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14 : 黒犬と再会の日。





 ベッドから起き上がれるようになったのは、シスイから状況を聞いて、ヒョウジュと出逢ってから、二日後だった。未だ痛むけど、腕を吊ればそれもいくらか軽減して、起きていられる。

 ベッドから離れたのは、それからさらに二日後のことだった。


「手紙を?」

「そう。タカ爺と、オッサンたちに。だめか?」

「だめということはないけれど……イザヤの無事なら、もう伝えたわ」


 今日も今日とて綺麗なヒョウジュに、おれは情けないながら包帯を変えてもらって、タカ爺に手紙を書きたいと言った。無事の知らせはもう行ってるけど、それでも、自分でも知らせたくて。


「おれが、伝えたいんだ」

「……わかった。少し、待って」


 ヒョウジュはそう言って、汚れた包帯とか消毒薬とか、それらを籠にいれると部屋を出て行った。

 うーん、ヒョウジュって、綺麗なんだけど、なんか勿体ない。なにが勿体ないって、あんまり表情が変わらないとこ。ふわっと仄かに微笑むことはままあるんだけど、なに考えてるかはいまいち掴み難い。まあおれも人のこと言えないんだけど。愛敬を振りまくのは苦手だからね。愛想よくしろって言われても無理、無理ったら無理、というかいやだ。たぶんヒョウジュもそんな感じ。

 この数日、ヒョウジュと接して思ったことは以上。


「イーサ、機嫌いいな」

「そりゃな。美人に世話してもらって、嬉しくねぇ奴はいねぇだろ」

「ふぅん……ところでイーサ」

「ん?」


 あんまり興味なさそうにした黒犬は、おれの膝に頭を乗せて伏せると、寝心地いい場所を求めてかごろごろと動く。こいつでかいから、おれまで一緒に転がりかけた。

 いい場所を見つけたらしく、ぴたりと止まったとき。


「いつから文字書けるようになったんだ?」

「……、え?」

「ろくすっぽ書けなくて、苦労してたと思ったけど」


 おれ、沈黙。


「ぁああああぁああ!」


 忘れてた!

 ここ、異世界じゃん!

 言葉通じてっから思いっきり忘れてたよ!


「おれこの世界の文字知らねえ!」

「ん? やっぱり書けないのか?」

「書けねえ!」

「……なんだ。やっぱり書けなかったか」

「どうしよ黒犬!」


 って、黒犬に訊いても仕方ねぇけど。


「……おれが書いてもいいけど」


 ええっ?


「おまえ書けんのっ?」


 そんな硬い肉宮と爪で?

 というかそんなもふもふな手でっ?


「イーサが文字憶えようとしないから、おれが憶えてやったんだ」


 と言いながら黒犬、むくりと起き上がる。いつかのときみたいにぐにゃりとその姿が歪んで見えた次の瞬間には、おれと同じ顔の男が目の前に。


「ぎゃあ!」

「? なに悲鳴上げてるんだ」

「おまえっ、なんでおれと同じ顔なんだよ!」

「初めて見て憶えたのがイーサだった」

「……、へ?」

「イーサの真似すると、こうなる」


 なにがおかしいのだ、と言わんばかりの黒犬に、おれ、あんぐり。

 えーと、それは、あれか?

 刷り込みとかいうやつ?

 ああいやいや、あれは雛鳥の習性だ。

 似たようなもんだろうけど。


「おれの真似?」


 なんでわざわざそんな面倒臭いことを。


「憶え易かった」


 ああ特徴丸出しで悪かったなっ!


「自分で書くからいい! おまえはわんこに戻りなさい!」

「……なんで怒る」

「いいから戻れ!」


 同じ顔なうえに見ていたい顔でもねぇから、いいのです。というか黒犬は黒犬でいなさい。

 怒鳴ったおれに黒犬は首を傾げていたが、ぐにゃりとその身体が歪むといつもの巨大な犬になる。ふわふわとした黒毛に誘惑されかけて、そういえばこいつオスってことだよなと思うと、悲しくなった。いや、メスであって欲しいってわけでもないけどね? こう、気軽に触れなくなるし、ね。


「イーサ?」

「うん、男の都合」

「なにが?」

「……なんでもね」


 犬に戻った黒犬をちょいちょいと呼んで、背中のほうに座らせる。ごろんとおれは転がって、黒犬を枕にした。

 とたん、長く、おれは息を吐き出す。

 怪我はだいぶよくなった。痛みもそれなりだ。鎮痛効果があるとかいう薬を飲ませられるから、適度な睡眠も取れてる。それでもやっぱり身体がつらいのは、怪我のせいだろうな。


「イーサ、だいじょうぶか?」

「んー……それなり」


 適当に返事をして、タカ爺への手紙を考える。文字は書けねぇけど、ヒョウジュにでも文章を伝えて書いてもらって、それを真似て書けばどうにかなるか。

 どうしてるかなぁ、タカ爺。


「イザヤ、持ってきたわ」


 扉がノックされたあと、ヒョウジュが木箱みたいなものを持って戻ってきた。


「ひよ、悪いけど、おれ字ぃ書けねぇんだ。文章考えとくから、書いてくれる?」

「……文字が、書けない?」

「自分の国の文字なら書けるけどな。この国の文字は、知らねぇから」

「そう……憶える気があるなら、わたしが教えるわよ?」


 いや、とおれは首を左右に振る。おれは帰るから、憶える気はない。


 あ、そうだ。


「ひよ、いろいろありがとうな」

「え?」


 よっこいしょ、とおれは身体を起こして、きょとんとしているヒョウジュに微笑む。


「なんも恩返しできねぇけど、助けてくれて、世話してくれて、ありがとう」


 未だここがどこか教えてくれないのは、不思議だけどな?

 城ってことらしいけど、どこの城?

 王サマがいる城?

 まあ、どこでもいいや。怪我が治ったら、おれはカジュ村に戻る。戻って、宴を開いてもらう。そうして、帰るんだ。

 だから、詳しいことは教えてくれなくても、生かしてくれたことには感謝する。

 おれは、生きたいと、まだ思うから。

 あの場所に帰りたいから。


「わたしこそ……イザヤには、感謝しているわ」

「え?」

「あなたでよかった」

「……なにが?」


 ヒョウジュが、ふっと微笑む。その笑みに、おれは首を傾げた。

 ヒョウジュは綺麗で、可愛い女の子だけど、なんかこう、不思議なものを感じる。なにが不思議かっていうのは、答えられないんだけど。


 ただただ微笑むヒョウジュにおれがひたすら首を傾げていたとき。


「ユキの匂いがする」


 と、黒犬。


「え、もう雪降んの?」


 と、おれ、窓を振り返る。

 なんだ、晴れてるじゃないか。


 そう思ったときに聞こえた、扉が開く音。シスイが来たのかなと振り返って、とたんにおれの時間は止まった。


「逢いたかったわよ、イザヤ」

「やあイザヤ、久しぶり」


 おれ、硬直。

 だって信じられなかったから。



 自分の常識が通用しないこともあるって、こういうことを言うんだ。



 おれの頭は真っ白。

 なにを考えているかもわからない。

 ただ目の前の事実に、呆然となる。


 それでも、身体は動くもので。


「ばぁ……ちゃ……っ」


 おれはベッドから転がり落ちるように降りて、走っていた。身体の至るところが痛いのなんて、関係ない。痛くても、もうどうでもいい。

 ああ、目が霞む。

 おれ泣いてるよ。


「……イザヤ」


 唖然とした顔が、珍しい。

 おれが泣き顔で走って行こうものなら、「男の子でしょ!」とよく叱られたものだけど。


「ばぁちゃん……っ」


 あと少しで手が届くというところで、おれは転びかけた。それを、掬うように助けてくれた、暖かい腕。


「イザヤ……」


 聞こえた声は確かなもので。

 支え起こしてくれた腕は、憶えのあるぬくもりで。

 手放すまいとしがみつき、見上げた顔は、ずっと帰りたいと思っていた場所にいる人のもので。

 泣きたい。

 すごく。

 大声を上げて、泣きたい。


 でも泣かない。


「ばあちゃん」


 にへら、とおれは笑った。

 だって、目の前にいるのは祖母ちゃんと、祖父ちゃんだったから。



 なんでここにいるんだ、とか。

 なんでそんなドレスみたいなのなんか着てるんだ、とか。

 なんだか偉そうに見えるのはなんでだ、とか。

 後ろに引き連れてる軍人さんはなんだよ、とか。


 ここはどこだよ、とか。


 訊きたいことはたくさんあったけど、それよりもおれは、再び逢えたことが嬉しくて、ほっとして、ただただ笑う。

 そんなおれに祖母ちゃんも祖父ちゃんも、なぜか吃驚していて。

 いつもなら飛んできそうな鉄拳も、降臨する夜叉も、なかった。


 へらへら笑うおれを、初めに祖母ちゃんが抱きしめてくれた。そのあと祖父ちゃんが祖母ちゃんごと、おれを抱きしめてくれた。

 嬉しかった。

 ほっとした。

 もしかしたら帰れないかもしれないと、思わなかったわけではなかったから。

 すごく、安心した。

 おれを愛してくれているふたりに。


「ばあちゃん……じいちゃん」


 壊れた機械みたいに、狂った時計みたいに、おれは笑う。

 もうすべてがどうでもよくなった。

 ふたりも一緒におれと迷子になってくれたなら、おれはわざわざ帰れないかもしれない日本に帰ろうなんて思わない。ふたりが帰りたいって言うなら、方法は捜す。でも、ふたりが要る場所がおれの居場所だから、どこにいてもいい。

 どこにいても、祖母ちゃんと祖父ちゃんがいるところなら、おれは幸せになれる。


 ああ、よかった。

 逢いたかった。

 逢いたかったよ、ばあちゃん、じいちゃん。

 逢いたかったんだよ、おれの大切な人たち。

 逢いたかった。







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