表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/13

嘘(3)

 それからまた在る日の事。

 私は他の皆とやっていたドッヂボールに美津子を誘った事がある。美津子が体育や激しい運動──といっても遊び──をしないのは、病気のせいよりも「迷惑をかけてしらけさせてはいけない」という配慮から来るものだと判ったからだ。

 その日は皆も美津子に合わせて緩いドッヂボールを楽しんだ。そりゃあゲームとしては決して面白いものだといえなかったが、友達の笑顔を良く思わない奴なんていない。それなりに楽しんだし、美津子も喜んでいたと思う。

 けれど、そこからがいけなかった。子供というのは配慮を知らない。遠慮も知らなきゃ手加減も知らない。

「人間ってのは使わない部分から使えなくなっていくんだって、婆ぁちゃんが言ってたらしいよ」

 私はどちらの祖母・祖父とも会ったことも無いし亡くなっていたが、母親から又聞いたそんな事を美津子に言い聞かせて、より一層、美津子を連れ回すようになった。

 美津子は何も言わなかったし、楽しそうにしているように見えた。実際のところどうだったかは判らない。けど、苦しそうな素振りなんて見せなかったのは確かだ。

 私は美津子と遊ぶのは楽しかったし、何より、彼女の笑顔を見るのが嬉しくてたまらなかった。

 その頃は本当に毎日が楽しかった。悩み事なんて何も無くて、このまま楽しい日々がずっと続くのだと信じて疑わなかった。


 二月も半ば頃だったろうか。

 

 放課後、学校から少し離れた所にある大きな公園へ二人で遊びに出掛けた。

 まだ肌寒い日々が続いていたが、とてもよく晴れた風の無い日だった。

 その公園は小高い丘にあって、その斜面をぐねぐねとうねった長いローラー滑り台が三台ばかり走っている、街の子供には人気のスポットだ。

 平日なせいか、人影はまばらだった。

 私達は丘の上まで続く浅い石段を昇り、ようやっと滑り口に辿り着いた。途中、美津子を振り返ると、顔色があまり良くなかったから、大丈夫? と訊いたら

「うん。大丈夫。ぜんぜん平気だよ」

 と、少し──今思うと──青ざめた顔で笑った。でも、これはいつもの事でもあった。私の「大丈夫?」に、美津子はいつだって「うん」と「平気だよ」と答えた。そう。いつも。

 滑り台は三台のうち一台だけ空いていて、順番を待たずに乗れた。

 それは、その一台が他よりもやや全長が短く、人気が無かったからだ。

 先ず、私が滑った。ゴキゲンに下まで滑り降りて、美津子を待った。すぐに滑り降りて来る筈だった。

 一分程しても美津子は降りて来なくて、私は変だなと思いつつ彼女を待った。

 三分経って、おかしいと思った。

 五分経ち、私はあの嫌な感覚を思い出して駆け出した。

 美津子に纏わり憑いていた、得体の知れない雰囲気。砥ぎ冴えた死神の鎌、その白刃に似る白く冷たい予感。

 石段を二つ飛ばしに駆け登った。滑り降りる時には短いその坂は、登るのにはやたら長い。けれど、私は息が途切れるのも構わずに走った。否、構っている余裕なんて無かった。とにかく走って走って、滑り口に戻った。

 美津子はそこで倒れていた。

 顔は群青の絵の具でも垂らしたように真っ青で、最早、生きている人間には見えなかった。口では荒く呼吸をしていたが意識があるようには思えなかった。

 生まれてこの方、その時くらい気が動転した事は無かった。

 私は激しく震える腕で美津子を抱き起こして背負うと、再び丘を駆け下りた。向かう先は学校の保健室だ。何故か、そこしか思い浮かばなかった。

 今になって考えればその場で助けを求めれば良かったのだ。周りは子供だけではなかった筈だ。それに、公園から学校までの間に病院や交番の一つや二つくらいあった筈だ。

 それからこれは後で知った事だが、美津子は携帯電話を持たされてもいた。

 肺がひゅうひゅうと猛り、焼き切れそうになるくらい走った。全身の毛穴から汗が噴出しても、体の冷却には追いつかなかった。

 耐え切れないくらい熱くなる私の体とは裏腹に、美津子の体温が抜け落ちるように下がって行くのが判った。背中を通して伝わる美津子の呼吸が、どんどん小さくなっていく。

 私は走りながら泣いた。

 どうして、丘を登った時に休憩を取らなかったのか。

 どうして、滑る前に美津子を振り返らなかったのか。

 どうして、おかしいと思った時点で戻らなかったのか。

 それらが悔しくて悔しくて堪らなかった。美津子が病気なのは知っていたのに!

 地面を這って頭を打ち付けたいくらいに悔しくて悔しかったけど、足は止めなかった。

 私はその時に初めて、自分の力ではどうにもならない現実がある事を知った。

 幸いにも保健室にはまだ雅幸先生が居て、青ざめた顔で後を引き受けてくれた。きっと応急処置をしたり、救急車を呼んだり、美津子の自宅に電話したりしてくれたに違いない。けれど、私の頭は焼け付いていて、気付いたら自宅でシャワーを浴びていた。

 かすかに、救急車が来るまで美津子の手を握り締めていた事や、救急車に雅幸先生が同乗した事を覚えている。

「美津子は無事だ、心配するな」

 夜も更けてから雅幸先生から電話がかかり、私はようやく安心して眠る事ができた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
キネノベ大賞8
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ