①
衝撃は、突然だった。
「あっ、ごめんなさいっ!」
「・・・いや、こちらこそぼうっとしていたよ。大丈夫?」
「はい! あのっ、本当にすみません! あまりに緑が綺麗で・・・、見惚れてしまっていたのです! それに、なんだかお城みたいに立派な建物で、ドキドキしてしまっていて・・・、私、そそっかしくて、いつもドジしちゃうんです!」
「・・・そう。気をつけないとね」
「そうですよね! でも、入学したばかりだから・・・、あのっ、先輩ですよね?」
「・・・そうだね、今年から二年になるよ」
「わぁっ、そうなんですね! あの、私、クロエって言います! クロエ・ダイナモンです! 今年からの新入生なので、よろしくお願いします!」
「・・・うん、よろしく」
「あのっ、それで、先輩は・・・」
「ここから真っ直ぐ行った先が講堂だから、今度は人にぶつかったり転んだりしないように、気をつけて行くといいよ」
「えっと・・・」
「じゃあ、僕はこれで」
──コレはないな、というのが出会ってすぐに抱いた率直な感想だった。
それは一年が無事・・・、なのかどうかは微妙なところだが、とにかく僕らが入学してから一年という時が流れ、二回目の入学式を迎えたその日のことだ。
生徒会のメンバーとして、入学式の準備やら見回りやらで動き回り、最後にちょっとした確認事項を終えて校門の近くを通りかかった際、突然、何かの攻撃なのではないかと思うほどの速度で突進して来た少女がぶつかってきた。
・・・そう、突進、して来たのだ。あれは決して、周りの緑に見惚れていたとかではない。緑どころか、その子は僕を見つけた途端、何か獲物を見つけたかのようにこちらを凝視し、次の瞬間には少し視線を落としつつ、でも僕の位置をしっかり捉えながらこちらに向かって直進して来たわけで、つまり僕と地面以外見ていなかったのだから。
その状態で突進して来た彼女を何故、避けなかったかといえば、確かに突進して来ているがそれなら僕に何か用があるのだろうと思ったので待っていてあげただけで、まさかそのまま正面から突撃してくるとは思わなかった。
しかも何故かしっかり手を僕の背中に回して、完全に抱きつくスタイルになるのだから何を考えているんだと言いたくもなる。・・・まぁ、続いた甘ったるい声と口調の台詞に、そんなこと、聞かなくても分かってしまったが。
そう、顔を上げて途轍もなく態とらしい謝罪の声を張り上げた彼女は、目をうるうるさせて自分のそそっかしさを強調し、頬を染めてその告白を恥じらう・・・、ように見せかけつつやけに押しが強く自分の情報を突きつけて来たかと思うと、全然離れないまま僕の名前を聞こうとしてきた。
王族なので当然なのだが、王族と繋がりを持ちたがる家の子供達がこの学園にも大勢いて、最初から僕をターゲットにしている人間は僕の顔をきちんと確認済みの上で入学してくる。
だから僕が目立つか目立たないかに関わらず、僕の顔を知っている。彼女からもそういう、僕をすでに知っている人間特有の気配がしている気がしたので、僕は彼女が僕の名を完全に問う前に離れないその体を乱暴にならないギリギリの力で引き剥がしてその場を去った。
僕が誰だかすでに知られているのだとしても、名前を名乗ってしまえば僕自身が彼女との繋がりを認めてしまうかのようで嫌だったから、問いかけられる前にその場を去ってしまいたかったのだ。
つまり、行動が謎な『コレはない』相手と関わり合いになりたくなかった、ということで。
身を翻す直前に視界に入った彼女は、自分が視界に入ることを計算に入れていたのか、それとも万が一、視界に入ったなら印象に残るようにとでも思っていたのか、相変わらず瞳をうるうるとさせ、両手を胸の前で組み合わせて小柄な体を小さく震わせる、愛らしい小動物のような姿をそこに晒していた。
・・・確かに、見た目だけなら愛らしい小動物という表現で何の問題もないかのような少女ではある。
肩までのふわふわした若草色の髪をハーフアップで留めていて、大きな瞳はピンク色。髪の若草色との対比もあって、緑の中に咲く可憐なピンクの花のような印象の瞳が潤んでいると、朝露に濡れた花弁のようで、はっとするほど人目を惹く美しさと愛らしさがあった。
そしてその愛らしさは瞳だけではなく、顔立ちもお人形のように可愛らしい。整ってはいるが冷たさのない、何だか守ってあげなくてはと思わせるような可憐さで、年より幼く見える感じだ。・・・たぶん、小柄な凹凸のない体型がそのお人形な幼さに拍車をかけているのだろうが。
まぁ、総合的に見て、かなり可愛らしい子だと思うし、若草色の髪にピンクの瞳という組み合わせはあまり見たことがないので、そういう意味でも希少性があり、注目を浴びそうな子でもある。
声も容姿に相応わしいほど甘やかさで、口調も明るいがその中に甘さを含んでいて、全体的に全てが甘さで統一されている感じの子だが、僕からしてみると『ない』感じ、つまりその甘さに惹かれるものは一切ない、という子だった。
全てが甘い、しかも先の言動から、それらが人工的な甘さ、つまり彼女自身が作り上げている甘さなのが分かってしまったので、僕は全く良さを感じない、ただ『ない』としか思えない子だ。勿論、容姿は生まれつきのものだろうから本人に何か責任があるわけではないが、あの言動は彼女自身の意思によるもので、それだけでも『ない』のだ。
初対面の男、たとえ王族と関わりが持ちたいからといって突進して来て抱きついて、しかもそれをさも事故みたいに装うなんて、その言動がすでに物凄い事故だとしか思えない。
アレを本人の意図したであろう通りに『可愛い』とか思う人間がこの世にいるのだろうか、そんな馬鹿、存在するとも思えないんだけどと素直に思いながら背中を向けても尚、感じる少女の圧のありすぎる視線に鳥肌すら立てながら歩いていたその時、衝撃のあまりにすっかり失念していた隣の存在からほとんど独り言みたいな声が聞こえてきた。
この一年、ずっと変わらず隣にいたドゥータからの声。そう、何があっても変わらずに隣にいた・・・、つまり、僕が何を言っても自分の思い込みを正さない、超思い込みが強いちょっとアレな人間であるドゥータの声だ。
「素直な、可愛らしい子でしたね・・・」
うっとりとした、ほぼ自分の世界に入り込んでいるのが分かる声に思わず隣に視線を向ければ、少しだけ斜め上辺りを見つめているドゥータは、僕の視線なんて何も気づくことなくその視線の先に見えている何かを見て、恍惚とした表情を浮かべたままでいる。
僕には見えないその視線の先の何かが先程の少女、クロエ・ダイナモンだと気がついてはいたので、僕はそのドゥータの様子に、声はかけなかった。ただ、声をかけないままに、一人静かに思っていた。
──コイツもないかもな、と。
世の中にいるのかそんな馬鹿が、と思っていたら、自分のすぐ隣にその馬鹿がいたことに軽く絶望を覚えずにはいられない。しかもそれが一応、自分の側近候補に上がっている奴なのだから、世の中にはまともな人間が存在しないのではないかと、全人類に対して不信感を抱きそうにすらなる。
しかしそれでも僕はまだ、希望を捨てていなかったのだ。確かにこの一年、僕の話の一部、具体的に言うとリロウ関係の話を全く信じないし、他にも自分の思い込みを覆すような情報から耳を塞ぐ性格をしてはいるが、それでもこれからまだ経験を重ね、成長していくこともあるだろう、と。さっきの謎発言も、ちょっとした気の迷いという可能性だって残っているかもしれない、と。
それはたぶん、いくらちょっとどうかと思う言動があったとしても、基本的には僕の側近候補になるほどの実力があり、性格も思い込みの激しさを除けば誠実で真面目、努力家で、一年一緒にいた間に生まれていた情のようなものもあったからそう思っていたのだろう。
しかし実際には、入学式に抱いた『コレはない』も、『コイツもないかも』も、覆ることなく、むしろほんの数日の内に瞬く間に強くなっていった。つまり、『コレはないだろう』という事態が思っていた以上の速度と頻度で増え広がっていったわけで。
今年はカイが入学してくる。だからこそ気を引き締めていかなくてはいけないと、そう決意していた。
それなのに、なんというか、リロウ以上の問題児が入学して来てしまったようで・・・、起こり始めた騒動は、ある意味、ありがたいものでもあったのかもしれない。
何故ならその騒動のおかげで、カイの注意がリロウから逸れたからだ。なんせ、入学早々に僕と同じ目に遭ったらしいカイは、彼女、クロエ・ダイナモンと同学年、同じクラスになるという不幸の所為で、僕とは違い彼女が絡む事件に何度も巻き込まれているようなのだ。
結果、リロウどころではなくなってくれているようで、そういう意味では助かるといえば助かっていた。ただ、単純にそれを喜ぶべき事態でもないことは確かで・・・、何故かと言えば、彼女が引き起こす事態は学園中にあっという間に波及していき、平和とは言い難い日々が始まりだしたからだ。
彼女、クロエ・ダイナモンはダイナモン男爵の後妻の連れ後にあたるらしい。
その後妻というのが元々ダイナモン家で働いていたメイドで、まぁ、つまり使用人に手を出してしまった、ということのようだ。権力を盾に無理やり、ということでもないようだし、ダイナモン男爵は妻をもう亡くしており、独り身なのでべつにその点は問題がないといえばない。
ただ、その女性に入れ込み、とうとう後妻にという話が出た時には親戚一同の反対にはあったらしい。第一の理由として、使用人だった後妻になる彼女は平民の出身で、とても貴族の正妻が務まるとは思えなかったからだ。
しかし男爵はそれを、たいして高い爵位を持ってるわけでもないし、ましてや後妻なのだから社交もさせなくたって構わないだろうと断言して押し切ろうとしたらしい。正妻との間にもう跡取り息子がいて、その息子がまもなく成人することも反対を押し切る根拠の一つで、息子が跡を継ぐことはもう確定なんだから、自分が誰を娶っても、もうたいして男爵家に影響なんてないだろうと主張したそうだ。
確かにそう言われてしまえば納得しないわけにもいかないが、しかし親戚一同が反対した理由は一つではなく、もう一つあった。それが連れ子のクロエだ。
男爵との間に生まれ、母親が平民だというだけならともかく、クロエは連れ子なので当然、父親も平民。しかもその平民の父親は離婚しただけなので今も存命で、その状態のクロエを男爵家に入れて、後々何かの問題にでもなったらどうする、というのが彼らの反対のもう一つの理由だった。
勿論、クロエが男爵令嬢としての教育を一切受けていない、つまり淑女としての教育が何も施されていない状態であることも問題となっていた。
しかし男爵はそのクロエのことも「無邪気で可愛いじゃないか」と連れ子であるにも関わらず目に入れても痛くないほど可愛がり、どうしても自分の子として男爵家に入れると言って聞かなかったそうだ。
・・・クロエの情報を得た際にその男爵の主張を聞いた途端、『ソイツもないな』と思った僕はべつに悪くないと思う。口に出したら品性の問題が出てくるかもしれない言葉だが、思っているだけだったし、思われるだけなら仕方がないレベルなので、誰にも文句を言われる筋合いもないだろう。
確かに爵位は高くはないが、それでも男爵家という貴族の一員、その当主でありながら頭が沸いているとしか思えない理由で一族全員が反対している決断をするのだから、もうそれだけで当主の地位を引き摺り下ろしてもよいくらいだ。
ただ基本的に人が良い人間が多い家柄なのか、当主の強固な主張に反対しきれず、逆に、「今からでも学園で三年学べば遅くはない、きっと卒業する頃には立派な淑女になっているはずだ」というその主張に折れたという話なのだから、クロエ本人をその時点で誰も確認していなかったとしか思えない。
そう、クロエがまともな淑女になれるわけがないなんてこと、冷静に本人に接してみればすぐに分かるはずのことだったのだ。
「同じ学生なんだから、皆、平等です! 仲良くするべきです! 爵位とかそういうのをまだ子供の私達が持ち出してその位で態度を変えるなんて、おかしいです!」・・・と騒ぐ彼女の声を、彼女の入学以来、学園の至る所で聞いた気がする。
これだけ盛大に主張するのだから、男爵家の親戚一同がちゃんと確認していたら同じ主張をしていただろうし、それを聞いたならまともな貴族ならこれはダメだと察していたに違いないのだが、こうして入学してしまっているのだから確認を怠ったに違いない。
なんせ、ここは平等を学ぶ場所ではなく、爵位による自分の立場を学ぶ場所なのだから。
貴族としての在り方を学ぶ場所、成人して貴族社会に出た際に相応わしい振る舞いができるように、社交会で恥を掻かないように貴族としての諸々を学ぶ場所において、爵位を気にして行動するなんて当たり前すぎるほど当たり前のことだ。
爵位を気にしなければ貴族らしい振る舞いなんてできるわけもないのだから、もう基本行動と言ってもよいだろう。それを差別のように主張しているのは落第並の間違いで、爵位を意識して振る舞うこと、爵位に応じてそれぞれが相応わしい行動を取り、相手に接する態度を変えるのは差別ではなく、区別なのだ。高位の貴族ほど重い役割を持ち、それを果たす。だからこそ低位の貴族が高位の貴族に敬意を払い、高位の貴族は払われている敬意に相応わしい責務を果たす、それが貴族だ。
べつに低位だから馬鹿にしろとか侮れとか、高位だから無条件に偉いとか、そういう話じゃない。互いの役割を理解して果たす、それが貴族だし、爵位だけで勘違いした振る舞いをしないように、その爵位に相応しい自分でいられるようになること、そういうことを学ぶ場所がこの学園・・・、であるというのに、その基本を丸ごと否定する、しかも自分が正義かのように主張しているクロエのそれは、貴族社会に仲間入りする気がないとしか思えない。
少なくとも、周りの教師やまともな生徒達の話を聞く気がないのは確かだろう。平民だったのだから最初は何も分からず勘違いした主張をしていても仕方がないとしても、すぐに思い違いを正そうとした教師や他の生徒達を前に、差別主義者と対峙していますと言わんばかりの口調で彼ら、彼女らを非難してその話を一切聞こうともしなかったのだから。
彼女の平等を訴える主張も、周りの話を聞かず、彼女の間違いを正そうとする親切な人達を悪者と断じて非難するその主張も信じ難いものだった。・・・が、実はもっと信じがたかったことが別にあって。
クロエの主張をその通りだと支持する一部生徒が、学園内に存在したことだ。
素晴らしい意見だ、なんて優しい聡明な人なんだ・・・、とかなんとか、とにかく彼女を絶賛する意見が存在することに驚いたし、呆気に取られた。
この学園は貴族の為に存在する学園なので、勿論、生徒は貴族だけ。正妻の子供じゃない、母親が平民という子供はいるが、それでも彼らだって自分が貴族の血を引く者として自覚は持った上で入学している。つまり、本当に貴族と何の血の繋がりもなく、そして貴族としての自覚もなくこの学園にいるのはクロエだけなのだ。
だからこそ、あり得ない主張をしている・・・、はずなのに、貴族としての自覚を持つ子供のうちの一部が彼女の貴族としてあるまじき発言、ある意味、貴族の責務の放棄を主張しているに等しいそれに同意を示すなんて、何の悪夢なのかとすら思う。
あまりの衝撃に、最初にそんな存在を発見した際は、開いた口が塞がらない、驚きすぎて反論する言葉すら出てこないという状態に陥ったほどで。
しかもその最初に発見したあり得ないその存在が、自分のすぐ傍にいる、側近候補であるドゥータだったのだから、もう少しで意識を手放しそうになったほどだった。
確かにあの時、『コイツもないかも』とは思ったけど。
まさか本当に『ない』奴だったとは、と手放しそうな意識を必死で繋ぎ止めてそう思ったのは、クロエが入学して来て二週間ほど経った頃だった。
もうその頃にはクロエがあり得ない主張を各地で繰り返していたのは聞いていたし、クロエに正しい貴族の在り方を説き伏せようとしていた教師や他の生徒達が、クロエのまるで自分が悲劇の主人公、もしくは悪に立ち向かう健気なヒロインですと言わんばかりの態度で「どうしてそんな酷いことを言うんですか!」と涙ぐんだ表情で責め立てられるという理不尽な目に遭っているという話も聞いていて、被害に遭った善良な彼らの様子に胸が痛んでいた頃だったので、痛んだ胸が破壊されるかと危惧するほどの衝撃を受けたのは、いまだに記憶に新しい。
そしてその破壊されかけている胸に更なる衝撃が訪れたのはそれから数日も経たない頃で、ドゥータだけではなく、他にも数人、側近候補で傍にいるメンバーから同じようにクロエを称賛する台詞を聞いた際には、色んな意味でこの世に絶望を覚えそうなほどだった。
僕はもしかして、本当に対人関係の運がないのかもしれない、僕の周りにはまともな人間が集まらない、そんな巡り合わせの星に生まれついてしまったのかもしれないと周りの全てが信じられなくなりかけたその時、僕をギリギリのところで救ってくれたのは僕よりギリギリになっている、なんならその先に落っこちている可能性が高い人間・・・、カイだった。




