表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/24

その211からその220まで

こも磨きは

こもに商標を描くために

平らにして

白くするのです。


印刷する部分以外は

青くするのです。


こもかぶりの酒樽を

見られたこともあるでしょう。

商標が書いてある部分は

白いけど

その他の部分は

緑色ではありませんか。


稲わらから作る

こもが

緑色をしているわけはありません。


その緑の部分は

色をつけているのです。


緑の粘土の塊で

磨くと

その粒子が

藁について

緑色になります。


理屈はそうなんですけど

力は要るし

真冬に水を付かないといけないし

寒いかぎりです。


そんなこも磨きを

朝から晩までした村人は多いのです。




市蔵の村にも

こも磨きをする者もいましたが

市蔵はしませんでした。

市蔵は

お酒関係の

仕事をしなかったのです。


少し歩合も良かったのですが

伊蔵のこともあって

伊丹の酒蔵の仕事なんかしませんでした。


市蔵が主にしたのは

わら縄つくりです。


村人の多くが

わら縄つくりをしています。


市蔵が仕事を始めた頃には

縄をなう機械ができていましたが

もちろん機械がない時代は

手でっていました。


手で

均一な縄を綯うのは

難しいことです。


どうな風に作るかというと

わらをかって

柔らかくして

無駄なわらの葉っぱを除いて

そろえます。


太さに応じて

そのわらを2組を

手に取り

撚りをかけながら

綯うのです。


撚りをかけるのと

綯う動作を同時にして

なおかつ

段々わらが細くなってくるので

わらを補充していきます。


うまくできないと

直ぐ切れるし

太さが違うし

売り物にはなりません。


これを解決するのが

機械です。



自動的に

縄を綯う機械は

製縄機と言います。


機械好きな

市蔵ですので

製縄機は市蔵の宝物だったのです。


製縄機の

構造は

とてもおもしろいもので

その概要を

説明すれば

大きくは

足踏みミシンの

大きさより

少し大きいくらいです。


下に

足ふみで回す板が付いています。

そこから

上のクランクへシャフトが

付いております。


左に

できた縄を巻き取るドラムがあって

右に縄を作る

心臓部というような機械がついています。


その心臓部の機械は

今風に言えば

スケルトンで

右端に

鉄で角のようになった

わらの差込口が

ふたつあります。


差し込まれた

わらは

よられながら

編むところまでやって来て

その部分が

回転し縄が綯われます。


巻き取るドラムまで

回転して

巻き取っていきます。


手で綯うことに比べれば

天と地ほど違う効率です。

一気にひと巻き出来てしますのです。


この機械ができてから

縄がたくさん出来るようになって

買い取り値段が

安くなったのです。

量をこなさないといけなくなりました。




単価が安くなって

量をこなさなければならなくなったのです。


市蔵は

わらを

納屋に山ほど

蓄えて

冬の仕事に臨みました。


他に村人たちがする

内職は

俵を作るくらいだったんです。


しかし大正から昭和になると

園田村にも

都会の人が移り住みました。

この人たちに

野菜を売り歩く内職を

する人が出始めました。


都会の人が移り住んだこれらの地域を

「住宅」と言います。


「住宅」は

園田村の阪急電車の

駅前から広がっていて

今でも園田駅の西北の

藻川の河畔と

塚口駅の西北の

地域です。


園田駅塚口駅自体も

大阪の西北にあります。


この西北と言うのが

同じですが

これは

辰巳の方角で

昔より

よき方向だったのです。





園田村の中にできた

住宅には

社員さんと呼ばれる人たちが住みました。


社員さんとは

今で言えば

ホワイトカラーの

正社員と同じものでしょうか。


 でも正社員とは

ちょっと違うような感じがします。


昔の会社は

封建的なところがあって

上司と

部下は殿様と家来の関係です。

園田の住宅に移り住んだ

社員さんは

少し偉い人で

殿様まではいきませんが

家老ぐらいの地位のある人です。


そんな人は

お金に余裕がありますので

いろいろなことを

お金の力を借りて

解決します。


例えば食生活ですが

美味しくて

新しいものを食べたいと欲求は

農家の人が

行商に行くと

多少高くとも

買ってくれるのです。


社員さんの奥様方は

単に簡単だからという理由かもしれません。

当時は自家用車というものがありませんから

売りに来てくれるということは

歩いて買い物に行かなくても

いいということなのです。


この行商は

相当現金収入が上がるのです。


こんな行商をするのは

農家の人にとって

相当の勇気がいります。

それまで

田んぼと隣人としか付き合った事のない村人たちは

こんな行商をする人は稀でした。


もちろん市蔵や

市蔵の甥の米蔵や龍蔵もそんな勇気を

持ってなかったのです。

松野家の中で最初に行商をするのは

けいなのですが

それについては

後編で



行商は大変利益が上がるのですが

そこまでやらなくても

昭和になると

野菜が数多く売れるようになります。


冬場も大根や白菜が売れるので

農家にとっては

農閑期がなくなってしまいました。


現金収入は

農家を流動的にしました。


がんばって働く村人や

気が効いた先見性のある村人は

現金収入ができたのです。


逆に言えば

普通に働いている村人は

現金収入が殆どないので

資本主義社会では

没落していくのです。


いつの世にも

淘汰の歴史かもしれません。


市蔵は

先祖伝来の

それなりの資産があるので

普通の努力で

充分だったのです。


しかし村の世話役をしていると

普通の努力も

できずに

イライラすることが

多かったのです。


それも村の世話役を

やめる原因だったのです





秋も終わり

寒い初冬になると

農作業は少なくなります。


今と違って

年内に雪が降ることが

多くあります。

クリスマスの日に

ゆきが降って

ホワイトクリスマスになります。


しかし

クリスマスに

ケーキを食べる習慣は

昭和35年頃に

テレビが普及しないと

園田村では一般的ではありません。


忙しい

年末になります。


年末はいろいろと忙しい時期でした。

ふすまの張り替えとか

家の掃除

などを精力的に行わなければなりませんでした。


そして

正月の用意があります。


正月の用意は

それほどのことをしません。

神社にしめ縄をつくります。


しかし家々のしめ縄は

作りません。

わら細工をあれほどするのに

不思議なくらいです。


30日になると

各家は

臼を出してきて

もちをつき始めます。


臼は

石臼です。

木臼の方が

餅が冷めにくくて

良いのですが、

高価で耐用年数のある

木臼を持っているのは

松野家ぐらいで

他の村人は

重い石臼でもちをつきます。





30日に餅をつくと

正月のおせち料理を作ります。


おせち料理と言っても

作るものは

そんなに多くありません。


黒豆の煮豆は

大豆の一種の黒豆を砂糖を入れて

甘辛く焚いた物


田作りは

いわしの煮干を

炒った後に

甘辛く味をつけたもの


数の子は

数の子の塩漬けを

水に浸して

塩抜きしたものを


魚の煮物

位でしょう。


黒豆は自家製

田作りは

田畑の肥料にもするような

当時は安いもの

また数の子は

今とは違って

相当安価な食材でした。


魚も

鯖なら高級で

アジやブリなら

相当高いもので

手が出ません。

普通は

ニシンやタラの干物を

甘辛く煮たものです。

ニシンやタラは

出汁を入れないと

あまり美味しくない魚です。





今で考えれば

粗末なおせち料理と

餅で

正月の料理の用意は終わりました。


そんな大晦日の日も

市蔵や

他の村人は

農作業や

わら細工の内職をしていました。

その日の

寝る前に

ご仏壇や

へっついさんに

餅を供えて

寝ます。


年が明けて

元日は

福が逃げないようにと

雨戸は開けません。


便所が

外にあるので

外に出ないわけにはいきませんが

なるべく外に出ません。


正月は盆と並んで

一年に2回の休みです。


もちろん朝の間の仕事もありませんので

明るくなってから起きます。


昨日とは2時間以上遅い起床です。





お正月だからといって

寝正月ということはありません。


冬の遅い日の出とともに起きるのです。

元旦起きると

まず雑煮を作ります。


雑煮は白味噌仕立てです。


ご仏壇にもお供えするので

出汁は植物性の昆布だしで

するのですが、

昆布はお金を出して買わなければならないので

使わないのが

もちろん普通です。


30日についた

丸もちを入れます。

作ったばっかりの

自家製の白味噌で味をつけます。


白味噌は

麹の甘さがある

美味しい味噌です。


大根と人参の

輪切りを入れて

煮ると

直ぐにやわらかくなります。


まず、お皿に

もちと

大根と

人参をのせて

ご仏壇と

へっついさんに

お供えします。


それから

家族のみんなが

お膳を出してきて

雑煮をよそいます。


それから

数の子と

黒豆と

煮干を

皿によそいます。


それからお膳の前にみんな座って

新年の挨拶です。



新年の挨拶が済むと

お雑煮を食べる食べる

平素は食べられないので

苦しいくらい食べます。


食べ終わると

お膳を自分で片付けて

用を済ませると

あとは何をすることもありません。


雨戸を開けていないので

暗い室内でできることは

寝ることくらいでしょうか。


一日も休まず働く村人にとって

少し酷なような時間かもしれません。


年末に作った

おせち料理を食べて

正月は過ぎます。


これが園田村の一年です。


しかしこれ以外に

村人には

臨時に大きな村の行事が

予告なしにやってきます。


その行事は

貧富の差もなく

春夏秋冬を問いません。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ