4 内柔外剛(ないじゅうがいごう)
何度も希代に謝り、最寄の駅まで見送る。本音を言えば家まで送ってやりたかったが、あいにく市夜にも仕事がある。
「お仕事頑張ってね」
涙で腫れぼったくなった目をしばたいて、希代はどうにか笑顔で改札をくぐった。
市夜もぎこちない笑みで、彼女が階段を下りるまで見送る。
そして、妹の姿が見えなくなったところで。
柱の陰に隠れていたカズサへ、大股に近づく。
周囲に花の幻が見える微笑みで、カズサも両手を広げた。
「おねえ──うぐぅっ」
彼の弁解を待たず、鳩尾へ拳をめり込ませる。
「馬鹿かあんたは。初対面で性交渉を要求するなんて、馬鹿か」
冷やかに見据えると、打たれた腹部を押さえながら、ペコペコとカズサが頭を下げた。
「すみません、お義姉さん。僕チェリーボーイなので、女性の口説き方が分からないんです」
「は?」
「もちろん、勉強は試みたんですが……『近・現代史』にも、過去の社会構造は載っていても、恋のやり方は書かれていませんでしたし……」
「そりゃ男女のアレコレは、実地体験しかないもの」
呆れながら、じろりとカズサを再度見上げる。
「チェリーなのに、いきなり恋愛の醍醐味に挑んだの? あんた勇者?」
「まさか。英雄の祖先ですよ」
清々しいまでのいい笑顔が、尚更神経を逆撫でた。もう一度、市夜は振りかぶる。
きゃあっ、と悲鳴を上げ、カズサは縮こまった。
だがその拳は、振り下ろされなかった。
二人から三メートル程離れたところで、爆音が発生したのだ。同時に閃光と、大量の白煙も。なんという既視感。
市夜たちにとって、つい昨日経験したばかりのものだ。
しかし今回現われたのは、全身タイツの男ではなかった。女でもない。
正確に言えば、性別が分からない。
カズサと同じく、膝立ちの姿勢で時空を飛び越えて来たのは、白銀の鎧めいたボディスーツを着込んだ、不審者。
すっくと立ち上がれば、カズサよりも更に十センチほど大きい。ということは、男か。
爆発音と閃光に腰を抜かしていた通行人も、ビジネス街に似つかわしくない風貌に、ますますギョッとなっている。
市夜の反応も、彼らとさして変わらない。目と口を大きく開き、呆然としていた。
カズサだけが、いつの間にかAF銃を取り出し、油断なく白鎧へ向けていた。
「ターレ人の残党め、ここまで追ってくるとは!」
「えっ、この戦国武将みたいな人が?」
憎悪をまき散らす彼の声に、市夜は目をまたたいた。
宇宙人と聞いていたので、てっきりタコ型あるいは、ギーガー風な生き物を想像していた。二足歩行で立つ姿は、人と大差ない。
「ようやく相見えたでござるな、人類戦士よ」
腰を落として構える様も、人間味が溢れており、ヘルメット越しに聞こえる声も、そこらの男性とさして変わらない。口調は、少しばかり変わっているが。
ターレ人の、案外地味な見た目にがっかりしていた市夜だが、ここで慌てて気付く。
カズサがこの、人通りの多い駅前で構えているものは、あのブラックホール発生装置だ。
彼によれば、アパートで発生させたブラックホールは極小サイズらしい。ターレ人との正面衝突となれば、あれの数十倍あるいは数百倍の黒い光が、そこかしこで乱舞するという。
そして対するターレ人も、見えない壁や刃を武器とするらしい。
事情を知っている、唯一の現代人・市夜は察知した。
このまま二人を戦わせては、非常にまずい。下手をせずとも、巻き込まれる。
「ビルが爆破されて、会社が休みにならないかな」
などと日々──特に日曜日の夜──考えていたが、本当に爆破されては洒落にならない。おまんまの食い上げだ。
思うや否や、市夜は素早くカズサから距離を取った。そのまま群衆に紛れ込む。
もはや敵対者以外は眼中にない二人にとって、そんなことなどお構いなしだった。
これが功を奏し、市夜は易々とターレ人の背後へ回り込めた。
人類戦士とは戦っても、会社員と戦った経験はないらしい。ヒールを脱ぎ、ナイフよろしくふりかざした市夜へ、ターレ人はずいぶんと肉薄するまで気づかなかった。
真後ろに立たれ、ハッとしたように白い鎧は振り返る。兜あるいはヘルメットを被っているため、表情までは分からないが、小声で南無三と言っていた。
言ったところで効果はなく、手遅れだった。我が身を守るため、市夜はエナメルのパンプスを振り下ろす。
細いヒールは、交差されたターレ人の腕を潜り抜け、ヘルメットの視界中央へ突き刺さった。
「うぐぁぁぁぁぁっ!」
これまたオフィス街には不似合いな、苦悶に塗れた絶叫が迸る。ついでにヒールのめり込んだ穴から、蒸気のようなものが吹き出した。
スーツ内の重力を、ターレ星と同一に保つ機能にほころびが出た瞬間だったのだが、現代人の市夜には分かるはずもない。
唯一分かるのは、やぶれかぶれの攻撃が、かなり効果的だったということ。
刺さったままの靴から手を離し、もう片方の手が握りしめていた、小さなハンドバッグを思いきり振り回す。
オフィス・レディの全てが詰められたハンドバッグは、ヘルメットが割られて狼狽するターレ人の脇腹に、思いきり激突した。遠心力も、いい仕事をしている。
ターレ人はそのまま、横っ飛びに吹き飛ばされた。二度、三度と地面でバウンドし、やがて沈黙する。まるで白いスーパーボールだ。
コメディ映画さながらの跳ね模様に、市夜とカズサは顔を見合わせた。
「嘘。すごく弱い」
「ターレ人って、肉弾戦はからきしだったんですね」
「侵略当初に、金属バットで挑んだら勝ててたんじゃ」
「言えてますね。核よりよっぽど効果的ですよ」
槍を持って戦う時代ならいざ知らず、徒手空拳が有効と気づかなくても、仕方ないのかもしれない。
なおも群衆が遠巻きに見守っているが、痴話喧嘩あるいは、関わるべきではない厄介事と判断したのだろう。ちらちらとこちらを見つつも、彼らは足早に去って行く。
市夜と、そしてターレ人の狙いであるカズサも、長居は無用だ。
市夜は本日の功労者であるハンドバッグから、アパートの鍵を取り出す。それをカズサへ渡した。
「狙われてるのは、あんたでしょう? あいつが起きる前に、早く帰りなさい」
「分かりました。あの、お義姉さん」
右手で固く鍵を握り締めながら、カズサは左手で腹をさすっている。そういえば、カフェでの昼食は中途半端に終わっていたのだ。
「お義姉さんの台所にあった、カップ麺を食べてもいいでしょうか?」
おずおずと尋ねるカズサへ、市夜は鷹揚にうなずいた。
この謙虚さを、希代との会話で発揮してほしかったものだ。
「別にいいよ」
「それじゃあ、戸棚にあった焼き鳥の缶詰も──」
「絶対に駄目」
揉み手のカズサへ、ぴしゃりと言いつける。
内柔外剛……本当は弱いのに強がっちゃっている、の意