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8/24

その71から83まで

伊蔵の散財で松野家財政は資産は疲弊していました。

この上 田分けをすると

松野家はただの地主になってしまいます。


しかし

次男の将来を

考えるとそうしかないと考えたのです。


何日間も

伊蔵は考えました。

自分自身に何ができるか

考えていました。


家族にも伊蔵が

最近変だと思えるようになりました。

仲間が誘いに来ても

伊丹に行かないのです。

もう何人も来たのに

全く行かないのです。


そんな伊蔵を家族のものが

心配で心配で伊蔵を

お医者様に連れて行こうとしたくらいです。


3ヶ月過ぎて

伊蔵は

家族のものみんなを呼んで

「次男にそれなりの田畑を分けて

分家をさせる。

家督は長男に譲る。

それから

これからは

心を入れ替えて

働く」

と言いました。



伊蔵は

当主の座を

長男に譲って

隠居することと

次男を分家させることの

二点を言ったのです。


今までの生活の一新です。


最後の良く働くと言う約束は

家族の誰もが信用しなかったのですが

当主の言葉は

絶対ですので

伊蔵の言うようになってしまいました。


次男は

次の春に

同じ街道筋の筋向いの土地に

7反の田畑とともに分家しました。


それから

伊蔵は

旧民法の規定のとおり

役場に届けて

隠居しました。


こうして松野家の財産は

二分されて

普通の地主になってしまいました。


下男も丁度高齢になったため

辞めてしまったので

松野家の人々は

本当に働かなければならない

立場になってしまいました。


伊蔵も

まだ43歳

充分に働けける歳ですので

長男とともに働き始めました。


長年楽をしていた体にはこたえます。

それにもっと大きな問題は

農業には技術が必要なことを

初めて知ったことです。



ところで

この物語では

次男は分家して

伊蔵は隠居してということになっています。


でも関西地方では

分家とは言わずに

これを「隠居」と言います。


(現役を退く本来の隠居は

どのように言うか著者は思い出せません。

どなたか知っておられる方

右メールでお教えください。

すみません小説の中で皆様に頼むなんて

とんでもないことですよね。)


だから次男は

若いのに隠居と呼ばれます。


そして長男は

「おもや:母屋」と言います。

世間の狭い村の中では

隠居と母屋は

待遇が全く違うのです。

母屋株を持つ人は

村の世話役で

村のことについて決めることができます。

隠居の方は

決められたことを

やらなければなりません。

やらないと

「村八分に」なってしまいます。

それは大変なことなんです。




村八分の詳細については

ずーと先に詳しく述べます。

伊蔵の長男の子供は

母屋株なのに

村八分になってしまうのです。

ちょっと変わっていたのですが

それは覚えていましたら後日ということで、

ところで

伊蔵は

農業を本当は

がんばっているつもりなんですが

農業について全く疎い

伊蔵と長男は

他の村人から見ると

遊んでいるようにも見えるのです。


農業というのは

体力と根気以外

技術が必要なものです。

伊蔵と長男には

はっきり言って

そのすべてがない。

特に技術的に未熟なため

お米はあまり取れません。


例えば

お米に施肥する量を

増やせばいいというものではありません。

やりすぎると

お米の背ばかり高くなって

お米ができなくなってしまうのです。


四十を過ぎて

伊蔵はそんなことを勉強してしまったのです。


それに対して

分家した伊蔵の次男は

その妻のお父さんの力を借りて

わりとうまく作っていたのです。

次男は素直だったのかんもしれません。




伊蔵と長男は

がんばって働いているつもりなんですが

その効果が現れないのです。


伊蔵は農業がこんなに難しくて

大変なことか

つくづく思い知らされました。

若い時は、

助役としての仕事は

大変な仕事で

あると自認していましたが、

それは全く誤りだと言うことが

この数年の仕事で

はっきりと分かりました。


それからも

伊蔵と長男は働きましたが

うまくいきません。

まずまず上手くできるようになったのは

明治も30年になった頃で

伊蔵は50歳を超えていました。


伊蔵は後悔するばかりですが

後悔したところで

なくしたものが帰ってくるでもなし

伊蔵はいたたまれなくなりました。


この経験を

伊蔵は

長男や次男

そして生まれてくる

孫にくどいほど話すのです。


そんな話を生まれた時から聞いた

孫の将来は

「よく働く人間」になるか

「人嫌いの人間」になるかの

ふたつしかありません。




伊蔵の若いときと

歳を取っての考え方が

全く違っているのです。


若い時は

程ほどに働いて

「その日を暮らしていけばいいではないか」

と言う意見だったのに

歳をとると180度変わって

「人間は生きている限りがんばって

生きていかねばならない」

になってしまったのです。


昔のことを良く知っている

長男や次男は

「はい はい」と言っているくらいですが

孫になると

前の伊蔵のことを知らないので

「洗脳」されてしまったのです。


長男のひとり息子や

次男のふたりの息子に

その影響は甚だしいのです。


長男のひとり息子は、

おじいさんがたくさんの人を助けたのに

それが原因で

松野家は困っているのだと感じ

少し人間不信

人間嫌いになったのです。


それに対して

同じようなことを聞いた

次男の

ふたりの息子は

伊蔵の孫なのに

伊蔵には全く似ず

働き者のふたりになったのです。



伊蔵は、

隠居していましたが

60歳をすぎても

もちろん働いていました。


働きの程度はともかく

働いていたのです。

でもそれは、

当時のお百姓さんなら当たり前のことで

珍しいことではありません。


その頃には

長男の息子も働くようになっていました。


3人で

仲良く働いたのです。


でも昔の伊蔵を知っている村人は、

「あの伊蔵さんは

60歳を超えても

働いている。

若いときに

あんな散財をしていなければ

今は

結構に楽隠居していただろうに」

と陰口を言っていたのです。


そんな陰口を聞いて

不愉快になったのは

一番下の

孫です。


孫は

伊蔵を尊敬していました。

明治の激動期に

困った村人を

助けた伊蔵を

孫は伊蔵を本当に尊敬していたのです。


でも

伊蔵が

散財していなければ

孫はもっとお金持ちだったんですが、

そんなことを

孫は考えもしませんでした。



明治も終わり

大正の御代になると

全国的な好景気になります。


伊蔵の村では

もっと他の理由で

より景気がよくなったのです。


それは

大阪と神戸を結ぶ鉄道が

伊蔵の村を通ることとなるのです。


そのために

工事が始まりました。

線路を造るのは

当時としては大土木工事です。


線路の用地や

線路の路床を作るための

土を採る為の

用地を

鉄道会社は買い上げたのです。


松野家の土地は

運がよかったのか悪かったのか知れませんが

その線路用地だったんです。


思いもよらないお金が

松野家に入ってきました。

昔の伊蔵なら

それを使ったでしょうが

隠居した身ですので

そのような権限もないし

使いたいとも思わなかったのです。


それらはすべて銀行に預けられました。


線路の工事が始まると

たくさんの線路工夫が

やって来ます。

借りた土地に

飯場を建てて

仕事を始めます。


松野家では

土地を売った程度ですが

同じ村人の中には

それにかこつけ

すごい金儲けをした者がいたのです。



大阪と神戸を結ぶ鉄道の工事が始まりました。

まず線路をを敷くための

路床を作ります。


園田村一帯は

海抜3mから5m程度で

一面の田んぼがあります。

田んぼは良田で

お米が適した土地ですが

線路を敷くには

低くてやわらかすぎます。

線路が冠水したり

沈むのを防止するために

路床を作る計画です。


そのために

土でかさ上げします。

しかし当時土は貴重品です。

山には土がたくさんあっても

運んでくるのは大変です。

それで近所の田んぼを買って

そこの土を利用しました。

ちなみに土を取った土地は

池となります。

阪急池と呼ばれることになります


満足な機械がありませんので

大八車で

土を運ぶのです。

そのために

たくさんの工夫がやってきました。


仕事は大変しんどい仕事ですから

お酒を飲むのです。

半端な量ではありません。

交通機関の発達していない頃ですので

近場で飲みます。



気が利いた村人の中に

お酒屋さんをする人が出てきました。

今で言う立ち飲み屋さんです。


すごくはやったのです。

園田村は前にも言いましたが

お酒を飲む施設などありません。

家でも節約に節約を重ねている

お百姓さんですので

第一お酒をお店で飲む人が居ません。


そんな何もないところに

お酒屋さんを作ったのです。

普通でしたら

閑古鳥が鳴くところですが

これが大当たり

夜な夜な店は大繁盛しました。


でも線路の工事が大工事だとしても

何年も続くわけがありません。

すぐに終わってしまいます。


しかしこのお酒屋さんは

当時としては

先進的な

ビールの特約店になって

これから大繁盛し

村一番の

大金持ちになっていきます。


あれよあれよという間に

大金持ちになったのです。

清兵衛らが一生働いて

大地主になったのに比べると

本当に短期間だったのです。


それを妬んだ村人の中には

「きっとお酒を水で増量し

出したので

そんなにお金持ちになったんだ」

というものもいたそうです。




時代が変わるときには

それを利用して

大金持ちになる人もいれば

反対の人もいます。


伊蔵は世間の人には

先祖伝来の財産を

散財した人と

思われていました。


しかし

伊蔵や

伊蔵の家族は

そんな風に思われるのは

心外だと考えていたのです。

伊蔵は人を助けるために

お金を使ったのであって

自分のために使ったのではないのです。


でも時代が過ぎ

伊蔵が助けた人たちが

次々と亡くなってくると

伊蔵がした努力が

薄れてきて

伊蔵は何かむなしく

なってきました。


でも

伊蔵は

孫たちの

働きを見て

少し安心していました。




大正時代の

好景気の

始めの頃です。

まだ寒い時期です。

伊蔵は朝ご飯を食べた後

倒れてしまいました。


意識不明で

丁度一ヶ月あまり経った朝に

伊蔵は亡くなりました。


「患い40日」を地で行くような

最期でした。


村のお葬式をしました。

そのお葬式のやり方は

今から考えると

すごく非合理的なような気がします。


まず村人が亡くなると

その知らせは

順番にすべての村人に伝わります。

彼らは弔問に伺います。


世話役と呼ばれる人たちが

この後は

仕切ります。

金銭出納帳なるものを作って

買い物をし

自分たちの食べ物を

その家の什器を使って作ります。

そして

忙しそうに

食べてから帰ります。


やたら人が多くて

忙しそうにそれから走り回ります。

お葬式の日程や

飾りつけ・お坊さんの手配棺おけや

墓の位置墓標まで

慣れた人がやってのけます。


家族のものは言われるままに

任しておくのが普通です。


松野家のような家でも同じで

忙しく終わっていきます。


そしてすべての行事が終わり

皆さんが帰っていきます。


長男や孫は

何をすることもなく

終わってしまって

何かむなしく感じてしまいました。




伊蔵は村はずれの墓地まで、

行列をつくって

運ばれ

あらかじめ掘られて

穴にに埋葬されました。


その後墓地は

河川改修で出来た

土地に改葬されました。

名神高速道路の近くで

さぞかしやかましい環境ですが

今もお墓があります。


清兵衛とは反対に

一代で大きな財産を無くした

伊蔵は

現代の松野家の

子孫を

どの様に見ているのでしょうか。


きっと冥土でも

何か世話をやいているのでしょうか。


先になくなった

世話をした人々は

伊蔵をどの様に迎えたでしょうか。




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