第7章 亀裂の記憶 ― 理性の迷路 ―(後編)
心の奥に残るノイズ。
拒絶できない違和感が、鷺沼を眠らせない。
灯の笑顔が、なぜか胸を締めつけていく。
夜が深く沈んでいく。
デスクの上のモニターは、スリープに入りそうで入らないまま、
青白い光を放ち続けていた。
鷺沼は背もたれにもたれ、天井を見上げた。
頭の奥で、誰かの声が響く。
「エラーを減らすより、人を守る仕組みにしたい」
「どちらかが使えなくなっても、それは終わりじゃない」
静かなのに、どこかやさしい声。
そのやさしさが、いちばん厄介だった。
理屈で説明できないものを、どうやって理解しろというのか。
理解できないのに、拒絶もできない。
まるで心の奥に、微細なノイズが走り続けているようだった。
――俺は、正しい。
完璧であることが、正しい。
理論で導ける答えこそが、唯一の道だ。
それなのに、なぜだ。
あの青年のコードを見たとき、
あの女性の声を聞いたとき、
なぜ、胸の奥が少しだけあたたかくなる?
(くだらない。情など、無駄だ。)
そう吐き捨てても、
心の奥では、まだ消えない光がちらついていた。
ふと、鷺沼は手を止めた。
モニターに映った自分の顔が、どこか疲れて見えた。
(……いつからだろうな。)
効率、結果、正確さ。
それだけを追いかけてきたはずなのに、
いつの間にか「人」を置き去りにしていた気がした。
彼の脳裏に、灯の笑顔が浮かぶ。
あの女性は、左手が動かないというのに、
不思議なほど穏やかだった。
あの笑顔のどこに、そんな余裕がある?
「私はね、神様に選ばれたと思ってるの。」
その言葉を思い出した瞬間、
心の中で何かが静かに弾けた。
(神様に、選ばれた……?)
では、自分は選ばれなかったのか。
努力して、完璧を積み上げてきた自分は、
何のためにここにいる?
理性がざわつき、
胸の奥で軋む音がした。
――くだらない。
そんな感情は、俺には必要ない。
そう思った。
だが、もう完全には信じきれなかった。
夜の街の灯が、窓の外で滲んで見える。
その光の向こうに、
誰かのやさしい声がまだ残っている気がした。
「人は常に正確ではない」――
その事実を受け入れられたとき、
鷺沼の世界は静かに広がりはじめていた。




