演劇部
アルソン学園 一限目
演劇部
「はーい、皆さん発声練習から始めますよー」
「あー……」
私は今演劇部の部室にいる。そして、演劇の手始めとして発声練習をしている。気合入れなきゃ!
「おーーー!」
私は全力で声を張り上げた。
「江宮さん。元気なのはいいけどあんまり叫ばないでね」
野沢先輩に怒られてしまった。
周りのみんなも私の雄叫びに驚いてこっちを見ている。あちゃー……またやちゃった。
「すっすいません」
私は慌てて頭を下げた。
「クスクス」
立花先輩がこっちを見ながら笑ってる。
「江宮だっけか?」
立花先輩がこっちに近づいてくる。何んだろう?
「おまえ面白いな。今年の新入生は面白い奴がいるな」
立花先輩は私たち数人を見つめた。目線は私と冬樹君と真木さんを見ていた。
「まぁ面白いけど演技の方はどうかな?」
立花先輩は近くの椅子に座ると
「野沢。発声練習もそこそこにして演技させてみようぜ」
「もう、立花これも大事な練習なんだから邪魔しないでよ」
野沢先輩は少し呆れてそう言うと
「まぁいいわ。それじゃあ……演技を見せてもらおうかしら。そうねー……それじゃあ早速元気のいい江宮さん。あなたから行ってもらおうかしら」
野沢先輩に台本を手渡された。
「ここのセリフなんだけど読んでみて」
野沢先輩はとあるページの一文をを指差した。
「ええと『私はあなたの剣、どんな壁も貫いてみせます』」
これはなんのお話なんだろう? 私はそっちの方に興味が出た。
「大丈夫?」
野沢先輩に声をかけられて思わず
「ひゃい!」
変な声が出てしまった。
「緊張しなくてもいいわよ」
野沢先輩がクスクス笑ってる。うぅー恥ずかしい。
「江宮しっかりしろよ」
立花先輩は笑いを堪えた顔で私にそう言った。
でも頑張らなくちゃ。
「ええと、この一文を読むんですよね?」
話の内容は後で確認しよう。物凄く気になるけど。
「ええ、そうよ。ただ読むだけじゃなくて動作も入れて感情的に言ってね」
感情的……ええと、どうやれば……どうやれば……。
「おや? アヤメじゃないか。今日は演劇部にお邪魔してるのか」
私は演劇部部室前の扉に新聞部の先輩達と一緒に入ってくるトオルを見た。
「え? トオル?」
「あら? 新聞部の皆さん。今日はここの取材?」
野沢先輩が新聞部の一人に話しかけた。
「そうそう、今日は新入生達の写真を撮ろうと思ってね」
あの先輩なんて名前だったかな? 忘れちゃったけどトオルに資料の整理をよく頼む人だ。
「そう、なら少し待ってくれる? 今から演技練習に入るから」
野沢先輩は苦笑いをしながらそう言うと新聞部に写真を撮るのを控えるよう伝えた。
「あ、そうなのか? なら少しの間待たせてもらおう。お前らも黙ってろよ」
新聞部の先輩は他の新聞部部員にそう言うと黙ってそこに立った。
「ごめんね。江宮さん気になると思うけど彼ら取材を始めると長くなっちゃうからこのままでお願いね」
このまま? 大勢の前でこのセリフを? おまけにトオルもいる中で?
「はっはい」
どうしよう。心臓が張り裂けそう……でもこれをしないと……なんでこのタイミングでトオル達が来るのよー。
私は大きく深呼吸をして頬を叩いた。
「気合入ったみたいね。江宮さんそれではお願いします」
先輩は私の背中を軽く叩いてそう言った。
「……私はあなたの剣、どんな壁も貫いて見せましゅ」
あ……
「途中までは良かったわ。緊張は慣れていけばなんとかなるわよ」
クスクスと笑いながら野沢先輩はそう言うと私の肩を軽く叩いた。
「……」
立花先輩は黙って私を見ていた。
「最後は惜しかったな。でも磨けば……ふむ、おし野沢。こいつ今度の新入生歓迎会の劇に出すぞ」
私は思いがけない言葉に硬直した。
「え? いや、待ってよ。いきなりそんな事決めないでよ」
「いいじゃん。どうせ、新入生を参加させなきゃだめなんだし。それに俺が行けるって言うんだ。間違いないだろ?」
立花先輩は私に近づきながらそう言うと
「いきなり主人公クラスの配役はきついから……おし、ヒロインの親友キャラで行こうか」
え? 親友?
「立花、それ結構セリフ多いんだけど」
「意外と面白い劇になると思うぞ? 後のメンツは……おし、全員やっぞ」
私がヒロインの親友……。
「そうだな。早くしてもらえるか? 俺たちも次あるからな」
あ、新聞部の皆さんを忘れてた。いきなり色々ありすぎると忘れちゃうね。
「クスクス……」
トオルが小さく笑っているのが見えた。
しまったー、さっきの演技トオルに見られてたんだ……。ちょっと凹む……。
「んじゃ始めるぞー」
あれから三十分
「ふむふむ、なるほど」
立花先輩みんなを見ながら野沢先輩と話し始めた。
「いいの? この配役で……みんな初心者なのよ?」
「いけるいける。だってこいつらはいい原石だと思うからな」
「立花がそう言うなら……」
二人がこっちを見た。そして
「配役が決まった。主役級のセリフのある役は俺ら二年がするから一年はサブの役を演じてもらう」
私はサブじゃないよー。結構大事なポジション……。
「ただし、今回は大事な役を三人には演じてもらう。さっき言ってた通り江宮は主人公の親友、冬樹は主人公の執事。真木は敵国の王女様だ」
よかった。私だけが大事な役じゃないのか。
「それじゃあ配役表配るからそれぞれ頑張って演じてくれな。解散!」
「解散のついでに新入生の皆さん一箇所に集まってください」
トオルはそう言うと私達を一箇所に集まるよう指示を出した。私達は指示に従って集まると新聞部の一人がカメラを私達に向けた。
「はい、チーズ」
どうやら新聞部は新入生の集合写真を取りに来たみたいで撮ると先輩達に話を始めた。私達は写真を撮られた後その場で解散の流れとなった。
「アヤメ。おめでとう」
トオルはニヤけた顔で私の方に来た。
「まさかの最後で噛むとは思っていなかったよ。でもよかったじゃないか。結構いい配役もらって……それもあの立花先輩にさ」
最後の部分は小さな声で言った。
「できるかな? 正直、緊張しすぎて頭が真っ白になっちゃった」
心臓の鼓動が速まる。どうしよう。やっぱり断ろうかな?
「いけるさ。だってアヤメだからさ」
トオルはそう言うと私の肩を軽く叩いた。
「なんでそう思うのよ」
「んー……、勘かな? 後は」
トオルは私の手を取ると
「期待しているんだよ。アヤメには」
そう言った。
その瞬間、私の心臓が跳ね上がった。トオルの一言に顔が熱くなった。
「おっと、先輩達取材終わったみたい。戻るね」
トオルは新聞部の部員の人達と一緒に演劇部の部室を出て行った。
「……」
頑張ろうって思えた。「期待している」ただその一言なのに私の心は定まった。
「ん? 江宮さん大丈夫?」
野沢先輩が心配そうな顔で私を見た。
「先輩」
「はい」
「私頑張ります。この役……演じきってみせます!」
野沢先輩の手を強く握って私はそう言うと台本を手に持った。
うわぁ……。セリフかなり多いな……。それにこれ動きも入れなきゃダメなんだよね。……うん、頑張る。やる気はある。足りないのは勇気だけ!
「うん、そのいきよ。江宮さん」
「はい!」
「江宮さんなかなかいい感じの子ね」
野沢が俺に話しかけてきた。
「当たり前だろ? 俺の選んだ人材だからな」
俺は野沢の声でそう言うと一歩後ろに下がった。
「勝手に声を真似るな!」
さっきまで俺がいた場所に野沢の正拳突きが飛んできた。こいつとの付き合いは一年だけどこの演劇部の中では一番仲がいい。だからこいつの次の行動がわかる。
「少しおちょくっただけで正拳突きとはひどいな」
今度は江宮の声でそう言った。
「全く、立花に付き合ってたらストレスが溜まるわ」
眉間にシワを寄せてそう言うと椅子に座った。
「いつもどおりだろ? それに付き合うお前が悪い」
クスクスと笑いながらそう言うと野沢の向かいの席に座った。
「ほんとにね」
「さてと……楽しみだな新生演劇部」
俺は劇の練習を始めている後輩たちを見た。みんな目を輝かせて自分の配役を演じている。そう、昔の俺たちみたいに。
「ええ。三年の先輩達はもう居なくなるものね。これからは私たちが引っ張って行かないと」
この学校の三年が退部するのは早い。新入生が入ってきて歓迎会を終えれば退部してしまう。これからは俺たち二年が引っ張って行かないといけない。だから……
「俺達も練習するか」
「そうね。よろしくお願いしますねヒロイン様」
新生演劇部。俺達の物語はここから始まる。
「って、またヒロインかよ!」
「当たり前でしょ」
私は一生懸命セリフを覚えようと台本を眺めた。
「江宮さん」
私は不意に名前を呼ばれてキョトンとした顔で声のした方向を見た。
「どうかした? 真木さん」
声のした所を見るとそこには王女様役を演じる真木 ミナさんがいた。
「大したことじゃないんだけど、立花先輩に最初に興味を持たれるとか何者なの?」
真剣な眼差しで私を見ながらそう言った。
周囲もその言葉に私を見た。
気になってたのはわかってた。最初の発声練習で立花先輩に声をかけられるなんて私も思っていなかったから。先輩はクラブ勧誘の時会った事を絶対覚えていない。
「そっそれは……」
私にはわからない。なんで先輩が私に興味を示したのかを。
「おかしい……絶対何かある。だってセリフを噛む所を見せてセリフの多い配役はおかしい」
みんなの視線が私を刺す。
「ええと……」
どうしよう……。
私はその場で立ち止まって止まっていると後ろに誰かの気配を感じた。
トオル?
「こらー、後輩達。くだらない事を言ってないで練習を再開しろ」
後ろに立っていたのは立花先輩だった。
「だって、セリフ間違えたのにこの配役は可笑しいです。みんなの方がいい演技だったのに」
やっぱり私じゃおかしいのかな……。
「ふーん。お前らはそう思うのは仕方のないことかもしれない。本番でセリフを噛んだり間違えたりするとかそんなのはあってはならないからな」
立花先輩はそう言うと私の目を見た。
「だけどな……お前らにはないものがある」
先輩はクスッと笑って
「情熱だ。熱すぎてこっちが火傷しそうくらい熱いものを江宮は持っている。まぁ一つだけ残念なのは江宮は仮入部ってことくらいかな?」
そう、私は七つのクラブ希望があってどれにも本入部の届けを出していない。
「それなら尚更この配役は……」
「逆だよ。むしろ、この部に入ってもらいたい。折角の人材だ。他の部に渡すのは惜しい」
先輩はそう言うと私の手を掴んで引っ張った。
「少しいいか?」
と言って部室から出た。私もその後に続いた。
私は立花先輩に連れられて屋上に来た。
「あの……」
私はどうしていいか分からずその場で立っていた。
立花先輩は屋上に置かれたベンチに座ると
「みんなの言ってることは気にするな。何、最初はみんなああいうもんだよ。俺の時もそうだったからな」
立花先輩を空を見上げながら言った。
「先輩もですか?」
立花先輩はクスッと笑うと
「俺ってさ。普通と違うのって知ってるよな?」
立花先輩の能力のことかな?
「声のことですか?」
「そう、俺の声は百を超えるって言われてるだろ?」
先輩は私の声でそう言うと
「実は俺って自分の声がないんだよな。この声もテレビの声を聞いて真似てるだけだからな」
先輩の声がない? それって……。
「先輩は普通に喋るとどうなるんですか?」
少し気になって私は聞いた。
「こんな声かな?」
色々な声が入れ混じった感じの声が聞こえる……これが自分の声がないって言ってた理由?
「わかったろ? 俺には地声って物がない。だけど汎用性の高さから演劇とかって向いてるんだよな。俺もこの部に入った当初江宮みたいに緊張してて色々空回りしたけど今じゃこの部のエースだ」
私みたい?
「江宮を見ていると昔の自分を見てるみたいで期待しちゃうんだ。お前みたいなのがこの部を引っ張って行くんじゃないかってさ」
「それって……」
「期待してるんだよ。真木にもだけどさ。お前たちがこの新生演劇部を引っ張っていってくれるってさ」
立花先輩はそんな事を……
「とまぁ、わかったか? 新人達」
え? 新人達?
私は後ろの屋上の出入口を見た。
「なんで……」
扉が開いて一年のみんなが入ってきた。
「…………」
真木さんが黙って私の所に来た。
「さっきはゴメン。江宮さんに少しだけ嫉妬しちゃって」
「ううん、いいの。確かに不公平だったもんね。私もそう思ってた。でも、立花先輩にここまで言われたらさやるしかないって思えたんだ。だから一緒に頑張ろう」
私は真木さんに手を差し出した。
「……ありがとう」
真木さんは優しく私の手を握った。
「おし、仲直りはできたみたいだな。さて、お前ら! こんなところで油売ってる暇があったら練習だ! 期間はないぞ! いいな!」
立花先輩は手を叩きながらそう言うとみんな連れて部室まで戻っていった。私と真木さんを残して
「いいんじゃないかな? 楽しんじゃえば。だって真木さんは演技上手なんだもん。私なんて大事な部分で噛んじゃって本番心配だよ。できるかな? って」
私は笑いながら言った。
「でも、私なんかより熱いものを持ってるって立花先輩が……」
「みんなにそう思わせるためだよ。私は何もできてない。だから頑張りたいの……あの人も応援してるし」
あの人って名前は伏せちゃったけどトオルが期待してくれていると思うと私は頑張れる。
「いいなー。江宮さんは好きな人いるんだ」
好きな人? トオルが? 心臓の鼓動が早くなる。鼓動が周りに聞こえるんじゃないか? って思うくらい。
「そっそんな事ないよ! だって私とあの人はそんな仲じゃ……」
どうしよう……トオルの顔が頭から離れない。
「かなり惚れてるわね」
真木さんはニヤリと笑うと私の手を取った。
「江宮さんは可愛いから大丈夫だよ。きっと彼も同じ気持ちだから」
トオルが私のことを? 想像しただけで顔が熱い。溶けてしまいそう。
「あーあ、好きな人がいて良い役ももらえて……江宮さんに嫉妬しか覚えないわ」
真木さんは少し羨ましいという顔で私を見て
「でも負けないって決めた。今」
クスッと笑うと真木さんは屋上出入り口に向かって歩き始めた。
「江宮さん、私も頑張るよ。だって憧れの立花先輩に認められたいもの」
え? 憧れの?
「私……立花先輩の事が大好きだから」
え? ええ!
「だから、私からしてみれば江宮さんは敵。江宮さんに好きな人がいようといまいと関係ない。ライバルだから覚悟してよね」
そう言い残すと真木さんは出て行った。
「ライバルか……でも私仮入部なんだけど……」
そう、私は仮入部で他に漫画研究部、書道部、華道部、天文部、美術部そして帰宅部。これ全てに出している。
「って仮入部でこんな代役を貰っても困るよー!」
……んー。これは面白いことになったな。
俺はメモ帳を開いた。
「まさかこんな事になるなんて」
さっき演劇部のメンバーが屋上に上がるのが見えたからこっそりついてきてみたけど
「ええと、あの子はなんて名前だったかな? 流石に部員の名前を全部覚えているわけじゃないからな」
ここで名前がわかれば良かったのだけど
「…………」
二人はなんの話をしているのだろうか? 少し遠すぎて聞こえない。
「…………」
おっとこっちに来た。こっそり取材はここまでだな。
俺は二人に見られないようにその場を後にした。
「アヤメ……やっぱり君は……」
私は演劇部の部室に戻った。
「江宮さん。早く練習練習」
野沢先輩が私の手を取って立花先輩の前に立たせた。
「ほら、ヒロインとの会話のシーン練習するわよ」
「やれやれ、これで何回目だよヒロイン」
立花先輩は女性の声でそう言うと肩を落とした。
「いいじゃない。立花は女装似合うんだし」
「それ褒めてる?」
立花先輩は殺意の眼差しでそう言った。
「当たり前でしょ? それに立花の演技は私も感心してるんだもの。ほら文句ばっかり言ってないで早く練習練習」
立花先輩は大きく溜息をつくと台本を置いてセリフを言い始めた。私も送れまいと台本を開いて自分のできるレベルで最高の演技をしようと頑張った。
「はぁ……疲れた」
あれから四時間みっちり練習をした。声がガラガラする……。外も真っ暗だ。
「お疲れ様」
野澤先輩は冷たいペットボトルのお茶をくれた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
野沢先輩はすごいな。演技もできて気配りもできるなんて
「野沢ー俺のわー?」
立花先輩は自分の所に回ってこないお茶を待ちながら
「あ、ゴメン立花。これで全部みたい。仕方ないから買いに行くわよ。着いて来なさい」
「へーい」
立花先輩は椅子から立ち上がると野沢先輩の後に着いて行った。
「ちゃんと人数分買ってこいよ。わざわざ買いに行くとかさ」
俺は愚痴っぽくそう言いながら歩いた。でも、足りない理由は知っていた。
「わかってるでしょ?」
「ああ」
確かに人数分はあった。一人のイレギュラーを除いて。
「江宮 アヤメ……あいつ今日提出したんだもんな。仮入部届け」
「ええ、まぁいいんじゃないかしら? 別に」
野沢が俺の前を歩きながらそう言うと少し黙った。
「少し寒いな……四月なのに」
「そうね」
野沢の奴寒くないのか? いや、寒くないわけないか。
「今日だけだかんな」
俺は制服の上着を脱いだ。
「え?」
振り返った野沢は目を丸くした。
「誰にも言うなよ?」
俺は野沢の肩に俺の制服をかけた。
「これで寒くないだろ。俺は男だから平気だ」
「うんありがとう」
早く戻るぞっと言いたかったけど嬉しそうな野沢の顔を見ると言葉を飲み込んでしまった。寒いな……明日風邪ひかないよう注意しないとな。これで風邪引いた日には野沢が心配するだろうから。
「野沢……」
俺はのんびり空を眺めながら野沢を呼んだ。
「何?」
「これからもよろしくな」
少しだけ恥ずかしかったが自然とこの言葉が出た。
「こちらこそ」
「先輩たち遅いな……」
私達は二人を部室で待っていた。
「あの二人が戻ってこないだけで心配するな」
大道具係の菊池先輩がクスクス笑いながらそう言うと
「さて、もう遅いからお前たちは帰れ。二人は待たなくてもいい」
「でも……」
真木さんは心配そうにそう言うと菊池先輩を見た。
「大丈夫。だってあいつらは……」
不意に扉が開いた。
「ただいま……ってあれ?」
立花先輩が帰ってきた。そして、みんなが帰る準備をしているのを見て少し戸惑った顔をして
「あー、もう遅いもんな」
一人納得しながら部室の入口で頷いてると後ろから野沢先輩が現れて
「早く入りなさい!」
と、立花先輩を押した。
「おっとすまんすまん」
立花先輩と野沢先輩は部室に入ってきた。
ふと気づいたけど二人は飲み物を持っていなかった。
「あれ? お前ら飲み物は?」
菊池先輩はそう言うとニヤニヤと笑いながら二人を見た。
「ああ、買おうと思って自販機行ったらさ俺が飲みたいのが売り切れてたんだ」
野沢先輩は呆れながら
「どれでもいいじゃない」
そう言った。
確かに売り切れなら妥協してどれでもよかったんじゃ……。
「いやだ! 俺は渋茶マックスがいいんだ」
渋茶マックス……ああ、あのお茶の渋さが凄いってお茶か……美容効果があるって噂で女子の間で人気なんだよな。
「だからって自販機を五つも回らなくてもいいじゃない」
五つも……こんな寒空の下で回ったのか……。
「これは俺のこだわり。それにいいじゃないか。五つくらい」
「立花ね!」
なんだろう……この夫婦喧嘩。真木さんも少し羨ましそうに見てる。
「はいはい、夫婦喧嘩はそれくらいして帰るぞ。新入生達も帰る準備出来た人から寮に戻って。戻らないと怒られるの俺たち上級生なんだから」
菊池先輩に背中を押されて私達は部室を出た。
「…………」
「…………」
まだ二人は言い合ってるみたい。
私は寮に向かって一人歩いていた。すると向こうから誰かが走ってるのが見えた。暗がりだから誰かわからなかったけど。その人はこっちに向かって走っている。
「こんな時間に誰だろう?」
私はその人を眺めていた。その人が街灯に照らされて顔が見え私は驚いた。
「トオル?」
そこにはジャージを着て走っているトオルがいた。
「ん? あれ? アヤメ今終わったの?」
トオルは肩で息をしながら私に話しかけた。
「う、うん。トオルこそこんな時間にランニング?」
「ああ、新聞部は体力勝負だからこうして軽いトレーニングしておかないとね」
そう言うと手を振って走り去ろうとした。
「トオル!」
私は思わずトオルを呼び止めていた。
「何?」
トオルは意表を突かれたような顔でこっちに振り返った。
「えと……」
どうしよう? 呼び止めたはいいけど何も考えてないよ……。
「どうしたの?」
トオルが戻ってくる。早く何か考えないと……。
「ああ、アヤメも一緒に走る?」
トオルはクスリと笑ってそう言うと
「早く着替えてきなよ。制服じゃ走りにくいだろ?」
そう言うと街灯の下に設置されている椅子に座った。
「え?」
「今日、良い役貰ったみたいだし話聞かせてよ。走りながらじゃきついかもしれないけど」
トオルに話したいことは山ほどある……折角の会話のチャンス。これはお言葉に甘えて走ろうかな? 元陸上部の血も騒ぐし。
「うん、五分待っててね。すぐ戻るから!」
私は全力疾走で寮の自分の部屋に入った。
「あ、アヤメお帰り」
同室のユイがお帰りって言ってくれた。
「うん、ただいま。って言ってもすぐ出かけるんだけどね」
私は制服を脱ぎ、タンスに入っている体育用のジャージを引っ張り出した。
「あれ? ランニングでも行くの?」
ユイは不思議そうな顔で私に聞いた。
「うん、ゴメン。人待たせてるからもう行くね」
私は素早く着替えて靴を履いた。
「何? 彼氏?」
ユイはニヤニヤしながら私に聞いた。
「え?」
私はその言葉に顔が熱くなった。そして、言葉に詰まって返事が出来なかった。
「あー、その反応。絶賛片思い中ね。入学してまだ一週間も経ってないのに片思いかー。アヤメは良いわよね。可愛いし。きっと彼も同じ気持ちだと思うわよ?」
心臓が激しく鼓動する。汗が出てきた。
「そっそんなんじゃないよ!」
私は急いで扉を開けトオルの待つ街灯の場所まで急いで走った。顔が熱い。トオルに会うまでにこの火照りを冷まさないと。
「ゴメン、お待たせ」
「ん? 早かったね。まだ五分も経ってないよ」
トオルは少し驚いた顔で私を見た。
「あー、一応中学校の時、陸上部だったから速いのは当たり前だよ」
私はクスリと笑ってそう言った。
「なるほどね」
トオルは私を見て何か納得したような顔でそう言った。
「何? 何か変かな?」
陸上部ぽくないかな?
「ん? あ、いや。アヤメってスタイル良いからさ。何か運動してたんだろうなって思っててさ」
「スッスタイル?」
私ってスタイルがいいの? 待って待ってユイの言葉が頭の中で何度も再生される。『アヤメは可愛いからきっと彼も同じ気持ちだよ』っていう言葉が。
「アヤメ?」
私は我に返った。トオルの思いがけない言葉に私は何も考えられなくなっていた。
「ううん、なっなんでもない。早く行こ。ここでジーッとしてたら寒くて凍えちゃう」
と言いながら私は早くこの動揺を悟られないために移動したかった。
「うん? まぁいいや」
少しだけ悟って欲しいと思ってしまうのきっと私我侭。私が何か言わないと彼にはこの思いは伝わらない。
「さぁ行こう」
私は先頭をきって走った。
「……鈍感」
私は小さくそうこぼした。
「何か言った?」
……地獄耳なんだけどな。
「寒いねって言ったの!」
「ああ、そうだね。今日は寒いね」
今はこのままでいい。彼と一緒に居れる時間があるなら
「トオルってさ。毎日走ろうと思ってるの?」
私は無意識にトオルに聞いていた。
「うん、毎日この時間に走るつもり。それがどうかした?」
……よし、決めた。後は勇気を振り絞って伝えるだけ。
「私も一緒に走ってもいいかな? あ、邪魔ならいいよ」
言っちゃった。どういう反応するかな? やっぱり迷惑かな?
「一緒に?」
やっぱり……。
「んー……。うん、一緒に走ろうか。一人で走るのも寂しいしね」
「え?」
私は思いがけない言葉に固まった。
「ん? だから一緒に走ろうって。って言いだしたのアヤメだろ?」
「そう……だけど……」
心臓の鼓動が激しくて頭がボーッとする。
「アヤメ?」
私の隣を走りながらトオルが私に話しかけた。
「え? あ、うん大丈夫。少し疲れてるのかも。演劇の練習してたし」
「そう? なら今日は軽くにしよう。明日も授業だし。アヤメが授業で寝るなんて事あったら大変だから」
トオルは小さく笑いながらそう言うと私の前に出た。
「ほらアヤメ置いて行くよ」
「あ、ちょっと待ってよ!」
トオル……ずっと一緒に居てね。
完