2 蓋棺事定(がいかんじてい)
追い出そうかとも思ったが、市夜の好奇心が色々と刺激されていた。
鍵のかかった部屋に、どうやって現われたのか。
出現した際の光と音と煙は、どこに仕込んでいたのか。
どうして青い全身タイツ姿なのか。かの猫型ロボットをリスペクトしているのか。
未来人なのに、どうして風呂敷包みを背負っているのか。
色々と尋ねたかったので、とりあえずジャージを貸すという選択肢を与えた。
代わりに荷物を改めさせてもらう。中にはおもちゃのような、ずんぐりとした銃らしきものと、金属製の万年筆らしきもの。また、『近・現代史』と書かれた本がある。
ジャージを持たせたカズサを浴室へ押し込め、市夜は1Kの居間兼自室で、その『近・現代史』を紐解く。
まずは末尾の、発行年月日を確かめる。「二二三二年 十月 二十五日 初版発行」、と書かれていた。徹底している。
次に中身を改める。数年前の東日本大震災の一連の出来事が、「十年代最大の災禍」として、数ページを割いて書かれてある。
現在以降の事件についても細かに記載されているが、市夜が未経験の出来事ばかりであるため、記述の真偽は不明だ。
「よく出来た本ね。でも、なんで風呂敷に入れてるの?」
台所に隣接する浴室へ、声を投げかける。
扉を開ける音がして、続いてペタペタと素足の足音もした。
あずき色のジャージに着替えたカズサが、丁寧に折りたたんだ全身タイツ片手に現われた。
「下手に僕たちの時代のバッグを持ち込むと、流行が変わる恐れがありますから。障りのないよう、風呂敷にしました」
「なるほど。で、全身タイツだったのは?」
「出来る限り、時空転移する容積を減らすためです。タイムスリップとは、金と電気がかかるものなんです」
朗らかなカズサは、改めて見上げると背が高い。ジャージも、ずいぶんと丈が足りていない。
「大きいね、あなた。日本人よね?」
「もちろん、日本生まれです。これでも未来だと、平均的なんですが……ところで、改めて事情を説明しても、よろしいでしょうか?」
「酒の肴に、聴いてあげましょう」
ローテーブルに置いたビールのプルトップを開け、カズサへ手招きする。頭が鴨居にぶつからないよう、身を屈めながら彼は居間へ入って来た。律儀なのか、それとも市夜へ警戒心を持たせないためか、入り口付近で再び正座する。
咳払いを一つして、カズサは滔々と語った。
彼曰く、今から約百九十年後に、ターレ人なる異星人が地球へやって来るのだという。
連中は惑星間の交流が目当てではなく、地球そのものが目当てであった。いわゆる、侵略者だ。
以後三十年間、地球人とターレ人は交戦状態となる。戦いは局地的なものから、大陸をまたいだものまで、多岐に渡った。過去の二つの世界大戦など、比較にならない犠牲を叩き出したという。
「アメリカも開戦直後に、国として瀕死へ追い込まれたそうです」
「意外。でも、どうして」
「どの国よりも早く、核片手に挑んだらしいです。結局、ホワイトハウスが爆破されてそのまま没落、だそうです」
「やっぱり最初に狙われるのは、ホワイトハウスなのね。ちなみに中国は?」
ローテーブルの端に置かれた朝刊の、「中国 大気汚染がついに世紀末級」という見出しを指させば、
「異常とも言える大気汚染によって、毒物への強い耐性を持った中国人に進化しています。おかげで清浄な空気の中では、逆に呼吸困難を起こすようです」
「まるでナウシカね」
おつまみの枝豆を口に含み、市夜はしみじみと感想を口にした。そしてもう一本用意していたビールを、カズサへ勧める。彼は素直に受け取った。どうやら成人しているらしい。
遠慮なく、ぐいとあおり、カズサは目を見開く。
女性でも惚れ惚れするような大きな瞳には、感動の星がきらめている。
「うわー、濃いですね。おいしいです。僕らの時代じゃ、ビールなんて化学合成されたまがい物しかないですから」
奮発しておいて良かった、と安堵する反面、市夜は漠然と不安になる。いつも淡白な表情を、殊更にゆがめた。
「侵略者は来るし、ビールはまずいし、未来って世知辛い」
「ご安心下さい。ちゃんと我々、人類戦士が勝利をもぎ取りますから」
「へぇ、いかにも強そうな名前」
国の枠組みを超えた、地球連合軍である人類戦士は、怒涛の巻き返しを見せた。文明レベルではわずかにターレ人より遅れていたものの、地球そのものへの愛着心や意地や凄みで、彼らに追いつき、打ち負かしたのだという。
「案外、武器さえ整えば余裕でした。いわゆるホームグラウンドでの戦いですしね」
「地球規模の戦争なのに、表現軽い」
野球か、と市夜は小さく笑う。一方のカズサは、どこか照れくさそうだ。
「これは人類戦士の、偉大なる統括者のジョークです」
そしてその統括者こそが、カズサと希代の子孫なのだそうだ。ビールを更にあおり、市夜は細い首を傾げた。
「よくあなたが、ご先祖様って分かったね」
「統括者のご先祖様に、未来人がいたことは記録に残っていたので。後は遺伝子、名前、写真が決め手でした」
この記録を残していた人物こそが、市夜なのだという。思わず彼女は、皮ごと枝豆を飲み込みそうになった。
「え? いやでも、日記なんて付けてないけど」
「この時代にもインターネットはあるでしょう?」
カズサが温和に微笑む。彼の出現シーンを知らなければ、思わず惚れてしまいそうな笑みだ。
ネット上ならば、市夜にも身に覚えがある。SNSにて、日記のように日々の出来事を書きとめているのだ。
「お義姉さんの電子上の日記は、断片的ではあったものの、再構築できました。そこから、あなたが僕と希代さんの恋の立役者、いわゆるやり手ババアであったことが発覚したんです」
だから希代の元でなく、市夜のアパートへタイムスリップしたのだと、彼は語った。
「二二三〇年代なら、そりゃミイラどころか骨壺に入ってると思いますがね。今はまだピチピチの二十三歳に、よくぞババアなんて言いますよ」
市夜は少し、憮然とした顔を浮かべる。
かすかに憤慨しつつ、市夜はまだ疑っていた。
カズサは言葉づかいも雰囲気も、落ち着いて理性的だ。それでも、こんな映画めいた出来事を鵜呑みにできるほど、市夜も幼くない。
どこからこの疑問をぶつけるべきか、と彼女が考えていると、六畳の部屋を何かが横切った。
それは丸々と肥えた、ハエだった。
「うわ、どこから入ってきたのかね」
虫に好意は抱いていないし、そもそもハエのイメージが悪い。市夜はライトにぶつかるハエを見て、口を尖らせる。ブンブンと、無秩序に素早く飛び回るため、仕留めるのも骨が折れる。
害虫へしかめっ面を見せる市夜へ、カズサが身を乗り出した。
「ご安心下さい、お義姉さん。僕が退治してみせましょう」
「ああ、そりゃどうも。それじゃあこの新聞紙で──あ、こら」
市夜が止めるよりも早く、カズサは風呂敷に入れていたずんぐり銃を引っ掴んだ。慣れた手つきで、銀ピカのそれを構える。
思わず耳を塞いだ市夜だったが、幸いにして未来の銃は無音だった。
ただし、発射されたものは鉛の弾でなく、黒い光であったが。
なんだこれ、と市夜が見守る中、黒い光は中空で止まり、大きくなった。その光は内へ内へと、周囲のものを引きこもうとする。
事実、壁に貼っていたカレンダーが引きはがされ、光の中へ吸い込まれた。ついでとばかりに、ハエも飲み込まれる。
そうして黒い光は、徐々に徐々に縮こまり、無音のまま消え去った。
「何、今の」
怪現象に、市夜は浅い呼吸で問う。
銃を降ろし、カズサはにこりと笑った。
「反閃光銃です。閃光器官を用いて、見えない障壁や刃を作り出す、ターレ人対策として造られた武器です。この時代風に言えば、ブラックホール発生装置ですね」
さらりと物騒な説明を口にする。
「そんな恐ろしい銃を、家主に断りなく使わないで。あのカレンダーも、結構気に入ってたのに」
目を細め、市夜は静かに怒った。途端、カズサは慌てた。既におっかない小姑と、認識されているのだろうか。
「ああ、すみません! 戦場の感覚でいたもので、つい」
「ここは二〇一〇年代の日本だから。軍隊も持ってない国だから、そんな感覚は捨てなさい」
「はい……平和ボケするよう、努力します」
やや失礼なことを言いつつも、カズサは素直にうなだれていた。
ぬるくなったビールを喉へ流し込み、市夜は考える。
本物だ。
少なくとも彼女の知る限り、カレンダーを飲み込む黒い光なんて、現代科学では発明されていない。そもそもブラックホールも、実際何なのか分かっていないはずだ。
市夜の知識において、カズサを物々しい時代から訪れた未来人、と決めても問題ないだろう。
しかしそうすると、別の問題が発生した。ローテーブルに頬杖を付き、市夜は息を吐く。
「でも希代は、男の人が苦手なんだよね」
「えぇっ? それじゃあ僕は、どうやってねんごろになるのですか!」
「知ったこっちゃないですよ。未来人じゃあるまいし」
「そんなぁ」
絶望感に満ちた目を、カズサは見開いていた。
いいリアクションをする青年だ、と市夜はこっそり感心する。
蓋棺事定……人の価値は、その人が死んでから決まるのだよ、の意。