ベッド争奪戦
8 ベッド争奪戦
ラルカさんの質素な家とは対照的にパステルカラーの大きく開けた空間に戻ってきた。
「ウチもう眠いわ」
「結構寝るの早いんだね」
時刻はまだ二十一時半だ。千代が早寝早起きなのか、ここの風習なのか。
「歳いくと寝る時間早くなるんだぞ」
「そんなに歳とってへんし!」
「それはそうと、風呂には入んないのか?」
「うぅ………入る」
メアが聞くと、千代は眠そうに大きな目を擦りながら答えた。
「誰から入ろうか?」
「メアちゃん家の風呂でっかいしみんなで入ったらええやん」
「千代っちの風呂が小さいだけだぞ、アタシは一人でゆっくり浸かる派だ!」
「私は身体の代謝が無いのでお風呂に入る必要はありません。常に浄化の魔術を掛けているので汚れも付きません」
「何それ便利そう」
「ラルカちゃんも入らへんのかー、しゃあないなウチらだけで一緒に入ろか」
千代が明人の方を向きそう言った。
「ぼ、僕!?」
「嫌?」
「いや………」
「うぅ、嫌なんやったらしゃあないな。明人君も一人で入る派やねんな」
“嫌”と言ったわけでは無かったが、千代は否定と受け取ったようだ。
「千代っち眠いんだったら先に入って来いよ」
なんだか、千載一遇のチャンスを逃してしまった様な気がする。
いや、もちろんやましい気持ちは一切ないよ!ほら新しい友人と親交を深めるのって大事だし!
脳内で思考を巡らせている間にも話は先へと進んでしまっているようで、メアに促されるまま千代は風呂場の方へと歩いて行った。
僕、メア、ラルカの三人だけとなった。
「アッキー残念だったな、千代っちと一緒に入れなくて」
「いやいやいやいや、そんな………」
「明人さんは千代さんの事が好きなのですか?」
「いや、今日初対面だし………」
初対面だし………何なのだろうか。自分でも良く分からない。
千代に会わなかったらこの島で行くあてもなく、メアやラルカさんと出会うこともなかった。
その点では彼女にとても感謝している。
だが、それどけだろうか。
千代とは今日初めて会ったばかりだが、彼女と居ると心が落ち着く。
屈託の無い笑顔を見ているとこちらまで笑顔になってしまう。
半日程経っているが、会ってその日に好きになるというのは一目惚れというのだろうか。
ふと、思考を現実に戻すとメアとラルカは既に他の話を始めている。
僕は思考を払うと会話の輪に戻っていった。
三人で話をしていると、風呂場の方からドタドタと足音が聞こえてきた。
足音のする方を見ると、素っ裸の千代が三人の方へ向かってきていた。
タオルで隠すなどといった気は毛頭無いらしい。
絶壁と呼んで差し支えない胸、腹筋が皆無なぽっこりとした腹、更にはその下も丸見えとなっている。
「お風呂沸いてへんやん!」
「言われて見ればそうだな、でもさっきまでずっと千代っち達と居たんだから当然っちゃあ当然だぞ」
「言われてみればそうやな………しゃあないからお風呂沸くまで待つわ」
「お湯なら、私がすぐに何とかできますよ」
「ほんま?助かるわ」
「ええ、すぐ準備致しますね」
そう言ってラルカさんは風呂場の方へと歩いて行った。
「あれ?明人くんどうしたん、後ろ向いて」
僕はというと、ポケットに手を突っ込んで千代に背を向けた形をとっている。
「別にどうもしてないよ」
どうもしてないとしか答えられない。
千代の態度やその他の二人の反応から察するに、この島では他人に裸を見せるのをためらう様な文化が無いのかも知れない。
僕はそんな関係のない事を考えて気を紛らわせようとしたが、脳内に浮かぶのは千代に背中を見せる前に見えていた光景だ。
冷静さを取り戻そうと、僕が脳内で素数を数え始めたあたりで突然千代の態度が変わった。
「う、上着てくるわ!」
先ほどは落ち着いた口調だったが、突然慌てたような口調になり、千代は風呂場の方へと走って行った。
しばらくして、風呂場から戻ってきたのは千代ではなくラルカさんだった。
「丁度、お湯が張れたところで千代さんがいらっしゃったので、お風呂に入って頂いております。何やら所作がぎこちなく感じましたが何か有ったのですか?」
「アッキーに裸見られたんたぞ」
「そうですか、でも私とメアさんも見てましたよね………」
「そうだけど千代っち最後にアッキーの方見て、慌てて走って行ったぞ!」
「ちょっと、この話ここまでにしない?」
気まずくなり口を挟む。
「そうだな、そんな事より重要な事を決めなけりゃいけないぞ」
「重要な事?」
「この家ベッドが二つしか無い。初めは千代っちとアッキーに一緒に寝て貰って、アタシがもう一つのベッドを使おうと思ってたけど………」
「メアと千代が一緒じゃないんだ………」
「アタシは一人で寝る派だ!」
「私は椅子で構いませんよ。先程明人さんがお越しになった時も椅子で眠っておりましたので」
確かにラルカさんの家を訪ねた時、彼女は椅子に座っていた。あの時眠っていた彼女を起こしたのであれば悪いことをしただろうか。
「えー」
何故かメアは不満そうだ。
「ラルたんが椅子で良くてもベッドは二つで寝るのは三人だぞ」
「僕もそこのソファで………」
「ベッドを賭けて勝負しようぜ!」
ソファでいいと言い掛けたところでメアに言葉を遮られた。
「もちろん四人全員でな!」
「私もですか?」
「その方が楽しいぞ」
メアはやる気満々の様子だ。
最早、当初の目的であるベッドの割り振りは二の次なのだろう。
「でも、勝負って何をするの?」
「それは………ベッドを賭けたデスゲーム」
「何でベッドに命賭けなきゃいけないんだよ!」
「じゃあ何するんだよー」
「じゃんけん………とか?」
「………」
「何か言ってよ!」
「あそこのすみにあるゲーム機はどうですか?」
ラルカさんが指指した部屋のすみには、よくゲームセンターに設置されているアーケードゲームの筐体が置かれている。
電源が点いていないので、正常に動作するかどうかはわからないが。
「おっ、いいね!」
そう言ってメアは筐体の置き場へと歩き出す。
格闘ゲーム、シューティングゲーム、パンチングマシン、レースゲーム………
5台~6台程度の筐体が部屋の隅に放置されている。
埃を被っており、普段は使用していない事が伺える。
「なんでこんなの持ってるの?」
「ヴィドゥリティ雑貨で買ったんだぞ」
「ヴィド………何だって?」
「近所の雑貨屋ですね、私が前に一度行った時は日用品や漂流物、食料品などを見かけました」
答えたのはメアではなくラルカさんだ。
「売れなくて投売りしてたから買ったけど、使って減価償却しなきゃだぞ」
「これ使えるんですか?」
「多分ちゃんと動くぞ、動かしたことないけど」
「買ったのに一回も動かしてないの?もったいない………」
「どのゲームで勝負するか決めないといけませんね」
その後、風呂上りの千代に筐体を動かして貰い、準備ができた。
電源プラグをコンセントに挿すと、筐体のランプが点灯した。問題なく動作するようだ。
「さっきはごめんな、いきなり走り出してもて………」
「いや、僕の方こそごめん」
気まずくなりそうだったが、取り越し苦労だったようだ。
「そんな事よりやるぞてめーら!ゲームの始まりだ!!」
結局やることになったゲームの種別はパンチングマシンだった。
液晶画面はなく、数字のデジタル表示機のみが付いたレトロな筐体だ。
「じゃあアタシからやるぞ」
メアが一番にやるということだが、そもそも腕力はあるのだろうか。見た目だけ見ると華奢な少女だが千代のような怪力を持っているという可能性もある。
メアが百円玉を入れる代わりに、筐体下部にある鍵付きの蓋を開けてスイッチを押した。
筐体からチープなメロディが流れ、パッドが起き上がった。
彼女はそのまま筐体の前に立ち、後ろに腕を伸ばした。
文字通り腕を伸ばした。
サイズの変わらないパーカーの袖から、その三倍程の長さの腕が伸びている。
「そんなのアリ!?」
「アリ………だぞ!!」
腕を引き戻しながらパッドを勢い良く殴った。
ドンッ!!
[375pw]
デジタル表示で計測値が表示されたがpwという謎の単位が使われており、その数値が良いのか悪いのか今ひとつわからない。
「次ウチやりたい!」
「千代っちが殴ったら壊れそうだから最後な」
「えー」
「次、アッキー」
僕に指名が入った。
返事をして筐体の前に移動する。
色々と方法を考えたが、あいにく筋力等の基本的な身体能力はただの男子大学生だ。
諦めて普通にパンチを繰り出した。
[198pw]
メアの数値には遠く及ばない。
「勝った」
メアはドヤ顔で言った。
「じゃあ次ウチなー」
「最後だっつっただろ!」
メアの容赦ない腹パンが千代を襲う。
心無しかパンチングマシンを叩いた時よりも威力が高いように見えた。
「千代さんが先で構いませんよ」
ラルカが口を挟む。
「いいのか?千代っちがやったら絶対台壊すぞ」
「壊さへんし!人をそんな破壊魔みたいに言わんとって」
「構いませんよ、壊れていた方が私も本気を出せるというものです」
そう言ってラルカは不敵な笑みを浮かべた。
「おっ、何かラルたんがやる気だ、これはダークホース来たか!?」
「ラルたん!?」
「ラルカだからラルたんだぞ」
「ラルたん………」
メアが付けたニックネームをラルカが呟いているその後ろでは、千代がもう待てないとばかりに筐体の前にスタンバイしている。
風呂上がりで襦袢だけになっている千代は着物の時よりも動きやすそうに見える。
メアが筐体内部のボタンを押し、パッドが起き上がるとその前で千代は構えた。
「よっしゃ、最高記録出したるで」
目配せし、メアの許可を得て千代はパッドを殴る。
「おりゃ~!!」
パンッ!!!
間の抜けた掛け声とは裏腹に、銃声のような大音量が鳴り響いた。
衝撃を受けた筐体は少し後ろにずれている。
僕は呆気にとられていたがメアとラルカはある程度予想していた様子だ。
場に居る四人は筐体にデジタル表示された数値に注目する。
[000pw]
「ゼロ………]
「ゼロ………ですね」
「千代っちの記録ゼロ~!!」
「えぇ………嘘やん」
「それはあんまりな気がするけど」
「冗談だぞ、まあ暫定一位ってことでいいんじゃね?」
「ええん?」
「まあ、どうみても一番威力高そうだしね」
「では現在の順位としては千代さん、メアさん、明人さんの順ですね」
全会一致で千代の暫定一位が確定した。
程なくして、ラルカが筐体の前へと移動する。
彼女の容姿からは、拳を突き出している姿は想像できない。
見目麗しい人形の身体は陶器か木材か、何でできているかはわからない。
美しい分酷く脆そうに見え、殴った方の腕が逆に壊れるのではないかという印象を受ける。
ラルカがメアの方を向いて言う。
「ご準備お願いできますか?」
「あれ?」
メアは筐体の上部を確認する。
見てみると筐体とパッドを繋ぐ金属の棒が曲がっている。
「やっぱ壊れてんなーこれ」
「ええ………割と加減してんけど………」
「よっ!」
メアは壊れたパッドを無理矢理起こした。
「とりあえずこれでいけるっしょ」
「やっつけだなー」
これではパッドを殴ることはできても、おそらく計測はできまい。
「構いませんよ。確認ですが、もうこの筐体使いませんよね」
「おーもう処分するから好きにやっていいぞ」
「承知致しました。では行きます!」
ラルカは右足を一歩引き、パッドと拳と肘が一直線上になるように構えた。
すると、彼女の腕の周囲と肘の後方に魔法陣が現れた。
「やべっ」
メアの声が聞こえたが、声のした方向を見ると彼女の姿は既にそこになかった。
ドゴオォォォン!!
次の瞬間、爆音と共にパンチングマシンの筐体が吹き飛ぶのが見えた。
筐体は、正面衝突をした車のように原型を留めておらず、それが吹き飛んだ先の壁も破壊されている事は容易に想像できる。
ただ、実際は筐体は壁に当たる一一メートル程手前で止まっていた。
正確に言うと、壁から一メートルの距離に出現した魔法陣に衝突して止まっていた。
メアが拉げた筐体の裏から出てくる。
「家を壊されるかと思って焦ったぞ」
「申し訳ありません。先にお話しておけばよかったですね」
「すごい威力………メアが止めたの?」
「いんや、ラルたん最初っからそのあたりまで考えてたっぽい。そのあたり千代っちとは違うって事だな」
「ウチもそんぐらい考えてんもん」
「この間そこの部屋の目覚まし時計とナイトテーブル壊したの忘れたとは言わせないぞ」
「あれは、その………ちょっと寝ぼけてて………」
言葉が尻すぼみになっていく千代であった。
この二人は普段からよく一緒に居るんだろうな。
「まあそれはそれとして、ラルたんが優勝だな」
「そうやなーラルカちゃん力持ちやなー」
「ありがとうございます」
「じゃあベッド割りはラルカさんが一つ、千代とメアが共用、僕がソファか………」
「え゛っ、千代と一緒に寝たらアタシ死ぬんじゃ………」
「そこまで寝相悪ないし………今は目も封印掛けてるから大丈夫やで」
「千代っち、あそこの壊れたナイトテーブル見えるか?」
「はは………ウチなんか急に目ぇ悪なったみたいやわ………」
くいっくいっ
服の裾を引っ張られる。
「明人さん、よろしければ替わりましょうか。先程も言いましたが、私は普段から椅子で寝ておりますので」
「いやいや、元々僕もソファで寝るつもりだったし!」
さすがに最下位の僕が一人でベッドを使うのはまずいだろう。
「アタシにいい考えがある!」
メアが解決策を思いついたようだ。
「アタシとラルたんが入れ替わる!アタシはベッドを一人で使う!完璧!!」
「自分が一人で寝たいだけじゃねーか!」
「ラルカちゃんって椅子の方がよう寝れるん?」
「はい、私の家でもベッドを用意しましたが、結局一回使ったきりでした。生身の身体だった時は普通にベッドで寝ていたのですが、この身体だとどうにも座った姿勢の方が楽ですね」
椅子で我慢しているのではなく、そっちの方が良いというのであれば、それに越した事は無いだろう。
「じゃあ決まりだぞ!アタシがベッド一つ、千代っちアンドアッキーペアで一つ、ラルたんは椅子!」
「え、千代と僕が一緒なの!?」
「そんな嫌がらんでもええやん………」
嫌とかそういう問題では無いと思うのだが。
「明人くん、メアちゃんが言う程ウチ寝相悪ないで………」
千代がこちらを向いて縋る様な視線を向けてくる。
「嫌………じゃないよ」
「ほんま?気ぃ使ってへん?」
「気を使うどころかむしろ………」
「むしろ………?」
「先にお風呂入ってくるよ!」
そうだ、寝る前に風呂に入らなければ。
身体を清潔に保つことは感染症の予防に繋がるし、汚れを落としてから就寝するのは文明人として当然だ。
だから僕は急いで風呂に入る。
気付けば僕はその場から走り出していた。
湯船に浸かっていると、脱衣所の方から摺りガラス越しにメアが話しかけてきた。
「アッキーの着替え持ってないだろ?Tシャツここに置いとくから使えばいいぞ」
「ありがとう。でもメアの持ち物だったらサイズ合わないんじゃない?」
「サイズは問題ないぞ!下着は新しい物もあるけど残念ながら全部女物だぞ!履くならあげるけど」
「そっちは気持ちだけ受け取っておくよ」
なぜ僕に合うサイズの服があるのかは謎だが、着の身着のままでこの島に来た僕にとって、上着だけでも貸してくれるというのはありがたい申し出だった。
「あ、そうそう」とメアが付け加える。
「リンスの入れ物にシャンプーが、トリートメントの入れ物にリンスが、コンディショナーの入れ物にボディソープがそれぞれ入ってるから間違えないように使ってくれ」
「何のトラップだよ」
もう一度聞き返す前にメアは脱衣所から立ち去ってしまったので、結局どれがどれだかわからずに僕の髪はバサバサになってしまうのであった。
風呂から上がり、メアが用意してくれた服を見る。
白と黒で円と放射状の線がデザインされたTシャツで、サイズはメアや千代のものではない大きさだ。
着てみると若干肩幅が小さい感じはするものの、僕の体格でも問題なく着ることができるサイズだった。
脱衣所から出ると、入れ替わりでメアが風呂場へと入っていった。
立ち去ろうとするとドア越しにメアが話しかけてきた。
「ラルたんの家の前でアッキーが不死身って言ってたのってマジの話?」
「ええと、ちょっと不死身というと語弊はあるけど一応怪我しても大丈夫というか無かった事になるというか………」
僕がこんな事をできるようになった経緯も説明した方が良いだろうか。
別に隠しているわけではないので言う事に抵抗は無い。
「おう、それじゃあオッケーだぞ!」
メアは深く聞かずに納得したようだ。
脱衣所からホールへ出るとラルカさんがこちらに手を振った。
近づくとラルカが千代を起こす。
「ほら、明人さん上がりましたよ」
「ふぇ………ね、寝てへんで!」
そういう彼女の口元にはよだれの跡がついている。
「眠いのなら先に寝てれば良かったのに」
「せっかく二人で寝んねんし布団の中でお話とかしたいやん」
「それでは私はこちらで寝ますね」
「おやすみなさい」
「おやすみー」