約束の地
4 約束の地
「明人君、起きて」
千代の声で目が覚めた。
「え………ああ、寝てた」
いつの間にか卓袱台に突っ伏して寝ていた。
他の人に話せば初対面の相手の家で寝るとは、失礼だ、横柄だと叱責されるだろうか。
それとも、一つ目の怪物の住処で寝てしまうとは豪胆だと感嘆されるだろうか。
しかしながら実際のところ、僕にとってここは凄く居心地が良い場所だ。
“この場所が”と言うより“千代の元が”と言った方が正しいか。
柔和な物腰で話しやすく、変に取り繕わなくても良いという安心感がある。
寝起きの頭が覚醒してくると、自分の肩に薄手の布団が掛けられている事に気づいた。
布団からは自分のものではない匂いがする。
「恥ずかしいからあんまり嗅がんとって………」
「ごっ、ごめん!」
慌てて布団から手を離し立ち上がった。
「そうそう、メアちゃんから返事きてん」
千代がスマホの画面を僕の方へ向ける。
[いま会える?人探ししてんねんけど]
これは先ほど千代が送ったメッセージだろう。
その下に返信が表示されている。
[ごめん寝てたぞ、人探しは得意じゃないけど会うんだったら夜会おっか]
[どこで会う?]
[18時に、約束の地で………]
「約束の地ってどこだよ」
「居酒屋さんの名前やで、ウチらようそこでご飯食べんねん」
店の名前だったのか………
自分のスマホで時刻を確認すると時刻は十七時になろうかという所だ。
「居酒屋って遠いの?」
「歩きで四~五十分ってとこやな」
「結構遠いね。そろそろ出発しないと十八時に間に合わないかも」
「そうやな、出よか」
僕たちは家の外に出て、戸締まりをした。
細い通路を歩く。
数時間前に僕が千代に追いかけられた場所だ。
植物が生い茂った木張りの通路を抜け、曲がり角を曲がり、先へ進む。
この島に来てから五時間ほど経つが、ここへ来てからというもの建物の外へ出ていない。
島というからには外には海が広がっているのだろうか。
それとも木々が生い茂る森林の中だろうか。
そんな事を考えながら千代の後を付いていくが、一向に外へ出ない。
それどころか僕たちが進む通路には窓が無く、外の景色を伺うことすらできない。
「全然建物の外に出ないけど、この建物ってどうなってるの?」
「結構おっきいからなー、あっちに歩いたら三十分ぐらいで外に出るけど、そっちに行くと半日ぐらいは歩かんと端っこにつかへんよ」
「半日!?そんなに大きいの!?」
「ウチあんまり他の建物知らへんからおっきいかどうかわからんけどそんな感じの大きさやで」
思っていたよりも相当大きい建物のようだ。
「あっ………」
千代が何か思い出したようにつぶやいた。
「南の方におっちゃんが住んでる段ボールの家があったわ。でもあれよりおっきいな」
それは家と呼んでいいのだろうか………
歩き出して三十分位経ったか。木張りの廊下は屋内といえども床が上下し、壁に這った蔦がところどころ足元まで伸びている。
なんだか山登りをしているような気分だ。
移動中、狭い通路をすれ違う人(人ではなくモンスターだが)とも挨拶を交わすので尚の事、登山の様相であった。
もっとも、すれ違う際の「こんにちは」は何れも千代が最初に発して相手と僕もそれに続いて挨拶した感じなので、この島でそれが一般的かどうかは分からないが。
それにしても、何故木造の建物がこんなにぐにゃぐにゃと曲がりくねり、床も上下しているのか。
「この建物って何でこんなに曲がってるの?」
「なんでやろうなー。この建物たまに動いたり部屋増えたりするからそのせいかも」
「え、動くの?」
「たまにやけどな、あっ………見えてきたで」
狭い廊下の先に明かりが見えた。
抜けた通路の先は開けた空間になっており、僕たちが抜けてきた通路の他にもいくつかの通路がこの空間に繋がっているようだ。
天井は高いが依然として室内であることに変わりはない。
四方の壁のうち三方は通路が繋がっているが、通路の無い側の壁には戸口が付いており、両端に提灯がぶら下がっている。
戸口の上の木版に[居酒屋 約束の地]と表記されている。
ガラガラガラ。
千代が引き戸を引く。
僕もそれに続き中へと入った。
「らっしゃい!」
カウンターの向こう側にいる大男が僕たちを出迎えた。
顔には皺が見え、髪も白髪で、見た目は還暦を迎えてそうに見えるが、健康的な日焼けした肌に筋骨隆々とした体躯は若々しく、実年齢はわからない。
歴戦の戦士を思わせる風貌の他は普通の人間の様に見えるが、良く見ると髪の間から二本の角が生えている。
この男もまた、千代と同じく妖怪や化け物の類なのだろう。
「おっちゃん、メアちゃん来てる?」
「いや、今日は来てない。約束してるのか?」
「うん、六時に約束してるからまだやけどな」
千代が店員と親しげに話している。
雰囲気から察するに千代はここの常連で、これから会う友達もよくここに来るようだ。
約束の時間まではあと十分程の余裕がある。
「そっちの兄ちゃんは初めてだな。友達か?」
「今日知り合って友達になってん。明人君いう名前やで」
「あっ、えっと、初めまして、中谷 明人と申します。よろしくお願いします」
「 四万十 四万十だ。俺も昔は君のような冒険者だったんだが、膝に矢を受けてしまってな。今ではしがない居酒屋の店長さ」
「冒険者じゃないです」
とりあえず否定しておいた。
「なぁなぁおっちゃん」
「どうした?千代の嬢ちゃん」
「肩車やってー」
千代からの四万十に対する唐突なリクエスト、対する四万十は………
「またか、仕方ねぇな、一回だけだぞ」
四万十はそう言うと、着ている服を右半身だけ脱いだ。
そのまま右腕を曲げると上腕二頭筋が膨れ上がった状態となり、彼はそこから「ふんっ!」という声と共に力を入れた。
すると、肩の筋肉が隆起し、自動車の形になった。
気持ち悪っ!!
「おーすげー!」
千代がパチパチと拍手をしている。
「なっ?」
何が“なっ?”なんだ。
「あら、千代さんのお友達ですか?」
厨房の奥から女性の声が聞こえてきた。
「おう、中谷 明人君だ。とりあえずメニューを持ってきてやってくれ」
厨房の奥から店員と思われる人物が現れた。
もっとも、それを人物と言っていいのか戸惑う程に、その外見は人間とかけ離れていた。
「初めまして、小鳥 遊って言います。ゆっくりしていって下さいね」
落ち着いた声色でそう言った女性は、鳥だった。
手足は人間のそれであるが、頭だけがセキセイインコのような見た目をしている。
パーティーグッズで、鳥の頭の被り物がある。それを被った人間のようにも見えるが、会話の際に口が動くところを見ると、やはり本物の顔なのだろう。
心の中では千代と初めて出会った時以来の衝撃を受けていたが、人の外見を見て驚くのは失礼だろうと思い、平常心を装った。
「あれ?新しい店員さん?」
遊は千代の事を知っているみたいだったが、千代は遊の事を知らないのだろうか。
僕はそんな事を、考えたがすぐにそれが勘違いである事に気づいた。
どうやら千代が言う新しい店員さんとは遊の事ではないようだ。
千代の視線を追うと、どうやら厨房を見ているらしい。
僕もそちらを見るがこの店の厨房は完全に客用スペースと別れている。
僕がいくら見つめても生壁色の土壁しか見えない。
つまり千代は壁の向こうまで見透せるということか。
僕をよそに話は進む。
「食い逃げ犯だ」
「未遂ですけどね、食べた分だけここで働いて貰っています」
店の奥に居るその人物(人かどうかも定かではないが)に興味を抱きはしたものの、遊がメニューを手渡してくれると、僕の興味は食べ物で上書きされた。
千代の友達はまだ到着していないが先に頼んでも問題ないだろうか。
「もうすぐ着くやろうし先に頼んどってもええんちゃう?」
心を読んだかのように千代がそう言った。
手渡されたメニューへと目を戻す。
定食に一品料理、酒、それに種類は少ないがデザートもあるようだ。
「結構色々あるんだね、何かおすすめの料理とかある?」
「うーん………あっ、これオススメって書いてあるで」
千代が指差したメニューはフライドポテト。メニュー名の上に[店長のオススメ]と書かれている。
どこの店にでもありそうなメニューだけど、何か普通のポテトと違うのだろうか。
「このフライドポテトって普通のと違うんですか?」
「フライドポテトか、それはオススメ商品だ!」
店長が快活に応えた。
「一番利益率が高いからな!オススメだ!!」
オススメってそういうことか………
若干あきれながらもメニューに目を戻す。[店長のオススメ]から少し離れた位置に別の“オススメ”を見つけた。
「じゃあこの店員のオススメっていうのは何が“オススメ”なんですか?」
店長にこの質問を投げ掛けたが、応えたのは店長ではなく遊であった。
「あーそれですかー、そのメニュー作るの凄く楽なんですよー」
「ろくなおすすめが無ぇ!!」
どうにもおすすめはあてにならない様なので、自分で何かしら選ぶしか無いだろう。
とりあえず、定食かな………
定食のページを開く。
日替わり定食に唐揚げ定食、ボタニカル定食………なんだこの定食。
ガラガラガラ
僕と千代がメニューを見ていると、背後で入口の扉が開いた。