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1 一新紀元(いちしんきげん)

 ハイヒールの利点を挙げるとするならば、一に見栄え、二に靴音であろう。

 つま先で歩く要領となるハイヒールを履けば、自然と足も長く、細く見える。

 また、コンクリートで舗装された道を闊歩する足音は雄々しく、自尊心をくすぐられる。

 反対に欠点は、一に不健康、二に非実用的、三も四も不健康である。たかだか下肢を取り繕うために、骨が変形する危険性を背負い込んでいるのだ。割に合わない。


 常々そう思っているものの、市夜(いちや)も社会人だ。俗に言うオフィス・レディ。まさかスニーカーで働くわけにもいかない。

 今日も今日とて、むくんだ足を革のパンプスにねじこみ、不平顔で帰路に着いていた。

 駅を中心とする大通りを抜け、自宅であるアパートが建つ小路に入ったところでようやく、ほっと肩の力が抜ける。人目がなくなったのを幸いと、靴を脱ぎたいところだが、あと数百メートルだ。ぐっとこらえる。

 代わりに冷蔵庫へ入っている缶ビールの存在を思い出し、自分を激励する。ビールなのだ、発泡酒ではなく。自分で買ったものだが、心が沸き立つ。


 小さく笑った彼女を一層励ますように、『インディ・ジョーンズ』のテーマ曲が流れて来た。出所は、彼女の携帯端末。発信者は母だ。

 画面を操作し、アクアマリンの簡素なピアスがぶら下がる耳へ、端末を押し当てる。

「はい、市夜です。お母さんがかけて来るなんて、珍しいね」

 開口一番にもしもし、と言わなくなったのは、会社で叩き込まれた電話応対の賜物だ。

『今日ね、伯父さんがナスを送ってくれてね。すごい量なんだけど、市ちゃんも食べる?』

 電話越しの母は、困ったように笑っている。父の兄である伯父は、田舎で趣味の農業を営んでいる。人はいいのだが、いつも加減を間違えて野菜を分けてくれるため、往々にして困らされていた。

 一人暮らしとはいえ、市夜のアパートは実家から一時間程度の距離。おすそ分けを、更に裾分けしてもらえる遠さであるが。

「うーん、別に料理しないし。ナスなんて、使いどころある?」

『大いにありますとも。煮てよし、焼いてよし、漬けてよし……あとそうそう、蒸してよし』

「あるなら、お母さんたちで食べちゃいなよ」

『あっても、飽きちゃうの。おばあちゃんの紫頭を見るだけで、嫌になっちゃう』

 母はいつも、割と勝手である。んなこと知りませんよ、と市夜は苦笑した。


 娘の冷めた態度を受け流し、母はさっさと話を進める。

『それじゃあ、ラタトゥイユにしたら貰ってくれる? 今度、希代(きよ)ちゃんに持って行かせるから』

 希代は、大学に通う市夜の妹だ。アパートに到着し、階段を上りながら市夜も考える。

 ラタトゥイユならば、酒との相性も良い。ワインなんて、ぴったりにも程があるだろう。

「よろしいです。ラタトゥイユをいただきましょう」

 偉そうにうなずく。それに合わせて、こげ茶色のセミロングが揺れた。

 階段を上りきり、市夜はショルダーバッグから鍵を取り出す。

「ところで希代は……元気?」

 そして母へ尋ねようと、言葉を束の間選んだ末、一番無難なものを声に乗せた。

 母も、数秒間黙る。

『元気よ。楽しそうに、大学も通ってるわ。お友達も、沢山できたみたい』

「そりゃ良かった」

 市夜もほっと、顔をほころばせる。四歳年下の妹と、彼女は昔から仲が良かった。性格も趣味も、まるで正反対だったため、余計な嫉妬や劣等感が芽生えなかったためだろう。

 代わりに、今も妹が心配の種であった。


 二言三言、母と言葉を交わし、市夜は通話を切った。そして安い作りの扉に鍵を差し込み、開錠する。

 ドアノブを回し、数十センチ程開いた、その時だった。

 爆音と閃光と、そして大量の煙に市夜は襲われた。

 震源地はすぐ目の前。玄関のすぐそばにある、小ぢんまりとした台所の中央だった。

 音と光だけのはずだが、その勢いに、市夜は思わずたたらを踏んだ。動きを制限されるピンヒールがぐらつき、慌てて重心を戻す。

 十数秒間、市夜の視界はまともに働かなかった。何度も瞬きを繰り返し、煙にむせこみ、ようやく台所の光景が見えてくる。

 生活感が端々から漂う、いつも通りの薄暗い台所であったが、やはり中央に異物がいた。


 それは、膝立ちのままうずくまっていた。白い煙を両手でかき消し、目を凝らせば、青年であることが分かった。

 うつむいているので容貌は分からないが、おそらく見知らぬ人間だ。また、人畜無害でないことは明らかだ。

 派手派手しく、イリュージョンまがいに不法侵入をした上、着ているものは全身タイツであった。真っ青で、頭部までしっかり着込んでいる。さながら、もじもじくんだ。

 珍妙な格好はともかく、煙の渦の中で膝立ちでいる姿は、絵になっている。

「映画で観たっけ、こういうシーン」

 古いSF映画を思い出し、市夜はぼんやり呟いた。

 ダダン、ダン、ダダン、とその映画のテーマ曲が脳内で流れる。


 彼女の感想が聞こえたらしく、タイツ男はハッと顔を上げた。

 これまた絵になりそうな、繊細な造りの美青年であった。束の間、市夜と彼は見つめ合う。

 眉目秀麗であるため、余計に青い全身タイツが滑稽である。よくよく見れば、彼は風呂敷包みを背負っている。泥棒だとしても、前衛的すぎる。

 必死に笑いを噛み殺す市夜を見上げ、タイツ男は何故か正座をした。そのまま、三つ指をついて深々と頭を下げる。


「どうか人類を救うべく、協力して下さい! お義姉(ねえ)さん!」

 切実な声に、また市夜はのけぞった。かすかに、顔もしかめている。

「ちょっと待って。あなた、泥棒でもターミネーターでもなくて、生き別れの弟なの? そうだとしても、先に親を通してくれない?」

 顔を上げ、生真面目な表情でタイツ男は首を振る。

「いえ、れっきとした赤の他人です! あと、ターミネーターでもありません! 僕は未来人の、カズサと申します。近い将来、お義姉さんの妹さんとの間に、人類を救う英雄の一族をもうける者です」

「やっぱりターミネーターじゃない」

「違います。過去へ来てニャンニャンいたしたのは、カイルという青年です。ターミネーターはロボットの方です」

 カズサ青年は、綺麗な顔を凛々しく引き締め、せせこましい主張をした。

 市夜にとっては相手が人間だろうが、ロボットだろうが、あるいはカリフォルニア州知事だろうが、不審者である点は一緒だ。

一新紀元いちしんきげん……古い時代が終わり、新しい時代が来るよ、の意。

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