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誤解はしっかり母上に伝わったようで、とてもにこやかにお茶会の感想を聞かれたし、それだけには止まらず、父上の元まで話がいってしまったようで、同じくにこやかに父上にも話を聞かれてしまった。
父上に話を聞かれている際は傍にいた宰相にも微笑ましいものを見るかのような目を向けられたし、母上に感想を聞かれた時は母上付きの侍女達全員にやっぱり微笑ましいものを見るような笑みを向けられていたのだが、もうその全てが僕に対する裏切りにしか見えない。
勿論、裏切ったとかではなく、ただの誤解であることは分かっていたけれど。
その誤解まみれになりながら、誤解に基づいて話を聞かれながら、僕の内心はひたすら葛藤し続けていた。何を葛藤していたかというと、誤解を解く方法として思いつく二つの手段のいずれかを取るか否か、という問題に対して葛藤していたのだ。
僕が望んでいるのは、あの、ちょっと僕には理解不能な発言が飛び出る彼女との婚約の回避であって、誤解を解くことそのものじゃない。
だから婚約を回避さえできればべつに誤解なんて放っておけばいい・・・、いや、人道的に、被害者が生まれるかもしれない状態を野放しにするのは許されないのかもしれないが、でも、そういう人道的な話を横に置いておくなら、僕個人としては婚約の回避だけできればいいのだ。どちらにしろ、婚約者の選定から洩れれば城に来ることはないので、少なくとも城の人々は母上を含めて危険からは逃れられるのだろうし。
でも、その婚約回避に一番効果的なことが誤解を解くこと、つまり彼女のあの言動を周りに知ってもらうことなのは明白で、その方法として二種類の手段を思いついていたのだが、その手段を取るべきだという決断がどうしても下せなかった。
躊躇する手段の一つは、正直に彼女の今までの言動を話すというだけの単純な手段だ。・・・が、これは僕の羞恥心と骨の髄まで染み込んでる、誰よりも気高く、気品を持って生きるべき、という在り方が邪魔をして、とても出来そうにない。
あんな気高さと気品の真逆をいき、羞恥心を持つ者なら口にできないような発言の数々、たとえ自分の発言ではなかったとしても口にできるわけがないし、口にしたとしても、正直信じてもらえるかも分からない。
勿論、僕が偽りを述べる理由なんてないから最終的には信じてもらえるとは思うのだが、その最終的な段階に入るまでにこんな恥ずかしいだけのことを少しでも疑われる時間があるのだと思えば、それだけで説明しようという気が失せてしまう。
それにそもそも、事実を告げること事態に躊躇があるのだ。
誤解は解きたいのだが、真実を告げるのに躊躇があるのは、もし真実を晒してしまえば彼女、リロウの今後の将来に関わってくるだろうからだ。簡単に言えば、令嬢として失格の烙印を押され、人生が台無しになる可能性がある。ある、というか高いというか、それしかない、というか。
自業自得といってしまえばそれまでかもしれないが、しかし自分が知っているのは彼女の発言とその視線がよからぬ方向に向いているということだけで、まだ実際に実害と呼べるものが起きている現場は見ていない。それなのにもし自分が全てを告げてしまば、一人の少女の将来を潰してしまうかもしれないのだ。
流石にそこまでの決断はできなかった。少なくとも、今の段階ではできない。人の将来を潰すということはある意味において、その人の一生を背負うことに等しく、今後、国の将来を背負うべく教育を受けている自分とはいえ、こんなことで一人の少女の生涯を背負う決意は固められそうになかった。
そして同じ理由で、二つ目の手段も取れそうにない。
論より証拠、とばかりに彼女が実際にとんでもない発言をしているところを聞いてもらう、というのがその二つ目の手段で、彼女は周りに話を聞かれることを警戒して発言している様子はないので、あらかじめ周りと打ち合わせておけば簡単に彼女の発言を知ってもらえるとは思うのだが、しかし知ってもらったら最後、やっぱり彼女の将来に差し支えが出てしまうので、そんな選択を決断することはできなくて。
周りに多少、僕とリロウの仲に対して抑えきれない盛り上がりが滲んでいくのを感じて焦りながらも、どうしてもこの事態を完膚なきまでに打破する手段を取る決断ができそうになかった。
僕自身の将来に差し支えが出るかもしれないのにどうしてもその決断ができなかったのは、もしかすると、彼女の将来に差し支えがあることができないということに加え、その手段を取ろうとする度にリロウのあのとんでもない発言をしている最中のきらきらした瞳が思い出されてしまうからかもしれない。
あれだけとんでもない邪悪な発言をしているのに、態度と瞳だけは無邪気で明るく素直だったリロウ。
話を聞かされている間はひたすら意識が遠退きそうになるレベルで衝撃を受け、ほぼメンタル攻撃に近いものを受けている状態だというのに、今、本人がいないところでその姿を思い出してしまうと、子供が何かを全力で楽しんでいる無邪気な姿がそこにあって、その楽しみを邪魔することが、そんな楽しそうな彼女の将来を台無しにすることが、途轍もない罪に思えてしまうのだ。
それこそ、罪悪感に苛まれてしまうほどに。
そして必要がないはずのその罪悪感が他の令嬢達と交流を重ねるごとに強まっていったのは、リロウと違い、幼くとも周りの大人の期待を背負い、打算的なものを抱えて接してくる彼女達の姿に思うところがあるからだろう。
大人の期待に応えなくてはと思っている彼女達を不憫に思う気持ちはあるのだが、しかし能力が高い少女ばかり集められているので、彼女達は皆、大人の期待が自分にどう影響しているのか、またどう振る舞うのが自分にとって得なのかまで考えて振る舞っており、とても計算が高く、打算的だった。
勿論、それが普通だ。それこそ頭がいくら悪い人間でも、多少の計算くらいはするし、自分が得するように、有利なように振る舞うのが当然のことだ。ましてや僕の婚約者になるのだとしたら、そのくらいの計算はできないと務まらないだろう。
それは分かっている、分かってはいるのだが、でも、その計算の先にいるのは僕で、何度も打算的なその視線や振る舞いに晒され続ければ疲れを感じてしまい・・・、結果として、何の打算も計算もなかったリロウのその言動が内容はともかく、純粋なものに思えてしまい、そうなればそのリロウに不利なことをしようとすれば罪悪感が押し寄せてくることになってしまって。
うだうだと迷っている間に、リロウとの二回目の交流の日が訪れた。
打算のない輝くような笑みに一瞬、絆されそうになってしまったのはわりと失態だったと思う。
その日は前回と違い、彼女が到着するより先に庭の、あのお茶会用のテーブルに着いていた。
侍女が先にお茶を飲まれますかと聞いてくるのに、彼女が到着してから二人で飲むよと当然の返事をしただけなのにやけに微笑ましそうな笑みで頷かれ、また答えを失敗してしまったと頭を抱えたくなっていたところにリロウが到着したという連絡がきて、そうしてその連絡のすぐ後に、リロウが庭園へその姿を見せたのだ。
前回と同じ、鮮やかな赤のドレスを纏って現れた彼女は、まだ距離があるにもかかわらずこちらを見た途端、何の打算もない、ただとにかく嬉しいと言わんばかりに輝くような笑みを浮かべてきたので、ここ数日続いていたお茶会の、打算に塗れ、計算し尽くされた笑みばかり向けられていた身としては、つい、その笑顔に絆されそうになってしまったのだが・・・、すぐさまその笑みが向いている先がおかしいことに気づいて、絆されそうになっていた気持ちが一気に引き締まるのを感じた。
本来なら、笑みと視線は僕に向いているはずなのだ。僕とのお茶会の為に来ているのだから、当然だろう。でもその時、リロウが向けていた笑みと視線は微妙に僕からはずれていて。
僕を通り越して、その先に向けて輝く笑顔と瞳。
気づいた途端、半ば反射的に振り返っていた。王城の、プライベートな庭園。王城にある他の、プライベートではない庭園ほどの大きさはなく、でも小さいというわけでもないそこにはテーブルを置いてある周辺に、季節の花々が咲き乱れている。勿論、僕が背を向けていた先、少し離れたところにも花が咲き、見る者の目を楽しませているのだが・・・、そこに、いるはずのない人がいたのだ。
花を愛でるような位置で立ち、それなのに僕が気づいた途端に目を花から離し、今にもこちらに歩いてきそうな気配を漂わせている少女。
つまり、花を愛でている体裁をとっていたが、確実に僕を意識していたらしい彼女の傍には侍女もついていて、そちらは僕が気づいたのを見て取ると、どうしてたらいいのか分からないと言わんばかりの表情を浮かべている。その少女と侍女の表情と態度で、何故、彼女がそこにいるのかが分かった。
そこにいたのは、僕と昨日交流した、婚約者候補の一人だった。
婚約者候補の中でも、一際積極的な少女だった。親が僕の婚約者の座を射止めるように言い含めているのもあるのだろうが、少女自身が野心の高い性格をしているようで、他の候補者をどんな手を使ってでも押し除けてその座を射止めてやる、という意気込みが感じられた・・・、結果が、今のこの状況なのだろう。
どんな言い訳を使って今日、王城に来ていたのかまでは分からないが、なんとかして入り込んだ後、まだ歳若く気が弱そうな侍女を捕まえ、強引にこの庭に案内させたに違いなかった。
たぶん、庭に来た理由は花が見たくて、とかなのだろうが、婚約者候補との交流は皆、この場で行っているのだから、今日の交流を邪魔しに来たのは明白だった。
・・・僕以外にとっては、一番可能性が高い候補者だしね。
他の候補者との交流の際、それを邪魔するのはルール違反だ。だから勿論、この場に同席させるわけにはいかないのだが、かといって花を見ていますという体裁を整えている少女を無下にするのも・・・、と躊躇していた僕は、その時、異様な気配を感じて咄嗟にそちらへ目を向けた。
そこにいたのは、いつの間にかこちらまで来ていたリロウで、彼女はテーブルの前に佇み、座ることなく真っ直ぐにこちらの様子を伺っているもう一人の婚約者候補へその視線を向けている。
爛々と、目を輝かせて、体を微かに震わせながら。
その様に、僕のすぐ傍に控えていた侍女が痛ましげな表情をしたのが視界の端に入った。おそらく、体を震わせているリロウの様子から、僕との交流を邪魔されそうになっていることに気づき、不安に身を震わせていると解釈したのだろう。
・・・正直、体の震えなんかより、その爛々と輝いている目を見ればそれが不安や何かではないと一目瞭然だろうに、何故気づかない、と声を大にして叫びたい心境だったのだが、そんな叫びを呑気に上げている場合ではないのは明白だったので、誤解を解こうという考えも浮かばなかった。
・・・そう、時は一刻を争う事態だ。リロウの輝く目を、明らかに何か良からぬ期待が昂りすぎて強張っている表情を、小刻みに体を震わせ続ける様子を見れば、予感なんて生やさしいものではなく、確信としてそれが分かる。
積極的で野心に溢れる性格をしている・・・、それがそもそもの原因だとしても、無力な令嬢を危険な目に遭わせるわけにはいかない。
「彼女に庭から出るように伝えてくれ」
「はっ、はい!」
「お待ちください、殿下! 少しくらい良いではないですか!」
「・・・良くないよ。キミ達婚約者候補との交流を、他の候補者が邪魔するのはルール違反だ」
「私は邪魔だなんて思っておりませんわっ! 皆様とも仲良くさせていただきたく思っておりますのっ」
「キミが思っていなくても、僕はキミがここにいる今、他の女性はいかなる人も同席してほしくないんだっ」
・・・拙い、と思った時には全てが遅かった。「まぁっ!」という歓喜に満ちた声がしたかと思うと、その声を発した侍女が顔をその声と同じく歓喜で染め上げ、満面の笑みを浮かべながら「彼方の御令嬢には、お控えいただくようにお伝えします。その後は、私も少し離れてお控えいたします」と告げて一礼し、あと少しでスキップでもするのではないかと思えるくらい軽やかな足取りであの令嬢の方に去って行った。
王城の侍女にしては少々相応しくないレベルの軽やかさではあるが、咎める気にはならない。盛大にやらかしてしまった自分の発言に自己嫌悪でいっぱいになっていたので、他人を注意するほどの気力は残っていなかったのだ。
きっと今頃、使命感に燃えた態度であの令嬢を庭から追い出しているのだろうなと思いながらも、そちらへ視線を向ける気も起きなかったので正面を向いたまま、溜息を飲み込むようにお茶を一口、口に含む。
すると目の前では、侍女が去って行く前、リロウが席に近づいた段階で淹れておいてくれたのだろうお茶を同じように手に取りながらも、口につけることもなく名残惜しそうに僕の後方へ視線を向けているリロウの姿がある。
「殿下・・・、僭越ながら申し上げますが、殿下はもう少し、柔軟性をお持ちになった方が宜しいと思いますわ。ルールを遵守することは素晴らしいですが、時と場合によっては変更も・・・」
「大人の女性だけなのかと思っていたんだけど」
「・・・? 何がですの?」
「キミが興味を示す対象だよ。母上のような大人の女性だけかと思っていたんだけど、キミと同じような年齢の子も対象なの?」
未だ視線を後方に飛ばしながら、恨みがましそうな口調で訴えてくるリロウのそれを遮って聞いたのは、純粋に疑問だったのもあるが、僕が心配するべき範囲が本当はどのくらいあるのか、それを正確に把握する為だった。
今までの教育で培った責任感がそこにはあって、事実を唯一知る自分が被害者になりうる者達を守らないといけないんだ、という気持ちで聞いたのだ。
ある意味、悲壮な気持ちで向けた問い。しかしそんな僕の感じている悲壮さなんて全く気づいていない彼女は、それでも後方に視線を向ける対象がいなくなったのか、その視線をようやく僕に向けて、その口を開く。
静かな、まるで物分かりの悪い幼児にそれを言い聞かせるかのような、そんな僕としては限りなく不本意な口調で。
「殿下・・・、重ね重ね不敬な物言いをしてしまうことをご容赦願いたいのですが・・・、殿下はもう少し、先を見る目も養われた方が宜しいかと思いますわ」
「先を見る目・・・?」
「えぇ。彼女とも交流なさったのでしょう?」
「そうだね。昨日が交流日だったよ」
「それでしたらその時にお分かりになるべきだったのです」
「・・・?」
「彼女は・・・、育ちますわ。確実に、大成を成す方です。ひと目見て、それが分かるではありませんか」
「そう・・・、なの、かい・・・?」
「殿下は昨日お会いになって、何も彼女に感じなかったというのですか?」
「何も感じない、というわけではないけれど・・・」
静かな、重々しさすら漂う口調で断言され、真っ直ぐに僕を見つめる強い眼差しに気圧されながら昨日の交流を思い出すのだが、その積極性と野心と計算高い様に少しだけ疲れてしまった覚えしかなく、リロウが言うような将来性のようなものを感じ取ったりはしなかった。
しかしよくよく考えてみれば、他の候補者と比べても飛び抜けて強いその野心溢れる様に、もしもそれが悪い方向、もしくは個人的な利益に向くことなく、国や民の為にという目的に発揮されるなら、強い力で立ち向かって解決に協力してくれるのかもしれない。
そう思えば、確かに彼女には他の候補者にはない利点を感じ取ってもよかったのかもしれない・・・、と、せっかく相手を見極める機会を得ておいて、疲れたという程度の感想しか抱けないでいた自分に多少の気恥ずかしさや不甲斐なさを感じていたのだが、僕はその直後、そんな反省を途轍もなく後悔する羽目になる。
もっと言えば、どうして忘れていたのかと自分を責める羽目にもなるのだ。何を忘れていたのかといえば、リロウが発した言葉が僕の問いに応えてのものであったこと、そして僕が発した問いが、彼女の興味対象が大人の女性だけではなかったのか、というそれだったことだ。
つまり、リロウが口にする言葉はその問いに応えてのものだったわけで。
「自己評価を口にするなんてはしたないと承知の上で申し上げるのですが・・・、私の目は確かですわ、決して、見誤りません」
「そんなに、自信が・・・」
「私の胸部を見る目は確かです! 信じてくださいませ、彼女の胸は必ず、立派に育ちますわ!」
「そんな目は要らないしっ、その宣言も要らないんだけどっ?!」
リロウの力強い宣言に、僕の悲痛さすら滲ませた叫びが生まれるのだが、そんな悲しい瞬間ですら周りを気にして声を抑え込もうとしてしまった為、全力の叫びとはならず、離れて僕らを微笑ましそうに見つめる侍女や護衛達には何も気づいてもらえなかった。
ついでに言えば、叫んだ相手であるリロウにすら全く僕のその心境は伝わらず、彼女はそれからも、彼女曰く、将来有望な少女の見分け方だの、そういった少女を愛でる方法など、真剣に聞きたくない話を嬉々として話し続け、僕がぐったり疲れ切った頃、ようやくリロウとのお茶会は終了となる。
疲れ切っていても王城を辞す彼女を送って行った僕は、自分で言うのもなんだが、王子の鑑なんじゃないかと思ったし、彼女と別れ、廊下を自室へ戻る為に方向転換した際には、自分を労りたい気分でいっぱいだった。・・・のだが、その方向転換をした際に視界に入った光景に一気に血の気が引いて、自分を労るどころではなくなってしまう。
視界に入ったのは、廊下に大きく設置された窓、そこから見える外の光景だった。そこには今、別れたはずのリロウが公爵家の馬車に近づく姿があったのだが、見える姿が彼女だけではなかったのだ。
勿論、公爵家の護衛や侍女はいるし、近くに王城の騎士や侍女もいる。ただその場にいるべきではない人までいて、その見覚えのある姿がリロウに近づいて行っている様が見えてしまったのだ。
リロウに近づいて行っていたのは、あの、庭から出したはずの候補者の一人だった。