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8 吉凶禍福(きっきょうかふく)

 Uネックシャツに、ゆったりとしたカーディガン。上は白とベージュで無難に抑え、サーモンピンクのパンツでカジュアルにまとめる。

 市夜伝授の、「希代も警戒心を抱かない、嫌みゼロファッション」だ。

 彼女によれば、カズサのような造作の整い過ぎた男性は、素っ気ないぐらいの服装が丁度良いのだという。

 顔面偏差値に反し、人類戦士として戦い続けていたため、カズサに女性の機微は分からない。代わりに現在、金ならごまんとある。この程度の服を揃えるなど、朝飯前だ。


 心の中で人類戦士の面々へ謝りつつ、彼は洗脳装置を使い、希代の大学へ忍び込んでいた。今回は、彼女の同級生という設定だ。

 愛人の息子に、株主に、地主に、社長に、大学生。ずいぶんと肩書きが増えたものである。やはり、ちょっとばかり欲張り過ぎたかもしれない。自分でも、意味が分からなくなりつつある。


 とはいえ姉の市夜が知る範囲の、希代の行動パターンも勉強済みだ。

 情報通り、希代は学内の図書館にいた。数年前に改修された図書館は清潔で、蔵書も充実している。希代以外にも多くの学生が入館し、読書、あるいはレポート作成に没頭していた。

 希代が座っていたのは、二階の受付カウンター近くにある、丸いテーブルだった。

 他にも長机やソファが空いているが、あえて丸テーブルへ向かう。

 にじにじ、と少しずつ希代の背後へ歩み寄り、カズサは声をかけた。

「あのう」

 希代が顔を上げるよりも早く、彼の真横に座る、受付のオバサンにねめつけられる。図書館では静かに、ということらしい。

 慌ててオバサンへ微笑を返し、今度は少し音量を下げる。

「隣に座っても、いいでしょうか? 僕、先端恐怖症で、丸テーブルじゃないと座れないんです」

 ささやくようにお願いすれば、なぜかオバサンが頬を染めていた。

 本来の目的である希代は、ふっくらと涙袋のある目を、驚いたように何度も開閉していた。そして、あ、と小さく声を上げた。

「この前の、お姉ちゃんのお知り合いの」

「はい、カズサです」

 市夜の記憶捏造が功を奏し、何とか希代は微笑んでくれた。

 あまり気は進まないようではあったが、椅子を引いて、隣に座ることも許可してくれる。


 初対面での失態を、さすがにカズサも猛省していた。少しでも受け入れてもらえたことに、心から感謝する。

「ありがとうございます」

「いえ……同じ、大学だったんですか?」

「はい。引っ越しして、編入したばかりです」

 これも、市夜から受け売りの方便だ。将来の義姉には、世話になってばかりである。

 結婚式を開いた暁には、彼女へ改めてお礼を言わなければ、などと考える。


 希代は控えめに微笑み、読書を再開しようとしていた。

 カズサも適当に本棚から引っ張り出した本を開くも、このまま会話を打ち止めにするのは、惜しかった。

「あの、綺麗な大学ですね。図書館も清潔です」

 これは本心からの言葉だった。彼の生きた世界では、ここまで秩序立った空間は、無いに等しい。

「わたしも、お気に入りです」

 我が事のように、希代は優しく笑った。

 今まで見た中で、一番柔らかな表情だ。ホッとすると同時に、カズサはじんわりと喜びを噛みしめていた。


 だが、闖入者が、この甘々とした空気をめった切りにする。

「見つけたぞ、人類戦士!」

 殺気と疲労に満ちた声が、鋭く投げかけられた。受付のオバサンはその声をにらみつけようとして、異様な服装に体を固まらせていた。

 振り返ったカズサも、それは同じであった。

 人類戦士という肩書きを知っているのだから、声の主はターレ人であるはず、なのだが──青い縞模様の、パジャマ姿であった。なぜ、パジャマ姿なのか。アウシュヴィッツに収容されていたのだろうか。

 シン・ク・ロウの病院搬送事件を聞かされていなかったカズサには、到底理解できない難問だ。


 申し訳程度に、ヒビだらけのヘルメットだけを装着したターレ人は、ふらつく体でカズサを指さす。

 その指先から、閃光器官によって練り上げられた、不可視の刃が生じる。

 カマイタチが踊り狂ったように、周囲の本棚や絨毯、そして書籍の背表紙に裂傷が走った。

 希代と受付のオバサンが、か細い悲鳴を上げる。ターレ人はお構いなしに、肺から空気を出し尽くさん勢いで吠えた。

「ここで会ったが百年目! 今こそ、貴殿の野望を阻止するでござる! いざ、尋常に勝負!」

「いや、えっと」

 この事態は、想定外だ。市夜からは、「燃えるゴミに出しておいた。たぶん、もう会うことはないだろう」と聞かされていたターレ人が、大学に乗り込んで来るなんて。

 ちらりと横を見れば、希代は青ざめていた。そして、生まれたての小鹿のように震えている。

 これ以上彼女を刺激すれば、せっかく書き換えたストーカーの記憶が、また蘇りかねない。

「図書館で騒いではいけません。あと、本は大事に扱わないと」

 椅子から立ち上がり、カズサは希代を背に庇った。颯爽としたその立ち姿に、サッと希代の頬が赤らんだのだが、シン・ク・ロウと対峙しているカズサに知る由もない。

 むしろ、AF銃を下手に使えない状況で、どう戦うべきか考えあぐねるので精一杯だった。


 そして救いの手も、唐突に現われた。

 カツカツカツと居丈高な靴音が、ロビーに面した階段を、速足に上って来る。足音の主はそのヒールを脱ぎ、いつかのように握り締めた。

 それを、これまたいつかのように、ボロボロのターレ製ヘルメットへめりこませる。

「何勝手に出歩いてるの。馬鹿か、あんたは」

 今度と言う今度はヘルメットのバイザーが大破し、驚愕するターレ人の素顔が、ちらりとだが見えた。

 割れたヘルメット越しに見えた暗灰色の目は、グルリと裏返り、白目をむいて倒れ込んだ。相変わらず、打撃に弱い体質らしい。

 また、市夜が平然と履いている靴は、本当にただの革靴であるのかが、段々疑わしくなっていた。

 未来の特殊金属・ラグナイト合金製ではないか、とカズサは心底真面目に考える。


 慣れた手つきで、市夜は昏倒したシン・ク・ロウのパジャマの襟をつかむ。

「はいはい、邪魔してごめんね。この人ちょっと、頭おかしいの」

 おざなりな挨拶とジェスチャーを図書館の面々へ返し、市夜は来た時と同様、大股で去って行った。

 いつもながら、さばさばを通り抜けて、ざっくりとした気質である。

 階段を下りるたびに、失神したターレ人の体がぶつかる音がしたが、まあ大丈夫だろう。

 髪色に似合わず、ゴキブリのようにしぶとい一族だ、とカズサは納得した。


「さっきの人、何なのでしょう……?」

 ほっとした背中に、かそけき声が投げかけられた。半ば自問するように、希代がうつむいている。

 カズサはくしゃりと、己の髪を撫でまわした。

「えっと、お義姉さ──いえ、市夜さんでしたね」

「それは、分かります。姉妹ですから。あの、ヘルメットの方が」

「あー、市夜さんのお友達みたいですね。ちょっと変な人でしたね」

 僕もそうですが、と続ければ、希代はプッと吹き出した。そしてしばらく、クスクスと笑う。

 また下手なことを言って白目をむかれても困るので、カズサも半笑いでこめかみを撫でて、彼女を待つ。

「ごめんなさい、あっけらかんとしていたので」

 ようやく笑いの落ち着いた希代は、謝った後に、しずしずと頭を下げた。

「かばってくれて、ありがとうございます」

 出来るだけ頼もしく見えるよう、カズサはぐっと背筋を伸ばした。

「いえ。希代さんに何かあれば、悲しいですから」

 これは少々やり過ぎたかな、と思ったものの、幸い希代は怯まなかった。もう一度、小さな声でありがとう、と言っただけであった。


 結果として、ターレ人の乱入が事を進展させたらしい。

 カズサは希代のアドレスを、入手することが出来た。

 ついでに、受付のオバサンのものも。

吉凶禍福(きっきょうかふく)……良いことと悪いこと、の意

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