第9章 揺れる信仰 ― 不破と鷺沼 ―
不破の胸にも、アークのメンバーが残した“光”が揺れていた。
鷺沼への疑問。
そして、自分の信じてきた“正しさ”への問いが生まれる。
夜。
アルカディア・インテリジェンスのオフィスには、
白い蛍光灯の光だけが残っていた。
キーボードの音がひとつ、またひとつ、
広い空間にこだました。
不破恭介は、画面を見つめながら息を止めた。
さっきまで続いていたオンライン会議の映像が、
頭の奥で何度も再生されている。
あの女性――環の震える手。
それを静かに包んだ如月の腕。
そして、どんなに責められても明るさを失わない凪の笑顔。
どれも不思議なくらい鮮明に焼きついて離れない。
(感情を仕事に持ち込むな。そう教わってきたはずなのに……)
不破は、椅子から立ち上がり、鷺沼のデスクへと向かった。
鷺沼はまだ帰っておらず、
硬い背筋のまま資料に目を通していた。
「鷺沼さん、少し……お話ししてもいいですか。」
「どうした。」
不破は、躊躇いながら口を開いた。
「さっきの件ですが、どうしてアークシステムズ案を“再検討”にしたんですか?」
鷺沼の手が、ペンを止めた。
「判断基準に不確定要素が多すぎる。
“やさしさ”など、設計の理屈にならない。」
「でも、彼らの案――
ユーザーの負担を軽くする仕組みは、理にかなってます。」
鷺沼の目がわずかに細くなる。
「理にかなっていようと、感情を混ぜた時点で不安定だ。」
不破は、思わず声を荒げた。
「じゃあ、鷺沼さんはどうしてあの案を最後まで否定しなかったんですか?
“再検討”にしたのは、完全に切り捨てられなかったからじゃないんですか?」
鷺沼の肩が、ぴくりと揺れた。
しかし次の瞬間、
彼はいつもの冷たい表情に戻り、静かに言った。
「……不破。言葉を選べ。」
「俺はただ、聞きたいだけです。
何か、あの人たちに感じたことがあったんじゃないですか?」
沈黙。
時計の針の音だけが、やけに響く。
鷺沼は視線を落とし、低く答えた。
「……感情で動く人間は、長くは持たない。」
その声は、静かで、どこか痛々しかった。
理性の影に、確かに“揺れ”があった。
不破は、それを聞いて胸がざわめいた。
怒りでも反発でもない――
ただ、どうしようもない違和感。
(この人、変わってきてる……
でも、それを自分でも認めたくないんだ。)
言葉を失った不破は、小さく頭を下げた。
「……失礼しました。」
鷺沼は何も言わず、ペンを再び手に取った。
だが、その指先は、微かに震えていた。
不破がオフィスを出たあと、
鷺沼はひとり残って窓の外を見た。
高層ビルのガラスに映る街の灯り。
どれも規則正しく並び、完璧な幾何学のように見える。
けれど、そのひとつひとつが、
人の手で灯された“揺れる光”だということを、
彼はなぜか忘れられなかった。
鷺沼の言葉は強くても、指先は震えていた。
その震えこそ、長い理性の鎧が砕けはじめた証だった。




