった?」
突然何を言い出したのかと思えば・・・。
「それは付き合い始めるときに言っているはずだよな?
君が別にそれでもかまわないって言っていたと思うけど?」
視界の端で、夏希の握る手に力が入ったのが見えた。
「それは・・・、分かってる。
私は・・・、涼介と付き合えたら、涼介の気持ちだって変わるって、どこかで期待してた。」
夏希が一つため息をついた。
「自信あったんだけどなぁ。
・・・だから、エッチだって・・・。」
最後は消え入りそうな声だった。
派手な外見の割に、やはり進学校の生徒なだけあって、真面目なところもある。
「後悔してるのか?」
今さら後悔されても、どうしようもないが。
夏希がうつむき気味だった顔を上げて、強気の表情を見せる。
「バッカじゃないの?
後悔なんてしないわよ。
・・・ただ、もう限界っていうだけ。」
ふと、夏希が下を向いた。
しばらく悩んでいたようだが、再び顔を上げるとスッキリとした表情だった。
「ホント、涼介ってムカつく。
だから・・・、あたしから振ってあげる。」
「わかった。」
「本当に何の未練も無いんだ?」
夏希の目にみるみる涙が溜まっていく。
最初から夏希に気持ちはなかった。
それは夏希も分かっているはずだった。
二人の視線がぶつかった。
夏希が一歩オレに近付く。
そして、その手を振り上げると、オレの頬に衝撃が走った。
「最っ低。」
それだけ言うと、夏希は足早に立ち去っていった。
「いって・・・」
マジか。
夏希に叩かれた頬をさすった。
それでも、別れ話があっさり終わった事にホッとしていた。
とはいえ、昼休みが終われば教室に戻らなければならない。
気が重かった。
こういう話は目ざとい奴がいて、すぐに広まる。
子供の頃からの腐れ縁の信吾にも、きっとうるさく聞かれるだろう。
「面倒くせえなぁ・・・」
結局、授業が始まるチャイムと同時に教室に滑り込んだ。
席が一番後ろで良かったと心から思っていた。
それでも、前の席に座る信吾にはバレていて、オレと同時に教室に入って来た数学担当の教師にバレないように、信吾が小さく囁いた。
「今日、お前んち行く。」
予想通りの反応に苦笑しながら頷いた。
学校から帰って、着替えを済ませると、今日が木曜で家庭教師のある日だということを思い出した。
「少し片付けるか。」
デスクに無造作に開かれた参考書などを片付けていると、階下から賑やかな信吾の話し声が聞こえた。
信吾の家は歩いて10分くらいの近所にあり、小さい頃から何かとつるんでいたので、兄の啓介や達也も信吾の事を何かと可愛がっていた。
信吾はオレとは対照的に、いつも騒がしい。
あいつが側に居るおかげで、オレのこんな性格でも孤立しないんだろうと思う。
話の内容までは聞き取れないが、母親に挨拶を済ませて、こちらに来るようだ。
「ういーす!」
呑気な信吾の声と共に部屋のドアが開いた。
「本当に来たのか?」
半ば呆れたように呟いたが、信吾はおかまいなしだ。
「当たり前だろう!
うちの学校一のビッグカップルの破局なんて、すげえニュースだろ?」
そう言いながらオレのベッドに腰掛けて、デスクの椅子に座るオレと向かい合った。
「なんだそれ?」
「お前、自覚ないの?」
思いきり大きなため息を吐いてしまった。
やはり、信吾は気にせず続ける。
「お前、わりと校内では硬派なイメージなんだよなぁ。
えっと、木ノ下さんだっけ?
彼女の前は、他所でばっか女作ってたもんな。」
「お前、その言い方、人聞き悪いだろ!?
告白されて付き合って、別に二股かけてた訳じゃないんだから普通だろう?」
「お前のは、来るもの拒まずって言うんだよ。」
「じゃあ、お前はどうなんだよ。」
「俺はちゃんと好きになって付き合ってんの。」
お互い紹介する訳じゃないが、家も近くて学校も同じともなれば行動範囲は自ずと似てくる。
信吾もそうは言ってるが、1年も付き合った相手は居ないはずだ。
「そのわりにはお前も長続きしないな。」
「うるせえよ。」
信吾が笑いながら答えた。
「しっかし、もったいねぇなぁ。
ミスK高だろ?」
そう言うと、信吾はオレのベッドに寝転がった。
「まあ、そうみたいだな。」
「お前も出てたらミスターだったかも知れないけどな。」
「興味ない。
面倒なだけだろう?」
「あぁあ、モテるやつはいいよなぁ。
あんだけいい女も振っちゃうわけだしな。」
「向こうが振ったんだろ?」
オレは心外だとばかりに答える。
「そうは言っても、普通、告られて付き合うって時に、好きじゃないって言うか?
その時点で振ってるよな?」
「ちゃんと、それでも良ければ付き合うけどって言ったよ。
お互い納得してたんだから、気持ちがとか今更言われても困るだけだ。」
そうだ、そういうドライな関係を望んでいた。
オレみたいなやつは、どうせ外見しか求められてないんだから。
「身体から始まる恋もあるっていうじゃん?」
「そんな事あるわけないだろ。
お前はそういうことあんの?」
「普通はそこまでいくのが、すげぇ大変なんだろ?
そんな簡単にやらせてもらえるのは、お前がイケメンだからだよ。」
「つまり顔しか見てないって事だろ?」
そうオレが言い終わるのが先だったか、それともノックが先だったかわからないが、6時5分前にノックが部屋に響いた。
「橘です。」
ドアの向こうから、かおりの声が聞こえる。
信吾は訝しげな顔でこちらを見ていた。
「達兄の替わりのカテキョ。」
オレは信吾にだけ聞こえるように少し小声で言った。
信吾は得心が行ったとばかりに頷いて、立ち上がる。
「じゃあ、また明日学校でな。」
「あぁ、悪いな。」
ドアを開けて信吾を送り出し、代わりにかおりを招き入れた。
その時オレは、階下から聞こえるはずの信吾の声が、全く耳に入らないくらい動揺していた。
かおりはいつもと変わらず、バッグからいくつか参考書を出すと、部屋の隅に立て掛けてある折り畳みの椅子を持ってきて準備をしていた。
オレはそんな彼女の様子を呆然と見ながら、いったいどこから話を聞かれていたか考えていた。
例え、話を聞かれていたとしても、特に問題はない。
オレは自分にそう言い聞かせていた。
「今日、大学を出たのが遅くなっちゃって、あんまり予習できてないの。
だから、今日はこの参考書メインで良いかな?」
不意を突かれて、かおりが何を持っているのか一瞬分からなかった。
かおりが持っていたのは、使い古された参考書だった。
彼女も受験の時に使っていたのだろう。
「構いません。」
「大丈夫?」
彼女が若干覗き込むようにオレの顔を見ながら言った。
なぜこんなにも動揺しているのか、訳がわからない。
彼女と別れたなんて話はありふれている。
ましてやかおりはただの家庭教師だ。
気にする方がどうかしている。
「何でもありません。」
内心の動揺を心から締め出すようにして、机に向かった。
「すみません。
始めてください。」
それが合図だったかのように、かおりも折り畳みの椅子をデスクに寄せて座った。
かおりが椅子を置いた位置は、いつもより20~30㎝ほど遠かった。
それを見て、彼女がオレと信吾の会話を聞いていたんだなと確信した。
信吾との会話は事実だ。
何一つ嘘はない。
そして、自分が彼女にどう思われるのか、そんな事を気にしている自分に気付いた。
今まで、他人がどう思うかなんて気にしたことはないオレが?
かおりはいつも少し緊張したような面持ちだが、それは今日も変わらない。
それでも、回を重ねるごとに少しずつ表情に変化はあったと思う。
そこに軽蔑の色が加わったんじゃないかと、ペンを走らせている彼女の横顔を盗み見る。
我ながらだせぇ。
こんな事を考えるなんて思ってもみなかった。
達也に知られるからだろうか。
「・・・くん。
涼介くん!」
やばい。
「すみません。」
慌てて謝る。
「調子悪いなら、今日はもう止めようか?」
かおりが心配そうに覗き込む。
少なくとも、今は本当に心配してそうだ。
「大丈夫なんで、そのまま続けてください。」
「でも、顔色悪いけど・・・。」
「大丈夫です!!」
思わず語気が強くなった。
かおりの表情が曇る。
「本当に大丈夫なんです。」
慌てて言い直す。
「・・・私こそ、しつこくしてごめんなさい。
」
かおりがばつの悪そうな顔をしている。
「・・・達兄から、
友達からハロウィンパーティーに誘われてるって、メッセージ届いてましたよ。」
突然の話題に呆気にとられたようなかおりだったが、オレの気持ちを察したらしく、すぐに気持ちを切り替えてくれたようだ。
「さすがアメリカ。
ハロウィンパーティーなんてやるんだ。」
かおりがその話題に乗ってくれて、胸を撫で下ろした。
「孤児への寄付なんかもやったりする、チャリティーイベントみたいですけどね。
大人も仮装するらしくて、本気で何に仮装しようか考えてるみたいですよ。」
さっきまで、あれほど緊張した表情をしていたが、達也の様子が分かった事が嬉しかったのか、一気にかおりの表情が綻んだ。
「達也先輩らしい。
何にでも本当に真面目だね。
サークルの新歓行事とかも、最初が肝心だからって、すごい真剣に考えてくれてたなぁ。」
達也の名前が出るだけで、まるで別人のように微笑むかおりを見ながら、胸がギュッと締め付けられるのを感じていた。
オレは表情が強ばらないようにするだけで必死だった。
「仮装かぁ・・・。
ドラキュラ伯爵とか?」
顎に手を当てて達也の仮装を考えている彼女を横目に、オレの胸にはじんわりと苦い思いが広がっていった。
「それが、顔の良いやつはドラキュラはダメだって言われたらしくて・・・。」
「そうなの!?
達也先輩、海を渡ってもイケメンなんだ。」
そう言った彼女の表情が少し曇ったように感じたのは、気のせいだろうか。
「・・・それと、もうすぐ学祭だから、かおりさんに頑張れって伝えてくれって言ってましたよ。」
かおりの表情が明るくなった。
「やっぱり心配してくれてるんだ・・・。」
かおりは達也が好きなのかもしれない。
そう思った自分が想像以上に凹んでいたことに驚いた。
そして、とっさに自分で自分の胸元を掴んでいた。
「達兄が、もしT大受けるなら、学祭とか見に行ったらどうかって言ってたんですよね。」
こうアドバイスされたことは嘘じゃない。
「確かに、何となく雰囲気はわかるかも?
どんなサークルがあるのかとかも分かって良いかな。」
彼女が達也の事を好きなのかもしれないと思ったら、居てもたってもいられなくなっていた。
「もし良かったら・・・。
学祭、案内してくれませんか?」
「はっ!?」
その時、目を大きく見開いて驚いている彼女が、どうしようもなく可愛いと思っている自分の気持ちは、もはや誤魔化せなかった。