2. 家庭教師は女子大生 side涼介
世の母親ってやつは、息子の事をどう思ってるのか、甚だ理解に苦しむ。
オレ、伊藤 涼介の家には、毎週木曜日の午後6時から2時間、大学2年生の女子大生、橘 かおりが家庭教師としてやってくる。
健全な男子高校生の部屋で、女子大生と二人きりにするなんて、うちの母親は大丈夫なのかと本気で心配になる。
女ってのは露出が少なければ安心なのか?
男子高校生の想像力を舐めんなと言いたい。
そもそも、家庭教師として来ていたのは、従兄の小林 達也だ。
その達也が9月から留学することになり、達也から紹介されたのが、橘 かおりだ。
達也はオレたち兄弟の従兄弟であると同時に、達也と同級生である兄の親友でもあった。
ずっと兄に勉強を教えてもらっていたが、肝心の高校受験を控えた中学3年の時には、北海道の大学に進学していた。
兄と達也は高校まではずっと一緒で、彼らの母校を受験することを知って、達也は快く家庭教師を引き受けてくれた。
無事に志望校に合格できたが、所謂有名大学に通っている達也に、母親が家庭教師を続けてもらえるように頼んだらしい。
オレも達兄と呼んで、もう一人の兄のように思っているし、達也から聞ける宇宙の話もわりと好きで、家庭教師を続けてもらえるのは正直嬉しかった。
しかし、家庭教師なんて面倒くさいもの、達也だから良かっただけの話だ。
でも母親は、結構な進学校でもなかなかの成績を取れているのは、家庭教師の達也のおかげだと思っている。
そんな母親がオレが止めるのも聞かないで、達也に代わりの家庭教師を紹介してほしいと頼むのも仕方のない話かもしれない。
それに、達也から、同サーでおもしろいやつがいるから、そいつに頼んでおいたって聞かされたときは、正直、男だと思っていた。
達也の所属するサークルは真面目な天文サークルだ。
女子に人気のサークルとは言えない。
だから、カテキョに女が来るとは思えなかった。
初めてかおりが部屋に入ってきたときは、頭をハンマーで叩かれたような衝撃だった。
夏の薄着の服では、かおりが堪らなくエロい体つきだっていうのがすぐに分かった。
別に童貞ってわけじゃないが、あの体は反則だ。
しかし、それ以外はどちらかというとすごく地味だ。
美人という訳ではないが、愛らしく整っている顔は、化粧もほとんどしていない。
服装も、ジーンズや、夏のよほど暑いときはハーフパンツにTシャツなど、着飾るという感じでは全くない。
かおりがオレの隣に用意された椅子にかけると、化粧やコロンの香りではなく、髪からふんわりとシャンプーの香りがした。
オレに声をかけてくる女子とは違い、また、遠巻きにオレを眺めている女子達ともまた違っていた。
かおりが家庭教師になり、そろそろ2ヶ月だが、分かった事がいくつかある。
その一つが、どうやらかおりがオレの事を苦手らしいって事だ。
必要以上には目も合わせない。
人見知りで誰に対してもそうなのかと思えば、オレの母親には明るく朗らかな笑顔を向けていた。
かといって警戒されてるのかと思えばそうでもなく、ボーッとしてることもあり、すごく無防備だ。
それから、家庭教師の他にもバイトをしているらしく、忙しいというのもあるだろうが、少しうっかりしているところもある。
そして負けず嫌いで、そういったミスを指摘すると、反応が面白い。
今日も予習してきてくれているはずだが、単純なミスがあったようだ。
「あれ?」
かおりが首を傾げている。
「3行目、足し算間違ってますよ。」
「あ・・・。」
してやられたって顔のかおりを見ながら、ついついもう一言言ってしまう。
「そんなケアレスミスしてて、よく達兄と同じ大学に入れましたね。」
かおりの学力が決して低いものではないということは、オレも良く分かっている。
しかし達也の頭の良さは、かおりも一目置いているようで、かおりの表情は渋い。
いくつか問題を解いていると、かおりが自分の世界に入ってしまっていることに気付いた。
「で、次はこの問題をやればいいんですか?」
オレが話しかけると不意を突かれたように、かおりが答えた。
「えーっと・・・、そうね。これとこれを解いてみて。」
オレはかおりの指示に大人しく従った。
そのままスルーしても良かったが、また何となく一言付け足した。
「そんなにボーッとしてて、よく受験大丈夫でしたね。」
「ごめん、ちょっと考え事しちゃって。
受験のときは緊張感あるから、それどころじゃないっていうか・・・。」
気まずそうな感じでかおりが答える。
そして、こんな時、無性に真面目な彼女をいじめたくなる。
問題を解いていた手を止め、かおりを見つめる。
「これは、貴女にとっては仕事だと思ってました。」
かおりの頬が赤く染まる。
少しキツい言葉だったかと一瞬後悔も過ったが、訂正はできない。
ノートに視線を移し、かおりの一挙一動を見守る。
かおりが席を立ち、本棚の前に立った。
友達の田仲 信吾が置いていったエロ本が無造作にしまってあるんじゃないかとも考えたが、最近は持ってきていないはずだ。
指示された問題を解き終わると、静かにかおりの後ろ姿を見つめた。
かおりがフォトフレームに手を伸ばしたのか見えた。
そこに飾ってあるのは、今は亡き愛犬、ハヤブサと子供の頃のオレの写真だ。
ハヤブサは兄にとってももちろん大事な存在で、ハヤブサが病気で死んだときは、オレよりもずっと悲しんでいた。
あんなに好きだった宇宙のことも全て諦めて、兄は獣医になることを決めた。
「ハヤブサっていうんです。」
「えっ・・・?」
かおりが何の事だという顔をしている。
オレ自身が一番驚いていた。
内心、自分の言動に驚きつつも、オレは言葉を繋いだ。
「前に飼ってた犬の名前です。
ちょうどハヤブサの打ち上げのすぐ後にうちに来たんです。
だから、ハヤブサって兄が。
安易ですよね。」
「お兄さんが?」
「兄が。」
かおりは少し考えていたが、納得したように頷くと、
「ハヤブサ帰還のときならまだしも、打ち上げのときにも注目してるなんて、さすが達也先輩の親友ね。」
そう言って微笑んだ。
その笑顔にオレの心臓は一瞬高鳴った。
そんな初めての感覚に戸惑ったが、ポーカーフェイスを装った。