表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/16

01 : 宴と明けた朝。1





 自分が持つ常識が通用しないって、これのことを言うんだと思った。


「なんだ、これ」


 目の前に広がった景色が信じられない。

 こんなのありかよ。


「おお、兄ちゃん起きたか」


 かけられた言葉に、思わずビクッとしてしまう。

 どう表現すればいいのかわからないが、喫茶店のカウンターのようなところで、フライパンを片手に料理しているお兄さんが、にっかりと笑った顔をこっちに向けていた。


 あのお兄さんには見憶えがある。まあ呑め、と酒を差し出してきたお兄さんだ。

 だが、見憶えがある顔はお兄さんだけではない。隣で眠りこけているオッサン約二名と、カウンターらしきところで眠っている老人にも、見憶えがある。


 じゃあなにが信じられない光景か。


「……どこだよ、ここ」


 幾度か瞬きしても、景色が再び変わるようなことはなくて、目を擦ったり頬を抓ってみたりしても、やっぱりその景色は動かなかった。

 ここは酒場か?

 居酒屋か?

 雰囲気的には喫茶店というよりも居酒屋っぽいところだが、どこかはわからない。


 どこで眠りこけたんだよ、おれ?


「どうした、兄ちゃん」


 呆然としていたら、カウンターで料理していたお兄さんが、料理したものを皿に入れて盆に乗せ、カウンターから出てきた。


 うお、でけぇ。


 じゃなくて、炒飯みたいな料理のそれを持ってきたお兄さんは、おれの前にその皿を置いた。


「ほれ、朝飯」

「え、おれの?」

「そ。おれも食うけど」


 お兄さんは盆を隣のテーブルに置くと、自分の皿を持っておれの向かいに腰かけた。


「兄ちゃん、変わった恰好してるよな。どっから来たわけ?」

「え……そっちも変わった恰好してね?」


 じっと互いを見る。

 お兄さんはなんていうか、膝丈までの着流しにズボン、裾は片方だけブーツみたいな靴に詰め込まれていて、もう片方の裾は引き摺っている。

 対しておれは、休日にいきなり呼び出されて飲み会に参加していたので、長袖のTシャツにダメージジーンズ、足許は一目惚れして買ったブランドのサンダルできめている。


 え、なにこの差。

 時代錯誤っていうより、世界錯誤?

 そんな言葉あったかな。


「まあ食えよ。あれだけ呑んだくせに、この時間に起きたってことは腹減ってんだろ」


 あ、詮索を放棄しやがった。

 まあいいけど。確かに腹は減っている。


「いただきます」

「律義だな」

「癖だよ」

「そうか。じゃあおれも、イタダキマス」


 おれは手のひらを合わせて「いただきます」と言ったが、お兄さんのほうは言葉にしたくらいだった。木製のスプーンでがつがつ食べている。

 見ため炒飯のそれを、おれもありがたく頂戴する。


「うん、なかなか美味い」


 ふつうに炒飯だ。塩気がちょうどいい。


「こんなのここいらじゃ、ふつーの家庭料理なんだが……美味いのか?」


 おかしなことを訊く。家庭料理だから美味いのだ。


「ばあちゃんのお手製に似てる」

「あ、そう」


 朝飯に炒飯はどうかな、とも思うが、脂っこくないから食べ易い。やっぱり朝の食事はなんであれ大切だ。


 おれとお兄さんが無言でがつがつ食べている間、眠りこけているオッサン二名とカウンターの老人は起きず、食べ終わっても起きなかった。

 まあべつに騒がしくしてたわけじゃないし、起きなくて当然だけど。


「で、兄ちゃんどっから来たわけ?」


 食後のお茶らしきものまでもらうと、お兄さんが詮索することを思い出した。


「どっからって……どっから?」


 ふむ、とおれは思い出してみる。


 昨日は休日だった。久しぶりの休日を、誰にも邪魔されることなく惰眠に使っていたが、夕方に職場の先輩から呼び出しがかかった。飲み会をするから来い、と。タダ酒を呑ませてやる、と。おれは酒があまり好きではないから行きたくはなかったが、そこで断ると職場の先輩との折り合いも悪くなると思って、仕方ないと飲み会に参加した。適当に合わせていればいいだろうと、そのとおりに行動して、ほろ酔い加減で帰路についたのを覚えている。

 その帰り道だ。

 ふと通りかかった道端で、宴会をしているような騒ぎが聞こえて、気づくとその中にいたと思う。そこでオッサンに声をかけられて、おまえも呑めよ、と酒を渡された。ほろ酔いだったおれは、これ以上の酔いは避けたかったので遠慮したが、オッサンは強かった。無理やり呑ませられて、しかしそれがなんというか美味で、あっというまに一杯を呑み切ってしまっていた。

 そこからは言うまでもない。

 ひたすら、呑ませられた。

 とにかく、呑ませられた。

 あんなに呑んだのは初めてではなかろうか。しかし記憶はあるし、二日酔いもない。いい呑み方ができたようだ。


「飲み会の帰り道に、あんたらに引っ張り込まれたんだな、おれ」

「そりゃ悪かったな」

「いや、美味い酒だった。あんなに美味い酒、初めて呑んだよ」

「祝い酒だったからなぁ」

「へえ。誰かの結婚とか?」

「んにゃ。害獣駆除に成功したんだよ」

「……なんだそれ」


 祝うほどのものか、と顔が引き攣る。

 害獣って言ったら、家庭の宿敵ゴキさんくらいしか思い当たらない。

 あ、あれは害虫か。

 いやいや、ニュースとかでも人慣れしてしまった野生動物が人に危害を加えたり、農作物を荒らし散らしたりする話は聞くから、そういう生きものを害獣と呼ぶなら、まあ、撃退できれば喜ばしいのかもしれない。


「いいことがあったときには、みんなで宴を開く。まあ、ただ宴を広げたくて適当な口実を作るときもあるが」


 害獣駆除が適当な口実になってしまった。

 あんたらなに祝ったの?


「兄ちゃんみたいにふらっと寄ってく奴らも多いが、ここいらの人間じゃねぇのはいつのまにかいなくなってるもんだ。だから変な恰好してる奴らはとくに珍しいわけじゃない。まあ、兄ちゃんみたいに朝まで眠りこけてるっつうことはねぇけど」

「え?」


 頭からすぽんと、害獣のことが吹っ飛んだ。


 お兄さんの今の話、どっかで聞いた気が。いや、小説で読んだ気がする(くだり)だ。

 ええと、なんだったかな。あれだ、あれ。

 あれとしか言葉が出ないのは歳を取った証拠。

 じゃなくて。


「おれって、そんなに変な恰好してんの?」

「薄着だ」

「いや、今夏だし。おれ半袖は好きじゃないから長袖しか着ねぇけど」

「今は冬だぞ」

「ええ?」


 秋はどこに行った?

 というか、冬ならもっと寒いはず。

 くるりと周りを見渡すと、お、灯油ストーブっぽいの発見。発火していやがるぜ、くそ。


「……おれ、季節間違えるほどボケちゃいねぇはずなんだけど」

「はあ?」

「夏からいきなり冬って……ええ? おれ、どんくらい眠りこけてたわけ?」

「数時間くらいじゃねぇか?」


 たった数時間で季節を一つ抜けるものか?

 おれ、どれだけ仕事を無断欠勤したことになるんだよ。

 宣言しないで家出しちゃったよ。


 あぁあぁぁ、祖母ちゃんと祖父ちゃんに殺されるぅ。


 頭を抱えてテーブルに突っ伏したおれは、しばらく現実逃避を試みる。嘘だと思いたくても、目の前の灯油ストーブっぽいものが現状を語っているから、まあ逃れられるわけもない。


「……兄ちゃん、ほんとにどっから来たわけ?」

「どっからって、居酒屋からの帰途だよ。終電逃したからかなり歩いたけど、家の近くまでなら着いてたし」

「しゅうでん? よくわかんねぇが……もしかして兄ちゃん、迷子か?」

「まいごっ?」


 そんなわけあるか、とがばっとテーブルから顔を上げたら、お兄さんの精悍な顔が間近にあって、吃驚して椅子から転げ落ちそうになった。


「なんだよっ?」

「んにゃ。兄ちゃん、目ぇ黒いな」

「日本人は目ぇ黒いよ。いや本当は焦げ茶色だけど」


 おれの目が黒いと言ったお兄さんは、薄茶色だ。

 色素薄いなぁ、このお兄さん。


「ふぅん……迷子か。珍しいな」

「いや迷子ってなに。迷子と目が黒いのとなんの関係がっ?」


 お兄さんは身を引いておれと距離を作りながら、さも「知ってるだろ」と言わんばかりに胸の前で両腕を組む。


「宴ってのはな、古来、いろんなもんを呼び寄せるもんだ」

「は? なんのこと?」

「どっかでどんちゃん騒ぎしてりゃ、なんか気分よくなることってあるだろ」

「……、ねぇな」


 おれは酒にいい記憶がない。どんちゃん騒ぎ? 嫌いだね。あんなのは楽しくもない。酔っ払いも好きじゃない。だから飲み会があって義務的に参加しても、おれはほろ酔いくらいで止める。というかいくら呑んでもほろ酔いにしかならない。気づいたら眠りこけていた、なんてのは、これが初めてだ。ついでに、あんなに気楽に酒が呑めたのも、これが初めてだ。


 急に仏頂面になったおれをどう思ったのか、お兄さんは首を傾げたくらいにして、話を続けた。


「宴の席に素性は関係ねえ、楽しく呑めりゃ万々歳、一夜限りの無礼講だ」

「まあそれはわかるけど」

「兄ちゃん、それで誘われちまったんだよ、たぶん」

「誘われた?」


 む。

 確かに、そんな感じでふらふらっと、お兄さんたちが開いていた宴会に混ざっていた気はする。気づいたらそこにいたわけだし、誘われたのなら頷けるかもしれない。


「呼び寄せられて、誘われちまった兄ちゃんは、迷子になったってわけだ」

「え? どういう完結の仕方だよ、それ」

「誘われても帰れるもんだ。どういったわけか、な。だが兄ちゃんは帰れなかった。つまりは迷子だ」

「……、帰れなかった?」


 なんだそれ、とおれは首を傾げる。

 帰れなかった?

 呼び寄せられて誘われて、帰れなかった?

 帰られなかったということか?


「昔から言うもんだぞ、下手な宴にゃ顔出すな、てな」

「いやそんな言葉知らねぇよ。そんな言葉あったかよ」

「あるぞ。この村には」

「……村?」


 この村、だと?

 市町村?

 おれの家は町にあるぞ?

 遠戸町だ。住宅街だ。おれは飲み会のあと、そこまで帰途にあった。あと十分も歩けば、祖母ちゃんと祖父ちゃんがいるわが家だった。

 村?

 なんで、村?


「……ここどこ?」


 きょとん、としたおれに、お兄さんはやっぱり首を傾げるだけだった。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ