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第1話

生きていくのが不器用そうな二人の男女の関係について。

四話くらいで完結です。

「よ、よ、よ……よろしく、お願いします……!」


初めて会った時から、彼女はそんな感じだった。

俺はまだ入ってきたばかりの新人で、何の危険もない存在のはずだが、彼女はこちらがひるんでしまうくらい緊張していた。


俺の方はそんな様子の彼女に、逆に肩の力が抜け、助かったのを覚えている。



 ◇



彼女の名前は日岡ひおかという。下の名前はまだ分からない。


彼女は俺よりも半年くらい早く、このスーパーでパートとして働き始めたようだ。年齢でいえば俺より少し若いくらいな気がする。

一応彼女は俺よりも先輩だが、一ヶ月もすると俺は彼女よりも仕事がスムーズにできるようになっていた。


俺たちがいるのはスーパーの青果コーナー。野菜や果物を袋に詰めたり、それを売り場に並べたりするのが仕事だ。

落ち着いてやれば誰にでもできる作業だが、客の多い時間帯にはそれなりのスピードが求められることになる。

彼女はとにかく、そうした急いで作業をするというのが苦手なようだった。


人とのコミュニケーションもあまり上手い方ではなかった。

例の緊張に満ちた態度は誰に対しても同じようで、その口下手な様子は、場合によっては不快感を与えてしまう。


同じ場所で働く、基本的には優しいおばちゃんたちも、彼女には少しきつく当たってしまうこともあるようだった。

仕事が遅く、コミュニケーション能力も乏しい人に対し、この社会は厳しくできている。


俺もまた人間関係は苦手な方だったが、彼女よりはまだマシであり、それなりに職場に溶け込むことに成功していた。

先輩でありながらまだ上手くなじめていない彼女について、何とかしてやりたいとは思うものの、俺にはどうすることもできなかった。



 ◇



スーパーの奥には休憩室があり、昼食などはそこで取ったりすることもできる。

しかしスーパーで働いているのはおばちゃん達ばかりであり、同世代はほとんどいない。初日だけ利用したものの、居心地が悪くて二日目からは外に出るようにしていた。

幸いなことに、職場から五分くらいのところにちょっとした公園があった。俺はそこでスーパーで買ったパンなどを食べることにしたのだ。


そしてその公園には彼女も昼食を取りに来ていた。弁当のようなものを食べている。


「……」


俺達は距離を置いて離れたベンチに座る。

本来なら交流するべきかもしれないが、彼女はそういうのが苦手で、こちらも得意というわけではない。

あまり職場でうまくいっていない彼女の、少しでもくつろげる場所を奪ってしまうわけにはいかない。この公園以外に落ち着けそうな場所はないのだ。



 ◇



とはいえ、一ヶ月や二ヶ月もすれば、さすがに全く交流をしないわけにもいかなくなる。


この公園にはベンチが二つあり、それぞれに分かれて座っていたのだが、ある日、片方が既に使われていたのだ。

そうなれば同じベンチに並んで座るか、どちらかが他の場所に行くしかなくなる。その状況に気づくや否やどこかに逃げようとする彼女に声をかけたのが、仕事以外での最初の交流だった。


「し、失礼します……」


緊張した様子で隣に座る。

この距離だと互いに完全に無言でいることはできない。ポツポツと雑談をしていく。


仕事以外で話をしてみると、思ったより――いや思った通り、彼女とは話があった。

彼女ほどではないものの、俺も対人関係は苦手で、まあまあ暗い性格である。もしかしたら気が合うかもと思っていたのだ。


そうして少しだけ打ち解けた状態で、その日の昼休憩は終わった。



 ◇



一度交流をしてしまえば、次の日からまた完全に不干渉を貫くわけにはいかなくなる。

いつしか、昼には彼女と一緒に食事をするのが当たり前になっていた。


「あ、あれは本当に傑作ですよ!」


俺達の共通の趣味は読書だった。

俺が最近読んでいるSF小説を、彼女は半年くらい前に読んだらしい。

その話になると、彼女は異様に食いついてきた。


「あれはエンタメSFではありますが、根底には能力のない人間はどう生きるか、みたいなテーマがあるじゃないですか。その部分がすごく好きで、特に主人公がたった一人で――」


早口に語り始める。


人によっては面倒で鬱陶しく感じるところだが、俺はこの時「可愛らしいな」と思った。

彼女ほどではないにしろコミュニケーション能力に不安がある俺には、当然のように恋愛経験なんてない。

きっと彼女の方も同じだろう。


なんとなく、なんかうまく恋愛的な方向に発展したら嬉しいな、という思いがあった。

暗く、おどおどした雰囲気に気を取られがちだが、彼女は結構美人でもある。


こうして彼女と交流するのは、とりわけ人生に悩み疲れ果てていた俺にとって、大きな楽しみの一つになっていった。



 ◇



それなりの高校からそれなりの大学に進学し、そしてそれなりの会社に入った俺は、一年と保たずにその会社を辞めることになった。


原因は明確なものではない。

面倒な人間関係とか、新しい仕事を覚えるプレッシャーとか、定時過ぎても帰れない日が続いたりとか……そういうストレスの蓄積によって、続けるのは無理だと思っただけだ。


正直、もっとうまく我慢して続けることができていれば、そのうち色々なことにうまく対応できるようになって、仕事を続けることもできたかもしれないと思う。

でも俺にはそれができなかった。


こんな場所でこれから何年も、ともすれば定年まで働き続けるんだと、そう思っただけで気が狂いそうだった。

だからやめるしかなかった。


とはいえ、やめたところで次はどこに行けばいい?

もし全く別の業種に転職したとしても、うまくいく未来が全く想像できなかった。


だから俺は途方に暮れてしまった。

どうすればいいかわからない。しかし何かしら収入がなければ家賃を払うこともできない。

実家に帰ることもできるが、それはできれば避けたい。


そういう感じで、俺はアルバイトを転々とするフリーターになった。

同世代のフリーターの半分くらいは、似たような経緯なんじゃないかと勝手に思っている。


いわゆる“まとも”な働き方は俺には難しい気がする。

しかしだからと言って、このまま何もできずアルバイトだけをしてフラフラと生きていけばいいのかと言えば、それもにまだ納得できていない。


何もできないのに、何かをしたいと思っている。

そんなどうしようもない無力さを抱えながら、俺は日々を過ごしていた。

そんな中、なんとなく応募したスーパーのパート社員の仕事で、彼女と出会ったというわけだ。



 ◇



俺がスーパーの仕事についてから半年とちょっと経った頃、彼女はこの仕事を辞めた。

詳しい経緯は知らないが、まあ普段の職場の雰囲気から想像はつく。


動きが遅く仕事が遅れがちで、さらに会話能力も乏しい人がいれば、どうしたってイライラする人が出てくる。

そうして彼女は最後まで、パートのおばちゃん達とうまくやっていくことはできなかった。


なにはともあれ、彼女は俺のそばからいなくなってしまった。

が、何とか、それまでに連絡先を聞き出すのには成功していた。


その頃には俺はだいぶ彼女と仲良くなることができていたし、さらに言えば彼女のことがさらに好きになりつつあった。


最初の頃こそ、なんとなく恋愛的なことになったら面白いかな、くらいの気持ちだったが、今ではかなり本気である。

こんなに本気で人を好きになったことは今までに一度もなかった。


きっとそれは、生きることが下手な彼女に対しての強い共感と仲間意識があるからだろうと思う。

彼女は、俺が孤独にならないための唯一の存在のような、そんな気さえしていたのだ。


そうして、彼女がスーパーを去ってからも何とか交流を続けた。恋愛経験皆無の俺だが、自分より経験のなさそうな彼女に対してなら、不思議と積極的になれるものである。


俺は彼女とデートのようなものを繰り返していった。

こちらの好意は伝わっているだろうし、彼女の方もこちらに心を許し始めてくれている。

そう分かりながらも、別に「好きだ」みたいなことをはっきりとは言っていない。そんな状態。


世のカップル達はみんなそんなしっかりした告白をするのだろうか?

それともなし崩し的に恋人になるのだろうか?

恋愛に関して初心者過ぎて全くわからない。


ちょうどそうして、さらに関係を進展させるにはどうすればいいか考えていたところに、彼女からメッセージが届いた。


「今からちょっと会えますか?」


外はもう暗く、時刻はあと二、三時間で日付が変わる頃だ。

そしてそもそも、彼女の方から会いたいと言われたのはこれが初めてである。

それらを踏まえると、何気ない文面だが何か凄く困っていることが予想できた。


俺はすぐに返信した。



 ◇



「ごめん。ちょっと片付ける。待ってて」

「ご、ごめんなさい。ごめんなさい!」

「いや、全然大丈夫だから」


ワンルームの狭い自宅の玄関に、彼女がやってきていた。当然そんなこと想定していなかったため、散らかり放題の部屋を片付けていく。


「て、手伝いましょうか?」

「いや、見られちゃまずいものもあるから……」

「そうですよね。わ、私の部屋にもたくさんあります」


そんな謎の相槌を打たれながら、俺はとにかく物を片付けていった。

といっても、せいぜい隅に寄せるくらいしかできないのだが。


「じゃあ、ひとまずはこれでどうぞ」

「し、失礼します」


彼女が玄関から上がってくる。旅行などに使うような大きなキャリーバッグを抱えていた。


「とりあえず、そのへんに座って。ごめん。クッションとかは無くて……」

「いえいえ! 床でも何でも大丈夫です」


ワンルームの部屋には、布団が敷きっぱなしになっている。俺は普段その上であぐらをかいて過ごしている。

しかし流石に、彼女を布団の上に座らせるわけにはいかない。


彼女を床に座らせ、自分だけ布団の上に座るのもおかしいと思い、俺もまた床の上に座る。


「それで、えっと……実家から出てきたんだっけ?」

「出てきたと言うか、その……追い出されたと言うか……」


うつむき、ぼそぼそと言った。


彼女とは、出会った頃に比べればかなり仲良くはなったが、実のところ知っていることはそう多くない。


名前は日岡ひおか初菜ういな。およそ二十歳。

実家に住み、ニートとフリーターの間を行ったり来たりしているらしい。

高校の途中で不登校になり、長い間引きこもっていて、最近社会復帰しようとしている……という感じだろうと、彼女から聞いた断片的な情報から推測する。


彼女はスーパーを辞めた後、次の働き口を探している感じではない。

そのような状況であれば、家族との間に何もないという方が不自然だ。


自分から出てきたのか追い出されたのかは分からないが、何より重要なのは、彼女は今どこにも行く場所がないということだ。

そしてそんな彼女が頼ったのが、俺というわけだ。

俺はそれが嬉しかった。


「と、とりあえず今晩だけでも……床の隅っこでいいので」

「何を言ってるの。落ち着くまでいつまででもいて良いよ。寝る場所は、まぁ……」


布団は部屋に一つしか無い。

どちらかが床で寝るか、それとも……。



 ◇



どちらも異性に対する経験がないこともあり、一緒の布団で寝るようになるまで、五日かかった。


初めて一緒に寝たその夜、俺達は関係をさらに進めることになった。

今まで、はっきりと好意を伝えることが出来ないままだったため、ある意味ではちょうどいいタイミングだったとも言えた。


初めて出来た恋人と、初めての同棲である。

彼女の方は分からないが、少なくとも俺はとても舞い上がっていた。


彼女のことは日に日に更に好きになっていく。毎日が楽しくて仕方がない。

彼女にとって、実家を追い出されたのは不幸なことだったかもしれないが、俺にとっては真逆である。

帰れない状態がもっと続いてほしい、とすら思っていた。


思っていた、が……。



 ◇



「さすがに、一回くらい顔を見せに言ったほうが良いんじゃないか?」

「いや、行きません」


きっぱりと断られる。


彼女が俺のワンルームに住み着いてから、一ヶ月とちょっとが経っていた。

最初の予想では、これくらいあればなんだかんだ落ち着いて家に帰るだろうと思っていたのだ。


彼女といられることはとても嬉しい。ただ流石に心配になってくる。

家族とはもう完全に縁を切ってしまうつもりなのか?


「そ、それとも、もう邪魔だから出てけって言うのなら、出ていきますが……」

「いや、そんなこと思ったこと無いけど」

「じゃあ良かったです」


そして彼女は直ぐに自分の作業に戻った。


なんだか最近は、俺という存在に慣れてきているのか、ちょっとずつ図々しくなってきている気がする。

もともと引っ込み思案なことを考えると、それでちょうどいいのかも知れないし、それはそれで魅力的に見えるくらいに俺もやられているので、何の問題もないのだが。


「……」


さて彼女はと言うと、部屋に唯一ある小さなテーブルの上に自分のノートパソコンを置き、カタカタとなにかを入力している。

この部屋にやってきた翌日から、彼女はずっとこうだった。


いわく、小説を書いているらしい。

いわく、前々から書いていたけど、あとちょっとで本当にうまくいくから、ここでかかる食費とかそういうのはそれまで待ってほしい。

そんな感じである。


どういった物を書いているのか尋ねても、頑なに教えてくれない。

ただ本当に、ずっと何かを書いているのは確かだ。たまに、俺の気配を察知して慌ててゲームかなにかを閉じるのを見ることもあるが……。


いまだ家を追い出された詳しい理由は聞いていないが、多分この行動に原因があるのだろう。


高校の不登校からの引きこもりが終わり、働き始めたと思ったら、また引きこもってずっと小説を書いている。

誰だって危うさを感じてしまうだろう。


だけど、それを注意できるほど、俺もまた真人間というわけではなかった。

ここの家賃がかなり低いということもあり、俺のスーパーのパートタイムの給料だけでも、二人が日々を生き延びるくらいには足りているのだ。ひとまずはまぁそれでいいか、と思っていた。



 ◇



「やっと、うまくいきました!」


彼女と同棲するようになってから三ヶ月ほどが経ったある日、珍しく満面の笑みで彼女は言った。


「うまくいった……?」

「これ。これ、です」


差し出してきたのは、一冊の文庫本だった。表紙には水彩っぽいタッチの女の子のイラストが描かれている。


「ラノベ?」

「ラノベ……というと言い過ぎな気がしますが、まぁ、そんな感じです。よくライト文芸とか言われたりするジャンルです」

「はぁ……これが何?」

「だから、出たんですよ。ようやく!」

「……え、えぇ?」


遅れて理解する。

つまり、これは彼女が書いた小説ということらしい。


あとちょっとでうまくいくから、とは言っていた。しかしそれは小説が書き上がるという意味で、まさかもう出版社とのやり取りをしていたとは思っていなかった。


気になってパラパラとページを捲りだすと、彼女は慌てた。


「ま、ま、待って! 私のいない場所で読んでください!」

「他に部屋無いんだけど……」

「じゃあ外で読んでください!」


その恥ずかしがり様からしても、本当に彼女がこれを書いたらしい。


驚きはしたが、落ち着けば、まぁ充分に有り得る話ではある。

俺は彼女ほど熱心な読書家を他に知らないし、書く方に関しても、ここ最近急に書き始めたわけでもないらしい。

今まで積み上げてきた行動が、ある種当然とも言える結果をもたらしたというだけ……。


しかしその事実は、いまだ何も出来ていない俺の心を鈍く痛めつけた。

うまくいった彼女のことを喜ばしいと思いながら、同時に、俺もなんとかしなければという焦りに似た感情が湧き上がってくる。


「新人賞をとったんですが、賞金もそれなりにもらえたんです。といっても、銅賞なのでめっちゃ多いというわけではないですが……。とりあえず、今までの食費とかそういうの、お支払します!」

「いや、いいよ。そういうのは」

「でも」

「……じゃあ、今から何か食べに行こうぜ。初菜のおごりで」

「わ、分かりました。行きましょう!」


そうして俺達は、ちょっと離れた和食の専門店みたいなところに行った。彼女のチョイスである。

湯豆腐がめちゃくちゃ美味しかった。

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