「君より彼女のほうがいい」そう言われたので、喜んで婚約者を譲りました
「アリシア・フォン・グランベル。君との婚約を破棄する!」
王立学院の卒業記念舞踏会。
大勢の貴族が見守る中、私の婚約者である第二王子レオンハルト殿下は、堂々とそう宣言した。
会場がざわめく。
隣に立っているのは、淡い桃色の髪をした令嬢――ミレーヌ男爵令嬢。
彼女は殿下の腕にそっと手を添え、申し訳なさそうな顔をしている。
「アリシア。君は確かに優秀だ。だが、王太子妃……いや、王族の妻になるには冷たすぎる」
「そうですか」
「私はもっと、僕を支えてくれる女性を選びたい」
「それなら、仕方ありませんね」
私があっさり答えると、殿下が目を丸くした。
「……何?」
「婚約を破棄なさりたいのでしょう?」
「あ、ああ。そうだ」
「でしたら、喜んでお受けします」
会場がさらに静かになった。
殿下は、もっと私が取り乱すと思っていたのだろう。
泣き崩れるか、彼に縋りつくか。
少なくとも、笑顔で了承するとは思っていなかったらしい。
「待て。君は……本当にそれでいいのか?」
「はい」
「私との婚約がなくなれば、君は王族との繋がりを失うんだぞ」
「構いません」
私は微笑んだ。
「むしろ、殿下の理想のお相手が見つかったことをお祝いしたいくらいです」
「……嫌味か?」
「いいえ。本心です」
私はミレーヌ嬢へ視線を向ける。
「おめでとうございます」
「え……?」
「殿下が望んでいた女性になれたようで、とても素晴らしいと思いまして」
ミレーヌ嬢は嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます、アリシア様!」
その瞬間だった。
殿下が満足そうに頷く。
「そうだ。ミレーヌは君とは違う。彼女は料理もできるし、裁縫もできる。何より、私のことを一番に考えてくれる」
「まあ」
思わず笑ってしまった。
王族の妻になっておいて、料理?裁縫?
何の役に立つのでしょう。
ひとまず笑いを収めて、当たり障りのない言葉を発する。
「それは素敵ですね」
そんな私の言葉に彼らは怪訝な顔をしながら問いかける。
「何がおかしい?」
「いえ。何でもありません」
私は一礼して、その場を離れた。
これで終わり。
――そう思っていた。
まさか三日後、ミレーヌ嬢が私の屋敷を訪ねてくるまでは。
◇
「アリシア様!」
家中に響き渡る声に、私は思わず顔を上げた。
場所はグランベル侯爵領。
自室で読書をしていた私は、午後の予定を確認してから玄関へ向かうのだった。
彼女は息を切らして立ち尽くしていた。
「ミレーヌ様?」
「お願いがあります!」
「……はい?」
少しの間息を整えていた彼女が唐突にお願いしてくる。
びっくりしながらも、とりあえず応接間に案内する。
すると、彼女は堰を切ったように話し始める。
「殿下が……殿下が、怒っているんです!」
「まあ」
「『婚約者なのだから、もっと僕を理解しろ』って……!」
ああ。
やっぱり。
そうなるとは思っていました。
けれど、私の回答は、
「そうですか」
これに尽きます。
だってもう婚約者じゃありませんしね。
「どうすればいいんですか!?」
私は首を傾げた。
「私に聞かれても……」
「だって、アリシア様ならできていたでしょう!?」
「何をです?」
「殿下のお世話です!」
私は少し考えた。
確かに婚約者だった頃、殿下の予定を確認したり、舞踏会の衣装を選んだり、他国からの贈り物を整理したりした。
けれど。
「それは婚約者として必要だったからです」
「でも今は私が婚約者です!」
「そうですね」
「だったら教えてください!」
必死な顔だった。
そんな彼女の顔を見て、私は少しだけ同情した。
どうやら彼女は、殿下の言った「僕を支えてくれる女性」という言葉を、誤解していたらしい。
彼女は、自身の料理や裁縫などの趣味程度の代物で、殿下を支える――癒せると考えていたようだ。
そんなわけないだろう。
王族の妻としての業務はその程度で済む訳がない。
そもそも、王族妃教育すら受けていないのだからそこら辺は殿下がフォローしないと――。
いや、あの人がそんなことできる訳ないか。
……元婚約者として。
不始末のツケは付けますか。
「ミレーヌ様」
「はい」
「殿下は、あなたに何をしてほしいと言っていましたか?」
「え?」
「具体的に聞きましたか?」
「……」
ミレーヌ嬢が黙り込む。
「……言われてみれば、特には」
「では、私にも分かりません」
「そんな……!」
彼女が肩を落とした。
私は紅茶を一口飲む。
「ただ、一つだけ言えることがあります」
「何でしょう?」
「殿下は、私が何でも察して動くことを『愛情』だと思っていたようです」
「……」
「ただ、あなたが同じことをする必要はありませんよ」
「でも……」
ミレーヌ嬢は困ったように俯いた。
「私、殿下のことが好きなんです」
その言葉を聞いて、私は何も言えなかった。
今、というか数年前から私は彼に対する愛情をうしなっている。
だが。
少なくとも支えたいと思う時期があったのは間違いない。
その気持ちがあったからこそ、辛い業務でも投げ出さなかったのだ(最後の方は責任感だけでしたが)
今の彼女の顔を見た時。
その気持ちを少し思い出した。
少なくとも、彼女が遊び半分で殿下の隣にいるわけではないことは分かった。
「でしたら、まず殿下に聞いてみてください」
「何を?」
「『私は何をすればいいのですか?』と」
「……それだけ?」
「はい」
「それで大丈夫でしょうか?」
「分かりません」
私は正直に答えた。
「でも、婚約者同士なら、それくらい話してもいいと思います」
私は出来ませんでしたから――。
ミレーヌ嬢はしばらく考えたあと、小さく頷いた。
「……分かりました」
彼女は立ち上がった。
「ありがとうございます、アリシア様」
「お気をつけて」
彼女が帰っていく。
私は部屋に戻り、窓からその背中を眺めながら、ため息をついた。
「……これから大変そうね」
そして三日後。
今度は殿下本人がやってきた。
◇
「アリシア。ミレーヌに何を言った?」
開口一番、それだった。
「大したことは言っていませんが」
「嘘をつくな!」
「本当に何も言っていませんが」
「ミレーヌが変わったんだ!」
「それは良いことでは?」
「良くない!」
殿下は苛立った様子でテーブルを叩いた。
「以前の彼女は、僕が何を望んでいるのか察してくれた!」
察してくれていた、ですか。
でしたら彼女はここにきていなかったと思いますが。
どうせ、貴方が態度で示していたからでしょう。
何をやるにも表情と態度に、感情やしてほしいことが出ますからね。
それがたまたま上手く今までは噛み合っていただけでしょう。
正確には。
貴方だけはそう思っていたのでしょうね。
「そうですか」
「今は何でも僕に聞いてくる!」
「それは……」
私は少しだけ考えた。
「普通ではありませんか?」
「何?」
「殿下が望むことを、言葉にして伝えればよろしいのでは?」
「そんなことをいちいち言わせるのか?」
「婚約者なのでしょう?」
殿下が黙った。
「私には、それが『支え合う』ということだと思います」
「……君は昔からそうだった」
「何がですか?」
「正論ばかりだ」
殿下は苦々しく言った。
私は首を傾げる。
「だから君との婚約を破棄したんだ」
「はぁ」
「なのに、なぜ君はそんなに平然としている?」
私は少しだけ笑った。
「殿下」
「何だ」
「私は、殿下の理想の女性ではなかったようなので」
「……」
「ですから、理想の女性を見つけた殿下を止める理由がないのです」
殿下は何も言わなかった。
やがて視線を逸らす。
「……ミレーヌは、僕に何でも聞いてくる」
「はい」
「食事も、服も、予定も」
「はい」
「僕が何を望んでいるか、全部聞いてくる」
「はい」
「……面倒なんだ」
「そうでしょうね」
私は紅茶を置いた。
「ですが、それが殿下の選んだ婚約者です」
「君なら……」
殿下が言葉を止める。
「君なら、何も言わなくても分かってくれた」
「そうですね」
長い付き合いでしたから。
なんとなくは察せますよ。
「だったら――」
「でも、もう私は殿下の婚約者ではありません」
静かな声で告げる。
「そして、これからもなるつもりはありません」
殿下の顔が固まった。
「……なぜだ」
「楽だからです」
「何?」
「殿下の機嫌を考えず、自分の好きな時間に起きて、自分の好きな本を読んで、好きな人と話せる生活が、思った以上に快適でした」
「……」
「ですから、私はもう戻りません」
しばらく沈黙が続いた。
やがて殿下は立ち上がった。
「……分かった」
「はい」
「失礼する」
「お気をつけて」
殿下が去っていく。
私は窓の外を眺めた。
婚約破棄を告げられてから、まだ一週間も経っていない。
なのに。
私の生活は以前よりずっと穏やかだった。
◇
それから半年後。
王都では少し変わった噂が流れていた。
第二王子レオンハルト殿下とミレーヌ嬢は、婚約を続けている。
ただし、以前とは少し違うらしい。
「殿下、今日の予定は?」
「午前は政務。午後は騎士団の視察だ」
「分かりました。では私は自分の用事を済ませてきます」
「……ああ」
以前なら、ミレーヌ嬢は殿下の全てに付き添おうとした。
今は違う。
必要なことは互いに伝え、必要のないことには口を出さない。
どうやら二人なりの関係を作り始めたらしい。
一方、私はというと。
「お嬢様、お客様です」
「誰?」
「王立学院時代のユリウス様です」
「通して」
庭へ出ると、そこには一人の青年が立っていた。
「久しぶり、アリシア」
「久しぶりね」
「婚約破棄された令嬢とは思えないくらい楽しそうだね」
「だって、自由になったもの」
私が笑うと、彼も笑った。
「それなら、今度は僕と――」
「アリシア!」
遠くから侍女の声が飛んでくる。
「お父様がお呼びです!」
「今行くわ!」
私はユリウスに振り返った。
「ごめんなさい。続きはまた今度」
「うん」
どこか悲しい目をしている彼に断りを入れて、屋敷に足を向ける。
その道中、私は空を見上げた。
婚約を破棄されたあの日。
私は人生の大切な何かを失ったのだと思っていた。
けれど、違った。
あの日失ったのは――
誰かの理想になるために、自分を押し殺す生活だった。
そして、手に入れたのは。
「……私の人生、か」
思わず笑みがこぼれる。
悪くない。
むしろ。
今までで一番、楽しいかもしれない。




