04 : 王と宴の裏。
かつかつと靴底を鳴らしながら、王は歩いていた。それはもう急ぎ足で、握った拳を震わせながら歩いていた。
王の後ろには数人の近衛兵が、急ぐ王を追いかけ、鎧を軋ませながら駆けている。
王が立ち止まった場所は、首を曲げて見上げなければならないほど大きな扉の前だった。
王は乱暴に扉を、開ける。足で、蹴りあげて。
「くそ親父っ!」
そう怒鳴り込みながら扉が開く。
しかし。
「とう!」
「ぁぶしっ!」
扉の向こうから、王は攻撃を受けた。近衛兵たちは驚いたが、腰に提げた剣を握ろうとした者はいない。
「父親に向かって、くそ親父とはなんだい、バカ息子」
「ぐ、う……ちょ、母上っ」
王の腹に攻撃しただけでなく、廊下に押し戻されて転がった王の腹の上で正座までした老夫人は、王太后である王の母だった。
王は産まれてこのかた、母のこの攻撃を避けられたことがない。ゆえに、近衛兵たちはそれを知っているので、剣を握る手が伸びなかったのである。王太后の攻撃以外なら難なくあしらえてしまえる王だからこそ、信じての行為であった。
「くるし…っ…ははうえ、どいで、ください」
「相変わらず軟弱だねえ」
「母上がおかし……ぎゃあ!」
「ちょっとくたばってなさい」
どっこいしょ、と王太后は王の腹の上で立ち上がった。苦しさに悶える王など無視である。
「ユキィーヤ、その辺にしてあげなさいよ。息子が可哀想だよ」
王太后を諌める声は、扉の向こう、王太后が王に攻撃をした方向から聞こえてくる。ゆっくりと現われた老人に、王太后以外の、その場にいた者たちが全員、片膝をついて頭を下げ、礼を取った。
「父上…っ…たすけて、ください」
かろうじて意識はあった王が、老人に助けを求める。
老人は、王の父だった。つまり先王である。今では猊下と呼ばれていた。
「やあ息子、久しぶりだね」
先王は、王に助けを求められたにも関わらず、王の頭許で屈むと、にっこりと笑って目皺を増やした。
「ツヅクモ、甘やかしては駄目よ。この子ったら、相変わらずわたくしの蹴りを避けられないのだから」
「うーん……息子、鍛錬が足りないようだね?」
可哀想に、と先王は眉をひそめてみせるが、口許は笑っている。
王は顔を引き攣らせながら、どうすれば母の下から抜け出せるか考えた。しかし、名案は浮かばない。なにせ昔からの刷り込みがある。母の攻撃からは逃れられない、と。
「おねがいですから、どいてください、ははうえ」
「……仕方ないわね」
「どうも」
「とう!」
「ぐはっ」
せっかく下手に出でお願いしたのに、王太后は王の腹の上で力いっぱい飛び上がって、そこから降りた。
王は腹の痛みに身を丸め、涙目になった。
「ひ、ひさしぶりにあったむすこに、なんてこと、するのですか」
「あら、久しぶりだからよ」
非情な母である。王は本気で泣きたくなった。泣くためではなく、怒鳴るためにここに来たというのに、泣かせられた。ここでもし、父に向かって「くそ親父」と言った日には、母に殺されるかもしれない。
王は本気で慄いた。
「十五年ぶりなのに……」
その再会に、まるで昨日逢って別れたばかりのような態度を取るわが両親が、信じられない。強くなったと思ったのに、気のせいだったのだろうかと、王は悲しくなった。
「十五年……そんなになるのねえ」
「あっというまだったねえ、ユキィーヤ」
「あなたがわたくしをそう呼ぶのも、久しぶりねえ」
「ユキィーヤが自分のことを、わたくし、とか言うのも久しぶりだねえ」
快活とした王太后と、のほほんと微笑む先王。その再来が実に十五年ぶりであると、王を含め多くの家臣は驚いた。だからこうして王は来たわけであるし、王のあとを追ってきた近衛兵たちも内心では驚いている。
先王と王太后がのんびりと懐かしんでいるところに、王をさらにあとから追いかけてきた宰相が到着した。床で身を丸めて泣いている王を見ると、不憫そうな顔をしてそばに歩み寄り、その背をそっと撫でる。
「陛下……やはり避けられなかったのですか」
「うるさいっ」
声は元気そうだ、と宰相は判断したらしく、すぐに先王と王太后に礼を取る。
「お久しぶりにございます、ツヅクモ猊下、並びにユキイエ王太后さま。現在は父に代わり宰相の末席を汚しております、ロク・シエンでございます」
深々と頭を下げた宰相に、王太后が目を丸くした。
「あら、ロク家のシエン? 大きくなったわねえ」
「大きくなったというか、歳を取ったねえ。お互いさまだけど」
先王は相変わらずにこにこと、宰相と、宰相に支えられた息子を眺める。
「バカ息子はちゃんと王をやっているかしら?」
「もちろんです。猊下と王太后さまが城から突然と姿を消されてからも、王は混乱を招かせることなく鎮圧され、今日までその玉座をお護りしております。臣民につきましても、王の治世は滞りなく行き渡り、安定しております」
「そう、それはよかったわ。わたくしたちの孫は元気かしら?」
「王太子殿下、並びに第二王子殿下につきましては、お互いに競合しつつ文武両道、日夜修練に励まれておいでにございます。また王女殿下につきましては、それはもう麗しゅうお育ちになられ、兄上さま方にも劣らぬ才をわれわれに見せてくださっております」
「ふふ……それは楽しみだわ」
王太后は不気味に笑うと、にこにことしている先王を振り向き、互いに「ふふふ」と声をもらす。王と宰相はそれを訝しみ、顔を上げた。
黒い笑みがあった。
「は、母上? 父上?」
王が恐る恐る声をかけると、黒い笑みを真っ向から受けることになった。思わず身が竦む。
「へたれ息子、喜びなさい。嬉しがりなさい。その幸せを噛みしめなさい」
「へ、へたれ? な、なんですか、いったい」
「婿を育ててきたのよ」
「……、はっ?」
王は素っ頓狂な声を上げ、また素っ頓狂なことを言った母を見つめた。
「感謝するがいいわ、バカ息子。わたくしが手塩にかけて育てた婿よ。王女のために」
「おうじょ、の……とは」
「バカ息子、あなたの娘、わが孫娘の婿よ」
「ひょ……ヒョウジュの婿だとっ!」
王は、可愛い可愛い娘のことだと聞かされて、蹴られた腹の痛みも忘れて勢いよく立ち上がり、しかし口のきき方には気をつけろと、再び王太后の蹴りをくらって廊下を吹っ飛んだ。
しかし、こればかりは挫けていられない。
「なに勝手なことをしてくれているのですか、母上っ!」
「勝手ではないわよ。どっかのバカにくれてやりたくないから、育ててきたのよ」
「勝手ですよ! ヒョウジュは……ヒョウジュはまだ十七才ですよっ?」
「ちょうどいい、成人だわ。間に合ってよかったわね」
「求婚の申し込みだって、殺到していて……シエンの息子と結婚させようと」
「あん?」
ぎらん、と睨まれて、王は言葉を呑み込む。
「ヒョウジュは、わたくしが手塩にかけて育てた婿と、結婚するのよ」
「ぐ……し、しかし」
こんな母に育てられた憐れな子羊がいるのかと思うと、不憫に思う。だが、それが愛娘の婿になるというのとは、関係ない。
「シエン、見つけてきてくれるかしら」
「母上っ! ……って、え? 見つける?」
育ててきたのなら、連れてきたと思ったのだが、どうやら違うようだ。
「あの子には、わたくしやツヅクモのような力はないのよ。こちらに渡る方法がなかったの」
「渡る……?」
「そう。だから、誘われたはずよ。昨日帰ってこなかったからね」
「……あの、母上? いったいどこに行っていたのですか?」
「ここではないどこかの世界、そして国よ」
まさか、と王は顔を引き攣らせる。ちょっと出かけてくる、という勢いで唐突に姿を消したわが両親は、国にはいないだろうと思っていたが、まさか世界からも姿を消していたとは、驚きである。
「暮らしやすい世界だったねえ、ユキィーヤ」
「そうね。少しお金には困ったけど、楽しかったわぁ」
きらきらと目を輝かせているわが両親に、いったいどんな生活をしていたのだ、と聞きたい。そうでなくとも、頭に血が昇っていてよく見ていなかったが、母も父も、見慣れない形の着物を身にまとっているのだ。
どこでなにをしてきた、と王は悪寒を走らせる。
「いったい、なにを……」
「だから、婿を育ててきたのよ。そういうわけだから、シエン、わが孫婿を捜してくれるかしら。この国の、どこかの村の宴に、誘われているはずなのよ」
「ちょ、母上! 宴に誘われても、祝い酒を呑んで、さらにこの国のものを食さねば、宴からは」
「あの子はこの国のどこかにいるわ」
やけに自信満々な母に、王は困惑する。
「しかし、母上……」
「いるのよ、ツキヒト」
王太后は力強く、王の名を口にする。
「あの子は、いるの。あの子の魂は、わたくしが護れなかった命なのだから」
王太后の薄茶色の瞳は、ひどく悲しげに、けれども求める強さに溢れている。
「ユキィーヤ……護れなかったのは、ユキィーヤだけの責任ではないんだよ」
「そうね、そうかもしれないわ……わたくしたちが護れなかった、大切な命」
先王は、顔を伏せた王太后の肩を引き寄せると、抱きしめてぽんぽんと背中を撫ぜた。そうして、その顔を王に向ける。
「ツキヒト、捜してくれるね?」
「父上……」
「頼むよ、ツキヒト。あの子は、本当に、ぼくらには大切な子なんだ。だから……」
先王の真剣な眼差しは、いつもののんびりとした父ではなかった。痛ましい過去を持つ、先王の姿だった。
「……わかりました」
王は、ため息をついたあとに、了承した。豪気な母を弱くさせ、のんびりと笑う父からそれを奪う人物を、仕方ないから捜してやろうと思った。
愛娘との結婚は、とりあえず無視しておく。逢って変わることもあるかもしれない、変わらないかもしれない。だから、とりあえず無視だ。
「ご帰還されたばかり、しばらくは療養され、わが報告をお待ちください。必ずや見つけ出しましょう」
痛む腹をさすりながら、先王と王太后に礼を取り、近衛兵のひとりにふたりを頼むと、王は宰相を連れて来た道を戻った。
「あの騎士の死を、母上はまだ悔やんでおられるのだな」
「仕方ありません。あの頃の害獣は、ひどく、強豪なものばかりでしたから」
「あの騎士に、わがリョクリョウ国は救われた。そのことには、余も感謝している。だがあの騎士は、英雄となることを拒んだ。いつも仄かに笑い、剣など似合わぬ姿をしていたと……余もまだ憶えている」
忘れられるわけもないのだが、と王は二度めのため息をつくと、姿勢を正して宰相に命じた。
「国内の状況を改めよ。害獣被害が多い地域には国軍を派遣する。それに伴い、宴の開催期を測定し、この二日以内に宴を催したと思しき場所を検めよ」
「御意」
「忙しくなるぞ、シエン。おまえの弟も、呼んでおけ」
「承りました」
「ギルギディッツを召喚できるようなら、そうしてくれ。あの騎士の魂が、婿とやらに宿っているなら、あれに捜させるのが一番だ。むしろあれなら、もう見つけているかもしれないが」
「そうですね」
王と宰相は、廊下を足早に抜けると、執務室に飛び込むようにして政務に取りかかった。