03 : 宴と明けた朝。3
「話はまとまったな。あとは……おい、爺さん。起きてんだろ」
シスイの弟子入りがいつのまにか決定されてすぐ、シスイは大剣を肩に背負いながら、カウンターで眠りこけていた老人を起こした。そのついでにシスイは、テーブルに突っ伏したままのオッサン二名を蹴り起こし、寝ぼけ眼のオッサンたちを寒空に追い出した。なんて外道。
一連の所業を見ていたおれは、この酒場の主人がシスイではなく、老人であるらしいと知った。
「勝手に人ん家で料理してたのかよっ?」
「ああ? だって腹減ってただろ」
「そうだけどっ」
美味しくいただきましたけどっ。
「いいんだよ。爺さんには好きに使っていい言われてるから」
なあ爺さん、と訊かれた爺さんは、寝ぼけ眼をこすりながらうんうんと頷いた。
「どうせこの酒場はいつも閉めとるからな」
「閉めてる? 閉店したままってこと?」
「ああ。ほれ、わしもこのとおり老いぼれだ。跡を継ぐ者もおらん。だからシスイの坊ちゃんに貸しとるんだよ」
「坊ちゃん?」
面白い呼び方をされているシスイに振り返ったら、不機嫌に顔をしかめていた。
おお、怖っ。
「ここはおれの第二の家だ」
「あ、そうですか」
「おまえの第二の家にもなる」
「へぇ……え?」
「いいだろ、爺さん」
かまわんよ、と老人。そんな安請け合いしていいのかよ。
ということで、おれは老人の住まいである酒場に世話になると決まった。らしい。
老人におれが迷子であることを教えておくと、老人はふむふむと首を縦にふり、シスイと同じように「よくいる」を頷いていた。ふらっと現われる迷子は、ふらっと帰っていくことも、老人は知っていた。
「イザヤは帰れなかったんだなぁ」
「う……」
「昨日の宴は、祝い酒も振る舞われていた。そのせいだろうなぁ」
「やけに美味い酒だった」
「祝った酒は美味いものだ。いろんなものを呼び寄せる。害獣ですらふらふらと現われるくらいだ」
「害獣駆除の成功を祝ったのにっ?」
「ああ。一気に戦いの場へと変貌する。祝いの宴とはそんなものだ」
うわぁ。
すげぇ危ない宴会だ。おれよく無事だったな。いや、帰れなかったから無事ではねぇけど。
やっぱり酒はもう呑まん!
「なあイザヤ」
「あ、なに?」
「帰れるまでここにおるなら、わしを手伝わんか」
「手伝う?」
「シスイとイザヤがおる。そこにわしがおるとなりゃ、酒場をやらにゃ勿体なかろ」
老人の唐突な提案は、眉間に皺を寄せていたシスイをますます不機嫌にさせた。
「おい爺さん、おれは狩人だ。イザヤも狩人になる。酒場の手伝いなんぞできるかよ」
いやいや、おれ、狩人になるなんて、未だ言ってないからね?
「諦め悪ぃな、イザヤ」
「げっ、なんで思ったことわかったんだよ」
「そういう顔してんだよ」
おれはそんなに表情豊かだっただろうか? むしろもっと愛想よくしろと言われて、無理やり顔を作って、顔面疲労を患うくらいなんだけど。
むにむにと自分の頬を抓っていたら、老人にぽんぽんと頭を撫でられた。
「帰りたいんだろう、イザヤ」
「……うん」
帰らないと、祖母ちゃんと祖父ちゃんに殺される。
それに、きっと心配して、泣くだろうから。
「酒場はな、いろんな情報が入ってくる。迷子のイザヤには、ちょうどよかろ」
それって、おれが帰るのを、手伝ってくれるってこと?
言葉もなく目でそう訊いたら、老人はにっこりと、ただ笑った。
「わしはキッタカという。タカ爺と呼んでおくれ、イザヤ」
老人、タカ爺の顔が、祖母ちゃんとか祖父ちゃんの面影に重なる。
ああやっぱり。
やっぱり、年寄りって優しいもんだよな。わけもなく優しくて、ときどき怖くなる。
「……ありがと、タカ爺」
ふっと笑ったおれの頭を、タカ爺はわしゃわしゃと撫でた。くすぐったかった。
タカ爺の目におれがどう映っているのか、それはわからないけど、この人は信じてもいい人だと思う。すぐに人を信じるなと、祖母ちゃんにはよく叱られたけど、これでもおれだってちゃんと人を見ているんだ。暴力的な祖母ちゃん、背中に夜叉を背負いつつ笑う祖父ちゃん、そんなふたりに育てられたおれだ。見る目はあると思う。
「シスイの坊ちゃん、そういうことに決まったぞ」
「おれは狩人だってのに……まあ、いいか。爺さん、おれのことはいい加減、坊ちゃんとか呼ぶな。ただの狩人なんだから」
「そうだな。これからはシスイと、ふつうに呼ばせてもらおう」
「そうしてくれ」
ため息をつきながら肩を竦めたシスイは、不機嫌はどこへ吹っ飛ばしたのやら、背負っていた大剣を手に持つと一回転させ、消した。
え、消した?
でかい剣が一瞬で消えたぞ?
「なに今の」
「あ? ああ、しまったんだ」
「しまったって、どこに?」
「影に」
「影ぇ?」
なにが起こった、とおれは慌ててシスイのそばに駆け寄り、その影を覗きこむ。
ただの影だぞ。
「持ち歩くのは邪魔だからな。敵の油断を誘うためにも、隠し持ってたほうが都合いいし、影にしまっておくんだ」
「ど、どうやって?」
「影にでかい袋があると思えばいい。それだけのことだ」
「へ、へぇ……」
でかい袋か。影ん中にそんなもんがあるのか。わぉファンタジー。最初に大剣をおれに見せたときも、影の中にあるから、突然に出せたのか。
これって魔法とか言うやつ?
「これ魔法?」
「いや、おれ魔法は遣えねぇから。魔力もねぇし」
おお、通じた。魔法って言葉あるのか、こっちにも。
「なに、イザヤは魔法遣えんの?」
「まさか! おれたちの世界では、魔法は架空の力だよ。こっちの世界は?」
シスイは魔法を遣えないと言っていたから、遣える人間がいるってことだ。
「どっかの島国が、魔法師がいる国だったなぁ……こっちだと天恵って呼ばれんだけど」
「てんけい?」
なのその力。
「リョクリョウ国にはあんまいねぇな、天恵者。王族くらいか?」
「王サマ! へぇ……でも魔法ってあるんだなぁ」
すごいなぁ。さすがはファンタジーな世界だ。
「ああでも……爺さん、天恵者じゃなかったか?」
なにっ!
ぐりん、とおれはタカ爺を振り返った。
「契約した天恵者ほどではないがな。こうして火を熾して、部屋を暖めるくらいだ」
「タカ爺、魔法遣いなのっ?」
「違う違う。天恵者だ。それに、ちょっと遣えるだけだよ」
タカ爺はそう言って苦笑した。けど、おれにはすごいことに思える。外と中の温度差を考えれば、これだけ部屋を暖められるタカ爺はすごい。
「火を熾すってことは、火の……てんけいしゃ、とかいうやつ?」
「いや、風だ。火を熾したあと、風を暖めて運んどるだけだよ」
「へえ!」
面白い力だ。
と、おれが目を輝かせたのも当然で、そんな便利な力があれば家にストーブは一つで充分、経済的、とつい貧乏癖で考えた。
だっておれ、冬場になると部屋寒ぃんだもの。ストーブはあるんだけど、襤褸だからすぐ止まるんだよ。新しいの欲しいって言ったら、殴られたし。祖母ちゃんに。
「おれには魔法も天恵も遣えねぇから、なにがいいかなんてさっぱりだが、あれば便利そうだなぁとは思う」
シスイも、便利そうだ、とは思っているようだ。
「じゃあ、この影はなに?」
「魔術を遣える奴に、袋くれって言ったら、影にそんな空間を縫いつけられた」
「え?」
袋くれって言っただけで、影に袋を?
というか、魔術? 魔法と違うのか?
「ああそうか、一気に話したら混乱するよな」
なにやらファンタジーな力はいっぱいある。混乱しそうだ。シスイはそれに気づいてくれて、「じゃあまたあとで、見たときにでも教えてやるよ」と言った。
「でも、シスイは遣えねぇんだろ?」
「おれは遣えねぇが、ここで爺さんの手伝いすんなら、適当な力を持った奴に逢うこともあるだろうよ」
おお、そうか。酒場は情報が入ってくるところだって、タカ爺は言っていたからな。
「タカ爺、よろしくな」
「ん? ああ、もちろんだ」
おれはタカ爺と握手して、これからのことを不安に思いながらも、とにかく帰ることを考えて、にっかりと笑った。