宵口
「……強くなったのね」
後ろに跳び、再び距離をとった彼女が小さく笑う。
刃は届いていた。彼女の服の腹部が、横に裂けていた。じわりと、間を置いて純白の衣服が彼女自身の血で赤く染まる。
しかし斬った手応えでわかっていた。浅い。まだ致命傷というにはほど遠かった。
「ああ。あれから色々あったからな」
対する俺も、無傷ではなかった。攻撃直後の俺に上空から降り注いだ真空の刃に対応する術は無く、右肩に一撃をもらった。即席の攻撃のためか必殺の威力こそ無かったが、間違いなく彼女の負った傷よりも深い。
それでも俺は笑って返した。
「これでも隊長さ。腕が立たなけりゃ、示しがつかないだろ」
「そうね。私といた時よりずっと、自分の力も使いこなしているわね」
「まだまださ。やっと戦いながらも魔力を散らせる場所がわかったばかりだ。やっても長くはできない」
「それでも、強くなったわ」
「そりゃ、どうも」
剣を持つ手にぬるりとしたものが触れる。肩からの出血が手にまで流れ落ちていた。滑り落とさないようにと応急措置用に持っていた布を取り出して、手を剣の柄とを縛り、固定する。感覚はある、まだ腕は動く。
まだ、戦える。
「……ねぇ、退く気はない?」
ふと思いついたように、彼女は切り出した。彼女らしくない唐突な問いかけに俺は表情には出さずに驚く。自らの意志を貫くためなら何も躊躇わない彼女にとって、その問いは絶対にあるはずのないもののはずだ。
「本当はわかっているんでしょう。私と貴方の実力の差くらい。私は絶対に手加減はしない。貴方が私を殺すことができる望みが、どれだけ薄いか、気づいているんでしょう」
彼女はもう微笑んでいなかった。逆に、その眼には必死さが浮かんでいるように見える。どこか辛そうに唇を噛み、躊躇うように彼女は続ける。
「私は、できるなら貴方を殺したくはない」
「……愚問だな」
答えを決めたのは一瞬だった。
「ここで俺が退けば、お前は俺の仲間を殺す。俺が仲間を引き連れて逃げれば、俺たちは国に背いた反逆者だ。遅かれ早かれ殺される」
最初から、答えなんて一つしかなかった。
ちらりと、ここまで送ってくれた青年の顔が浮かぶ。まだ若いが、きっと彼だってこの先強くなる、大切な奴ができる。俺なんかよりも、もっと立派に生きるだろう。
そんな未来を、どうして俺一人の命惜しさに犠牲にできるだろうか。
「俺は仲間を守る。だから、退くわけにはいかない」
そしてここで退けば、今度こそ俺は彼女に追いつけなくなる。目の前の純粋すぎる彼女に、やっと今、対等に立っているのだ。ずっと背を負っていた、憧れていた彼女に、やっと近づけたのだ。
「この意志は、誰にも染められないぜ」
「……そう」
彼女は瞑目した。苦しそうな、絞り出すような声だった。
「それじゃあ、仕方ないわね」
しかしすぐに、彼女は再び眼を開ける。声も元の淡々としたものに戻っていた。もう、白銀の瞳はぶれない。
「そうしたら、もう戦うだけだわ」
きっと彼女はこうして、多くの感情を殺してきたのだろう。自らの意志のために、自らの感情を殺す。そうしてまで、己の考えを貫く。
それは酷く、悲しいことのように思えた。果たしてその先に救いはあるのだろうか。
「……最初からそのつもりだよ」
しかし俺は、剣を構える。俺にはもう、彼女を救うことはできない。
何故こうなってしまったのだろう。どこで間違えてしまったのだろうか。そんな考えが脳裏を掠めた。しかしすぐに、その疑問を打ち消す。
きっとお互い、何も間違えてはいないのだ。間違えではない、その結果が今で、そもそも正解なんてものはないのだ。それでも自分を間違えるよりは、ずっといいはずだ。
本当は彼女だって分かっているはずなのだ。いくら強大な力をもっていたとしても、結局彼女は一人だ。国全てを敵に回したら敵うはずがない。犠牲に犠牲を重ねれば、いつかは彼女だって負けるだろう。
それでも彼女は、逃げることができない。逃げれば自分を間違えてしまうから。はじめから答えは一つしかない。
彼女が走り出す。俺も同時に地を蹴った。もう、戦いの合間に交わす言葉はない。
けれど最後に一つだけ。どういう答えが返ってくるかも、その問いに意味がないことも全て知りながら、俺は最期に問いかけた。
「退く気はないか?……俺はお前を、殺したくない」
彼女の眼が見開かれる。そして泣きそうな顔で笑って、俺の望み通りの言葉を言ってくれた。
「……愚問ね」
刃が内腑をえぐる音は、果たしてどちらの体が立てたものだったか、俺にはもう分からなかった。
成立35年。隣国からの侵略の危機に瀕していたヴォラス連合国に一つの革命がもたらされた。
魔力の乏しい土地であった連合国は、人工的に土地の魔力を補う方法を開発。国はすぐさま実行に移った。
しかし実験の遂行の際、たった一名の反逆者により、多くの尊い犠牲者がもたらされた。たった一人の反逆者はその姿から「白き魔女」と呼ばれ恐れられた。
しかし「白き魔女」に立ち向かう一人の青年がいた。軍部の反逆者鎮圧部隊を率いていた彼は、果敢にも一人で「白き魔女」に立ち向かう。結果、それを契機に見事に「白き魔女」を討つことに成功する。
そして実験は成功。実験の結果、連合国は魔力大国に肩を並べるほどの発展を遂げ、国の情勢は一気に安定へと向かってく。
青年は「英雄」として扱われ、「白き魔女」と「英雄」の話はその後何年もの間、英雄譚として語り継がれることとなる。
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