3 打草驚蛇(だそうきょうだ)
妹の希代は、可愛い。
身内の贔屓目を差し引き、更に減点しても、なお可愛い。肉付きの良い体型も合わせて、特に男性受けが素晴らしい。
だからこそ、彼女は苦労しているのだ、言い寄る男性陣に。
そして結果的に、男性全般へ苦手意識を抱く羽目となっていた。
可愛いが故に困難な生活を送っている希代は、自衛にも余念がない。
自宅から通え、なおかつ、市夜の会社にも近い大学を選んでいた。有事の際にも、ばっちりだ。
これが功を奏して本日も、姉の呼び出しへ快く応じてくれた。市夜の昼休みに合わせて、会社近くのカフェまで出向いてくれる。
「お姉ちゃん、ひさしぶりー」
夏休みの帰省以来、久々に会った希代はやはり、愛らしかった。小さな顔に目一杯の喜色を浮かべ、長い髪をふわふわと揺らしてカフェへ入店する。
だが、市夜の隣に男──カズサがいるのを見とめ、ぎくりと身を竦めた。
そうなるだろう、と予測していたので、市夜も素早くカズサへ布袋を被せた。とりあえず顔が分からなければ、希代も少しは警戒心が薄れるだろう。
「これのことは、気にしないで」
「無茶言わないでよ……怖いよ……かえって怖いよ、お姉ちゃん」
逆効果だったらしい。青ざめた希代は、ズタ袋の下でモゴモゴと喋るカズサを見つめて、チワワのごとく震えている。
「ごめん。友だちなんだけど、無理矢理相席されちゃって」
袋を剥ぎ取り、当たり障りのない説明をする。ひきつった顔のままだが、希代は幸い泣き出さずに、小さくうなずいてくれた。母から聞いた通り、高校時代よりは男性恐怖症も和らいでいるらしい。
十九年も、希代の姉を務めているのだ。彼女の扱い方も、市夜は熟知している。
まず「恋人候補」としてカズサを紹介したところで、希代が心を許すわけがない。
むしろ「姉の知人」として紹介し、恋愛感情よりも友情を育んでもらった方が、カズサにも可能性がある。
未来の世界で、やり手ババアとして名をとどろかせているのだ。それぐらいの助力は、惜しまない。何せ、人類の行く末もかかっているのだから。
市夜はテーブルの影でカズサを小突き、打ち合わせ通りの挨拶をするよう促す。
が、カズサは反応がなかった。
いぶかしんで顔をのぞきこめば、呆けた顔で希代を見つめている。どうやら、好みであったらしい。
結婚するはずなのだから、そりゃそうだろう、と納得しつつ、希代の怯えにも気づく。
こんな映画俳優級の美青年に凝視されれば、誰だってたじろぐだろう。
しかし、芳しくない反応だ。
「カズサ君」
「ふぁいっ!」
腿をつねってにらめば、カズサはようやく我に返った。なお彼は現在、大量生産品のシャツとチノパンツ姿である。
慌てるカズサへ再度威嚇し、素早く希代へ笑いかける。
「のんびりした人だから、目開けたまま寝てたみたい」
「お魚みたいね」
大雑把な姉の言い訳に、ようやく希代の顔がほぐれる。
空気が温まって来たところで、店員が顔を出す。市夜のおごりだと言えば、希代はためらいつつも、ランチメニューを注文した。
後は三人で食事をして、カズサへの心証を比較的好ましいものにすればいい。
希代の料理も揃い、黙々と銘々のランチプレートを咀嚼していると、まずカズサが口を開いた。
「あの、希代さん」
「は、はい」
おっかなびっくりながらも、希代も何とかカズサの顔を見る。
市夜は自分のロコモコを見つめる振りをして、二人の動向を静かに伺った。
幸いにしてカズサは、人好きのする笑顔で、これまた人好きのする空気を醸し出している。
「希代さんの、好きなご飯は何でしょうか?」
陳腐だが、初対面ならばまずまずの質問だ。希代も、自分のハヤシライスを見下ろし、すぐに即答する。
「ご飯なら、洋食も、和食も、好きです。あと、ケーキも」
「ケーキはいいですね。糖分が不足すれば、判断力が低下します。これが生死を分ける場合もありますから」
「はぁ」
やや胡散臭いことを言い始めたが、希代も曖昧に笑って受け流したので、良しとしよう。
「では、嫌いなご飯は?」
「あまり、ないですね。えっと……」
「カズサ・ワオリです。どうぞカズサとお呼び下さい」
ワオリという名字だったのか、と市夜はこっそり記憶する。
「カズサ、さんは、嫌いなものは?」
「いえ、僕も食べられるものなら何でも」
未来の事情を知っていると、なかなかに考えさせられる台詞だ。
それを知らない希代は額面通り受け取り、いいことですね、とうなずいている。
希代の同意に、カズサも微笑んだ。
「好き嫌いをしない者同士、お揃いですね」
「そう、ですかね」
控え目に微笑み返した希代へ、畳み掛ける。
「だから希代さん。僕と性交しませんか?」
「ホワァッ?」
裏返った声で、希代が叫ぶ。市夜もサラダの嚥下に失敗し、思わずむせる。
青ざめた姉妹へお構いなしに、カズサはペラペラと続ける。
「僕と性交し、今すぐにでも子を成しましょう! さあ、善は急げです! 大丈夫、食の好みが同じなら、何とかなるはずです! 何でしたっけ、ナントカ上手は床上手、と言うではないですか!」
はきはきと大きな声で、耳を覆いたくなる台詞を並べ立てる。
周囲の視線が、いたたまれない。
希代は白目をむいて、わなわなと震えている。
紙ナプキンで口を拭い、市夜も人間拡声器の胸ぐらをねじ上げた。
「カズサ君。あんた、私の説明聞いてた?」
営業部の男性を黙らせる声音で凄んでも、カズサはあっけらかんとしている。
「希代さんは男性が苦手なんですよね? ならば長話は無用、単刀直入が妥当です」
これが、ジェネレーション・ギャップというものか。
「あっ、あああ……あなたっ、最低です!」
黒目に戻った希代は、当然涙声で怒鳴った。ハヤシライスを半分ほど残したまま、カフェから飛び出す。
「あ、希代さん!」
「希代さん、じゃない」
続いて立ち上がろうとしたカズサを押さえつけ、市夜も後を追った。
妹は店の入り口にしゃがみこみ、子どものように泣きじゃくっている。今までの男性絡みの嫌な思い出が、脳内で堂々巡りをしているのかもしれない。
「ごめんね、希代。本当にごめん」
肩を支えて抱き起こすと、抵抗はされなかった。
代わりにぎゅっと、強い力でしがみつかれる。
「ひどいよ、あの人なんなの……なんなのよ!」
「うん、本当に何なんだろう」
市夜としても、これしか言えなかった。
本当にあの男は、何を考えているのだ。
いや、何も考えていないからこその、あの発言なのだろう。
打草驚蛇……余計なことをして、かえって相手をびびらせちゃう、の意