13 生生流転(せいせいるてん)
午後六時半。有頂天で、カズサは帰宅した。
せせこましくも、上品な家具を並べ立てた我が家が、いつもよりも広く見える。
セーターを脱いで部屋着に着替えている時も、陽気に口笛を吹いていた。
そして、脱いだセーターを熱く見つめる。
つい数刻前、そこに希代が抱きついてくれたのだ。
洗濯せず、このまま額縁に入れて飾ってしまいたい。
「むしろ樹脂で固めて、永久保存したいですとも!」
セーターをぎゅうと抱き締めて、そのままソファへダイブする。
皮張りソファの上で悶絶すれば、今日何度も目撃した、希代の可憐な笑みが脳内で蘇る。
少し呆れた笑顔に、照れ笑い。くすぐったそうな笑みに、涙ぐんだ儚げな笑顔と、本日は微笑みの大盤振る舞いであった。
たまらず、カズサは叫んだ。
「幸せだ、僕は幸せだ! 灰色の世界に残して来た、人類戦士の皆さーん! 幸せ独り占めで、ごめんなさい!」
防災ずきんのようにセーターを被りながら、にやけ面で四方へ土下座をする。
同僚や上司が見れば、呆れるか、はたまた薄笑いを浮かべるしかない光景であろう。
彼らに代わって諌めるように、カズサのチノパンツのポケットから、金属製のものが滑り落ちる。
固い音が、カズサの高笑いを中断させる。
彼も落ち着きを取り戻し、ソファへ正座し直す。そして、落ちたものを拾い上げた。
本日の功労賞、洗脳装置であった。
過去へ時空転移して以来、何かと利用──あるいは悪用したため、電力の残量が残りわずかだ。
「あ、こりゃいけないや」
カズサは顔をしかめ、洗脳装置の底部をつまみ、一回転させる。
するとコードが、ひゅるりと伸びた。先端部分は自動的に、二股プラグへと変容する。
カズサは躊躇なく、未来のプラグをコンセントへ押し込んだ。
現代と未来の、科学力の差など、今の彼にとってはどうでもいいことだった。
しかし、挿入した途端にバチン、と破裂音がした。
音と同時に周囲から、光が失われる。
思わずカズサも素面に戻り、小さく悲鳴を上げた。
軍人であった彼は、装備の使い方は知っていても、その構造までは知らなかった。
未来の電気使用量は、とにかく多いのだ。
供給量をはるかに凌駕する電力が求められたため、現代の送電設備は驚き、そしてすぐさま故障した。
しかもアパートのみならず、洗脳装置は付近一帯の電力までをも奪い去った。
突然の停電に驚いたのか、隣の部屋からも、絹を裂くような悲鳴が聞こえていた。
停電するよりも少し前。
市夜は居間の座椅子に座り、携帯端末を耳に押し当てていた。電話の主は、希代だ。
「デートはどうだった? うん、うん……えっ、あのストーカーが?」
妹の報告に、目を見開く。片手では、六角形の箱をもてあそんでいた。
「あ、カズサ君が……そうか、なら良かった……え、煙が出る万年筆? 知らないなぁ。スパイグッズじゃないの?」
続いて妹の質問を、すっとぼけて受け流す。
一つに限らず、色々と波乱はあったらしいが、希代とカズサのデートは概ね成功だったらしい。
『また、カズサさんとお出かけ、したい』
「出来るよ、絶対」
控えめに呟いた妹へ笑いかけ、通話を終える。
ローテーブルに携帯端末を置き、手の平の六角形を改めて見下ろした。
半透明で、ボタンらしいボタンも見当たらないそれは、信じられないがターレ製の時空転移機らしい。
ただし、すっかり壊れているようだが。
「動かないよね。やっぱり」
ためつすがめつ眺め、小さく嘆息する。なお持ち主は、一番風呂を満喫中だ。
そして最近気づいたのだが、彼は案外長風呂である。
これ幸いと、市夜はややぞんざいに時空転移機を撫でて、つつく。
「電気屋さんとか、時計屋さんで修理……は無理か」
現代文明の産物ではないし、そもそも他星の製品だ。下手に他人へ見せるべきではないだろう。
しかし彼女としても、どうにか再起動して欲しかった。
「別に、居候されて迷惑こうむってるわけじゃないんだけど」
言い訳するようにひとりごち、ちらりと周囲を見る。
赤の他人が居座っているため、独りで暮らしていた時よりも、室内は片付いている。市夜は変なところで見栄っ張りだった。
また、二人暮らしとなったため、不承不承ながらも料理をしている。健康面から言っても、これは大変よろしい変化だ。
「だけどシンさんは、きっと帰りたいでしょうし」
両手で時空転移機を包み込み、今度は深くため息をつく。
すくすくと現代日本に馴染んでいる彼だが、ふとした時に寂しげな表情を浮かべる時がある。
故郷というか母船が、きっと恋しいのだろう。
どうしたものか、と市夜が伸びをした時だった。
室内からも、アパートを取り囲む住居からも、一斉に光が消えた。
「うわ、停電?」
跳ねるように立ち上がる。驚いて手放したのか、時空転移機は足元をてんてん、と転がって行った
窓に額をくっつけて辺りを見渡せば、やはり周辺一帯が停電している。
これはブレーカーを確かめても、無駄だろう。
そう判断し、市夜が灯りを探そうとしたら、
「ぱぽぴゅるぽぴぽぉぉぉー!」
半濁音だらけの裏返った悲鳴が、浴室から響き渡った。
ロウソクを探していた市夜も手を止め、首を傾げる。
「今の、文字化けしたような悲鳴は、一体何?」
恐らく発信源はシン・ク・ロウなのだが……悲壮感が伝わらない上、関わり合いたくない類の悲鳴だ。
生生流転……色々と変化していくのだよ、の意




