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「君より彼女のほうがいい」そう言われたので、喜んで婚約者を譲りました

作者: 黒色鮎
掲載日:2026/09/21


「アリシア・フォン・グランベル。君との婚約を破棄する!」


 王立学院の卒業記念舞踏会。

 大勢の貴族が見守る中、私の婚約者である第二王子レオンハルト殿下は、堂々とそう宣言した。


 会場がざわめく。


 隣に立っているのは、淡い桃色の髪をした令嬢――ミレーヌ男爵令嬢。

 彼女は殿下の腕にそっと手を添え、申し訳なさそうな顔をしている。


「アリシア。君は確かに優秀だ。だが、王太子妃……いや、王族の妻になるには冷たすぎる」

「そうですか」

「私はもっと、僕を支えてくれる女性を選びたい」

「それなら、仕方ありませんね」


 私があっさり答えると、殿下が目を丸くした。


「……何?」

「婚約を破棄なさりたいのでしょう?」

「あ、ああ。そうだ」

「でしたら、喜んでお受けします」


 会場がさらに静かになった。


 殿下は、もっと私が取り乱すと思っていたのだろう。

 泣き崩れるか、彼に縋りつくか。

 少なくとも、笑顔で了承するとは思っていなかったらしい。


「待て。君は……本当にそれでいいのか?」

「はい」

「私との婚約がなくなれば、君は王族との繋がりを失うんだぞ」

「構いません」


 私は微笑んだ。


「むしろ、殿下の理想のお相手が見つかったことをお祝いしたいくらいです」


「……嫌味か?」

「いいえ。本心です」


 私はミレーヌ嬢へ視線を向ける。


「おめでとうございます」

「え……?」

「殿下が望んでいた女性になれたようで、とても素晴らしいと思いまして」


 ミレーヌ嬢は嬉しそうに笑った。


「ありがとうございます、アリシア様!」


 その瞬間だった。

 殿下が満足そうに頷く。


「そうだ。ミレーヌは君とは違う。彼女は料理もできるし、裁縫もできる。何より、私のことを一番に考えてくれる」

「まあ」


 思わず笑ってしまった。

 王族の妻になっておいて、料理?裁縫?

 何の役に立つのでしょう。


 ひとまず笑いを収めて、当たり障りのない言葉を発する。


「それは素敵ですね」


 そんな私の言葉に彼らは怪訝な顔をしながら問いかける。


「何がおかしい?」

「いえ。何でもありません」


 私は一礼して、その場を離れた。


 これで終わり。

 ――そう思っていた。


 まさか三日後、ミレーヌ嬢が私の屋敷を訪ねてくるまでは。






 ◇


「アリシア様!」


 家中に響き渡る声に、私は思わず顔を上げた。


 場所はグランベル侯爵領。

 自室で読書をしていた私は、午後の予定を確認してから玄関へ向かうのだった。


 彼女は息を切らして立ち尽くしていた。


「ミレーヌ様?」

「お願いがあります!」

「……はい?」


 少しの間息を整えていた彼女が唐突にお願いしてくる。

 びっくりしながらも、とりあえず応接間に案内する。

 すると、彼女は堰を切ったように話し始める。


「殿下が……殿下が、怒っているんです!」

「まあ」

「『婚約者なのだから、もっと僕を理解しろ』って……!」


 ああ。

 やっぱり。

 そうなるとは思っていました。

 

 けれど、私の回答は、


「そうですか」


 これに尽きます。

 だってもう婚約者じゃありませんしね。


「どうすればいいんですか!?」


 私は首を傾げた。


「私に聞かれても……」

「だって、アリシア様ならできていたでしょう!?」

「何をです?」

「殿下のお世話です!」


 私は少し考えた。


 確かに婚約者だった頃、殿下の予定を確認したり、舞踏会の衣装を選んだり、他国からの贈り物を整理したりした。


 けれど。


「それは婚約者として必要だったからです」

「でも今は私が婚約者です!」

「そうですね」

「だったら教えてください!」


 必死な顔だった。

 そんな彼女の顔を見て、私は少しだけ同情した。


 どうやら彼女は、殿下の言った「僕を支えてくれる女性」という言葉を、誤解していたらしい。


 彼女は、自身の料理や裁縫などの趣味程度の代物で、殿下を支える――癒せると考えていたようだ。


 そんなわけないだろう。

 王族の妻としての業務はその程度で済む訳がない。

 そもそも、王族妃教育すら受けていないのだからそこら辺は殿下がフォローしないと――。


 いや、あの人がそんなことできる訳ないか。


 ……元婚約者として。

 不始末のツケは付けますか。


「ミレーヌ様」

「はい」

「殿下は、あなたに何をしてほしいと言っていましたか?」

「え?」

「具体的に聞きましたか?」

「……」


 ミレーヌ嬢が黙り込む。


「……言われてみれば、特には」

「では、私にも分かりません」

「そんな……!」


 彼女が肩を落とした。

 私は紅茶を一口飲む。


「ただ、一つだけ言えることがあります」

「何でしょう?」

「殿下は、私が何でも察して動くことを『愛情』だと思っていたようです」

「……」

「ただ、あなたが同じことをする必要はありませんよ」

「でも……」


 ミレーヌ嬢は困ったように俯いた。


「私、殿下のことが好きなんです」


 その言葉を聞いて、私は何も言えなかった。


 今、というか数年前から私は彼に対する愛情をうしなっている。

 だが。

 少なくとも支えたいと思う時期があったのは間違いない。

 その気持ちがあったからこそ、辛い業務でも投げ出さなかったのだ(最後の方は責任感だけでしたが)


 今の彼女の顔を見た時。

 その気持ちを少し思い出した。


 少なくとも、彼女が遊び半分で殿下の隣にいるわけではないことは分かった。


「でしたら、まず殿下に聞いてみてください」

「何を?」

「『私は何をすればいいのですか?』と」

「……それだけ?」

「はい」

「それで大丈夫でしょうか?」

「分かりません」


 私は正直に答えた。


「でも、婚約者同士なら、それくらい話してもいいと思います」


 私は出来ませんでしたから――。


 ミレーヌ嬢はしばらく考えたあと、小さく頷いた。


「……分かりました」


 彼女は立ち上がった。


「ありがとうございます、アリシア様」

「お気をつけて」


 彼女が帰っていく。

 私は部屋に戻り、窓からその背中を眺めながら、ため息をついた。


「……これから大変そうね」


 そして三日後。

 今度は殿下本人がやってきた。

 




 ◇


「アリシア。ミレーヌに何を言った?」


 開口一番、それだった。


「大したことは言っていませんが」

「嘘をつくな!」

「本当に何も言っていませんが」

「ミレーヌが変わったんだ!」

「それは良いことでは?」

「良くない!」


 殿下は苛立った様子でテーブルを叩いた。


「以前の彼女は、僕が何を望んでいるのか察してくれた!」


 察してくれていた、ですか。

 でしたら彼女はここにきていなかったと思いますが。


 どうせ、貴方が態度で示していたからでしょう。

 何をやるにも表情と態度に、感情やしてほしいことが出ますからね。

 それがたまたま上手く今までは噛み合っていただけでしょう。


 正確には。

 貴方だけはそう思っていたのでしょうね。


「そうですか」

「今は何でも僕に聞いてくる!」

「それは……」


 私は少しだけ考えた。


「普通ではありませんか?」

「何?」

「殿下が望むことを、言葉にして伝えればよろしいのでは?」

「そんなことをいちいち言わせるのか?」

「婚約者なのでしょう?」


 殿下が黙った。


「私には、それが『支え合う』ということだと思います」

「……君は昔からそうだった」

「何がですか?」

「正論ばかりだ」


 殿下は苦々しく言った。

 私は首を傾げる。


「だから君との婚約を破棄したんだ」

「はぁ」

「なのに、なぜ君はそんなに平然としている?」


 私は少しだけ笑った。


「殿下」

「何だ」

「私は、殿下の理想の女性ではなかったようなので」

「……」

「ですから、理想の女性を見つけた殿下を止める理由がないのです」


 殿下は何も言わなかった。

 やがて視線を逸らす。


「……ミレーヌは、僕に何でも聞いてくる」

「はい」

「食事も、服も、予定も」

「はい」

「僕が何を望んでいるか、全部聞いてくる」

「はい」

「……面倒なんだ」


「そうでしょうね」


 私は紅茶を置いた。


「ですが、それが殿下の選んだ婚約者です」

「君なら……」


 殿下が言葉を止める。


「君なら、何も言わなくても分かってくれた」

「そうですね」


 長い付き合いでしたから。

 なんとなくは察せますよ。


「だったら――」

「でも、もう私は殿下の婚約者ではありません」


 静かな声で告げる。


「そして、これからもなるつもりはありません」


 殿下の顔が固まった。


「……なぜだ」

「楽だからです」

「何?」

「殿下の機嫌を考えず、自分の好きな時間に起きて、自分の好きな本を読んで、好きな人と話せる生活が、思った以上に快適でした」

「……」

「ですから、私はもう戻りません」


 しばらく沈黙が続いた。

 やがて殿下は立ち上がった。


「……分かった」

「はい」

「失礼する」

「お気をつけて」


 殿下が去っていく。

 私は窓の外を眺めた。


 婚約破棄を告げられてから、まだ一週間も経っていない。


 なのに。

 私の生活は以前よりずっと穏やかだった。





 ◇


 それから半年後。

 王都では少し変わった噂が流れていた。


 第二王子レオンハルト殿下とミレーヌ嬢は、婚約を続けている。

 ただし、以前とは少し違うらしい。


「殿下、今日の予定は?」

「午前は政務。午後は騎士団の視察だ」

「分かりました。では私は自分の用事を済ませてきます」

「……ああ」


 以前なら、ミレーヌ嬢は殿下の全てに付き添おうとした。


 今は違う。

 必要なことは互いに伝え、必要のないことには口を出さない。


 どうやら二人なりの関係を作り始めたらしい。


 一方、私はというと。


「お嬢様、お客様です」

「誰?」

「王立学院時代のユリウス様です」

「通して」


 庭へ出ると、そこには一人の青年が立っていた。


「久しぶり、アリシア」

「久しぶりね」

「婚約破棄された令嬢とは思えないくらい楽しそうだね」

「だって、自由になったもの」


 私が笑うと、彼も笑った。


「それなら、今度は僕と――」

「アリシア!」


 遠くから侍女の声が飛んでくる。


「お父様がお呼びです!」

「今行くわ!」


 私はユリウスに振り返った。


「ごめんなさい。続きはまた今度」

「うん」


 どこか悲しい目をしている彼に断りを入れて、屋敷に足を向ける。

 その道中、私は空を見上げた。


 婚約を破棄されたあの日。

 私は人生の大切な何かを失ったのだと思っていた。


 けれど、違った。

 あの日失ったのは――


 誰かの理想になるために、自分を押し殺す生活だった。

 そして、手に入れたのは。


「……私の人生、か」


 思わず笑みがこぼれる。

 悪くない。


 むしろ。

 今までで一番、楽しいかもしれない。

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