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その11からその20まで

清兵衛とゆかの夫婦の間にも

子供が出来るのは自然な成り行きです。

田んぼを買うのと同じ頃

一人目が生まれました。

しかし子供は

3歳の時に

亡くなってしまいました。

死因は、

「くさ」と呼ばれる

今で言うアトピー様症状でしょうか。

炎症部分からばい菌でも入ったのでしょう。

3日足らずの高熱の後

息を引き取りました。

乳児死亡率が

極めて高かったこの頃

子供が死ぬのは、

当たり前のようでしたが

清兵衛とゆかは大変悲しみました。


そしてこの子供の死は、

きっと貧しい生活に起因しているのだ

と考えたのです。

そう考えるのも無理はありません

衛生的とは、

ほど遠い状態の

納屋の家なのです。

風呂はもとより

水を使うのもままならない状態ですから。


それで清兵衛とゆかは

前にも増して精を出しました。


結婚してから5年目に

本当に小さいが

家を買って引っ越ししました。

そこには、

よく水のでる井戸があったのです。


ゆかは大変喜びました。

清兵衛はそれを見て満足しました。




新しい家は、

いや 古い家だったんですが

清兵衛とゆかには新鮮でした。

初めて家の主となったからです。


その家は、

前住んでいた家よりも少しだけ

よい造りでした。


基礎は伸べ石と言って

長い石で

今のコンクリート基礎のように

長いものです。

その上に

気の土台を置いて

柱を立て

貫を巡らし

小舞竹を編みます。

土壁を塗って

その上に中塗りをして

漆喰壁を塗ってあります。

外回りは、

杉の焼板を張ってありました。

柱の上に桁を回し

梁を掛け

束を立てて

母屋を渡し竹をはって

葺き土をのせ瓦を載せていました。


天井はありませんでしたが

夏の暑さや

冬の寒さは

当然少しは和らいでいました。


もちろん木の流しが

土間にあって

小さいが

へっついさんもあったのです。


縁側もほんのちょっとだけあって

よい天気の日は

日が差し込んでいました。


縁側に日が差し込むような時に

清兵衛とゆかが

家にいることなど

正月かお盆でないと

なかったのです。

そのようなお天気の日に家にいることは出来ないし

清兵衛もゆかも罪悪であるように思っていたのです。





壁は少し落ちて

畳も部分的にしか敷いていない

お家でしたが

ゆかは毎日

本当にきれいに

掃除していました。


それから3年も働くと

もちろん

清兵衛のことですから

それはそれは

相当のお金が貯まりました。


それとは別に

子供も出来ました。

それは明治10年頃です。

今度は

清兵衛は

細心の注意を払いました。


ゆかに栄養のあるものを

たくさん食べさせ

それから

働くのもほどほどにして

重いものも

持たぬよう

しました。


寒い冬の朝

生まれました。


外から見ると

涙ぐましくも感じられる

この努力のかいがあって

元気に赤ん坊は育ちました。


その子の名前は

清三と言います。

清三は、

7歳になるまで

病気ひとつしない

元気な子供でした。


3歳になるまで

ゆかの背中で大方育ちました。

ゆかは清三をおんぶして

清兵衛を助けて

働いたのです。


背中におんぶして

働くのは大変なことですが

ひとりにしておくと

色々な面倒なことが起きるので

おんぶしていたのです。



清兵衛の三男清三は、

3歳までは殆ど

ゆかの背中にいました。


清三にとっては、

ゆかの背中は、

暖かくて

安全で

快適な空間であったと思います。


眠りを誘うように

適当に揺れて

いい場所であったと思います。


でもゆかにとっては、

大変なことです。

小柄なゆかにとって

だんだん重くなっていくし

おしっこや大の方も

あって

大変です。


当時のおむつは、

もちろん布ですが

おむつカバーはもちろんなく

「わたこ」と言われる

もので覆っておくだけです。


母乳をたらふく飲むと

でるものはでるので

「わたこ」程度で

食い止められないことの方が

多いかも知れません。


でも ゆかは

清三が可愛い一心で

肩が赤く腫れるのを

もろともせず

おんぶしていたのです。




赤ちゃんを家にひとりで置いておけない理由は、

ひとえに危険だからです。

野口英世の例を出すまでもなく

昔の家は危険がいっぱいです。


それ以上に今なら想像も付かない危険が

あるのです。


ネズミに赤ちゃんが

かじられる事件が

ちょいちょい起きたのです。


ネズミが

お乳の臭いのする

赤ん坊をかじる

と言うことが

あったのです。


親が子供を可愛がるのは、

時代を問いませんが

ふたりの子供を

相次いでなくした

ゆかは、

清三を大切に育てたのです。


そんな生活を送っていても

清兵衛らの働きが

鈍るようなことはありません。


清三が6歳になった時には、

3反(1800坪)の自作地をもち

他にも

4反の小作地を耕していたのです。


もちろん冬には、

貴重な現金収入となる

宮水運びや

樽用のこもあみもこなしていました。


清三は両親の

働く後ろ姿を見て

聞き分けのいい

子供に育ちました。


6歳の春

のしろ作りに

初めて

清三を手伝わせることに

しました。


6歳と言っても

数え年の6歳ですので

満年齢は、

5歳です。


春霞がたつ

3月のはじめ

清兵衛は

清三を野良仕事に

連れて行きました。


もちろんゆかも

一緒に出かけたのですが

この野良仕事の結果が

清三の

子孫にとって

大変なことになってしまうのです。




その日の朝

りりしく野良仕事に着替えた

清三は、

父と母に連れられて

田んぼに行きました。


父と母は鍬を持って

田おこしを始めます。

清三は、父親に言われて

畦の草取りです。


その日の朝方は、

風もなく

3月のはじめなのに

暖かい日でした。

清三は父や母に褒められたい一心で

汗をかくくらい

一生懸命仕事をしました。


田んぼで昼ご飯を食べて

午後も果てしなく続く田んぼで

仕事をしていました。


3時頃になると

急に風が出てきて

寒くなってきました。


ゆかは少し心配でしたが

清三が何も不満を言わずに

仕事をしている

後ろ姿を見て

大丈夫だろうと

思ってしまったのです。


日が六甲に沈む少し前に

清三とゆかは

家に帰りました。


初めての仕事に

清三は疲れて

座敷に横になってしまいました。


ゆかは清三の頭を撫でて

夕餉の支度に取りかかりました。

その日は本当に珍しく

魚の干物の焼き物と

野菜の煮物でした。


日がとっぷりと落ちて

真っ暗になった頃

清兵衛は帰ってきました。





清兵衛は暗くなって

家に帰ってくると

清三が座敷で

横になっているのを

見つけました。

何か胸騒ぎがして

足も洗わず

上がって

清三の頭を

撫でました。


手が熱い物を

感じました。

すぐにゆかを呼んで

布団に寝かせました。


清三の熱は、

3日続いて

高熱が出て

4日目にやっと熱がひきました。


清兵衛もゆかも

大変心配しました。


ふたりの兄を亡くしているので

当たり前ですが

清三には絶対に

死んで欲しくなかったのです。


それ以来

清兵衛もゆかも

清三が家の外に出ることを

そして

お手伝いすることを

禁止したのです。


清兵衛は

「もっと大きくなったら

仕事を出来る体になるだろう」

と考えたのです。





殆ど病気しなかった

清三なのに

仕事をした時に

そんな風になって

本当に

清兵衛は大変ショックでした。

自分が悪いのかと

責めたりもしました。

もちろん何も言いませんが

ゆかも同じです。


聞き分けの良い

清三のことですので

両親の言うように

家の中で

おとなしく遊んでいました。


翌年

満6歳になったので

今津尋常小学校に行くことになりました。

学制発布さてから

もう10年も経つので

大方の同年配の子供も

小学校に通うことになっていました。


しかし、家が貧しい子供の中には

大阪の商家のに丁稚奉公する者も居た時代です。


今津小学校は、

今津郷の

豊かさを象徴するように

「六角堂」と呼ばれる

校舎があって

小学一年生の

清三には、

本当にまぶしく

見えたのです。


六角堂は、

校舎の入り口が

当時としては、相当珍しい

洋館づくりで

窓には、

当時珍しい

ガラスをはめ込んでいました。

外部を

真新しい

ペンキでぬり

その偉容は、

遠くからでも見えました。


今津小学校で

清三は、

親の言う通り

よく勉強もしました。




清三の通ってる

今津小学校は立派だったんですが

これは国の費用で

建てたのではありません。


明治政府は、学制発布をしましたが

それほど豊かではありませんので

地元に寄付をお願いしました。


今津小学校が

立派なのは、

今津郷の

豊かさを表しています。


もちろんお金持ちの

蔵元の

「おぼちゃま」も登校してきました。

清兵衛が宮水運びをしている

蔵元です。


清三が

素足にわらぞうりであるのに対して

「おぼちゃま」は

足袋に下駄です。


足元だけでも

小作人とは全く違いました。


清三は

先生の言いつけを

よく守る良い生徒でしたが、

何か他の人に

近寄りがたいような雰囲気があって

清三はいつもひとりでした。

よくある いじめのようなものではありませんでした。


清三は、家でも学校でもひとりでした。


清兵衛は仕事に追われて

あまり清三のことは

考えられなかったのです。





清兵衛は、

自分やゆかが

6歳の時から

大人と同じように働いていたので

清三にも

やっぱり働いてもらいたいと

思っていました。


無口な清兵衛も

ある時そのことを

ゆかに相談しました。


ゆかに相談するのは

この事が初めてです。


ゆかも同じようなことを考えていましたが

そのようなことを

清兵衛に話すことなど

なかったのです。


清兵衛とゆかは

お互いに話すことなく

用がたっていたのです。


初めて相談された

ゆかは

清兵衛に

「天気の良い日に

少しだけ

軽い仕事を

させてみてはどうでしょうか」

と答えました。


清兵衛も

思っていたことと同じなので

大きくうなずきました。


それからふたりは、

適当な仕事を

探していました。


清三が8歳(満7歳)

になった初夏

暑くもなく

もちろん寒くもない日に

清兵衛は

清三に一緒に

野良仕事に

出かけようと

声を掛けました。





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