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嘘(2)

その日からというもの、私は美津子に何かと構うようになった。

 美津子が保健室に運ばれれば見舞いに行ったし、放課後は遊び場を巡って連れ回したり、美津子の体調が良い日は家まで送ったりした。

 あまり保健室に行くものだから、保健室の先生──本当は養護教諭というらしい──の先生とも仲良くなった。

 雅幸先生は名前も格好も、ついでにぶっきらぼうな口調もまるで男なのに女の先生だ。赤味に染めたベリーショートの髪と、いつも眠そうにしている三白眼が最初は怖かったけれど、いつも生徒の身を案じている優しい先生だ。

 その頃の私達と雅幸先生とのエピソードの中で想い出深いものが一つある。

ある日の放課後の事だ。具合を悪くした美津子が保健室のベッドで横になりながら、奈津子さんの迎えを待っていた。私はそれに付き添って保健室に居た。保健室の主、雅幸先生は何やら校内放送に呼び出されて職員室に出かけて、暫くは私達が留守をした。

 奈津子さんはなかなか姿を現さず、手持ち無沙汰な私達は保健室でその日の宿題を片付けながら待っていた。と、言っても実際には美津子がベッドの上で解いていく問題を私が片っ端から写しているようなものだったけれど。

「美津子ってば授業ほとんど出てないのに、なんでそんなに頭いいの?」

 言ってから私は後悔した。「授業に出てない」だなんて無神経すぎる。美津子からすれば出たくても出られないのに。私がばつの悪そうな顔をすると、美津子は眉をひそめて苦笑いした。

「気にしないで。準ちゃんが私を気遣ってくれてるの、よく知ってるから。……実をいうとね、私の調子がいい時は飯田先生や雅幸先生が勉強を教えてくれるんだ。それに、静かにしてなきゃいけないときは暇だから本を読んでるんだ。時々、教科書もね」

 飯田先生というのは、当時の私達の担任教師だ。

「そっかぁ。残念だなぁ、私がもっと頭良かったら美津子に勉強教えてあげれるのに」

 二人で笑いあっていると、そこへ雅幸先生が戻って来た。

「美津子、先刻お母さんから電話があってな。迎えが遅くなるらしい。で、私が代わりに送ってあげる事になったから支度しな。あと、ついでだから準も送ってってやる」

「でも先生、」

 悪いです、とでも言おうとしたのだろう美津子の言葉を遮って雅幸先生は言った。

「私は手当もつかないのに余計な残業なんてしたくないんだ。私を気遣ってくれるのならさっさと支度して職員用玄関に集合。解った?」

 私は元気良く、美津子は渋々といった体で返事をすると、早速帰り支度を始めた。とは言っても、美津子の荷物は私が教室から自分の分も含めて運んできていたので、宿題用のノートや教科書を鞄に仕舞って外に出るだけだ。

 私達が保健室の外に出ると、雅幸先生は最後に出て来て部屋の鍵を閉め、職員室へ向かった。私達は一旦下足棟に回り、外履きに履き替えてから外を通って職員用玄関に向かった。

「美津子、寒くない? 大丈夫?」

「うん。平気」

 随分前に日は沈んでしまっていて外は真っ暗で、東の空には満月が出ていた。雅幸先生はまだ玄関には来ていなくて、私達はやることもなく二人で月を見上げた。

「綺麗だね」

 言いながら、うっとりと月を眺める美津子は、まるで月に酔っているかのようだった。寒さに当てられた赤い頬がそれを誇張する。

「うん」

 私も空を見上げた。

 夜空に架かる月が、辺りを照らして薄白く染める。それは本来真っ暗であるべき筈の藍色の夜空でさえ例外ではなかった。いつもはその底無しの杯を満たす満天の星々ですら埋め得ない底を、完全となった月明かりは易々と埋め尽くす。

「やっぱ宇宙人って居るのかな」

 なんて、私が呟くと職員玄関から出てきた雅幸先生が「居るだろうさ」と、割って入った。

「この空に輝いている星の全てが太陽なんだ。自らを燃やして光を放っている」

 自らも星空を仰いで、目を細める。そこへ、「恒星って言うんですよね」と美津子が合の手を入れた。

「そうだ。よく知っているな。その中には私達の住む太陽系みたいに、惑星を持つものもいくつもある。だったら、その中に知性体が存在しないという方が非科学的だろう。傲慢だと言ってもいい」

 そのまま、暫くの間三人で夜空を眺めた後、雅幸先生の車に乗って学校を後にした。車のステレオからラジオのニュースが流れていて、某国での紛争の経緯が報じられていた。

「塔が建ったというのに、人間というのは進歩しないものだな」

 雅幸先生が苦々しく呟いた。

「塔って、セフィロートの事?」

 それしか思いつかなかった私は、話の脈絡が掴めなくて訊いた。

「まぁ、そうなんだが……。昔話にな、似たのが出てくるんだよ」

 疲れたのか、いつの間にか美津子は眠っていた。私は頭を捻って、自分の思いつく限りの昔話を思い返してみたが、塔の出てくる話なんて思い付かなかった。

「昔々。まだ人間が一つの言語しか使っていなかった頃、天まで届く塔を作ろうとした。けど、カミサマが怒って彼等の言語を混乱させたんだ。言葉が通じなくなった彼等は、意思の疎通ができなくて、争いを始めて塔を作るのをやめ、方々へ散って行った。それからというもの、民族はそれぞれの言語で話すようになったとさ。……というお話」

 その昔話が説明されるまでもなく有名な話だという事は、かなり後になって知った。けれどその時思った幾つかの疑問、例えば

「何でカミサマがそんな事くらいで怒んの?」

 だとかは、今でも納得がいかない。仕方が無いので、きっと根が不信心だからなのだろうと、一応の決着をつけている。雅幸先生は

「まぁ、あそこのカミサマはリンゴ食われたのを未だに根に持ってるようなタイプだからな」

 と苦笑していたが。

「随分ケチ臭いカミサマだね」

「何処のカミサマもそんなもんさ。件のカミサマは自分を模して人間を造ったそうだから、逆に人間のケチ臭さがカミサマ譲りって事なんだろう」

「なんだか納得いかないなぁ」

「カミサマなんてものは人知の及ばないものさ。理解なんてできんよ」

 雅幸先生は小学生には解らないような言葉をそれが相手でも平気で使う。だから、私には先生のその言い回しがよく解らなかったので、反論を止めにした。

「準、私が言いたかったのは、そんな有り得もしない昔話が現実しても、そんな随分長い時間が経っても、人間は馬鹿なまんまなんだな、って話さ。あんた達は利口になりな」


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キネノベ大賞8
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