一日の終わり
9 一日の終わり
メアはまだ入浴中だが、千代が眠たそうにしているので、僕と千代は先にベッドに入ることにした。
二階の一室のベッドに入り横を向く。
メロンぐらいある巨大な眼球がこちらを見つめている。
初対面の時は恐怖でしかなかった。
千代という女の子の人となりを知ると、それが可愛らしいと思えるようになった。
そして今間近で見えるそれを、僕は綺麗だと思っている。
透き通る硝子のような角膜、赤みを帯びた虹彩、一点の曇もないそれらを泪が覆い、中央ホールからの灯りを反射してとても綺麗だ。
千代の目を見つめていると、彼女が何やらよく分からない事を言ってくる。
「ああ、これ気になるん?」
「うん?」
「えっ、ああ、ちゃうんか。ウチの目ずっと見てたから………」
「いや、千代の目が凄く綺麗だと思って見てた」
「きれい!?」
千代は両手で自身の頬を押さえ、目を細めた。
僕もしかして今凄く浮わついた事を言ってしまったんじゃなかろうか。
訂正の言葉が出かけたが、千代の瞳を綺麗だと思ったのは紛れもない事実なので、僕は口を噤んだ。
「明人くん男の子やしそんなん言われたらなんか照れるわ」
そういう彼女の口元は綻び、目は細められ、笑顔になっているのが分かる。
僕もなんだかつられて恥ずかしくなり、話題を逸らす。
「そういえば、いま『これ』って言ってたけど、目の事だよね?」
でも自分の目の事を“これ”と表現するのには違和感を覚える。
「ああ、ちゃうちゃうこれの事やで」
千代が右手の人差し指で眼球をコツコツと叩く。
硝子を叩いた様な硬質な音がしたが眼球に触れても痛く無いのだろうか。
それは置いておいて、人差し指の先、瞳の中心に注意しなければ分からない程薄い色で文字が書かれている。
「封?」
封筒とか封印とかの“封”の字だ。
「これ封印してあるねん」
「何の封印?」
「ウチ目からビームでんねん」
「マジで………?」
とは言ったが、僕自身も火を吹いたり、土に潜ったりと人間離れした能力を持っているのでそこまで驚いてはいない。
「でも何で封印してるの?」
「いやー、さっきメアちゃんにはそこまで寝相悪ない言うてもたけど、ほんまはちょっと寝相悪い………方かもしれん」
言葉尻が弱々しくなっていく千代の台詞をいぶかしんでいると、彼女は慌ててフォローを入れる。
「あっ!でも大丈夫やで!ほらこの目封印されてるからビームも出えへんし!」
そのための封印なのか。
確かにゼロ距離でビームを放たれてはたまったものではない。
しかし千代の言うとおりその目が封印されているのだとすれば何も問題は無いだろう。
「明人くん」
「何?」
「アウラさん言う人見つけたら島から出て行ってまうねんな?」
「あ………うん、そうなるね」
「島から出ていく前にユキ公園行かへん?ニシ区の方にあんねんけど、お花いっぱい咲いててウチのお気に入りの場所やねん」
「へえ、どんな花が咲いてるの?」
「彼岸花やな、今九月やからもうそろそろ見頃やで」
「花畑はよくあるけど花の種類が彼岸花ってなかなか珍しいね」
「へぇ珍しいねんや、ウチあれ以外はあんまり知らへんから分からへんけど」
「楽しみにしておくよ、千代」
島を去ってしまえば目の前の少女とも会えなくなるのかと思うと少しばかり悲しいが、千代が自分のお気に入りの場所に連れて行ってくれるというのが純粋に嬉しかった。
その後、会話も程々にして千代は早々に眠ってしまった。
ベッドのサイズはセミダブル。二人で寝るには少々窮屈だ。
吐息がかかる距離にまで近付かなければベッドからはみ出してしまう。
立っている時の千代の身長は僕の胸の辺りだが、今は同じ枕で寝ているので彼女の顔は僕の顔のすぐ横にある。
千代はこちらに横を向いて寝ている。
彼女の大きな眼球は今、閉じられている。
人間であれば鼻がある部分に瞼がある為、近接距離で見るとのっぺらぼうの様にも見える。
初めて千代にあった時にはこの容姿に驚かされたが、今ではどうという事はない。
あんな事をラルカさんに聞かれたせいで妙に千代の事を意識してしまう。
今日会ったばかりで好きも何も無いよね。
それを考え出すと眠れなくなりそうなので他の事に意識を向ける。
他の皆はどうしたのだろうか。
いつの間にやら中央ホールの照明は落とされているので、おそらくはメアも風呂から上がり自分の寝床に行ったのだろう。
部屋は静かで時計の秒針の音と自分の鼓動を大きく感じる。
色々な考えを巡らせるが、結局僕の意識の大部分は目の前の女の子に向いている。
千代に背中を向け、他の事を考え気を落ち着かせようとする。
だが、やはり………向くよね、そっちの方。
身体を180°回し、千代の方を向く。
転がった為、僅かに空いていた二人の距離はほぼゼロ距離となった。
風呂上がりのせいか、ほのかにシャンプーの香りがする。
感じる体温は自分のものか、目の前に居る少女のものか。
彼女の方に手を伸ばす。
伸ばしたのは良いが、その後どうしたものか分からず頭を撫でた。
さらさらの細い黒髪が指の間をすり抜ける。
髪を触っていると彼女の口元が緩んだ。
何か良い夢でも見ているのだろうか。
緩んだ唇に手を伸ばし触れる。
突然瞼が開き、大きな目玉が僕の顔の真正面に現れる。
びくっ。
半日で慣れたとはいえ、ゼロ距離にこの目が突然現れれば驚きもする。
「どうしたん、寝られへんのー?」
「いや、うん、ちょっと緊張しちゃって………」
千代は僕と向き合った体勢のまま僕の頭を撫でた。
撫でながらシューベルトの子守唄を歌う千代。
自然と瞼は重くなっていき、一番を歌い終える前には眠ってしまった。千代が。
歌ってる本人が先に寝るんかい!
起こすのも可哀相なのでツッコミは心の中に留めておいた。
千代の穏やかな寝顔を見て思う。
訳のわからない孤島に放り出されたが、改めて初めて会ったのがこの子で良かったと思う。
メアやラルカ、他の人達も友好的だが、その人達に出会えたのも元をたどれば千代のおかげだ。
いつか何らかの形で恩を返さないとな。
落ち着いた心で考える。
ラルカさんが僕に問いかけた質問。
千代の事が好きか。
僕は………
千代が好きだ。
出会って半日。
気の迷いかもしれない。
でもそれが、今現在、現時刻、九月三日二十二時時点で僕の偽りない心の内である事に間違いはない。
なんだか色々と考えているうちに僕も眠たくなってきた。
眠りに落ちる前にもう少しだけ千代の顔を見ておこう。
僕の正面に横たわるやけた寝顔を見ていると、急に彼女が寝返りを打ってそのまま僕に抱きついてきた。
「ちょ、千代!?」
ど、どうしよう、離れ………身体が当たって………柔らかい。
突然の事で頭が回らない。
落ち着け、とりあえず考えよう。
千代を起こそうか。
もう少しこのままでも………いや、ほら今寝たばかりの千代を起こすのも悪いし………
千代に抱きつかれた状態でも左腕だけは自由に動く。
そのままその手を千代の背中へと回す。
ぎゅうぅぅぅ
突然、千代の腕の力が強くなる。
僕の胸の周りを重機の如く締め上げる。
千代に声を掛けて起こそうにも肺を圧迫されて声が出ない。
それどころか呼吸もままならない。
あっ、これ駄目だ………
次の瞬間、一瞬視界が途切れ、僕はベッドの外へと移動した。
千代が腕の力を弱めてくれたのかというと、そういう訳ではない。
今彼女は僕に替わって丸太を抱いている。
変わり身の術である。
今までにこれが発動したのは二回で、今回が人生三度目だ。
小学生の頃、塀の上でバランスを崩して頭から落下した時。それと、自転車を全力でこいでいる時にチェーンが外れて派手に転んだ時。
擦り傷程度ならば問題ないのだが、ある一定以上のダメージが加わると、僕の意思とは無関係にこの変わり身の術が発動する。
バキッ!!
ベッドの方から大きな音がする。
見てみると、千代が抱いていた身代わりの丸太が折れている。
メアが先程、僕が不死身かどうか確認した意味がようやく理解できた。