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君が生まれる日(1)

 翌日、私は学校に行くフリをして月へ出発する事にした。無論、母には内緒だ。美津子には改めて出発する事を伝えたかったが、止めた。あの涙を思い出すと、何だか止められそうな気がしたのだ。きっと、何かあれば美津子から預かった携帯に電話してくるだろう。出発した事を伝えるのはその時でいい。

 何日かかるか判らないけど、スポーツバッグに三日分の着替えを入れ、鞄にはお年玉の残りを入れた財布と例のチケットとIDカード入りの封筒。それから社会科で使う地図とパスポートを入れた。日本からモルディブまでは海外旅行なわけだから。

 パスポートは一年と少し前に取ったけど、まだ使った事はなかった。怒りに任せて捨てようかと思った時もあったけれど、とっておいて良かった。


「行ってきます」

 私は高揚する気持ちを抑えながら誰も居ないの鍵を閉めると、月への一歩を踏み出した。

先ずは飛行場だ。飛行機になんか乗った事はないけれど、飛行場に着いてしまえば何とかなる。そう、思っていた。

アパートを出ると、道脇に一台のトラックが停まっていた。車幅いっぱいの巨大なトラックで、頑丈そうな作りをしていた。

 その荷台のコンテナを見て、私はあっと短く声を上げた。そこには針のような六つの菱を花弁のように並べたデザインの、見慣れたロゴが描かれていたからだ。

 それが六ッ菱重工とそのグループのシンボルだという事は、子供の私でも知っていた。それだけ有名な会社なのだ。それでなくても年始の事件で、良くも悪くもその名は世界中に知れ渡っていた。

 そう。六ッ菱はセフィロートを建てた企業なのだ。私が向かっていた、月への通り道。その所有者が六ッ菱。

「よっ、久しぶり」

 私がトレーラーに見とれていると、助手席からド紫の頭が顔を出した。

「あっ、あ、えーと……」

 見覚えはあった。最初に美津子のお見舞いに行った時、待合室に居た人だ。けれど、私にとっては名前をしっている訳でもないし、面識の無い人間とあまり変わらない。

「聞いたよ、月に行きたいんだって?」

 私はギクリとした。そんな事、私と美津子しか知らない筈だ。

「まぁ、訳はいいから。とにかく乗んなさい」

後部座席のドアが開いたので、私は恐る恐る乗り込んだ。

「アタシは紫楼。けど、って呼んで頂戴」

「シホ……さん?」

「違う違う、『さん』は要らないの。先生にさん付けしたりはしないでしょ」

 よく解らなかったが、私は頷いておいた。そんな事よりも訊きたい事がいくらでもあった。

「出して」

 師婆が言うと、運転席に座っていた女性がはい、と頷いてトラックを発進させた。彼女も白衣を着ている。

「さて。不思議そうな顔してるから、一通り説明しようか。何、別に取って喰おうってんじゃない。……美津子ちゃん、アタシ達がキミを月まで連れて行ってあげよう」

「えっ」

「まぁ、もう気付いてると思うけどアタシ達は六ッ菱の関係者でね。アタシはこう見えても中々の地位に居るんだよ? そのツテで君を月まで送ろうってのさ」

 義理も無いのに何故そんな事を、なんて思っていると私の心内を読んだかよのように「孫だからね」と師婆は呟いた。

 私は内心、恐々諤々としていた。本当にこの人達は信頼できるんだろうか。本当に月まで連れて行ってくれるんだろうか。そんな事を思っているうちに、トラックは馴染みの道を進んで、学校の校門で停まった。

「では」

「ん。頼んだよ陵文」

 運転手の女性は師婆に礼をして、トラックから降りると学校の中へ入って行った。

 私は一瞬、学校に行かされるのかと思ったが、違うらしい。師婆は「案内役を呼びに行ったのさ」と説明した。

 校門の周りでは登校する児童達が、物珍しそうにトラックを眺めながら、学校に吸い込まれていった。

「、一体どういうおつもりですか、これは」

 やって来た案内役は助手席に乗り込むなり、師婆を詰問した。

「雅幸先生!」

「準。アンタも……」

「ガコウ、理由はおいおい話すから取り合えず行った行った」

 促されて、渋々といった体で雅幸先生はトラックを発進させた。どうやら師婆は雅幸先生の事をガコウと呼び、雅幸先生は師婆の事をシムと呼ぶらしい。

「さっきの運転手さんは?」

「陵文はお留守番。この子の代わりにね」

 師婆は言って、雅幸先生を親指で指した。

 

 師婆は、私と美津子の会話を盗み聞きしていたという院長先生──やはり艶月という名らしい──から相談を受けて、こんな暴挙に出たらしい。院長先生から直接雅幸先生に連絡が行かなかったのは、二人の仲が悪いかららしいのだが、その事を師婆が話している間、雅幸先生は一切口を開かなかった。


 トラックは国道を進み、神奈川県の三浦半島へ向かっていた。何故、海外へ行くのにそんな場所へ行くのかはよく解らなかったが、事情の解らない私は口を挟まない事にした。

「準、帰るのなら今だぞ」

 ハンドルを操作しながら、雅幸先生は深刻そうに言った。

「嫌。戻らない。絶対、美津子を助けるんだから」

 私はきっぱりと告げた。助手席の師婆も画幸先生と同じように顔を眇めていた。

「それは本当だな? その言葉に嘘は無いな?」

 私は応と頷いた。その時の言葉にも気持ちにも、絶対に嘘は無かった。今でも。

「……そうか。じゃあ、覚悟だけはしておくんだ。何があっても──絶対に何が起こっても後悔しないって覚悟を」

 雅幸先生は何だか悲しそうな声で言った。

「大丈夫。危険なら承知してるよ」

 励まそうとして、私はなるだけ元気をこめてそう言ったが、雅幸先生は「そうじゃないんだ」と言って、それきり黙ってしまった。 


「着いたよ」

 師婆に揺り起こされて、むくりと置き上がる。どうやら眠っていたようだ。確か横須賀とかいう所を走っていたのは覚えているのだが、そこから先の記憶が無い。車内は暖房で温かかったし、月に行けるという喜びと、緊張と、本当にこの調子で月まで行けるのかという微かな疑いを抱く気疲れがあった。無理もない。

「おはようございます」なんて間抜けな挨拶をしながら、車内のオーディオデッキを見ると、デジタルカウンターの時計が午後四時を指していた。

「はァ?」

 素っ頓狂な声を上げながら、ぼやけた頭を整理する。確か、トラックに乗り込んだのは午前八時前後だった。けれどこの時間。それに外を見やれば午後四時にしては妙に明るい。それに六ッ菱の三浦支社が海べりだとはいえ、こんなにも潮の香りがキツいものなのだろうか。まるで空港のようにだだっ広い敷地の先には澄み渡った綺麗な海が広がっている。

 ドアを開けようとして横を向くと、そこには巨大な建築物が立っていた。トラックを降りると、その建築物が正に天を貫いているのが判った。

「え……」

「ようこそ、六ッ菱が誇る固定型軌道エレベーター『セフィロート』へ」

 言って、師婆がくつくつと笑う。

 そう。既にそこは日本ではなかった。

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キネノベ大賞8
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