曰く付きの少女_水無 紗季
「あれはわざとだったんですね。三人称視点で書かれているはずの物語で貴方が作中邪険にしている人物に対しては棘のあるような言い回しになっていたり……ははっ、もし僕が先生の作品に出演したら一体どんな風に描かれるんですかね。ほら、僕ってこの手のエンタテインメントには不釣り合いな人間ですから、もしかして……」
ハッ__男は嫌味の含ませた声で片峯を小馬鹿にするように嗤って言い放つ。
「全く……随分な自信じゃないか。まさか自分の事を描いてくれと言われる日が来るとはな……生憎だが俺は『神の右手を持つ天才医師』のドキュメンタリーなんてモノには興味も湧かない。その手の話なら他所を当たって貰うか……或いはアンタの功績の裏に巨大組織の暗躍だの常人には到底理解の及ばない超能力があるとでも云うなら考えなくもない」
「ははっ、貴方でもそんなお茶目なジョークを言うなんて意外ですね。ご期待に応えられず恐縮ですが僕にそんな大層なモノ有る訳ないじゃないですか。僕が持っているのは」
そう言うと片峯は額髪をコンコンと指で叩く。
「コイツ……ですよ」
男は不味いコーヒーに口を付ける。
「それに僕はこの物語で主役になるつもりなんて端からありません。さっきも言ったでしょう。僕はこの手のエンタテインメントには向かない人間なんです。日夜、部屋に引き籠って適当な文献を読み漁っては人の躰を弄っているだけの男なんてつまらないでしょう」
「何が言いたい」
コツン、片峯の遠回しな言動にいい加減苛立ち始めた男、それを分かった上で片峯は続ける。
「だから今回は僕が狂言回しなんです」
「……」
「僕が貴方を此処に呼ぶ為に用意したのは……そうですね。ちょっとした余興みたなものです」
余興__男はぼそりと呟く。内心思いも寄らなかった言葉だっただけにそのぼやきは男にとっては不本意なモノで二人しかいない部屋に嫌味な程響いた。
「まぁ、話は最後まで聞いてくださいよ」
「……」
「こんな大きな病院の研究室の一角で行われる余興……ははっ、其れだけ聞くと随分大それたモノに聞こえますが、別に大したモノではありません。こういう場合、最近では命の賭けたデスゲームなんてのがお決まりなんでしょうが、あんなのがお決まりだなんて世も末だとは思いませんか。
そんなに惨たらしい命のやり取りが見たいのなら戦場にカメラでも持っていけばフィルター越しに幾らでも見れるじゃないですか。大層な仕掛けも要らない、引き金に掛けた人差し指にたった少しの力を込めれば簡単に人間の頭片なんて弾け飛ぶんですから。それこそ、ゲームのコントローラーのボタンを押すみたいに。
ははっ、つくづく幸福に胡座を掻いた僕ら人間は悪趣味ですよね。そんな話が大好物で堪らないって言うんだから」
男はただ黙って聞いている。
「けれど残念な事に僕はこの手の話は好きになれないんです。皮肉な事に僕は他の人より人の死に目に立ち会う事が多いですから。ははっ、話が逸れましたね。僕がここで言いたいのは、つまりそう云う類の話にはならないと言いたかったんです。あんなのに比べればよっぽど『ほのぼの』としていますよ」
「……」
「これから貴方にお話し……いえ、見てもらう物はこの病院に残されたとある少女の一切の記録。その全てを使って貴方をこちら側の世界に引き摺り込もうという訳です。そう、貴方の業界でこの手のジャンルは確か……」
「Armchair detective」
片峯が言葉を詰まらせるのを予期していたように男は間髪入れずそう答えると、先程まで喋りぱなしだった片峯は虚を突かれたと云う顔をさせていた。
「要するにアンタは俺に医師の真似事をさせたいという訳か」
だが、それも一瞬の事で、片峯はまた不気味に嗤って応える。
「いいえ、真似事ではありません」
男は片峯の言葉の真意が分からず眉間に皺を寄せる。
「今回は本当に、医師ではない貴方に彼女をみてもらうんです」
診る__一瞬、二人の間に沈黙が過った。が、片峯は我関せずと続ける。
「ちょっとした曰く付きの女の子、と言えば興味を持って頂けますかね。あぁ、曰くと言っても大して有名でもない……そうですね。噂話……いや都市伝説に近い……兎も角はそう云う事実かどうか線引きがあやふやな話に出て来る登場人物の一人と言いますか。実はその子、まさに今僕が預かっていましてね」
「曰く付き……」
「曰くと言っても呪いだとかその手の話ではないですよ。こう言うと少し変かも知れませんが彼女は至って健全です」
健全__男はまた独りでにぼそりと呟くと、怪訝な面持ちをさせて言った。
「……どうも腑に落ちない。健全であるのであれば、わざわざこの病院でその女を匿う必要が何処にある」
「分かりませんか?」
そう言い放って片峯は席を立つとデスクから封をするように何重にも束ねられたノート数冊と使い古されたノートパソコンを持って来た。傍で見てノートは各々異なるサイズで、あるモノはよく目に付く市販のノート。そしてあるモノは……
「単純な話なんですよ」
その言葉に反応するように男が顔を上げると視線の先で片峯はニヤッと嗤っている。
「偏に健全と言ってもその定義は広義的です。例えば身体的には一切の損傷が見られなくとも、精神的疾患、鬱などを抱えた人を敢えて健全と呼ぶ人はいない。逆もまた然り。精神的には安定した状況にあっても、身体的欠損が見受けられる人であれば、残念な事に健全とは呼ばれないのが現状です。
多様性なんて言葉が流行っていますが、どんなに着飾っても反射的に奇異的な目で見るのが人間の習性と言いますか、そもそも多様性という言葉を使用している時点で、画一性には属さない異物が存在していると云うのを公言しているようなモノですから、僕から言わせてみればこんな荒療治で僕達人間にこびりついた固定観念を払拭できるとは到底思えないんですがね。
そもそも何も以てして健全とするか、真となる定義が明言されず感覚的に共有できていると錯覚しているおかげで、痛ましいいざこざが後を絶たない訳です」
「……何が言いたい」
男の問いに対し片峯は一言、
「人間とは何か」
そう言い放ってから、フッと口元をニヤ付かせて、
「僕はその答えを彼女に見出したんですよ。先生」
「……質問の答えになっていない」
「一体どの質問の事に対して言っているんですかね」
吐き捨てられた男の一言に対し片峯はおどけた様子で応えた。男は何を言うでもなく呆れ顔になっている。
「まぁまぁ、そんな急かす事ないじゃないですか。時間は幾らでもあるんですから、もう少しゆっくりいきましょうよ」
それだけ言い残して、片峯は手元に持って来たパソコンをカタカタと弄り始めた。ズズズッ。意外な事にパソコンを弄り始めて以降、片峯は男に対し一言も話し掛ける様子はなかった。そのおかげか例の部屋にはキーボードを叩く小気味よい音と男のコーヒーを啜る音だけが響いている。
「話を戻すが……」
カタカタ、カチカチッ。カタカタ……
「その曰く付きの女が仮に世間の云う健全な状態だったとして、門外漢である俺がその女を……いや、そもそもその女を診る必要が何処にある」
カタッ。
「ははっ、なかなか良い質問ですね。強いて言うなら言葉通り貴方にあの子が健全かどうかみてもらいたい……と言ったところでしょうか」
カタカタカタッ、再びキーの弾ける音が響く。
「いまいち要領を得ない。それはアンタが言っている曰くがどうこうと言う話か」
「いえ、ソレはあくまで結果論です。あまり関係はないと言えば嘘になりますが、確かにそっちも貴方にとっては面白い話になるかもしれませんね」
カチッ、漸く何かを終えたのか片峯は手元のパソコンを男の方へ向けた。
「これは……」
その画面の中には、ぱっと見、千を超える電子カウンセリングデータが羅列しており、あまりの数に男は言葉を詰まらせていると、片峯は徐に嗤って言った。
「これは彼女の臨床検査の結果をまとめたファイルですよ。彼女はもともと八年前に当病院の心療内科に通っていた女の子だったんです。当時、僕はまだ研修生だったのでよく知らないですが、この日付を見るに二週に一回と云うペースで通っていて小学生の時に来なくなって……そうですね。
二年くらい前からこの病院で預かっています。勿論、今画面に表示されているのは氷山の一角に過ぎません。それこそ此処数か月に関してはその日彼女が食べた物から瞬きの回数まで観測できるデータの全てが記録され此処にあるんですよ。
言うなれば彼女の全てです。ははっ、そこら辺のストーカーなんかめじゃないですね。僕はここ数か月の彼女のほぼ全てを知っています。そしてこのデータだけを見れば、彼女は間違いなく健全であると医師なら誰もが口を揃えて言うでしょうね」
「心療内科に通わせている時点でナニカしらの疾患があるんじゃないのか」
「それこそ、多様性の軋轢って奴ですね。何も検査を受けに来る人だけが精神疾患を患っているとは限らないんですから」
片峯が画面に映った最新のファイルを開く。するとそこには膨大な情報量をまとめた表が夥しく表示された。『呼吸回数』『心拍数』『体温』『血圧』『体重』『咀嚼数』etc.
「異常だ」
片峯がわざとらしく男に視線を合わせると、
「いえ、正常ですよ」
男は黙った。ウィィィィン。男に向けられたノートパソコンが熱を発して鳴り始める。
「何か心当たりのようなモノを感じませんか」
あまりにも唐突にそれも支離滅裂な片峯の問い掛けに男は目を細ませる。
「……何の話だ」
「いえ、別に」
「俺に何の関係がある」
片峯はニヤリと嗤みを浮かべて言った。
「貴方の書いた小説に少し」
「……」
男は不味いコーヒーに口を……空になったマグカップを片峯の方に押しやって深い溜息を吐いて言った。
「所でアンタがさっきから言っている女の曰くと云うのは……」
「そのことなんですが」
男の話を遮るように片峯は男の飲んでいたマグカップを持って席を立つ。
「それは彼女の口から聴いた方が面白いと思いますよ」
なんて話ながら片峯は空のマグカップにコーヒーを注ぐ。
「直接、会って聞きに行くと云う事か」
コツン……マグカップが男の前に置かれた。
「そうしたいのは山々ですが、流石にそれはまだ厳しそうですね。僕も彼女には聞きたい事はあるのですが、もう少し様子をみたいので今回はこれで」
そう言うと片峯は目の前のノートパソコンを弄り始める。慣れた手付きで次々にファイルを開き始め最後には何個かのMP4データの入ったファイルが表示されている。
「これは彼女と直接やり取りをしたカウンセリング時の動画です」
「カウンセリング……」
「えぇ、先程お話した幼少期の心療内科に通っていた時のカウンセリングともう一つ、例の曰くでこの病院に担ぎ込まれた後のカウンセリングですよ。少しだけ白状すると彼女の曰くと云うのが巷で囁かれている報道規制の掛かった秘匿事項、有体に言うと刑事事件絡みでしてね。
二〇二一年五月二十四日に起きたあの鉄骨の事件の続き……と云うか此方が本命なんですが……ん? もしかしてあまりニュースとか見ない質ですか。まぁ、この手の話題は地元民しか騒ぎませんしお世辞にも大事とは言えないので知らなくても無理はないですね。
JR東京駅八重洲中央口に隣接する放置された建設現場に学生五人の内の三人が落下してきた鉄骨で死んだって話ですよ……と、これだけ聞いてもあまりパッとしませんよね。問題はこの事件が報道された後にあるんです。
実はこの報道、当時の予定では当事者が未成年と云う事、事件の背景が明瞭化されていない事から被害者の三名のみを報道する予定だったのですが、そのニュース番組に出ていた一見何の関係もない某芸能人が言ったんですよ、本来警察でしか知り得ないその日の事件の詳細をね。
それが少し話題になったんです。何の関係もない人間が……とか、実はコイツが犯人だとか。数えたらキリがない噂話でね。まぁ、流石の貴方も当事者であれば邪推の一つでもしたかもしれません……そう急かさないで下さいよ。実際に貴方には当時の状況をそのまま体験してもらうんですから楽しみにしていて下さい……話が逸れましたね。
えぇ……あぁ、それでその彼女と云うのがこの五人の内の一人な訳なのですが、その後直ぐに彼らの通った学校で起きた事件がまさに公には出来ない曰くなんです。ははっ、近頃ではSNSなんて言って色んな事が公表される時代ですから、僕達人間は調べれば直ぐになんでも知った気になりますが、本当に重大な事は公表されていないのではないかって思いませんか。
ほら、よく刑事ドラマでも市民が混乱しないように何て直ぐに報道規制をかけるでしょう? 臭い物に蓋をすると云うのはどの時代でも同じです。とは云え此方の事件に規制をかける理由に関しては凶悪性だとかとは少々勝手が違いましてね……まだ続いているんですよ。
僕達が当たり前のように過ごしている日常の中で、この国いやこの世界の何処か至る所で。そしてソレを僕達のような一般市民が知ってしまえば、忽ちこの人間社会は良い意味で終焉を迎える事になる。そしてその事件の主犯格の一人に例の彼女があげられた訳です。なんせあの場にいた唯一の生存者でしたから」
「……」
「出来れば貴方には客観的な話より彼女を介してこの話を聞いて欲しいんです。その方がきっと彼女の事を理解できるはずですから。そしてそれらを知った上で貴方に今の彼女をみて欲しいんです」
ウィィィン、目の前にあるノートパソコンが熱を発しながら不意に鳴ったのが気に喰わなかったのか、少し鬱陶しそうに顔を歪めた男はボソッと呟く。
「実際その女はどうなんだ」
「どう、とは?」
予想外の返答と云うより質問に対し男は目を丸くさせフッと下に向き気味だった顔を上げた。目の前では太々しい態度で口をニヤつかせている片峯が男の方を見ていた。
「……」
どうも片峯と云う男とは馬が合わないのか、呆れて物も言えないのか男は口を重そうにしている。言葉に詰まると云うより最少のやり取りで済ませる為に敢えて言葉を選んでいると云った方が近いかもしれない。
「その女に犯罪者の気はあるのか、と云う意味だ」
「犯罪者の気配……ですか?」
男の問いに対し、片峯は不敵な嗤みを浮かべて言った。
「そうですね、彼女の話を聞く限りではそうは思いませんでした。良くも悪くも普通の女って事ですよ。それに先程も言いましたが彼女は健全なので先天的な知的障害だとかはありませんし、犯罪心理学の知見で見ても特段目立つモノは……
いや、でもその考えは面白いかもしれませんね。確かに犯罪の気配はありませんが、素質はあるかもしれません。見れば感じるとは思いますが彼女、外面はあれでも結構癖が強い……癖と云うのは違う。素養、いや、才能? まぁ、見てれば分かりますよ」
「……」
「それに僕は警察ではなくあくまで医師なので、実際に彼女が事の発端を担っているのかは正直まだ確信はありません。さっきも言いましたが、僕にとってこの曰くはあくまで結果論と云うか、きっかけに過ぎないので正直どっちでも良いって感じです。ですが、彼女をそういう目で見るとまた違った見え方があるのかも知れません」
見え方__男のぼやきにマグカップに入ったコーヒーが揺れる。
「兎も角、僕が言いたのはとんな噂ばかりの彼女をまずはこのカウンセリングを見て知って欲しいという事で後の事はそれからです」
そう言うと片峯は男の目の間に置いたパソコンを自分の方に向けカチカチと弄り始める。
「まぁ、及第点と云った所か」
男が溜息交じりにボソっと呟くと同時に例のパソコンが男の方に向けられた。
「此方を押せば始まりますよ」
ディスプレイの右側には例の女のカウンセリング情報が小さくまとめられており、中央にはカウンセラーと思われる女性一人と丁度、小学生くらいの少女が互いに向かい合って座っている様子が映し出された。
「これは彼女が小学生の時に当病院を利用した時のカウンセリングです」
例の曰くと云うのはこの数年後に起きる。それを知った上で彼女の幼少時代を見ておけと云う意図である事は追記するまでもないだろうが、
「所でその女は何という名前だ」
右側に小さくまとめられたカウンセリング情報が小さ過ぎて名前が上手く読めない。
「あぁ、言い忘れていましたね」
片峯は気味が悪いほど整った顔でフッと嗤い応えた。
「そう、彼女の名前は……水無 紗季。今年で丁度、二十歳になりますよ」
The boundary between normal and abnormal in this world is what?
It exists only in our minds, so let's decide who God is.