―プロローグ― 環の母の日 ―
母の日――環がこれまで“避けてきた日”が、
ぽかぽか邸にやさしく訪れます。
柊、凪、そして灯が織りなす小さなあたたかさが、
これからの物語の“心が動く瞬間”へとつながっていきます。
柊と環の寝室。
「ねぇ、柊。」
「ん? どうした?」
「今日、ははにうちに来てほしいんですけど。」
「いいよ。灯さんには連絡したの?」
「まだ……なんですけど。」
「ん? 何か気になることあるのか?」
「今日、うちに来てって言ったことがなくて……言っても大丈夫かな〜って。」
「そうか。いつも環から“来て”って言ってないんだな。」
「はい……。」
「でも、たまには言ってみてもいいんじゃないか? 灯さん、喜ぶと思うぞ。今日がダメでも、連絡してみたら?」
「はい。連絡してみます。」
---
“はは
今日、私たちの家に遊びにきませんか?
予定はどうでしょうか”
“環
連絡ありがとう。うれしいわ、環が誘ってくれるなんて。
もちろん行くわよ!
環、ははに甘えたくなったのかしら?”
“はは、どうしてわかるの? 何も言ってないのに。”
“ふふ。わかるわよ。環のことは何でも。
そろそろ甘えたくなるころかな〜ってね。”
“はは、すごい!”
“ふふ。でしょ? 11時ごろ着くように行くわね。
待っててね。環のははより。”
“うん! 待ってるね! 気をつけてきてね。”
“は〜い! ありがとう、環。”
---
「柊、はは、来てくれるって〜!」
「そうか……よかったな。」
◇◇◇
― ピンポーン ―
「あ! はは〜!」
「は〜い! こんにちは〜、待ってました〜。あけま〜す!」
「どうした、環。まだエントランスホール……」
「あ! そうでした……!」
「……ったく、落ち着け〜。」
「ははは……環さん、子ども〜。」
「え〜だって〜。」
柊は、そう言う環の肩を引き寄せて落ち着かせる。
― ピンポーン ―
「は〜い!」
「ははー!」
「こんにちは。お招きありがとう。」
「はは〜!」
言うなり抱きつく環。
「あらあら、ちょっと靴くらい脱がせてよ、環。」
「は〜い。」
「ふふ。そんなに会いたかったの?」
「うん。今日は、ははに甘えたい日なんです。」
「そうなのね……柊くんがいれば、ははは用無しじゃないのかしら?」
「ふふ。柊にも甘えますよ! でも今日は、ははに甘えたいんです。母の日ですから。」
そう言ってまた灯にしがみつく環。
「そういえば母の日ね。母の日って母に感謝する日じゃなかったっけ? いいの? これ。」
そう言って柊を見る灯。
「ええ、たまには……ははに甘えたい日もあるみたいで。」
「環さんにとって母の日は“甘える日”みたいですね〜。」
「ふふ。ま、それもいいわね。甘えられてイヤなことなんてないから。
ね、環。今日はいっぱい甘えなさい。はははうれしい。」
「ふふ。私もうれしい。」
「母の日か。じゃあ今日は、ちょっと贅沢なランチでも作るか! 凪、手伝え。」
「は〜い! 何作ります?」
柊と凪はキッチンでランチの準備をはじめる。
「そういえば環、母の日ってキライって言ってなかった?」
「はい……前はキライでした。でも今は、やさしいははがいるので好きになりました。」
「そう……。それにしても環、くっつきすぎじゃない?」
「え〜、ダメですか?」
「ダメじゃないけど……環ってこんなに甘えん坊だったかしらね〜、ふふ。」
「これから母の日は、ははに甘える日にします!」
「ははは……なんだその宣言。」
「え〜、じゃあ僕も甘えたいです〜!」
「凪、おまえはこっち手伝ってならな。」
「は〜い!」
ぽかぽか邸は、明るい会話と笑い声に包まれていた。
「これから母の日は、“甘えられてうれしい日”になるわね。」
灯はうれしそうに微笑む。
「ありがとう、はは。」
灯の隣に座り、幸せそうに笑う環。
母娘の会話はつきない。
柊と凪は、二人の笑い声をBGMのように聞きながら、
静かにやさしく微笑んでいた。
― その日の“ぬくもり”が、
後に誰かの“心が動く瞬間”を生み出すことになるとは、
まだ誰も知らなかった。
環が初めて自分から「来てほしい」と願えた日。
それは、彼女の心の奥の氷がそっと溶けはじめた瞬間でした。
この“ぬくもり”が、後に誰かを変えていく光になります。




