5 奇策縦横(きさくじゅうおう)
異星人との遭遇を果たした翌日。
念のため、市夜は休みを取った。ターレ人から、またちょっかいを出されるかもしれないからだ。
他にも、何かと心配事はあったのだが。
「たのもぉぉ! 人類戦士はいずこかぁぁっ!」
そして、その「念のため」は功を奏した。よく通る大音声と共に、安アパートの安扉が、けたたましく叩かれた。
「あまり叩かないで、ドアが壊れる。ここ、借家なんですから」
仏頂面で、市夜は応じた。とはいえ、ターレ人に借家の概念があるかは謎だ。
扉を開けて、市夜は思わず吹き出しそうになった。
彼女が吹き飛ばしたターレ人は、前日と同じ、白銀の鎧スーツを着込んでいる。
しかし、ハイヒールで割られたヘルメットはテープで補強されており、それ以外にもあちこちテープが巻かれている。
「うわぁ。何だか貧乏臭い補修ですね」
「むっ、前時代の人間の分際で何を申す」
相変わらず、先方の口調の方が古めかしい。
「どうやって調べたのかは知りませんが、家を訪ねてもらったのにすみません。カズサ君は不在でして」
「はん、見え透いた嘘を付くでない」
ヘルメットの下から、せせら笑いが聞こえた。
「この小屋に、あの男を隠しているでござろう。さあ、大人しく引き渡せ!」
「あ、こら、勝手に入らないで」
市夜を押しのけ、ターレ人は強引に室内へ進入しようとする。
強硬手段に出られ、市夜もつい強引な手を使ってしまった。
すなわち後ろ手に隠し持っていた、テフロン加工のフライパンを振り回したのだ。軽いので、武器としては最適だ。
振りかぶったフライパンの底面が、テープで補強されたヘルメットを再び砕く。
「うごぉぉぉ!」
濁った悲鳴と共に、吹き飛ばされたターレ人はアパートの階段を転げ落ちて行った。池田屋事件か。
カズサといい、未来の知的生命体はリアクションが大きいのだろうか。
フライパンで武装しつつ市夜も降りれば、ターレ人はまた昏倒していた。距離を取って様子を伺い、ジャージ姿の市夜は宇宙人へ飛びかかった。
「せいっ、はっ、とうっ」
念のため三発程、おまけでお見舞いする。ヘルメットと言わず鎧もボコボコにされ、ターレ人は粗大ごみと大差ない姿となった。鎧のあちこちから漏れ出ている空気が、シューシューと音を立て、更なる哀愁を誘っている。
そして幸いにして、今は早朝。ゴミ収集もまだだ。
見た目の割に軽いターレ人を引っ張り、ゴミ捨て場まで運ぶ。
そのまま烏避けのネットの内側に、彼を押し込めた。
今日は燃えるゴミの日。
鎧は燃えなさそうだが、中身は生き物だ。まあ、頑張れば燃えるだろう。
一仕事を終えてアパートへ引き返し、市夜はぐるりと顔を動かす。
人気のない周囲へ視線を巡らせて、淡白な顔がやや困惑したように歪んだ。
「カズサ君は、一体どこへ行ったのか」
ターレ人に言ったことは、方便ではなかった。
昨晩、カズサはふらりとアパートを出て以来、姿を見せていない。
あのおっかない銃も持ったままだから、命の危険はないはずだ。
しかし、ターレ人が単独なのかは分からない。妹の夫だと主張する面倒な若者だが、放っておくのも気が引ける。
腕を組んで思案していると、控え目にクラクションが鳴らされた。
振り返れば、引っ越し業者のトラックが近づいて来ていた。
軽く頭を下げ、アパートの階段へ避難する。どうやらトラックも、このアパートに用があるらしい。すぐ目の前に停車した。
何の気なしに運転席へ視線を向け、思わず市夜の足は止まった。
助手席に、カズサが座っていたのだ。市夜は来た道を、速足に引き返す。
「乗せてもらって、ありがとうございます」
トラックに相乗りしていたカズサは、引っ越し業者の方々へ朗らかに礼を言っていた。
彼の出で立ちにも、また仰天する。
ずいぶんと、高級そうなスーツを着込んでいたのだ。
ぽかんとする市夜の脇を通り抜け、作業員の方々は揃いのつなぎに身を包み、次々と家具や家電を運び込む。
そういえば、隣室は空き家だったか。
うっすらと考えていた市夜は、梱包のすき間から見える家具たちにも、いささか目を丸くした。どれもこれも、高級そうだ。おまけに電化製品も、最新型のものばかりである。
「カズサ君、このお金はどこから」
疑問というよりも恐怖を漂わせ、市夜は彼を見上げた。まさか、犯罪を行っていないだろうな、と。
「ちょっとばかり、未来の道具の力を借りただけです」
朝日を受けるカズサの笑みは、輝かんばかりだ。そして彼が取り出したのは、あの風呂敷に入っていた金属製の万年筆。
「これは洗脳装置です。記憶の書き換え等が出来ます」
「あー、それも映画で見た」
「空想の中の道具が実現するなんて、人間は偉大ですよね」
「そうね。で、その怪しい道具で、金を見つくろったと?」
市夜の瞳が、くっと細められる。ついでにフライパンも掲げる。
義姉(仮)の剣幕に、カズサは大慌てで頭を振る。
「誤解です! 犯罪はしていません! ただ、お金持ちだと設定したんです」
「設定?」
「はい。僕はある金持ちの愛人の息子で、父親から手切れ金としてもらった資金を元手に、株主、地主、ベンチャー企業の社長になったという設定です。この時代の経済・社会構造については、『近・現代史』で学習済みです、ご安心下さい」
胸元に隠し持っていたアンチョコを取り出し、胸を張るカズサ。
一方の市夜は、呆れを通り越して感心している。
「いやー、えらく盛ったね」
そんな設定、今どき少女漫画でしかお目にかかれない。
「折角なので、詰め込みました」
はにかむ彼は、確かに少女漫画の王子様然としている。
洗脳がそもそも犯罪行為である気がするものの、実害を受けた人間がいないのならば、と市夜も追及は諦めた。というか、そこまで設定を盛り込まれると、一庶民である彼女の手に負えない。
代わりに、素朴な疑問が口をつく。
「その装置で最初から、希代の同級生として大学に潜り込めば良かったんじゃない? 私に頼らなくてもさ」
「あ」
思い付かなかった、と丸い大きな双眸が語っていた。
そうだろうな、と市夜も肩をすくめる。
「思い付いても、早々に嫌われてそうだしね。……あ、でも、出会いをやり直すことも出来るのか……いや、それより……」
苦笑を浮かべる彼女の脳裏に、ふと閃きがまたたいた。
市夜はしばし、黙考する。
不意に黙り込んだ彼女へ、カズサは眉を情けなく寄せた。
「あの、お義姉さん?」
「カズサ君。あんたは本当に、希代と結婚したい? 本気で子作りをしたい?」
呼びかけへ、問いかけで返す。
面食らった様子のカズサだったが、ややあって凛々しい表情で首肯した。高級そうな千鳥格子柄のスーツが、またよく似合っている。
「性交には多大なる興味があります」
「でしょうね、さくらんボーイですし」
「そして希代さんも、恐ろしいまでに好みです。写真よりも素敵でしたし」
「写真なんて残ってたんだ」
感心する市夜へ、カズサは腕を突きだした。そこには、腕時計によく似たものが巻かれている。ただし、文字盤の代わりに半透明の液晶が備えられていた。
その表面をなぞると、腕時計の上空にいくつものボタンが浮かび上がった。慣れた手つきで、カズサはボタンを押して行く。どうやら、未来での携帯端末らしい。
そして同じく空中に浮かび上がったのは、見慣れた和室に集まる人々を写した画像。場所は、市夜たちの実家だ。
ふくよかで可愛らしい老婦人が、赤いベストを着て真ん中に座っている。この老婦人を、カズサが指さした。
「こちらが希代さんです」
「そりゃあんた、還暦の写真に比べれば可愛いに決まってますよ」
呆れつつも、市夜の視線は写真に釘づけだった。見ればもう一人、やせ形の老女がいる。
「あ、ちなみにこちらが市夜さんですね」
「やっぱりね」
思った以上に老人らしくしている自分へがっかりしつつ、実年齢より溌剌としているので、いくばくかホッとした。
写真には、二人の子どもらしい中年男性や女性、そして孫らしい少年少女も写っている。
もちろん、二人の夫も。
希代の隣にいるのは、おそらくカズサだろう。年を取っても、美男子振りは変わっていない。
市夜の隣の男性は、少し神経質そうな老人であったが、背筋も伸びているし白髪もふさふさとしている。何より健康そうだ。特に文句も、悲観もなかった。
自分が結婚していたことへ安堵している市夜へ、カズサは一人の少年を指さす。写真の一番前を陣取っている、派手な出で立ちの少年だ。
袖の無い皮のジャケットを身にまとい、上腕部にはドクロの刺青を入れている。腕輪には、トゲも生えていた。
「なお、こちらの変な色の頭をした少年が、市夜さんのお孫さんです」
「ぎゃんっ」
自分の老いた姿より、ある意味ショックであった。
「えっと……あと、そうそう。市夜さんの旦那さんのお名前は、たしかモリ──」
「やめて、言わないで、楽しみはとっておきたいタイプなの」
耳をふさぎ、言葉を遮る。
そして息を吐いて、会話の軌道を巻き戻す。
「私の未来はいいから。ともかく、希代のことでちょっと話したいの。いい?」
浮かび上がっていた画像を消し、カズサも真面目くさった顔でうなずいた。
奇策縦横……人の意表を突くことばかりやりやがる、の意