渡り廊下
11 渡り廊下
元より建物全体が古びた様子ではあるが、この渡り廊下は特に老朽化しているように見える。
窓ガラスは所々割れており、床にも穴が数箇所見える。
「この通路だけ随分古そうだね」
「建物本体から離れてるから栄養が来てないのかもしれないぞ」
建物の栄養って何だよ………
「確かに魔力の流れが他よりかなり少ないですね」
魔力というものがどういうものを指すのかは分からないが、もしかすると僕が持っている謎の能力、“身代わりの術”や“火遁”などの忍術もそういった力なのかもしれない。
「ウチらの住んでるナミハヤの辺りやと建物壊してもうてもすぐ治るけど、ミナト区の方は治り遅かったもんな」
「あー前に千代っちがビームで壊滅させた所か」
「壊滅!?」
穏やかではない表現に思わず声を荒げてしまった。
そういえば昨日千代と一緒に寝た時に目からビームを出せるって言ってたっけ。
ただ、壊滅ってどんな威力だよ。
メアの事だ、大袈裟に言っているのかもしれない。
「反省してます………」
そう言って千代が項垂れる。
この様子を見るに、メアの発言はそこまで大袈裟な表現というわけでも無いらしい。
気にはなるが立ち入った話であるし、追々教えて貰えれば良いかと考えた。
ふと、前を見ると先頭を歩く千代の足元に大きな穴が開いているのが見えた。
呼び止める間もなく、着地するはずの彼女の右足は床穴で空を切った。
ぐらりとバランスを崩し傾く身体。
僕は考えるよりも先に腕を伸ばしていた。
堕ちていく千代の右手をなんとか掴む事が出来たが、勢いのままに踏み出した僕の身体は、慣性の法則に従い、このままでは彼女と共に落下してしまうだろう。
だが、僕の後ろから回された腕により僕の身体は支えられた。
その直後、千代の全体重が僕の右腕に一気に掛かる。
痛みが走り、手の力が抜けるが、左手も使って必死に支えた。
「もう、大丈夫ですよ」
ラルカさんの声が耳元で聞こえた。
たが千代の手を必死で握っている僕には聞こえた内容を理解するための余裕は無い。
「あっ、足ついたわ」
千代が掴んだ僕の手を離した所で初めて今しがた聞いた言葉の内容が頭に入ってきた。
千代の方を見ると、彼女の足元には昨晩パンチングマシンで遊んでいた時にラルカさんが見せた、魔法陣のようなものが広がっていた。
後ろを振り返ると僕の身体を支えていたのがメアだった事が分かった。
「ありがとう………痛っ」
安心すると再び腕が痛み出した。
「んー、ちょっと見せてみ?」
メアに向かって腕を突き出す。
手を握らされたり開かさせられたりしている間に、ラルカと千代に囲まれていた。
「脱臼ですか?」
「ウチのせいやんな、ごめん」
「いや、千代が無事で良かったよ」
「治ったぞ」
「え?」
メアの言うとおり、腕の痛みは消え去っていた。まるで魔法だ。もしかするとそういう魔法なのかもしれない。
僕が謝辞の言葉を発する前に、メアがこちらに質問を投げかけてきた。
「アッキー不死身って言ってなかったっけ?」
「うーん、このくらいの怪我だと発動しないみたい」
そもそも過去に身代わりの術が発動したのは、昨晩を含めて三回だけだ。実例が少なすぎて細かなところは良く分からない。
「発動というと、何らかの魔術ですか?」
「身代わりの術って言って、大怪我をすると自動的に身体が丸太に入れ替わってそっちの方にダメージがいくみたい」
「結構曖昧だな」
「普通に暮らしてたら大怪我なんてあまりしないからね。僕も詳細は分からない」
「よし、一遍試しに死んでみればいいぞ!」
「嫌だよ!もし発動しなかったら普通に死ぬじゃん!」
「私も魔術師として少し興味があります」
「えっ………ラルカさんも僕に死ねと?」
「いえ、そうではないのですが、明人さんは特区出身ではないのにどこでその魔術を身に付けたのか気になりまして」
「ああ、なんか僕の家にあった子供向けの本を読んだら書かれてた内容の術が使えるようになったんだ」
「魔導書の類かもしれませんね」
どう見ても子供向けの本だったのだが、効果は本物だ。
「ちなみに身代わりの術以外にも何かあるのですか?」
「火や水を噴いたり土に潜ったりだね」
ある程度の怪我を負わなければ発動しない身代わりの術と違い、それ以外の術ならばそれなりの回数試した事がある。
実を言うと、僕はそれらの術を手品という体で動画投稿サイトへと投稿し、ちょっとした小遣い稼ぎをしている。
「差し支えなければ見せていただいてもよろしいですか?」
「まあ、別に減るもんじゃないし、構わないよ」
この狭い通路で火を噴くのは危ないだろうし、やるとすれば水遁か。
水遁は結構久しぶりにするが、うまく出来るだろうか。
投稿用の動画を撮る際はいつも一人で行うため、誰かに見られると緊張してしまう。
通路を水であふれさせる訳にはいかないし威力は抑えた方が良いだろう。
手で九字法の印を結び、口から水を噴こうと構えた。
そしてある事に気が付く。
あっ、これどこに噴き出そう………
そう思ったが、既に口の中に水が湧き出している。
先刻千代がはまった床の穴を見つけ、そこに水を噴出した。
出すタイミングを誤り、鼻と胃に逆流した水を四つん這いになりながら吐き出す様はさながら居酒屋で泥酔した会社員の如きだ。
「おえぇぇぇ………」
「アッキーが吐いた!!」
「明人君大丈夫!?」
千代が四つん這いになった僕の背中を擦ってくれた。
「大丈夫?体調悪いん?」
「いや、違っ………」
本気で心配してくれる千代とは対照的に、冷静にこちらを見つめる目があった。
「これは………魔法ですね」
千代に介抱され情けなくうずくまる僕の方に向かってラルカさんがそう言った。
「水の発生時に魔力の流れを全く感じませんでした」
「魔力?がないのに魔法なの?けほっ、けほっ」
水が若干肺に入り、少し咳き込んだ。
ラルカさんがどう説明しようか迷っている間、先に答えたのはメアのほうだった。
「魔力を制御して色々やるのが魔術で、不思議パワーで何かしらすげーやつが魔法だぞ」
何かしらすげーらしい。よくわからない。
「先程、家にあった本を読んで身につけたとおっしゃっていましたが、そんな本をどこで手に入れたのですか?」
「えっと、あれはたしか………父親に貰ったんだったと思う」
「魔道書持ってる時点で只者じゃねーよな、アッキーの親父って魔術師か何か?」
「確かに変わり者ではあるけど………いや、見た目からしておかしいしもしかするとそうなのかも」
「自ら魔術師だと名乗る魔術師は稀です。私の経験からすると三人に一人くらいです」
「意外と多い」
「今度お会いさせていただいてもよろしいですか?」
「別に構わないけど、まずはこの島を出ないとね」
「ちなみに見た目がおかしいってどこが変なん?」
「何というか、見た目が女の子なんだ。並んで歩くと妹と間違えられる」
「トランスジェンダー的なやつか?」
「いや、服装は男物を着ているし、口調もまんま男なんだけど、顔とか声とか骨格とかが女って感じかな」
「実は本当に妹だったってパターンだったりして」
「仮に父親でなかったとしても、少なくとも男ではあるよ。一緒に風呂に入ったこともあるしね」
「やはり、明人さんのお父様は魔術師ではないでしょうか。私のように肉体を捨てるところまで行かなくても、魔力を身体に巡らせると肉体が魂の形に引っ張られて変化するという事はよくありますので………」
「まあ確かに僕の持っていた本も魔導書だっていう話だったもんね。魔術師かどうかはおいておいて、確かに一般人じゃないのかも………」
そんな会話をしながら僕たちは先に進み始めた。
川の中洲部分にあたる小さめの建物を通過し、渡り廊下を対岸の建物まで渡る。
先刻、千代がはまった落とし穴はラルカさんの魔術により応急処置が施されている。
その事はメアが島の管理部門に連絡をしたので、ひとまずは問題ないだろう。
対岸の建物内を進む事約十分、僕たち一行は目的地へと到着した。
少し開けた路地の先に鳥居が見える。
足元は木の床から玉石へと変わり、その中央を石畳が鳥居の先まで延びている。
鳥居の先の境内は広い空間になっており、燈籠や社の軒先に灯る明かりは天井までは届かない。
真っ暗な空間に建物と石畳が浮かび上がっている。