書道部
アルソン学園 三限目
今日は書道部に来ている……今私は大きな問題に直面している。
そう、これは今まで私が経験したことのない問題……それは……。
「あ……足が痺れたー……」
そう、かれこれ十分くらい正座していたせいで足が痺れて動けないのだ。
「はーい、皆。墨はすれたかな? すれた人は教えてね」
佐藤先輩が皆の机を回りながらそう言うと私の机の前に来た。
「あー……江宮さん大丈夫?」
私が足が痺れて動けなくなっているのを心配そうに言ってくれた。
「だっ大丈夫です。ほら、少し足を休まさせれば治りますから……」
私は引きつった笑顔でそう言うと足をさすった。伸ばした後の事を考えるとゾッとする。
「やっほー! 新入生のみんな元気してるー?」
勢いよく扉が開いた。持田 キサラギ先輩が入ってきた。一度しか会った事ないけど先輩はやっぱり元気のいい人だ。
「足が辛かったら言ってね。足崩してもいいから」
笑顔でそう言っていると佐藤先輩が持田先輩に近づいた。そして、少しニコッと笑うと
「いつもいつも五月蝿い!」
そう言ってどこから持ち出したかハリセンで先輩の頭を叩いた。
「イッター! マヤー痛いよー。いつもそのハリセン持ち歩いてるの?」
「そうよ。キサラギ専用に肌に離さず持ってるわ」
「もう、マヤはひどいんだから……ん? んーーー?」
持田先輩は私に気づくと近づいてきた。
なんだろう? 私に何か付いてるかな? 私は身の回りに調べた。特に何もついてないよね?
「あ……あのー何か?」
先輩は私のことをじっくりと観察すると
「あなた名前は?」
私の名前? ええと何かな?
「ええと……私は江宮 アヤメって言います」
持田先輩はニッコリと笑うと
「アヤメちゃんか……可愛い!」
そう言って思いっきり私に抱きついてきた。驚いたけどそれより……
「あひゃ!」
足が痺れて動かせないのに抱きつかれたものだから変な声が出てしまった。
「ん? どうかしたのアヤメちゃん」
先輩は私に抱きつきながら私の足を見た。
「んっ……あの……足が痺れ……てて……その」
「あ、足が痺れて今触られるとまずいんだね」
持田先輩はニヤリと悪い笑を浮かべた。
「そうだよね。触られると変な感じだよね」
そう言いながら私の足を触り始めた。
「せっ先輩! あっ! 駄目! そこを触ったら……ひゃう!」
「ここ? ここが痺れてるの?」
なんでこんなに嬉しそうなの? 何か悪意に近いものを感じるよー……。
「キサラギ辞めなさい!」
佐藤先輩のハリセンが持田先輩の頭を捉えた。
「イタッ! ちょっと! 良い所なんだから邪魔しないでよ」
「あんたね。江宮さんがかわいそうでしょ。それに今は新入生に文字の書き方を教えてるのよ? 変な声出させたら書けなくなるでしょ? やるなら他所でやって」
助かったのかな? まだ足を触られてて変な声を出しそうなのを必死に堪えながら私は二人のやり取りを見ていた。
他の皆も居心地悪いって顔をしながら前を向いていた。何人かの男子は私を見ていた。……恥ずかしい。
「あんまり変な事してると旦那に言うわよ?」
旦那? あれ? 持田先輩って結婚してるの?
「ちょっ! 私とあいつはそんな関係じゃないわよ! って今あいつの事は関係ないでしょ!」
なんだろう? さっきまでの持田先輩と全然違う?
「全くもう。ふざけたらすぐあいつの事を口にするんだから……」
「はいはい。わかったから江宮さんからさっさとどきなさい」
どうしよう。私も皆も置いていかれてる……書道部って変わってるな。
「あ……あの……」
私はとりあえずこの空気をなんとかしたくて口を開いた。
「何? アヤメちゃん」
ウッ……顔が近い。
「もう足大丈夫なので書道をしませんか?」
私は苦笑いをしながらそう言った。
「そうよ。まだ仮入部の子とかもいるんだからこの部に悪い印象を持たせないでくれる?」
「チェッ……わかったわよ」
持田先輩は私から離れて黒板の前に立った。皆も黒板の前にいる持田先輩を見た。
「今日はこの部に来てくれてありがとう。さっきは変な空気にしちゃってごめんね。
私は持田 キサラギ。一応この部エースをしています。呼ぶときはキサラギ先輩って呼んでね」
持田先輩はそう言ってお辞儀をすると
「今日、皆に書いてもらう漢字は『絆』ね。これから皆が学んでいくこの学園で大事にしてもらいたい言葉だから」
持田先輩はそう言うと黒板に『絆』と一文字書いた。特に変わった感じもしない絆って文字だったけど私の中で揺れ動く物を感じた。
「はぁ……。結局キサラギが指揮るのね」
「あ、ごめんマヤ」
持田先輩は佐藤先輩に平謝りをしながらそう言った。
「いいわよ。いつものことだし」
佐藤先輩と持田先輩は仲いいんだな。あんな風にしゃべり合うなんて。なんていうか羨ましいな。ああいう関係って。
「さて、書こうかな……あ、そう言えばまだ墨すれてなかった……」
私はまだ痺れが残る足で墨をすり続けた。皆はもう書き出している中。
「よし」
皆より遅れたけど私も完成した。筆が思うように持てなくて汚い『絆』だけど、今できる私の最高のできだった。
「よし、みんな出来たね。上級生が見て回ってアドバイスをしていくからその場で待っておいてね」
上級生の先輩五人がそれぞれの机を回り始めた。持田先輩も見て回ってる。さっき佐藤先輩と話し合ってた所を見ると多分私の所には行かないよう言われたんだろうな。
「ふむ」
不意に隣から声が聞こえた。
「あ!」
隣にいたのは佐藤先輩だった。周りの先輩達を見ていて気づかなかった。
「あの……」
私は何か言われるっと思いながら佐藤先輩を見た。
「江宮さんはストレートだね」
私は思いがけない言葉に固まった。
「他の皆は書道って言うから色々工夫して書くのに江宮さんだけは普通に書いてる」
クスクスと笑いながらそう言うと
「私は好きだよ。そう言うの」
そう言ってくれた。
「ただ、まだまだ筆に遊ばれてるわね。これからもっと練習しないとね」
佐藤先輩は私の筆を墨に付けて文字を書き始めた。
「ストレートに書くならこういう感じかな?」
佐藤先輩は手馴れた手つきでスラスラと書いていく。
「まずはこれを目標かな?」
綺麗な『絆』が完成していた。
「凄い……」
「こんなのは初歩の初歩よ。だからすぐにできるようになるわ」
佐藤先輩はそう言うと私の手を持った。
「これをこうしてこうやって、ここで力を入れてね」
佐藤先輩が書き方を先導してくれた。私はされるがまま書いた。
「はい出来上がり。この感じで書くといいよ」
手に佐藤先輩の教えてくれた感覚が残った。私はそれを忘れないように同じように筆を持って書き始めた。
何枚書いたかな?
私は辺りを見た。そこには大量の絆が転がっていた。持って来た用紙もほとんど使い切ってしまった。
「あれ? いつの間にこんなに?」
無意識だった。私は無意識に大量に書いていた。
「アヤメちゃーん!」
持田先輩が後ろから抱きついてきた。
「持田先輩?」
「アヤメちゃん。キサラギ先輩って呼んで」
先輩は不貞腐れたようにそう言うと私の頬に頬ずりをした。
「せっ先輩!」
「焦った顔も可愛いなー」
なんだろう……このスキンシップは慣れない。というか初めてされた。
「いいんですか? 今他の人達の採点中じゃ?」
「終わったよー。今は自由時間だよ。ずっと集中して書いてるんだもの話しかけづらかったよ」
え? 自由時間? 私は周りを見た。みんな先輩達と話していた。
「ええと、これが自信作かな?」
持田先輩は私が最後に書いた絆を手にとって見た。
「ふむふむ。これはまた……」
何か感じ取った様子で私を見た。
「アヤメちゃんって結構純情なんだね」
先輩はクスッと笑ってそう言った。
「え? ええ? 純情?」
私は訳が分からず持田先輩を見つめた。
「わかるよ。この真っ直ぐな書き方を見れば。それもなかなかな真っ直ぐ具合」
文字だけでわかるのかな? そう思うと文字ってすごいんだな。
「ちなみに私が書いた絆はこれね」
先輩が一枚の用紙を私に見せた。そこには柔らかい書き方の絆があった。
「どう? ってわからないよね。何か感じ取れたらアヤメちゃんは凄いよ」
確かに私には持田先輩達みたいに文字から何か感じ取るって言うのは難しい。でも感じるものはあった。
「持田先輩ってなんていうかあれですね」
「ん?」
私は見た瞬間に感じた言葉をそのまま出した。
「皆の前ではあんな風に振舞ってますけど実は真面目なんですね」
「え?」
持田先輩は意表を突かれた様な顔をした。
「この文字を見てて思うんです。物凄く柔らかい書き方なのに絆って形をしっかり見せつける……そんな感じがするんです。ええと……やっぱり私にはまだ早いですよね」
私は小さく笑いながら持田先輩を見た。
「……アヤメちゃん」
持田先輩が少し戸惑った顔をしながら
「わかるの?」
私は持田先輩の言葉に固まった。え? 合ってるの?
「え?」
「直感でそう感じたの?」
持田先輩は私から離れて立ち上がると佐藤先輩の下に近づいていった。
あれ? なんだろう? 私何か変な事を言ったのかな?
二人が私の所に来た。なんだろう。心臓がバクバクしてて息が詰まる。
「江宮さん……江宮さんって書道の経験あるの?」
佐藤先輩が不思議そうな顔で私に聞いた。
「いえ、中学校の授業で習った程度です」
「ふむ……江宮さん。うちに本入部しない?」
佐藤先輩は笑顔でそう言った。
「え?」
「アヤメちゃんは書道の才能あるよ。だって私が書いた文字から私の本質を見抜くんだもの」
持田先輩も驚きを隠せない顔でそう言った。
「いや、あの……」
どうしよう……私まだ心の準備が……。
「すいません」
不意に部室のドアが開いた。トオル? っと思って私はドアを見た。
「誰?」
知らない人だった。書道部の先輩かな?
「あいつ……」
持田先輩の顔色が変わった。
「持田いますか? ちょっと用事があるんですが」
その人は持田先輩を見つけると手を振った。
「持田。先生からお前にってプリントをもらったんだけど」
持田先輩の知り合いの人かな?
「そんな事? わざわざ部室に来なくてもいいんじゃないの?」
あれ? 持田先輩?
「あの……」
私が持田先輩に話しかけようとした時佐藤先輩が小さくシーッと指を口に当てた。
「ん? まぁそうだけど。放課後だと忘れそうだったからさ」
「どうせ最後まで部室で将棋盤と睨めっこしてるんでしょ?」
なんだろう? さっきから持田先輩の刺々しい話し方は?
「ハハハ、何も考えてないんだけどな」
かなりきつく当たられているのに相手の人は平然と会話してる。慣れてるのかな?
「あの……あの人は?」
「ええと……」
佐藤先輩は持田先輩を背にこっそり私に教えてくれた。
「あの人は徳治 ケンヤ。キサラギの幼馴染だよ」
幼馴染……。昔からの付き合いなのに言葉がきついような……。
「ほんと、あんたって昔からどんくさいんだから」
「よく言われるな。特に持田には」
持田先輩は徳治先輩に近寄ると
「全くあなたと喋ってるとおかしくなりそうだわ」
そう言うと持田先輩は部室を出て行った。
「んー……」
少し難しそうな顔をして徳治先輩は「すいません」と頭を下げて部屋を出て行った。
「いいんですか?」
私は佐藤先輩に聞いた。いくらなんでも幼馴染にきつすぎるって思ったから。
「いいのよ。キサラギが素直じゃないだけなんだから」
「え?」
それってどういう?
「キサラギは自覚してないけど徳治の事好きなのよ。だから、いつもきつく当たるの。徳治も慣れちゃって何も言わない。すれ違ってばっかりなのよ」
まさか……。
「あのすいません。ちょっと行ってきます」
私は佐藤先輩に頭を下げて部室を後にした。チラって後ろを見たら佐藤先輩は手を振っていた。
「私の予想が正しければ……」
「あの!」
私はある人を追いかけていた。私の直感が正しいのか確かめるために……
「ん?」
その人はゆっくり振り返った。大きい……。
「君は……ああ、書道部の人かな? さっき持田の隣にいた気がする」
以外と見られてるものだなーって感心してる場合じゃない。
「あの徳治先輩!」
私は徳治先輩を真っ直ぐ見つめた。
「……なるほど」
何かを察したかの様に徳治先輩は私に
「持田との事か?」
そう返してきた。
「はい」
私はそのまま返した。
「驚いたろ? 他の人と俺との差を」
なんだろう?なんでもわかっているような感じだけど……
「昔からあいつはああなんだよな。俺があんまりにもだらしないからイラついちゃうんだよなー」
「え?」
昔から?
「あいつは俺にさ……呆れてるんだよな」
ん?
「いやー、思い当たる節が多すぎて困るんだよなー。小学の時なんてひどかったもんだからさ」
あれ?
「俺が牛乳瓶運ぶのが遅いって俺の分まで持って行かれたことあったな。『ほんとケンヤって何してもトロ臭いんだから!』ってさ」
徳治先輩は笑いながらそういうと頭を掻いた。
「ほんともう少しマシになりたいって思ってるんだけどさなかなかできなくてさ」
まさか、徳治先輩も鈍感?
「あの徳治先輩」
「ん?」
「持田先輩の事はなんて思っているんですか?」
素直に聞いてみた。
「何って……それはー……」
徳治先輩は少し考えて
「なんだろうな。よくわからないな。ただまぁ、あいつはあいつの道を進んでるわけだしそれでいいんじゃないかな?」
あーこれはイライラする。全然気づいてない……ってこれってトオル以上かもしれない。何年もこんな感じだったらそうなっちゃうよね。
そんな事を考えてると徳治先輩は少し遠い目をして
「なんだかんだで認められたいのかもな。あいつはずっと俺の事見てくれてたから」
「え? それって……」
私は少し戸惑った。この人は持田先輩の事を気づいているのかどうかわからなくなった。
「まぁいいんだよ。俺のことはさ。そうだ。これ持田に渡しといてくれ。俺じゃ受け取ってくれなかったからさ」
徳治先輩は私にプリントを手渡した。
でも、私はこれを受け取ることができなかった。だって二人共好き合ってるから。
「これは受け取れません」
「……、そか、なら仕方ないな。持田が部室に来るの待つか」
徳治先輩はそういうと部室に戻っていった。そう言えば徳治先輩って何部なんだろう?
私は部室に戻った。皆は黒板を見ていた。佐藤先輩が何か説明してる。なんだろう?
「あ、江宮さんお帰りなさい。今新入生歓迎会の話をしてたところ。座って」
佐藤先輩に言われるがまま私は席に付いた。
「と言う訳で歓迎会では皆に自分のこれぞっと言う漢字を書いて欲しいの。なんでもいいわ。思い浮かんだ文字ならなんでも」
「なんでもいいんですか?」
一番前に座っていた人が手を上げて聞いた。
「ええ、なんでもいいわよ。ただし、自分の個性を最大限に生かして書いてね。適当に書くのは絶対ダメいいわね? あくまで作品なんだから。どこに出しても恥ずかしくない作品にしてね」
どこに出しても恥ずかしくない作品……。
「……なら私は魂にしよう」
さっき質問した生徒がそう言った。
「なら俺は唯我独尊」
「なら私は天下」
皆盛り上がり始めた。やっぱりこの学園は凄い。どの部もその分野に対する情熱が凄い。
「皆それぞれ決まったようね。ならその文字を形にしましょう。皆書き始めて」
皆作業に入った。どうしよう……私も何か考えないと……。
「ごめーん。戻ったよ!」
持田先輩が勢いよく扉を開けて部室に入ってきた。さっきの苛立ちはすっかり治ったようだ。いつもの笑顔だ。
「ん? ああ、みんな歓迎会の文字決めたんだね」
持田先輩は皆を見てそう言った。
「それなら皆頑張れ! 私も応援してるよ!」
「はいはい、わかったからキサラギも作業する。展示するのは新入生だけじゃないんだから」
佐藤先輩は大きな筆を持田先輩に手渡した。
「え? またこれで書くの?」
「仕方ないでしょ? 先生達が『持田はこの部のエースなんだから普通の作品は認めん』って言ってるんだから」
へぇー……持田先輩も大変だな……。あの筆の大きさ……振り回すのにはかなり力がいると思うんだけど。
「私もたまには可愛い文字が書きたいー」
「はいはい、歓迎会終わったらね。大丈夫、今回は私も書くから」
佐藤先輩は持田先輩に渡した筆と同じサイズの筆を持った。
「マヤもって使えたっけ?」
「あなたがいない所で練習してたのよ?」
そう言うと筆を持ち上げて墨につけた。そう言えば部室の端に置いてあった硯。かなり大きかったけどそれ用だったんだ。
「さてと」
佐藤先輩は筆を大きく動かしながら用紙に文字を書き始めた。部員勧誘の時に見た持田先輩の書き方は踊るように書いてたのに対して佐藤先輩は大振りで大胆な書き方だった。でもその振り方に対して文字は女性ぽい可愛らしい形になっていた。
「へぇーやればできるじゃん」
持田先輩は感心したように作品を眺めると
「でもやっぱりこれくらいしないとね!」
筆を持ち上げると墨をつけた。そして、筆を紙に落とした。
「てりゃーー!」
筆と足を使って踊るように書き始めた。
「よし」
持田先輩は書き終えた文字を見ながら
「これくらいしないとね」
「むー……相変わらず良い文字を書くわね……」
この二人の文字を見てて思うこと……それは、なんて書いてあるかわからないということ。
「一体この字はなんて書いてあるんだろう?」
私は小さく呟いた。
「ん? アヤメちゃん何か言った?」
持田先輩が私の顔を覗き込んでそう言うと
「あ、なんて書いてあるかわからないとかかな?」
見事に言い当てられた。内心驚きを隠せなかったけどやっぱり初心者だからわかっちゃうのかな?
「マヤが書いたのは『精神』で私が書いたのは『勝負』。かなり崩して書いてるからわからないよね。まぁ、アヤメちゃんもすぐにこういう字が書けるようになれるよ。私が保証するよ」
持田先輩は私に抱きつきながらそう言った。
「せっ先輩!」
んー……、まだ慣れないな。こういうスキンシップ。
「あ、もうこんな時間だね」
持田先輩は時計を見た。
「え? あ、ホントですね七時過ぎてますね」
時刻は午後七時を過ぎていた。
「それじゃ私は帰るねー」
持田先輩はカバンを持つと部室を出て行った。
「……はぁー、全く。みんな片付けてから帰ってね」
佐藤先輩は皆にそう言うと持田先輩の使っていた物も片付け始めた。
私は自分の道具を片付けながら佐藤先輩に話しかけた。
「あの、なんで先輩が持田先輩の分を片付けてるんですか? 持田先輩を呼び戻してさせればいいんじゃないですか?」
あの帰り方少し急いでいるようにも見えたけど
「ん? ああ、キサラギは今日は結構集中してたからね。時間忘れてたのよ」
時間を忘れる? それと急いで出て行くとどういう関係が?
「一人を人を待たしてるのよ。だから早く行きたかったんでしょう。時々あるのよね」
待たしてる? 友達か誰かかな?
「お友達の方をですか?」
私は不思議に思って聞いた。すると、佐藤先輩はクスッと笑って
「というよりは旦那さんかな?」
「だっだムグッ!」
私は佐藤先輩に口を抑えられた。
「内緒だよ? キサラギは認めたがらないからさ」
え? 認めたがらない? ……まさか。
私は校舎の中を一人歩いていた。いつもの日課になっている事とはいえ少し面倒だ。
「どうせ今日も……」
私は目を閉じた。すると線の世界が視界に広がる。線の世界では壁などはなく全てが透けて見える。
「あーやっぱり」
私がここに来た理由。それは
「はぁー……」
私はある部室を開けた。
部室には一人の男が寝ていた。
「とく……」
私は声をかけようとしたけどかけるのを辞めた。
「すぅー……すぅー……」
徳治が気持ちよさそうに寝ていたから……
「全く、私が迎えに来ないとこのまま朝まで寝てそうね」
私は小さくそう言うと徳治の前の席に座った。徳治の近くの机にはさっきまで使っていたのであろう将棋盤と駒が置いてあった。
しかし……幸せそうに寝てるわね。つつこうかしら?
「…………」
眺めてるとなんだか胸の中で何かが締め付けられる感じがする。
「ん……」
徳治がピクッと動いた。私は驚いて席から立ち上がった。
「ん? んー……あ、すまん。寝てたみたいだな」
徳治は大きな欠伸をすると私に「おはよう」っと言った。
「あんたねえ、わざわざ来てあげたのに寝てるってどういうつもりよ!」
少しだけ残念な気がした。もう少し眺めていたいそんな気がしていた。
「すまんすまん。少し待ってくれ。今片付け……あ!」
徳治は床に将棋の駒を落とした。
「もう……。帰るのが遅くなるじゃない」
私は転がっている駒を拾いながらそう言った。
「悪いな。持田」
徳治は笑顔を私に向けた。その瞬間、顔が熱くなった。私はプイッと顔をそらした。
「ん? 持田? ……あれ? そう言えば髪と服変わったか?」
え?
「髪少し短くなったのかな? 後、その服。色が前に着てたのと変わってるから」
気づいた? 髪形変えたのと学校の紋章入りの和服を新調したのを
「気のせいだったらすまん!」
徳治は私がポカーンとしているのを別の意味に感じたみたい。慌てて訂正してる。
「クスッ、別に怒ってないわよ」
私はそう言うと最後の一駒を拾い上げた。
「ほら行くわよ。それとももう少しここにいる? 私は帰るけど」
私は徳治に背を向けて部室を出た。
嬉しかった。冷たく接しているのに一緒にいてくれる徳治の存在が……私の事をしっかり見ていてくれる事が。
「あ、待って!」
徳治が追いかけてくる。私は黙って歩いた。
「全く……仕方ないな」
私は立ち止まった。そして、後ろを振り返った。
「ほんと、徳治は私がいないとダメね。こんなダメ男と付き合う女の子の気がしれないわ」
そう言うと前を向き直した。ほんと私がいないとダメね。いいわ、私が結婚するか徳治が結婚するか……どっちが早いかわからないけど、それまで一緒にいてあげるわ。
「ダメか……まぁそのうち認めさせるさ。まだまだ人生は長いんだから」
「そんなの待ってたらヨボヨボのおばあちゃんになってそうね」
私はクスリと笑ってそう言った。ほんと、いつになったら徳治が一人前になれるのかしら?
「おばあちゃんか……まぁそうなるかもな。なんせ俺だし」
気ままな性格で人の事をよく見る徳治。昔から変わらないな……変わったのは私。少しだけ徳治が羨ましい。
「徳治……その」
何も考えず名前を呼んでしまった。どうしよう? 何も考えてない。
「ん? どうした?」
徳治が私の顔を覗き込む。どうしよう……何か何か……。
「……そう言えば、バイト代入ったんでしょ?」
私は苦し紛れにそう言った。バイト代が入ったかどうかは適当だった。
「え? ああ、昨日入ったけど」
あ、良かった。当たってた。
「それなら映画奢りなさいよ。最近見てなかったし」
あれ? 私何言ってるんだろう?
「え? 俺の奢り? ……んー、わかったよ。なんの映画を見に行きたいんだ?」
私は思いがけない返答に戸惑った。いや、徳治ならこう返してくるのはわかっていた。でもどうしよう? 何か何か……。
「ええーと」
「あ! そうだ。持田」
徳治は私の前に回り込むと
「ナイアスの城を見に行かないか? 最近、流行りのあれ。まぁ持田には似合わないファンタジー物だけどさ」
そう言った。ナイアスの城……あんまり興味ないけど、でもこれといって何も決めてないしな……。
「いいわ、奢ってもらうんだもの。その代わり見終わったらパフェ奢りなさい。それと服とか……」
あれ? これってデート? ないない。私と徳治がデートなんてありえない。
「パフェならいいけど服は……流石に給料が持たないよ」
徳治は少し困った顔をした。まぁ服は冗談だったんだけど。
「まぁどこでも付き合うよ。で、いつにする?」
「今度の日曜日。朝の九時に校門前で」
九時はいくらなんでも早すぎたかな?
「わかった。日曜日ね」
私は少しだけ徳治に近づいた。
「遅れたら承知しないから。わかった?」
「わかったよ」
どうして徳治はこんな私に付き合うのだろう? みんなに好かれるように振舞ってる私に……。
「……ッ」
昔の私を思い出した。この能力のせいで皆から見放されて一人ぼっちの毎日。それでも私の傍に居てくれた。
「ん?」
少し難しい顔してたかな?
「なんでもない。ほら行くわよ」
私は少し急ぎ足で歩いた。少しだけ徳治の笑顔で顔がにやけていたのが自分でもわかったから。
私は、クラブが終わってから食事を取って着替えて男子寮の前に来た。
「遅いなー。今日は来ないのかな?」
今日は遅かった。いつもならもう来ててもおかしくないのに。
「あれ? ごめん遅れたね」
不意に後ろから声が聞こえた。
「あれ? トオル、今帰り?」
下校時間はとっくに過ぎていた。
「うん、ちょっと資料を整理してたらこんな時間になっちゃった。少し待ってて。俺も着替えてくるよ」
「御飯は?」
この時間まで整理? そう考えたら食事とってないよね?
「そう言えばお腹ペコペコだな。どうしようかな?」
少し迷ってる……よし。
「私が何か作ろうか?」
私はさりげなく言ってみた。食堂はもう閉まってるし、一応、寮の中に調理場があるからそこで何か作ることができた。ここの寮はアパートの様な作りになっていて自由に生活ができる。
「え? アヤメが?」
かなり驚いた顔でそう言われると傷つくなー。
「これでも料理はできるのよ? お母さんほどうまくできないけど」
「気持ちは嬉しいけど食材ないよ?」
食材か……。
「それなら私の部屋にあるのを持ってくるよ。同室の子が少し買い込んでたし」
ユイが先日食材を買って帰ってきたのを思い出した。
「……んー」
かなり悩んでる……。
「いいのいいの、ほらここで待ってて」
私はトオルを置いて女子寮に戻った。
「ただいま」
私は自室のドアを開けた。
「あれ? 今日は早いね。相手の人疲れてたの?」
ユイは少し驚いた顔をしていた。確かに昨日はなんだかんだで一時間くらい走ってたもんね。
「ううん、向こう食事とってなかったから作ってあげようと思って。食材もらってもいい? お金払うから」
私がそう言うと冷蔵庫の中を見た。お肉や野菜が結構入っていた。
背中に重量が乗った感触がした。
ユイが私の背中に乗っていた。
「なんですか? アヤメさん彼に手料理ですか? ポイント高いですよー?」
「ポイントって、別にトオルがお腹ペコペコって言うから作るだけでそんなの考えてないよ」
そう、お腹を空かせてるから折角だからってだけで点数稼ぎとかそんなの考えてない。
「へぇー、トオル君って言うんだー。同級生? 何組?」
うわぁ、変なスイッチ入ちゃった。どうしよう?
「ええと……、同じクラスの……」
誤魔化してもどうせばれると思ったから素直に言った。
「え? トオル君って加山君のこと?」
なんで驚いてるんだろう? ユイも同じクラスだから知ってると思うんだけど。
「なかなかレベル高い人に恋してるんだね」
え? レベルが高い?
「知らない? 彼結構人気よ。ほら、皆に優しいから狙ってる女子多いんだよ?」
確かにトオルの周りって色々な人がいるな。トオルは勉強できるし、優しいし……。
「そっそうなんだ。ふーん」
少しだけ心が痛い。
「……。それで、トオル君の好きな料理とか知らないの? ほら、一番近いところにいるんだからアヤメに分があるし」
「ええと……知らない……」
「あちゃー、仕方ない。これとこれ……それにこれ」
ユイは私にお肉と野菜。そして、御飯をタップに入れてくれた。
「後これ。多分もってなさそうだし」
そう言うと油などの調味料の入ったカバンを手渡してくれた。
「あんまり時間かけちゃったらトオル君餓死しちゃうかもしれないから今日は簡単なもので。でもいい? 好きな物は何か聞くこと! 後はお弁当作ってあげたら?」
お弁当? それって……。
「お弁当……って」
「愛妻弁当でポイントを稼がないと誰かに取られちゃうよ?」
お弁当……。
「ほら、わかったら早く行く!」
私は、食材を渡されて部屋から追い出された。
「唐揚げとサラダにしようかな? 渡された食材的に……」
唐揚げ粉も入ってるし。……そうか、ライバル多いのかー。
私は考え事をしながら一人歩いていた。
「あ、お帰り」
好きな物を聞く……そして、お弁当を作る……。
「アヤメ?」
でも、お弁当なんてどこで渡そう? 流石に皆が見てる前では無理だし。
「おーい」
でも、渡すの恥ずかしいな……どういって渡そう?
「アヤメ!」
私は肩を掴まれ我に返った。
「え?」
「大丈夫?」
あれ? トオル?
「え? あ、ごめんボーッとしてた」
私は慌てて謝った。
「ゴメン、すぐ御飯作るね」
私は男子寮に入った。
「え? 待ってよ!」
トオルは私の後ろでそう言うと私の前に出た。
「俺の部屋の場所わからないだろ」
あ、そう言えば私トオルの部屋知らない。
「こっち」
私は案内されるまま男子の巣窟。男子寮の中を歩いた。別段女子が男子寮に入るのは珍しくないらしいせいか。道中男子とあったけど驚かなかった。
「ここ」
角部屋に案内された。
へぇー、こんな角の部屋なんだ。入口からかなり遠いんだな……。
私はそう思いつつ部屋を眺めていた。そう言えばトオルと一緒の寮生ってどんな人なんだろう? 良い人かな?
「どうぞ」
トオルは鍵を開けてそう言った。俗にいうレディーファーストってやつかな?
「……うん」
私は部屋に入って驚いた。
何もない……。男子の部屋って感じがしなかった。それよりなにより……。
「あれ? 相部屋の人は?」
ベッドや机に誰かがいる感じがなかった。そう、机にもベッドにも何も置かれていなかった。あるのはトオルの私物だけだった。
あれ? ここって二人ひと組で部屋が割り当てられるはず? どうして?
私はよく分からずトオルを見た。そのトオルと言うのは自分の机の周りを片付けていた。机の上にはノートや何かの資料のファイルが大量に散らばっていた。
「ごめんね。ちょっと昨日は資料整理の追われてて片付いてないんだ」
そうなんだ。それで散らかってるんだ。
私は周りを見た。でも散らかっているのは机だけでベッドには何もないし他の所も何も置いてなかった。生活感ないなーって思いながら私は調理場に食材とかを置いた。
「冷蔵庫見てもいい?」
私は調理場の横に置いてある小さな冷蔵庫を指差して聞いた。
するとトオルは「ふむ」という顔をして
「いいけど、何もないよ?」
「そうなの?」
そうだよねーっと思いながら私は冷蔵庫の中を開けた。
トオルの言葉通り冷蔵庫には何もなかった。あったのは珈琲と栄養剤は数本だけだった。
「……ねぇトオル」
私はトオルに聞いた。気になったとかそういうことじゃなくてとても大事な事だから。
「何?」
「これでどうやって生活してるの?」
どう考えてもこれじゃあ生活できない。というかお菓子やジュースもないってどうなの?
「どうって……それは、学食とか?」
「お菓子は食べないの?」
「んー特に欲しくないからなー。それに一人しかいないからさ」
そう言うとさみしそうな顔をしたような気がした。
「なんで一人なの?」
少し気になって聞いてみた。
「なんで……か……」
トオルは少しだけ考えて
「最初は二人部屋だったんだけどさ。入学式前にその人引越しらしくて入学出来なかったらしい」
そうだったのか。だからひとり部屋なんだ。……そうなんだ。
「一人で寂しいならまた来ようか?」
まぁなんとなく……なんとなく思っただけ。そう自分に言い聞かせた。
「また……そうだな。また何か料理作ってもらおうかな?」
そうクスリと笑うと私の横に立った。
「今日は何を作るの?」
トオルが私の手元を見ながらそう言った。
「ええと……唐揚げとか作ろうかな?って。嫌いかな?」
「唐揚げかー。うん大好きだよ」
笑顔でそう言うもんだから顔が熱くなった。どうしよう……顔が見れない。
「ん?」
急に顔を逸らした事が気になったのかトオルが私を見てる……どうしよう……どうしよう。
「なんでもないよ。ほら、調理するから離れておいて。危ないし」
トオルを遠ざけた。このままじゃ調理どころじゃない。
「そうだね。それじゃあここで見てる」
そう言うと自分の椅子に座って私を見始めた。
やりにくいな……心臓がドキドキしててうまく切れない。でもここで指なんて切ったらトオルが心配するし何より恥ずかしい。料理するって言いながら怪我するとか……。
「少し待ってね」
心臓が今に割れてしまいそうなくらい鼓動してるせいか声が少し変になってしまった。なんだか新婚さんみたいだな。こうやってるのって……。
私は自分の姿を見た。走るつもりだったから着ているのはジャージ。こういう時もっと可愛い服だったら良かったのにな……。
「「…………」」
少しの間二人の間に沈黙が流れた。
「できた」
私は唐揚げと野菜多めのサラダを作ってお皿に盛った。ご飯もチンしてあっためたものを茶碗に盛った。何もない部屋だけど器はだけはちゃんとあって良かった。多分ご両親が用意したんだろうなー。
「ドレッシングは何がいい? 私のオススメはこの和風ドレッシングなんだけど」
私は持って来た和風ドレッシングを見せた。これは酸っぱいんだけどほのかに甘くてとっても美味しいんだよね。これに関してはユイも美味しいって言ってくれてるから自信はある。
「そうなの? それじゃあ、これもらおうかな」
そう言うとドレッシングをサラダにかけた。よく見るとトマトは避けてかけてる。
「トマトにはかけないの?」
「うん、トマトにドレッシングをかけて食べるのって何か苦手でさ」
あー苦手なのか……覚えておかなきゃ。
「それじゃあ、いただきます」
トオルはそう言うと食べ始めた。最初に唐揚げから……どうかな? 美味しいかな? うまく作れたと思うんだけど。ドキドキしながら私はトオルの反応をみていた。
「うん、美味しい。アヤメって意外と料理上手なんだね」
「意外って何よ!」
私は頬を膨らませてトオルを見た。クスクスと笑ってる……。
「ゴメンゴメン。アヤメって体育会系な性格だからさ。食べる派かな? って思ってた」
まぁ、確かに私は動くの好きだしはしゃぐのも好きだし……。
「意外な一面っていいよね」
トオルはクスリと笑いながらサラダを口に運んだ。「美味しい」っと言うと私を見た。その時の笑顔に胸がときめいた。少しムカっとしたのを忘れてしまいそう。
「そっそうかな?」
「うん」
ドキドキが凄い……変な汗をかいてる……どうしよう……。
「なんていうのかな? アヤメのこういう姿を見てると女の子だなーってさ思うんだよね」
「女の子みたいってなによ」
時々、トオルはこういうことを言うから困る。もう少し気を使った一言が欲しいな……。
「なんて言うか可愛いじゃないか。そういう一面って」
無神経だけどこういう時の一言はずるい。思わず赤くなっちゃう。トオルも恥ずかしい台詞を言ったせいか少し照れてる。
「何それ」
私は思わず吹き出してしまった。私もトオルの意外な一面を見たいな。
三限目 缶