第5章 凍てつく静けさ ― 鷺沼の夜 ―
理性という鎧に身を包む鷺沼。
しかし、環と凪、柊の姿が胸に残り、
夜の静けさが彼の孤独をあらわにしていく。
会議を終えた鷺沼は、
静まり返ったオフィスの椅子にひとり腰を下ろしていた。
資料の束を閉じても、
あの声が、耳の奥に残っている。
“完全じゃなくても大丈夫”
“やさしい仕組み”
――あの女性(環)の言葉。
そして、あの青年(凪)の柔らかい理屈。
どちらも間違ってはいない。
だが、正しいとも言い切れない。
鷺沼にとって、それは理屈の外にある“余白”のようだった。
余白は、恐ろしい。
そこには不確定があり、曖昧があり、
彼のように生きてきた者には、何よりも嫌うべき「隙」だった。
――“隙を許せば、すべてが崩れる”。
それが鷺沼蓮という人間の、
長年の信念であり、鎧だった。
しかし、頭の中では何度も同じ場面が再生される。
凪の笑顔。
環のためらいながらもまっすぐな声。
そして、彼らを包む如月柊の穏やかな眼差し。
思い出すたび、胸の奥で
“音のしない揺れ”が生まれる。
「くだらない。」
独り言のように呟き、
ペンを強く握りしめた。
手の甲に浮かんだ血管が、
そのまま理性の線のように見えた。
――自分は間違っていない。
正しいことをしている。
正しい仕組みを作ることが、人を救う。
そう言い聞かせるたびに、
心の奥で何かが軋む音がした。
視界の端に、
モニターの隅で光るメッセージ通知が見えた。
差出人:永峰凌
本文は短い一文だった。
> 「明日のレビュー、灯さんがリモートで入ります。」
――また、あの人たちか。
鷺沼は息を吐き、
椅子を回転させて窓の外を見た。
夜の街が、静かに瞬いている。
それはまるで、どこか遠くで
“やさしい光”がまだ消えずにいるように見えた。
完璧を求めるほど、人は孤独になる。
その事実に、彼はまだ気づけない。
けれど決して消えない“やさしい光”だけは、胸の奥で確かに揺れていた。




