カウンセリング/フィードバック.其の壱_片峯亨
「情報過多で支離滅裂ですか。ははっ、貴方のような人が書く物語と比べるなんて烏滸がましいかもしれませんが、現実を生きる僕達はそこまで綺麗にはいられないんですよ。
成程……現実は小説より奇なりとはよく言ったものですね。創り込まれた作品では一見不条理な事をしていても実は後になって大きな意味があったなんて展開はよくありますが、現実を生きる僕達は人の目を気にすることはあっても他人の事はお構いなしに理に適わない事を平然とするんですから。
ほら、長年の付き合いのある友人に絶対成功する投資があるなんて馬鹿みたいな事言われたら何と言い返しますか。『そんなモノがあるならみんなやっているはず』って応えるでしょう。
では聞きますが、この日本で努力ができる環境でありながら碌な大学にも行かず借金をしてもヘラヘラしている人間が何人いると思いますか。
ははっ、残念ながら僕らはそこまで賢くないんです。そのうえ愛だのプライドだの罪悪感だの余計な感情を備えているだけに、この手のカウンセリングで必要事項を機械的に聞いてハイハイと素直に応える人なんて殆どいないんです。
そりゃ支離滅裂にもなりますよ。言いたくない事は隠して誤魔化そうとするのを無理やり抉じ開けて暴こうとしているんですから。勿論、言いたくない事を誤魔化すのは患者に限った話ではありませんがね」
男は愉快そうにせせら嗤っている片峯の話を切り捨てる。
「何故、止めた」
あぁ__片峯は言葉に詰まり適当に唸って見せて少し間を置くと、また話し始めた。
「カウンセリング記録の話ですか。確かに初日のカウンセリングはあれで全てではありませんが、多分、あの後の様子は僕が直接話した方が分かりやすいと思ったんですよ。淡々と事実だけを語るだけですからね。わざわざ本人の口から聞く必要もないでしょう。
さて、少しだけ情報を整理しますか。まず彼女の名前は水無 紗季。当時は九歳ですね、因みに彼女の父親は商社最大手の丸菱商事の役員なんです。僕も一度だけお会いした事がありますがこれが本当に人格者なんですよ。
お人好しと言うのが正しいかもしれませんが。経済的余裕というのはそういう事です。因みに先のカウンセリングに出て来た母親は専業主婦をされていらっしゃるようで、随分と綺麗な……」
「これ以上余計な事を言うのは止めて貰おう」
男の急な割込みに片峯は目を丸くして驚いている。
「俺が質問する事だけを答えてくれ」
かと思えば片峯は途端にニヤッと薄気味悪い嗤みを浮かべ応えた。
「えぇ、構いませんよ。何でも聞いてください。議論の余地がないと僕が判断した場合には次の情報を提供しますから」
男はぬるくなったコーヒーに口を付けると『不味い』とぼやき、それから深い溜息をついて漸く片峰に向かってボチボチと語り始めた。
「まず水無紗季の初日の診断結果を聞きたい」
「誰のですか」
男の眉間に皺が寄る。
「誰の……と言うと」
男が訝しげに尋ねると飄々と片峯は応えた。
「誰が診断した結果を聞きたいかと言う意味ですよ」
「……」
「ははっ、すみません。別に揶揄うつもりはありませんよ。ただこの手のカウンセリングは精密検査を含めて考慮しない限り担当医の主観が大きく影響するモノになるんです。参考までに貴方は彼女に関してどのようにお考えですか」
男は少し俯くと唇に指を当て暫く考え込む。
「……恐らく記憶障害の類だろう」
へぇ__片峯が興味深そうに応える。
「柏木先生も鳴海先生……あぁ、あの強面先生もそんな事言ってなかったのにどうしてそう思ったんですか」
男は続ける。
「水無 紗季の言葉を全面的に信用した場合、トオヤと云う男は友人からすると顔馴染みでもともとクラスにはいた。しかし本人……水無 紗季は認知していなかった。考えられるのは二つ。無関心だったが故に憶えていなかったか、或いは何らかの要因で記憶する事ができなかったか」
「成程……確かに後者であれば障害と云っても過言ではありませんが、ただ興味がなくて憶えていなかった程度で障害扱いするなんてあまりにも酷いじゃないですか。僕だって院内で通り過ぎた人の全てを憶えてませんよ。誰だってそういう事はあると思いませんか」
「普通はな」
「……と言いますと」
「水無 紗季はトオヤ本人を目の前にしても過去にそんな男が存在していなかったと確信している。もし仮にこれが単に興味がなく忘れていたとすれば、トオヤと云う男が目の前に現れた時点でこんな人もいたのかと考えるのが妥当じゃないのか。
だが水無 紗季と云う女は一貫してトオヤの存在そのものを疑問視している。あんな奴はいなかった、だが目の前に存在している。このトオヤと云う男は何者だと化け物でも見るようなニュアンスに近い」
「ふふっ、確かに……そう見えますね。ですがそれと記憶障害と一体どのような関係があるのですか」
「水無 紗季にとってトオヤと云う男が存在しなかったという曖昧な根拠がある。恐らくそれが記憶だ……例えば、憶えのない友人を名乗る人間に『あの学校で三年の時にクラスメイトだった』と言われれば、自分が通っていた学校と相手の言う学校との認識、或いはそれらに付属した共通認識をもとに都合よく忘れていたのは自分であると思わせる。
あの女医とのカウンセリング時、他の友人に対して仲良くしていると言っていたのを鑑みるに、水無 紗季にはトオヤと云う男に関して周りの人間との共通認識に欠落があると云う事になる」
「それが彼女の中の何らかの記憶だと……確かにそれなら筋が通るかもしれませんね。ですがこんな可能性だってありますよ。彼女の話は全て作り話で僕達は只、彼女の掌の上で弄ばれているのかもしれません」
「虚言癖か」
「医学用語では『偽話症」と言うんですよ。明らかな動機や利益がなくても繰り返し嘘をついてしまうんです。偽話症患者は現実と虚構の境界を曖昧にして自己の虚構の物語を信じ込むことすらあるんですよ」
「トオヤという男の存在そのものが嘘と云う事か」
「可能性としてはあるかもしれませんが、遠野君は存在していて本当は彼の事も憶えていると云う可能性もありますよ。本当は彼女に友達なんていなくて全てが妄想の中の話という可能性もありますし、遠野君だけが唯一無二の親友かもしれませんね」
「……」
「他にも現実と妄想の区別が付かなくなると言えば『統合失調症』なんてのもあります。あぁ、こっちは悪い意味で少し有名なんで聞いたことあるかもしれませんね。
これは青年期から成人初期……つまりアイデンティティの確立時に発症する傾向にある精神疾患の一つで、身に起こる事象に対し迫害妄想や被害妄想を見たり、存在しない声を聴くといった幻覚、散漫思考や連想の緩慢、話が飛躍するという思考障害、意欲の低下、自発性の欠如、日常活動への関心の喪失、感情の鈍麻などが主な症状です。
偶にいるでしょう、別に有名でも何でもないのに自分の部屋に盗聴器が仕込まれているだとか、ストーカーされているだとか、隠しカメラがあるとか言う人。
まぁそんなのは可愛いモノで、政府だの秘密組織だの、宇宙人による陰謀でマインドコントロールされた人類を救うという特別な使命を自分だけは持っていると本気で信じている人だっているんですから。
あっ、この手の話に欠かせないのがアルミホイルを頭だの部屋中に張るって話ですが統合失調症の治療に有効と云うのは真っ赤な嘘です。真偽は不明ですが昔、何処かのSF小説の中で金属製の帽子でテレパシーを遮断するというシーンがあったそうで、それに感化されて電磁波やマインドコントロール、読心術から脳を守ることができるなんて話が広まったみたいですね。
他にも『偏執病』なんてのもあります。Paranoiaと言えば聞いた事あるかもしれませんね。こっちは極端な疑念、迫害妄想、無根拠の嫉妬、過剰な自己中心性などを認めるもので、これも統合失調症の一部として見る事もあります」
「……」
「当然、これらの疾患を併発しているという可能性だってありますよ。特にこの手の話を題材にした物語に登場する患者は大抵一症例にフォーカスされる事が多いですが、お一人様一つまでなんて道理はないので……彼女の場合はどうでしょうね」
「アンタはどう考える」
「僕ですか。ははっ、最初から言っているじゃないですか。正常だって」
男は深い溜息を吐くと……ぼそりと呟いた。
「情報不足だ」
その言葉に片峯は満足そうに嗤っている。
「全くその通りです。特にあの母親がいけませんね。強面先生が頑張って色々と聞こうとしたのにアレじゃ参考にならない……あっ、彼の名誉の為に言っておきますが鳴海先生は普段あんな感じの悪い人じゃないですよ。わざとイライラされるような事をしていたんです。
ほら、頭に血が上っている時って、普段言えないけど思っている事をついつい言っちゃうじゃないですか。それを意図的に起こそうとした訳ですがアレはやり過ぎです……それにしてもやはり貴方は凄いですね」
怪訝な顔で男は片峯を睨む。
「いえ、さっきから色々言ってきましたが初日のカウンセリングの診断結果はまさに貴方の仰る通り記憶障害なんですよ」
読解力と云うか……この場合は洞察力って言うんですかね__片峯はボソッと呟き男を見ると早く続けろと言わんばかりの形相で威圧感を発しているのを感じ少し間を置いて……続けた。