08 : 黒犬と酒場の宴。4
そんなわけで、黒犬が酒場の用心棒になりました。
なんでか?
それはだな、今日も今日とて酒を呑みにきたオッサンが、「なんだこのでけぇ獣! かっこいいじゃねぇか!」と感激され、来店した挨拶もそこそこにおれを押し退けて捕まえようとして、黒犬に返り討ちにあったことから始まります。美事な後ろ足蹴りでした。
「はっ? そいつ、犬か!」
オッサンを警戒しておれの後ろに隠れた黒犬を、犬だよ、と蹴られて転がっていたオッサンに教えてやったら、吃驚していらっしゃいました。
「なんで吃驚してんの?」
「そんなでけぇ犬がいるかよ」
あれ? やっぱり犬って、こんなにでかくないわけ?
黒犬やい、おまえなにもんだい。
「おれ、犬」
あ、そう。
やっぱり犬なんだ。
「犬が喋ったっ?」
と、驚くオッサン。
あれ? タカ爺は黒犬が喋ってもとくに驚かなかったぞ?
「あ、そうかそうか、おまえあれか、あれなんだな」
オッサンの驚きは一瞬で終わった。
「あれってなんだよ?」
訊いたら、オッサンは「天恵があるんだろ?」と逆におれに訊いてきた。
「え、動物にも、天恵とかいう力、あんの?」
「あるさ。天からの恵み、それが天恵だからな。平等に存在するもんだ。おい犬、違うか?」
黒犬に天恵。
ああ、だからシスイが、ふつうなら喋らないもんだって、それっぽいこと言ってたのか。
「そんなの知らない」
黒犬には天恵なぞ関係ないらしい。ですよね、犬ですもんね。
「ただ、魔、って呼ばれることはある。だからおれは魔だ」
「ああ、魔ね。言われりゃそうかもしんねぇな。黒いし」
自分を魔だと言った黒犬は、オッサンをそれで納得させた。
魔って、魔王サマの魔ですか?
「魔って、なに?」
「喋る黒毛の動物は、大抵が魔だな。聖国があるこの大陸じゃあ滅多にお目にかかれねぇ生きものだ」
「うわ、稀少種?」
「この大陸じゃあな」
おお、黒犬、おまえやっぱり珍しい生きものだったんだな。
にしても魔って、なんか怖いイメージがあるんだけど。
「魔って、怖いもんじゃねぇの?」
「あん? あいつらは、こっちがなんもしなけりゃなんもしてこねぇぞ。むしろ山で遭難しかけたりすっと、助けてくれるくらいだ」
ほうほう。
黒犬、おまええらく優しい生きものなんだな。
よしよし、と撫でてやると、黒犬は不思議そうにくりっと小首を傾げたが、無視して撫で続けたら気持ちよさそうに咽喉を鳴らした。
「まあたまに暴走する魔もいるが、そうなると自ら滅ぶな。暴れるだけ暴れて、死んじまうんだ」
「え……?」
「人間にもいるんだよ。授けられた天恵が大き過ぎて、自滅する奴。上手く操れても、代償を求められるらしいからな。それを考えりゃ、魔にもそういうことがあって当然だわな」
「……そう、なんだ」
おれは天恵とかいう力をよくわかってないから、どういうことかもよくわからないけど、それを聞くとタカ爺のことが心配になる。だってタカ爺は天恵者だ。
「イザヤ、わしは平気だよ。言っただろ、ちょっと遣えるだけだ」
「本当か?」
「ああ。暴走できるほど力は持っとらん。安心しろ」
にこ、と笑ったタカ爺に、おれの心配は無用そうだ。嘘を言っているわけでもなさそうで、ちょっとほっとする。
天恵って、便利そうだと思ってたけど、怖い力っぽい。
「黒犬、おまえも平気か?」
「おれは産まれたときからおれだ」
それ、心配要らないってことか?
「おれは精霊の力も使える。だからおれでいられる。おれは昔から、おれでしかない」
ぺろん、て頬を舐められて、それは漸く学習してくれた力加減のおかげでおれが転がることはなかった。
って、ちょっと待て、精霊ってなに?
「おまえ、精霊の力なんてもん、使えんのか。すげぇ犬だな」
ちょっとちょっと、オッサン、話進めないでよね。
「精霊ってなに?」
「なにって……あー……授かった天恵を、さらに安定して強力に使えるように、力を貸してくれる不思議生物、か?」
なんだよその説明。よくわかるけど説明になってなくね?
そう文句を言ったら、オッサンは顔を渋めた。
「天恵者ってだけでも珍しいのに、天恵術師となるとなぁ……ここいらにゃあいねぇし、おれも天恵があるわけじゃねぇからよ」
「えっと……え? その違いはなに?」
「天恵者が精霊と、契約? するとだな、天恵術師になる、だったか? 悪いがイザヤ、おれも精霊にゃあ逢ったことねぇから、詳しい説明はできねぇよ」
説明を難しくしているのはオッサンではなかろうか。
おれはちょっと唸って、天恵とかいう力のことを考えた。
「つまりぃ……天恵っていうのは、天から恵まれた力で、タカ爺みたいに風を操ったりできるわけだよな? そういう力が黒犬にもある?」
「まあそういうことだな。ちなみに天恵っつぅのには属性があって、爺さんみたいに使えるのは風だけだったり、或いは火だけだったりする」
「属性ねぇ……風と火なら、あと土と水とか?」
「ああ、そうだ」
昔読んだ本に五行とかいう言葉があったけど、それかな? そういうことかな?
「黒犬、おまえってどんな力遣えんの?」
「……、考えたことない」
あ、犬ですもんね。考えて遣ってないってことっすね。
「まあしかし、えらいもんに懐かれたもんだなぁ、イザヤ」
「そうみたい」
なんで懐かれてんのかは、未だ不明だけど。懐かれて悪い気はしない。
ま、えらい力持ってるって聞かされても、黒犬ってば理解してねぇし、まあいいや。難しいことはあんまり考えたくねぇもの。疲れるから。
適当なところで魔とか天恵とか精霊とかいう話を終わらせると、オッサンは度数の高い酒を注文してきた。今日は疲れたから、グッと煽ったらすぐ帰るそうな。疲れてんならさっさと寝ろよ、と突っ込んだから、一日の終わりの楽しみだ、と返されて、仕方ないから酒を出してやる。度数は、悪いけど少し落としたやつを。というか、おれに注文してきたから、おれがわかる酒はまだ一つだけだったからその酒樽から注いだんだけどね。
「明日も来るよ」
「来なくていいよ」
「おれの楽しみを奪うんじゃねえ」
「はいはい」
本当に一杯だけ引っかけただけにして、オッサンは帰った。
そのあとからちょろちょろとお客さんが入ってきて、どの人も昨日来てくれた人だった。ちょこちょこ会話しながら注文を受けて、酒を注いだり肴を用意するのはタカ爺に任せて、おれは店の中を走り回る。酒も酔っ払いも好きじゃないけど、雰囲気も好きじゃないけど、みんな生きてるってことを楽しむために酒を呑むから、なんだか気分よく働けた。
みんな、それくらい必死に生きてるって、ことなんだよな。
おれが店を走り回っている間、黒犬はずっとストーブの前を占領していて、ちょっとだけお客さんに怖がられていた。なにもしないよ、と一応言っておいたけど、黒犬がいるあたりの席だけは空きっ放しだった。
それを見てタカ爺が、
「用心棒になるなぁ」
なんて言うから、黒犬は酒場の用心棒になりました。
なにもしないって言ったのに、みんな怖がったからね。オッサンだけだったよ、かっこいいって言って捕まえようとしたのは。さすが農夫兼狩人なオッサンだ。
だから黒犬は、タカ爺の店の、用心棒。っぽいの。
最後のお客さんが帰って、店が閉まると、夜中を過ぎているようだった。片づけをして、軽く掃除をすると、心地いい疲れが全身を包む。
「なあ黒犬、おまえいつまでいんの?」
眠っている黒犬は、ずっとストーブの前で寝そべっている。声をかけたら、ぴぴって耳を動かして、目を開けると顔を上げた。
「ずっといる。イーサを護る」
まるで、それがどうした、と言わんばかりだ。
おれは苦笑して、わしゃわしゃと黒犬を撫でた。
「おれ、帰るんだぞ」
「帰る?」
「少しの間だけだ、ここにいるのは。宴を開けるときになったら、おれは帰るよ」
「おれも行く」
「それは無理じゃねぇかなぁ」
犬を飼うことなら、祖母ちゃんも祖父ちゃんも、べつに反対しないと思う。けど、問題は黒犬のこのでかさだ。狼みたいな黒犬が住宅街にいたら、すげぇ苦情が殺到しそう。
懐かれるのは嬉しいけど、その分だけ、なんだか切ない。
だって、おれは迷子だ。宴に誘われて、帰れなくなったけど、迷子なんだ。害獣の駆除の成功で宴が再び開かれれば、もしかしたらおれは帰れる。迷子だから。けど、黒犬はどうだろう? 連れて帰れるかわかんねぇのに、一緒に帰るか、なんて、言えなくね?
「イーサ」
苦笑したおれに、なにを察したのか、黒犬は湿った鼻を押しつけてきた。
「おれはイーサがどこに行っても、見つけるよ。イーサが好きだから、そばにいるんだ。おれはおれが消えるまで、イーサを護るんだ」
「黒犬……」
どうしよ、なんか泣きたくなってきた。
だって黒犬、犬だって言っても、それなりに生きてきたわけだろ? なんでそんな言葉知ってんだよ。なんでそんな言葉、逢ったばっかりのおれに言うんだよ。
ああおれ、やっぱり寂しいのかな。
知らないとこに来て、迷子になって帰れなくなって、悲しいのかな。
だから黒犬に懐かれて、ほっとしてる。必要とされて、ほっとしてる。護るって言われて、安心してる。
だめだよ、黒犬。
おれは、本当に弱いんだ。
弱くて、弱くて、情けないんだ。
「…っ…く」
込み上げてきたものを、おれは両手で押さえる。
だめだ、黒犬。
おれに懐くな。
おれにかまうな。
おれを護るなんて言うな。
おれは。
おれは。
おれは、要らない人間なんだから。
「イーサ? イーサ、どうした、イーサ」
違う、おれはイザヤだ。祖母ちゃんが名づけてくれたイザヤだ。その名前は、おれじゃない。
おれじゃないだよ、黒犬。
おれはおまえが呼んでる奴じゃないんだよ、黒犬。
「おれは……イザヤだ……っ」
ばあちゃん、じいちゃん、帰りたいよ。
おれの世界は、ばあちゃんとじいちゃんがいるところだけなんだ。






