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その51からその60まで

天保の大飢饉の時

最下層の農民は

借金します。

不作は続きますので

借金は雪だるま式に増えて

にっちもさっちもいかないようになってしまいます。

伊蔵の先々代は

この事で頭を悩ましていました。


狭い村の中で

困っている村人が出たのです。

実直で寛容な人柄の

先々代は

自らの私財で助けたのです。

そのため松野家も蓄えを使ってしまいました。


このような大きな飢饉が

来なくても

病気になったり

急にお金が必要になったりすると

松野家を頼ってくる

村人が多いのです。


松野家の当主は

代々親分肌で

困った人を見ると

助けたくなるのです。

それを知っている人は、

何やかやといって

頼みに来るのです。

松野家の村は

二十数軒の小さな村なので

同じ村人だけなら

豊かな松野家には問題はありません。

しかしこのうわさは

園田一帯に広がってしまうと

大変です。



伊蔵は家ではすごい威厳です。

それはどこの家でも同じですが

当主の伊蔵は何をするにも一番です。

食べ始めること

お風呂に入ること

寝ることなど

伊蔵がしない限り

他のものはできません。


食事を例にとって言えば

一人ひとりに並べられた

お膳の前に

家族の者が座って待ち

一番遅れて伊蔵が来ます。


伊蔵に真っ先に

ご飯と汁物が注がれると

伊蔵の「いただきます」の合図と伴に

全員が「いただきます」を唱和します。

それから黙々と食べます。


伊蔵が食べ終わる前までに

食べてしまわないといけません。

ご飯をもちろん何杯も食べますので

女中さんもご飯をよそうのに

大忙しです。


伊蔵は、皆がそう思っているので

ゆっくりと食べます。

それに伊蔵のお膳の上は、

皆よりも必ず一品以上多いのです。




伊蔵のお膳には

他のものより一品多いのは

どこの戸主にも

共通です。

伊蔵が庄屋の戸主だからと言うことではありません。

その習慣は農村では

昭和35年ごろまで続いています。


もちろん

清兵衛がまだ小作人であった頃でも

ゆかは清兵衛に

一品多くお膳に盛っていました。


現代の読者の皆様には

理解できないかもしれませんが、

家なしには生活はできないのです。

家とは具体的な

建物としての家とともに

抽象的な家も含みます。


今でしたら

「家を出て働いて

家を借りる」と言う

簡単なストリーが書けますが、

この時代なら

働くと言う段階で

大きな難関があります。

元々働き口が少ないうえに

保証人がいないと働き口がありません。

それに

貸家自体が多くないし

無職の物に家を貸すことなどありえないからです。


そのためお家大事になるのです。

当然戸主は家では一番えらいと言うことになります。

もちろん仕事もえらいですが、、、



誰だって自分の仕事は大変な仕事だと

思いたいものです。


客観的基準があれば

清兵衛とゆかの仕事は

大変な仕事の一番になるところですが

そのようなものがない以上

自分の仕事が一番と考えたいものです。


伊蔵もそんなひとりでした。

他人様から見れば

朝 日が昇ってから起きて

据え膳でご飯を食べ

10時ごろに

歩いて10分ほどのところにある

役場に出勤するような仕事が

大変だとは思いも付かないことでしょう。


しかし伊蔵は大変だったんです。

明治政府からは

財源もないのに

学校を作れだとか

正確な戸籍簿を作れとか

租税や徴兵を円滑にせよとか

山ほどの難題を突きつけてきます。


学校ひとつをとっても

明治5年の学制発布の時に

全国の村々に

小学校を作るようになりました。


予算もそれほどもないのに作らなければなりません。

清兵衛の

今津村なら

造り酒屋が多くて

村が豊かでしたから

現代までも残るような

小学校を難無く作ったでしょうが

それほどの産業もない

園田村は大変です。


伊蔵は村中を歩き回って

財源を確保しなければならなかったのです。





小学校を建てることで走り回った伊蔵は

大変疲れてしまいました。


そこで

みんなの助けを借りるためには

どうすればいいか考えました。


明治時代が始まったころの

この時代は

昔の小さな村の中での付き合いは

盛んでしたが

一歩村を出ると

それほどの付き合いはありませんでした。


伊蔵は以前の枠を越えて

仕事をしなければならなかったのです。

今も昔もそうですが

仕事を円滑にするためには

やはり接待が第一番に考えることでしょう。


それで有力者を

宴会に誘うことになります。

薗田村にはそんな気が利いたところがないので

街道を北へ

小一時間ほど行ったところの

伊丹に連れて行きました。


伊丹には

日本で最初に

清酒を造った

酒造会社があって

その西側に

遊郭があってのです。


伊蔵はそこで

頻繁に地元の人を接待するために

酒を飲ませたのです。

もちろん自腹です。



伊蔵は接待のために

足しげく伊丹に通いました。

もちろん伊蔵の妻や

他の家族もいくらなんでも

やりすぎではないと思っていました。

でも、誰もそれは言えませんでした。


しかし伊蔵は、

接待することによって

うまく仕事がはかどるので

上機嫌でした。


そんな上機嫌の

戸主に意見できる家族を持たなかったことが

伊蔵の悲劇の始まりでした。


伊蔵の上首尾を見た村長は

次から次へと

無理なことを言ってくるのです。


その度に

伊蔵は関係者を接待したのです。

もちろん費用は自腹です。

時々割り勘のときもありましたが

相当な費用を使ってしまったのです。


家では昔のことですので

質素倹約のきわみですが

外では夜な夜な散財していたのです。


その頃伊蔵のは

ふたりの息子が生まれました。

とても元気な子で

利発でした。

しかし親譲りの

社交性があって

伊蔵の妻はそれが心配でした。



伊蔵の子供のふたりは

小学校の分校にに通うことになります。

家の前から有馬道の街道沿いに

大阪の方角に1kmぐらい歩いていくとあります。


まだ一年生になった子供の足では

1kmは遠く感じられますが

伊蔵の家よりもっと遠くの

3km近くはなれたところから通っている

一年生もいました。

きっと1時間以上かかったかも知れません。


そんな小学校では

もちろん勉強をしていたのですが

厳しい学校でした。

スパルタ式の教育であったようです。

そのため挫折して

途中で中退するものも出るくらいです。


伊蔵の子供は

それなりについていき

助役の子供の

面目を守ったのです。


がんばっている子供に対し

伊蔵は段々と

助役の仕事がいやになってきました。

他の村の有力者に

ぺこぺこして

へつらっていることに

いやのなったのです。

助役の仕事を引き受けて

13年が経った日のことです。

伊蔵が33歳になっていました。



普通に考えると

飽きっぽいかもしれません。

今まで

あれほど力を入れて

私財を投入して

やってきた仕事を

あっという間に投げ出したのです。


家族は

助役を辞めることには賛成ですが

何とも歯がゆい思いをしていました。


助役をやっていた間に

散財した額は

松野家が

江戸時代より蓄えたものの

半分を使い果たしていたのです。


そんなに私財を投入したのに

他の有力者や村人には

単に「おひとよし」程度の

評価しかえられていないのです。

伊蔵自身は

「園田村創生の礎を築いた」と

思っていたのですが

裏切られた気持ちになって

厭世の気分になってしまいました。


そんなことで

家に篭りっきりになってしまいました。

家族も心配でした。



松野家は

生活に困窮するほどの

こともありませんが

本腰を入れて

立て直さないといけないと

みんなが思っていました。

しかし伊蔵は

そこまで物事を

考えていなかったのです。


父親が生きていた頃のような生活を

伊蔵は続けていたのです。

朝は遅く起きて

田んぼに行っても

働くでもなく

考えていることは

畑のことではなく

お酒のことなんかを考えていました。


それとは反対に

伊蔵にいつもおごってもらってた人々は

どうしたら

同じように

楽しくおごってもらえるか

考える日々だったのです。

そんな人たちは

集まって

そんなことを

話し合っていたのです。

本当にくだらない人たちですよね。


でも当時は

自分のお金で

お酒お飲む人なんか

本当に少なかったのは事実です。

だから真剣に考えたのです


でもこの企ては

結果的には

松野家を更に困窮に導くのです。



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