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12/24

その111から118まで

清三は

財産をなくしてしまって

家族に申し訳ないという

悩みと

その日の食べ物さえないという

現実的な悩みのふたつを持っていました。


清三は

甑岩の

千代らの家を

たずねるため

歩いて出かけました。


今津から

甑岩まで

たいした距離ではありませんが

清三には

遠いように思いました。

少し登り坂になっていて

余計に足取りは重くなっていました。


甑岩の千代の実家は

旧家らしいどっしりとした造りで

近寄りがたいところが

ありました。


千代らは

母屋から少し離れた

納屋に世話になっていたのです。

納屋は粗末な造りで

清兵衛がゆかと最初に

住んだ納屋と同じほどのものでした。

窓もなく

陰気な北向きで

日が当たりませんでした。


清三は

その納屋を

遠くから見ていると

中から

千代に連れられて

けいが出てきました。




清三は

甑岩の

千代の実家の

納屋を見通せる

木の陰で

立ってみていました。

中に居るのでしょう。

昼時ですので

煙が立ち上っています。


清三は

そこから進んで

納屋までいけなかったのです。


小一時間も

そこで立っていると

立っている場所と反対の方向の

道から

けいが

風呂敷包みを持って

学校から帰って来たのです。

遠目ですので

詳しくはわかりませんが

身なりはあまりよくありません。

まだ寒い時期なのに

素足に下駄履き

すその短い着物を着ていました。


元気良く

扉を開けて

中に入っていきました。


清三はそれを見て

もう納屋には

一歩も行けなくなりました。

うなだれて

今津に帰っていきました。





千代や子供たちに会わずに

今津に帰ってくると

男たちが

堵場の用意をしていました。

男たちに

食べ物をくれるように頼むと

昼の残りを

くれました。

それをもって

屋根裏部屋に

上がって

その冷めたご飯を頂きました。


充分な量はあって

お腹はいっぱいになりましたが

何かむなしく

はかない感じがして

涙が出てきました。

せんべい布団に

もぐりこんで

泣いてしまいました。


夜になると

堵場の甲高い

「丁か半か」という声が聞こえてきて

目が覚めました。


眠られずに布団の中で

うとうとしていると

いつしか

賭場も終わったのでしょうか。

静けさが戻りました。


でも

清三は

早くから寝ていたので

目がさえて来ました。





清三は

たくましかった父親や

優しかった母親や

何事にも不平不満を言わなかった千代や

可愛いわが子との

思い出が

あれこれと思い浮かんだのです。


夜寝られずにいた

清三は

起きました。


そうして

清兵衛が忙しい中

作ってくれた

文机に向かいました。

それは

家屋敷を売った際に

ただひとつ持って出た

机です。


父親や母親の

心のこもったその机で

何十年と勉強したのです。


そこに座った清三は

引き出しから

すずり箱を出し

外にある

便所の水道から汲んできた水で

墨をすり始めました。


清三は

字は上手で

よく人に頼まれて

代筆もしたのです。

堵場の男たちの手紙や

果たし状も

書いたこともあります。


ゆっくりと墨をすりながら

もう一度

昔のことを

考えてみました。


そして今の自分を

遠くから見るように

見ていたのです。




墨がすれると

巻紙を出して

筆を持ち

しばらくの間

目を閉じて

内容を考えました。


10分くらいでしょうか

たった後

清三は

草書体で

一気に書き上げました。


それから少し広げて乾かしている間に

すずりと筆を

下で洗いました。

元の場所に戻してから

布団を綺麗に片付け

簡単に掃除をして

部屋の真ん中に

破れた座布団の上に正座しました。


それから

また小一時間ほど経った後

覚悟を決めた清三は

下に降りて

用を足した後

手ぬぐいを

冷水でぬらし

全身を拭きました。


ぬれた体に

寒い風が当たって

体は

芯から冷えてしまいました。




また屋根裏部屋に上がって

文机の引き出しを出して

机を横に立てておいたのです。


外にあった

荒縄をあらかじめ

持ち込んでいたので

それを

天井がない屋根裏部屋の

梁にかけ

結びました。


午前5時頃でしょうか。

まだ真っ暗未明

清三は

自決しました。


昭和の御世が始まり

大規模なちょうちん行列があって間もない頃

清三は

この世を去りました。

享年かぞえで56歳です。


なきがらは

男たちの一人が

たまたま

手紙の代筆を頼みに来て

その日のうちに見つかりました。


迷惑そうに

男たちは

警察に届け

なきがらは一旦

遺書とともに

警察にいきました。


その日の午後に

千代のところに知らせが行って

千代と子供が引き取りにやってきました。

勇治は

偶然金の無心に

家にやってきており

勇治の引いた

リヤカーで

納屋にに帰りました。




清兵衛は遺言で

質素なお葬式でしたが

清三の葬式は

そんなものとは比較にならないほどの

簡単なもので

今津の

清兵衛とゆかの隣に

埋葬されました。


戦後

清兵衛と同じように改葬され

夙川の

山の頂上付近に

祭られています。


清三の

遺書は

数日後

遺族の千代に

警察から返されました。


その文面は

旧仮名つかい・草書体・候文で書かれておりますが

現代文に直すと次の様なものでした。


(著者は旧仮名つかい候文を書けません。

新かな使いですみません。)

「拝啓皆々様

  御司直様


私儀 

この度自決の件

誠にもって申し訳なく思っています。

皆々様には、ご迷惑をおかけして

幾重にも謝ります。


私儀 子供のより何不自由なく暮らせたのは

両親や妻・親戚・御近所の方々の御蔭であったにもかかわらず

それを忘れ後年ひたすら

遊興に興じたこと

深く後悔しております。


私の行いが

親に不孝 妻に不孝 子に不孝

お掛けた事を

死をもって深く詫びる次第です。


         川野清三」



「このような遺書を残して

死ぬのなら

最初からそのようなことを

しなければいいのに」

と千代は思いました。

10歳を僅かに過ぎた

けいはこの清三の死を

どのように感じたのでしょうか。


後年けいは

父の死を

次のように話します。

「おじいさんが一代で築き上げた

財産のすべてを

使い果たした父親は

他人様から見れば

最低の親でしょう。

しかし子供のときの

父親の記憶は

いつも

とても優しいものです。


当時の父親は

子供には

本当に厳しく

ご飯のとき

少し話をしただけで

叩かれるのが普通でしたが

私の父親は

私を叩いたことがありません。


よく物には当たっていましたが

私にとっては良い父親でした。


でも

母の苦労を考えると

一概に

父の行為が

許されることはないと思います。


しかし結果論でいうなら

父親が散財しなくても

兄が替わって散財していたでしょうから

今となっては

父親を恨みません」


しかしこの父親の散財は

けいのそれからの人生に

大きな影響を与えることは

言うまでもありません。


第三部 清三 終わります

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