夢見る人
一人の男が、旅に出た。
赤煉瓦造りの家を売り、今まで暮らしていた村を出て、どこまでも続く小道をひたすら歩き始めた。丘を越え、谷に下り、山を昇った。それからまた下り、平坦な道を淡々と進み、森に入っては抜けた。
腹が空くと、男は持ってきたパンとチーズを食べた。喉の渇きは、小川を見つけるまでこらえた。足が棒のように硬くなると、地面に腰を下ろして休んだ。
日が暮れると、ある時は宿屋に泊まり、またある時は野宿をした。親切な農夫が泊めてくれることもあった。
誰かと夕食の席を共にすることがあると、男は決まってこう聞かれた。
__どこへ行くのか。何のために旅をしているのか。
そんな時、男は決まってこう答えた。
__私には、夢があるのだ。
夢。それはどんな夢かと聞かれても、最初のうち彼は笑って答えなかった。だが、ある時から、堂々と答えるようになった。(それは、男が暮らしていた村から遠く離れ、もはや誰一人知り合いに出会わなくなった頃からかもしれない)
__私は、王様になりたい。
彼からそう夢を打ち明けられた時、多くの人々は笑った。それはまさに夜寝ている時に見る夢だと思ったのだ。また、何割かの人は、不遜な夢だと眉をひそめた。そして、ほんの2,3人だけ、彼に畏敬の念を抱いた。
かといって、家来や旅のお供が加わることもなく、男は朝になると宿を出発し、また終わりのない旅を再開した。
路銀が尽きると、男は働いた。麦の収穫や、川魚のつりで日銭を稼ぎ、わずかばかりの食糧と、ほころびかけた服をつくろうための端切れを買った。それから、また旅を続けた。
様々な人が、彼の旅程に顔を出した。ある村の秋祭りで、男は美しい金髪の娘と恋をした。だが、彼らはただの踊りの相手に過ぎなかった。吹雪が続いた日々は、老いた農夫の暖かな小屋で休んだ。男は老農夫に、冬も消えない松明の作り方と、シチューに混ぜると美味しくなるハーブの種類を教わった。
ある町では、男は物乞い同然に扱われた。街角をうろつく時間をもてあました若者達は、みすぼらしい身なりの男を取り囲んでからかった。
__私が王様になったあかつきには……。
男は頭を蹴られないよう腕でしっかりと抱え込みながら、こう考えた。
__この町から、ごろつきどもを追放してやるぞ。
けれど、いくらそう夢想したところで、男はまだ王ではなかった。
またある深い森を歩いていると、男は熊に出くわした。この時ばかりは、男も死を覚悟した。しかし、熊は男よりも、彼のちょうど後ろの木々に実っていた甘い果物に興味を惹かれたようだった。無事に森を抜けられた時、男は神が自分を生かそうとしておられるのだとしみじみと思った。
荒れた地帯に足を踏み入れた後は、何ヶ月も人の姿をみなかった。不作のあまり打ち捨てられた村の跡で野宿をし、まだ底が抜けていない古ぼけた鍋でシチューを作り、たき火をおこした。揺らぐ火を見つめながら、王とは何かを考えた。
捨てられた村には、男一人が暮らしていくだけの道具は揃っていた。鳥が群れを成して住み着いていたし、かつて村人が捨てたらしい犬も何匹か、男の前に姿を現した。足りないのは、互いを慰め合う近所の友だけだった。
__ひょっとしたら、私は王様になったのかもしれない。
従順にふるまう犬たちに囲まれて、男はそう考えた。男に指図する者は誰一人いない。そこで一番偉いのは、この男だ。
ところが、村で誰かが生活しているらしい様子をかぎつけた者達が、男の周りに集まってきた。そして、男がたった一人でも快適に暮らしているらしいことを知ると、村に戻ることに決めた。噂は人を呼び、気づけば村には元の賑わいが戻っていた。
男は、わずかな荷物をまとめ、最も仲の良かった犬1匹を連れて、村を出て行った。
それからまた何年かが経った。男は、犬と共に、まだ旅を続けていた。二度と会わない友が増えた。知識も、生き抜く術も身につけた。それでも、自分はまだ王様ではないと思っていた。
そんな時に訪れたのは、羊を放牧している村だった。その村には、たくさんの子羊がいた。しかし、夜になって、狼に食われる羊の数もおびただしかった。村人たちは、羊を一度放牧すると昼だろうが夜だろうがほったらかしにして自分たちのことに夢中になっていたのだ。子羊が、十分に育つ前に食われてしまうことが彼らの目下の悩みだった。
男は、手助けを買って出た。昼間は羊の群れに見張りを立てた。柵と小屋を作り、夜は小屋の中で寝るように羊を追い立てた。男の友である犬は、羊達の先導者としていい役割を果たした。
そうして、食われる羊は激減し、肉も羊毛もたっぷりとれるようになった。男は褒め称えられた。
村人達は、この賢い旅人に、自分たちの村長になってほしいと望んだ。
迷った末に、男は、その仕事を引き受けた。とうとう、小さな村の王様になったのだ。
男は結婚もした。妻との間に、三人の王子と、四人の姫ができた。彼らはとても仲の良い家族だった。また、旅の間に得た知識を用いて、男は大変頼もしい村長となった。男は、とても幸せだった。
それから二十年近く経った頃、年取った男はかつての夢を思い出した。そして、また旅に出たくなった。村長の職を長男に譲り、家族に別れを告げた。
暖炉の前で寝てばかりの犬の代わりに、末の息子が父親の旅に随行した。息子は、王様にも王子様にもなりたいわけではなかったが、父親を心配していたし、初めての旅に期待していたのだ。
たき火を囲むのは、今度はいつも二人だ。食糧も、二人分用意しなければならない。わずらわしいことも多かったが、話し相手がいつもいるのは楽しいものだ。男は、息子相手にいつもより多く喋った。昔の思い出話や、道に生えた植物の名前などを。
息子は、村長であったころ厳しい顔をしていた父親が、旅の間はいきいきと陽気にふるまっていることに驚いた。だが、何度目かの夜明けを道端で迎えた時、父親の楽しさを理解できたように思った。
ある時、息子が男に尋ねた。
__どんな王様になりたいんですか?
__さあ、分からんよ。
すると今度は、こう尋ねた。
__じゃあ、王様になったら、何をします?
それに対して、男は満ち足りた気分で答えた。
__また、別の何かになる夢を叶えるために、旅に出るのさ。