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07 : 黒犬と酒場の宴。3





 そんなわけで。

 黒犬にすっかり懐かれました。


「イーサ、なんで力む。勢いに任せればいいだろ」


 薪割りの助言なんかもしてくれる、とっても賢い犬に懐かれました。相変わらず「イーサ」とか呼ばれちゃうんだけど、どうやらそれは黒犬にとっておれを呼ぶ愛称みたいなものらしくて、訂正してもそう呼ぶからもう放っておいた。

 黒犬のおかげでおれは薪割りに苦労しなくなって、スムーズに薪が割れるようになったから、昨日よりも数多く薪は割れましたよ。

 ちなみに黒犬のことは、タカ爺に「なんだその黒いの」と言われたくらいで、「犬だよ」と教えたら「そうか、懐かれたか」で済まされた。

 これだから年寄りは……。

 まあ黒犬はおとなしくて、喋るからもちろん人語を理解しているわけで、これといった害はない。人間を襲うふうもない。タカ爺におとなしく撫でられていたくらいだ。でかいからけっこう邪魔にはなるんだけどね。

 困ったのは黒犬のその食糧だけど、自分で獲ってくるから要らないって言われた。その言葉通り、黒犬はおれがタカ爺に呼ばれて家に戻って、ご飯を食べている最中、姿がなかった。そのままいなくなるのかと思いきや、夜に酒場を開けるための準備を始めると、いつのまにか戻ってきていた。


「なにしてきたの?」


 と訊いたら、


「食べてきた」


 と、その名残を感じさせずに答えられた。

 え、おまえなに食って生きてんの? やっぱり肉食だから、野兎とか食べちゃってんの?

 とは、さすがに訊けなかった。訊くのも怖いよ。


 ある程度酒場を開ける準備をすると暇になったので、タカ爺に「遊んでおいで」とか言われて、「どこのガキだ!」と怒ったら笑われた。

 ねえタカ爺? おれ、あんたにどう見えてんの? おれ、これでも成人してんだよ? 遊んでおいでとか言われちゃったら、子どもの遊びじゃ満足しませんよ?


 とか思いつつも、とりあえず外に出た、おれ。

 することねぇーよぉー。

 シスイがいないから剣の稽古もない。というかしたくもないことだから、それは万々歳だ。


 裏庭でぼんやり空を眺めていたら、そばにいた黒犬にじゃれつかれた。


「ぅお!」


 おまえ、自分のでかさわかってるかっ?

 じゃれつかれたらひとたまりもない。黒犬は「とんっ」と突いただけだろうけど、おれには「どんっ」だ。勢いのまま転がったら、そのままさらにじゃれつかれて、ごろごろと転がされる。

 たまったもんじゃない。

 が、だんだん楽しくなって、おれは笑っていた。


「弱くなったな、イーサ」

「おれはもともと強くねぇよ」


 どつかれても転がるくらいで済んでいるのは、祖母ちゃんの過剰な愛情表現のおかげだ。無駄に頑丈に育った。慣れない薪割りをしても筋肉痛にならないのは、そういう理由からだ。

 ほんと無駄に鍛えられたぜ、おれ。

 黒犬がおれのことを弱いと言ったのは正解だ。おれは頑丈なだけで、べつに運動が得意なわけでも、喧嘩が強いわけでもない。自衛本能を鍛えられているだけだ。


「うん。イーサ、弱くていい。イーサはたくさん戦った。だからもういいんだ」

「そうだなぁ……ばあちゃんとは、よく戦ったよ、おれ」

「ゆっくり眠りな、イーサ。おれが護ってやるから」

「おれのこと護ってくれんの? うわぁ、強い味方だなぁ」


 黒犬はいい奴だ。おれと祖母ちゃんの攻防を労わってくれる。

 ほんと、よく生きてるよなぁ、おれ。


「眠るか、イーサ?」

「そんなに眠くねぇけど……ああでも、おまえ柔らかくて、気持ちよくて眠くなるぅ」

「眠ればいいよ、イーサ」


 べろん、と頬を舐められた。

 だからおまえ、自分の大きさ考えろって。首折れるから。


「待て待て、昼寝の前におまえだ」

「おれ?」

「ちょっとごわごわしてるとこあんだよな」


 そう、黒犬の奴、全体的に柔らかいけど、ところどころ汚れてんだ。


「川……だと水が冷てぇしな。タカ爺にちょっとお湯作ってもらおうかな」


 寝転がっていたおれは勢いをつけて身体を起こすと、そのまま立ち上がって家に駆け込んだ。ちょうど台所にタカ爺がいたから、黒犬を洗いたいんだけどって言った。


「かまわんよ。風呂場の湯がまだ残っとるだろ。そろそろ変える頃合いだから、使いなさい」

「ありがと、タカ爺。ついでに櫛みたいなのない?」

「捜してみよう」

「頼んだ!」


 よし、とおれは拳を握り、後ろをついてきていた黒犬に振り返る。にんまり笑ってやったら、黒犬はくりっと小首を傾げた。


「おいで」

「なにする気だ?」

「いいからいいから」


 おいでおいで、と黒犬を風呂場に誘って、なんの警戒もなくついてきた黒犬を風呂場に押し込めると、おれは着流しを脱いでシャツの袖をまくり、ズボンの裾もまくって準備万端となる。

 この世界にも風呂の習慣があって、毎日入ることはないけど、一回使ったお湯は綺麗なら二回使って、汚れたら洗濯に使う習慣があった。

 今風呂に張ってあるお湯は、汚れてきたところだからそろそろ取り換えどき、そして洗濯に使おうとしていたものだ。


「……おれを洗う気か、イーサ」

「おう!」


 やっと気づいたか。

 じりじりと逃げ腰な黒犬に、おれはできるだけ優しく笑って手を伸ばす。逃がしてたまるか。


「お、おれ……」

「んー?」

「冷たいのやだ」


 おやぁ? 水浴びは苦手じゃねぇのかな?


「だいじょぶ、まだ暖かいから。タカ爺の天恵とかいうやつで、どこも暖かいだろ? お湯も冷めにくいんだ」

「し……信じていいのか」

「おれを信じろ」


 にか、と笑うと、黒犬はしばらくじっとおれを見つめて警戒してたけど、タカ爺が大きめの櫛っぽいものを見つけてきてくれると、自分から湯船のほうに歩いていった。

 あ、尻尾と耳が垂れてる。

 本当は水浴び苦手なのかな?


「や……優しくしてくれ」


 え、なにその女の子みたいな発言!


「洗うの好きじゃない。でもイーサは洗いたがる。仕方ないから洗われてやる」


 今度はおれさま的!

 まあいいや。垂れた耳と尻尾が可愛いから。


「優しく洗ってやるよ」


 黒犬の前で屈んで、ぽんぽんと頭を撫でてやる。こうして屈むと黒犬のほうがでかいんだけど、今は全体的に萎れているから小さく見える。


 殊勝な態度の黒犬に、おれは容赦なく桶に汲んだぬるいお湯をかけてやった。


「優しくない!」


 がうっと吠えられたけど、水浸しの黒犬に迫力はない。むしろかっこ悪い。

 ぷぷって笑ったら拗ねられた。


「まあまあ、機嫌直せよ。綺麗にしてやっから」


 今度はゆっくり、万遍なく毛皮を濡らして、いっぱいあるから使っていいと言われたただの石鹸を、巨体に滑らせる。これがなかなか泡立たなくて苦労したよ。漸く泡立ったかと思ったら黒犬の奴、ぶるぶるって身体を震わせやがったからおれまで泡だらけになった。


「このやろっ」


 がしがしと力いっぱい手で擦って、櫛で乱暴に擦って、けれどそれは黒犬にとって気持ちいいだけだったみたいで、ちょっと腹が立った。


 そんなこんな黒犬洗いに専念したおれは、終わる頃にはへとへとになった。

 だってこいつ、でかいうえに、三回くらい洗ってやっと汚れたお湯が消えたんだよ。どんだけ汚かったんだ、おまえ! みたいなね。しかも泡立てるたびぶるぶる泡を弾かせやがるから、気づけばおれもびっしょり。ついでだからおれもぬるいお湯で自分を洗いましたよ。


「そろそろ終わったか、イザヤ……と、イザヤ?」

「た、タカ爺……おれ、もう無理」


 黒犬の水分を拭き取るためにシーツらしきものを持ってきてくれたタカ爺に、最後はバトンタッチ。脱衣所でくたばっていたら、おれもタカ爺に拭かれました。着替えもさせてもらいました。文句を言う暇もなく疲れ果てたおれ、風呂場から出るときは、黒犬の背に乗せられて移動しました。もちろんまだ黒犬は湿っぽいから、タオルを間に挟んで濡れないようにしたけどね。


 そろそろ店を開ける時間だからと、移動した先は部屋じゃなくて、店のほう。ストーブの前を、おれと黒犬が陣取り、タカ爺が天恵で風を操っておれたちを乾かしてくれる。


 それで吃驚したのが、黒犬の毛皮の艶やかさ!


「おまえ……すっげぇ汚かったんだな!」


 ていうくらい、綺麗になってた。だってこの毛皮、きらきら光ってんだ。相変わらず黒犬は黒犬だけど、輝きが違う。柔らかさにも格段の差がある。


「うわぁー……きんもちいー……」


 眠くなるぅ。


「立派な犬だなぁ、おまえさん」

「……おれ、立派? かっこいい?」


 タカ爺にも褒められると、黒犬は耳をぴっと立てて、尻尾もぱふぱふと勢いよく揺らした。褒められると素直に嬉しいらしい。愛い奴め。


「タカ爺ぃ、おれこのままちょっと寝るぅ」

「かまわんよ」

「お客さん来たら起こしてぇ」

「はいよ」


 と、おれは黒犬の抱き心地のよさのあまり、あと疲れたから、身体を休ませることにした。黒犬はおとなしくおれの枕になっている。


 なあ黒犬。おまえ、なんでおれのそばにいんの?

 なんでおれに、懐いてんの?

 なんでおれのこと、護るって、言ったの?


 黒犬に訊きたいことはいっぱいあったけど、とりあえずおれはその毛皮の心地よさを堪能した。







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