7 窮猿投林(きゅうえんとうりん)
ターレ星の重力は、地球の二分の一であった。
そのためターレ星人は、地球では非力なのだ。名前の割に頭でっかちだった人類戦士は、肉弾戦という原始的手段を打たなかったため、その事実には気づいていないようだが。
ターレ人最後の希望として、単身過去へ送り込まれたシン・ク・ロウは苦しんでいた。
重力を緩和し、地球独自のウィルスを遮断するスーツが壊れた今、あまりにも彼は貧弱。
ターレ人特有の、深い緑色の髪を振って、彼は六角形の小さな装置をいじっていた。
「無念……時空転移機まで故障するとは……」
派手な白銀のスーツを着る彼は、人目を引いている。長い髪の色も、住宅街の公園では不似合だ。
砂場で遊ぶ子供たちは、古臭い口調の彼を指さし「おさむらいだー」と笑っていたが、シン・ク・ロウに笑う暇などない。
人類戦士を追うべく、壊滅状態の航行船内にて急ごしらえで作った時空転移機だったが、うんともすんとも言わない。これはつまり、撤退も出来ず、応援も呼べないということ。
戦士として育てられた彼に、機械の知識はあまりない。時空転移機の操作方法は分かるが、修理方法なんて分かりもしない。
二倍の重力に押さえつけられた、重い頭を振って考える。
「二〇一〇年代の科学力を以ってして、我らが装置を直せるかは定かではないが……この際、致し方ない」
子供を無視して占領していたブランコから、すっくと立ち上がる。
「拙者は同胞の、最後の希望。たとえ泥臭かろうとも、卑怯であろうとも、必ず人類戦士を倒すでござる!」
時空転移機を握り締め、ギッと青空をねめつける。
シン・ク・ロウの世代は、母星を知らない。航行船の中で産まれたのだ。
しかしこの柔らかな空色は、かつてのターレ星によく似ている、と長老たちから教えられていた。
空をにらめば、折れかけていた心も力を取り戻そうとする。
だがその視界が、ぐらりと傾いた。
いや全身が、大きく斜めに揺れ、そのまま砂場へどうと倒れ込む。
巻き上げられた砂埃に、彼へ群がっていた子供たちがはしゃいだ。
「な、何故……」
うわ言のように自問する彼へ、子供たちはしゃがみこんで、面白そうにその苦悶顔をつつく。
「うわー、おじちゃん顔赤いよー」
「お目々も、うさぎさんみたい」
「お熱あるのー?」
「熱、だと……?」
前歯の抜けた子供に言われ、ようやく気付く。
言われてみれば、喉が痛く、体が重かった。重力だけが、原因ではなかったらしい。
子供たちのリーダー格らしい少年が、自分の母親を呼んでくれたため、後は怒涛の如く進展した。
倒れるシン・ク・ロウを見つけ、まず母親はギャッと飛び上がった。コスプレみたいな格好と髪色に、度肝を丸ごと抜き取られたらしい。
続いて、真っ赤で息も絶え絶えな様子に気づき、大慌てで救急車を呼んだのだ。
サイレンを鳴らして公園へ到着した救急車は、そのまま彼を近くの病院へと運んで行った。さすがはプロフェッショナル、珍奇な風体程度では驚きもしなかった。
代わりに、たしなめるような口調で、シン・ク・ロウへ詰問する。
「こりゃ咽頭結膜炎だね。しかも、扁桃腺炎も併発してるよ。どうしてここまで、放置していたんですか」
「正義のためでござる」
シン・ク・ロウは、これしか言えなかった。
どうやら意識も朦朧としているらしい、と救急隊員は肩をすくめていた。
もう一人の救急隊員は、シン・ク・ロウの所持品が六角形の不可思議な機械だけであることに気付いた。
「お兄さん。コスプレグッズ以外に、身分証はないの? 保険証とかさ」
「生憎、そのような物は持ち合わせておらぬ」
あったところで、地球人の貴殿らに読めるとも思えぬ、とにらみつける。
「困ったなぁ。ねえ、家族の方は? 身内で、誰か連絡取れる人は?」
「身内……」
シン・ク・ロウに両親はいない。年の離れた弟が一人いるが、彼も遠い未来の、壊れかけた船の中で籠城しているはずだ。
ただ幸いなことに、連絡が取れる地球人には覚えがあった。
シン・ク・ロウは高熱で朦朧とする頭を働かせ、暗記したばかりの住所を口にした。
「どうして私が」
「面目ない。貴殿の住所しか、知らぬ故」
ご家族らしき人が病院に運ばれた、と連絡を受け、市夜は渋々と市立病院へ赴いた。
電話を受けた時点で、何とはなしに嫌な予感を覚えていた。
そうしたら案の定、ベッドに伏せているのは見知らぬ男。口調から、件のターレ人であることは分かった。どうやら運悪く、ゴミ収集車に回収されなかったらしい。
ターレ人は思っていたよりも若々しいが、口調通り渋い顔立ちだ。
武士然とした渋面を、市夜は冷え冷えと見下ろす。
「一応お尋ねしますが。健康保険に入っているわけ、ございませんね?」
「ござらん」
一つに結われた暗緑色の髪を左右に振り、シン・ク・ロウなるターレ人はきっぱりと答えた。
己の白い額を、市夜はぺしりと叩く。
「最悪。ござる口調なら、潔く自害するぐらいの気骨を見せなさいよ」
自害という単語に、熱で真っ赤な顔を青く染め、シン・ク・ロウは震えた。
布団に顔を半分埋め、恐れ戦いている。
「自害など、あな恐ろしや! 咽頭結膜炎よりも、何倍も恐ろしいでござる!」
「ああ、そう」
なお咽頭結膜炎は普通、乳幼児が感染する病気である。
プールの水を媒介とすることが多く、「プール熱」とも呼ばれている。
「地球の注射も、相当痛かったでござる。あれは拷問か?」
「あんたたち、本当に弱いね」
窮猿投林……困ってる時にゃあ選り好みできません、の意