⑥
──あの時の決意が、今、再び強く胸に刻みつけられていくのを感じずにはいられない。
なんせ、そういうことにしなくては弟の将来にも影響が出てしまう可能性があるのだ。というか、すでに結構な影響が出てしまっているので、これ以上悪化させないように努力する義務が兄である僕にはあるだろう。
その為には、来年のカイが入学するまでにリロウの態度を改善、そう、改善させなくてはいけない。隠すとか他にバレないようにするとかいう今のレベルではなく、もっと高みを目指さなくてはいけないのだ。
力強くそう思い、石を握りしめて誓いを新たにした・・・、翌日のことだった。
「まぁっ! そんな遠慮する必要なくってよ。是非、お姉さまもお連れくださいな!」
「そんな、私のような者が公爵家のお茶会に伺わせていただくだけでも畏れ多いことですのに、姉まで連れて伺うだなんて・・・」
「何を仰っているのです? サスラン家は立派な伯爵家ではありませんの。何もご自身を卑下する必要なんてありませんわ。ましてや貴女のような優秀で素敵な淑女ならば、家柄なんて関係ありませんわ」
「リロウ様・・・!」
「お姉さまも、私、以前、他のお茶会の際にお見かけしたことがありますわ。とても素敵な方ではありませんの。遠慮なんてなさらず、是非来てくださいませ」
学園の片隅、美しく整えられた庭園の一角でリロウは同級生の少女達と楽しいお喋りを繰り広げていた。・・・べつに、お喋りを繰り広げているだけなら何の問題もないはずなのだが、どれだけ離れていても感じ取ってしまうリロウの全力な欲望の気配に、気が遠退きそうになる。
感動しているサスラン家のご令嬢や、周りにいる同じく感動している他の令嬢達には分からなくても、僕にはリロウの言葉の意味が正確に聞き取れているのだから、離れていようとその気配を感じ取ってしまうのも無理も無い。
サスラン家のご長女って、あの、胸が豊かな方だよね? キミが視線を全然離さなかった人だったと思うけど。
声には出せない呟きを胸の内で零しつつ思い出すのは、ともすれば下品になってしまうほどの豊かさを誇る胸を持ちながら、その胸の大きさに恥じらっている様子の品の良い女性と、その女性の胸に釘付けだったリロウ、そのリロウの視線を引き離すのに必死だった自分の姿だ。
確かあの後でご結婚されて、暫しお茶会や夜会から姿が見えなくなって・・・、いるとリロウが騒いでいたのをよく覚えていたのだが、まさかその妹が同級生で、すでにリロウの手の内だとは思わなかった。
ついでに言えば、妹がきっちり姉と同じ遺伝子を受け継いでいて、すでにその胸が豊かに成長していることにも意識が遠退きそうにそうになる。勿論、決して嫌らしい意味ではなく、絶望的な方角に気が遠退きそうになっているのだが。
「あのリロウ様、本当に姉まで宜しいのですの?」
「勿論ですわ!」
「ありがとうございます。あの、それではお言葉に甘えて・・・、姉は最近、華やかな場所から離れていましたから、エンバー家のお茶会にお呼ばれするなんて、とても喜ぶと思いますわ」
「喜んでいただけるなら私も嬉しいですわ。でも、何かおありになったのですの? 華やかな場所から離れているというのは・・・」
「実は、子供を授かりましたの。それで最近、あまり出歩かないようにしておりまして・・・、でも先日、ようやく生まれましたの」
「まぁ、おめでとうございます!」
「体調はよろしのですの?」
「えぇ、母子ともに健康で・・・」
「それは宜しかったですわ」
「初産でしょう? 大変だとお聞きいたしますし、健康でなによりでしたわ」
「本当にそうですわ」
「赤ちゃん、さぞかし可愛いのでしょうね」
遠退いていた意識に聞こえてきたのは、おめでたくて微笑ましい会話。そのおかげで完全にその場を意識が離脱することはなく、無事、戻ってこられたのだが、意識が遠退くのに合わせて逸れていた視線を戻すと当のサスラン家のご令嬢が少しだけ困ったような表情をしているのが見えた。
おめでたいことのはず、母子ともに健康なら心配もないだろうに、何かを言い辛そうにしていて・・・、疑問に思っていると、同じく浮かない顔をしている様に気づいた令嬢の一人が声をかけた為、その声に答えるように表情をそのままに、サスラン家のご令嬢が再び口を開く。
「実は・・・、女の子なのですわ。だから、嫡男が産めなかったと・・・」
酷く残念そうな、悲しそうな、痛ましいものを思い浮かべてでもいるかのような顔をして独り言のような口調でそう呟いた彼女は、耐えかねたかのように俯いた。
残念に思っているのは彼女自身や母となった彼女の姉ではなく、間違いなく、周りの人間で、その気持ちを感じ取って悲しみを感じている姉を痛ましく思っての発言だったのだろう。
嫡男を産んでいない貴族の女性に対する身内の風当たりというのは家によってはかなり強く、それが女性を酷く傷つけるのは知っていたが、しかし今まであまりそういう姿を実際に目にしたことはなく、今、初めてその姿を、当人ではないが当人を知る人を通して知って・・・、命の誕生を素直に祝ってやれない在り方を悲しく思うのと同時に、仕方がない、という気持ちが浮かんでしまうのを止められなかった。
僕がその立場だったとしても、やはり嫡男を必要としてしまう、そういう立場にいるからだ。
「べつに女の子でも構わないではありませんの!」
誰もが痛ましく思い、でも同時に仕方がないとも思ってしまう中、たった一人、生まれたのが嫡男ではないという事実を力強く肯定する声が聞こえてきたのはその時だった。
あの少女達の中で、将来、最も重い嫡男を産む義務を課せられるだろうリロウのその断言に、周りの少女達も僕も目を見開いて固まってしまう。
女の子でも構わない、人道的にはそうだけど、貴族にとってみれば上部だけの綺麗事だ。・・・のに、リロウはそれを本気で断言している、それが分かってしまうからこそ、その台詞を聞いた貴族達は固まらずにはいられない。
真っ直ぐにサスラン家のご令嬢を見つめ、その両手を取ると力強く握りしめながら、明るく、力強く爛々と輝く瞳で自分の気持ちを彼女に言葉以上に指し示してリロウは力強く話し続ける。
その顔に、一片の憂いもない、祝福の気持ちだけを浮かべて。
「それはいつかは嫡男を産まなくては困るのかもしれませんけれど、第一子が嫡男ではなかったからといってそんなに気にすることではありませんわ」
「そう・・・、でしょうか・・・」
「えぇっ、勿論ですわ! お子様が産まれたのですもの、今はただそのことを祝福すれば良いだけではありませんの。それにきっと、とっても可愛らしい女の子なのでしょう? これを喜ばずに、何を喜ぶのです!」
「リロウ、さま・・・」
「宜しければ、お茶会、赤ちゃんも連れてきてほしいわ」
「・・・えっ?」
「可愛らしい女の子、私も見てみたいもの。できたら抱っこしてみたいですわ」
「・・・リロウ様!」
「きっとお母様似の、素敵な女の子に成長すること間違いなしですわ。ねぇ、皆様もそう思いませんこと?」
リロウのその問いかけに、周囲にいた少女達が口々に肯定を返し、そして自分達も赤ん坊を見たい、抱っこしたいと興奮したようにはしゃぎ出している。
その顔は皆、日の光を照らし返すほど明るく、朗らかで晴れがましく、自信に満ちていた。理由は分かる。そこにいた少女達皆がリロウの言葉に感動していて、そんなリロウと今、一緒にいられる自分達を誇らしく思っているからなのだろう。
嫡男を産むという重圧を必ず背負うことになる少女達、そんな少女達の中でも一番重い重圧を背負うだろう立場でありながら、そんな重圧を歯牙にもかけずにただ命の誕生を喜び、生まれた赤ん坊を祝福する、素晴らしいリロウの姿に感動している少女達はリロウを慕う純粋な思いで満たされている。
サスラン家のご令嬢など、感動のあまり俯いてハンカチで目元を押さえて涙ぐんでいるようだ。
・・・が、ライナスには分かってした。リロウの発言の数々が、自分の欲望にひたすら忠実であるだけのものだと。
周りの少女達は誰も気づいていない。でも、ライナスには距離があろうと感じ取れてしまう。リロウの全身から漏れ出している・・・、邪なオーラを。
浮かんでいる明るい笑顔にすら滲んでいる、というかその笑顔の根本そのものでしかない邪なそれは非常に残念なことにもう馴染みとなってしまっているもので、背中を向けられていてすら察してしまうものだった。
そもそもリロウは自分の邪なそれを隠そうという意思がないので、笑顔にもオーラにもダダ漏れになるのが常の状態だ。
一応、九年間の僕の努力の結果、言動には気を遣うようにもなったが、基本的に隠し立てするようなことだという考えがないからか、それとも隠そうとすら思えないほど自然に漏れてしまうのか、リロウのあの邪な思いは色々漏れている。
ただ、その笑みがあまりに明るく裏表がない為、周りが気づかないでいるだけで。
今だって、べつに人道的な意味合いで発していた台詞ではなかった。あれはただ単に、好みの女性に似た女の子が誕生したに違いないということで、その将来の姿を思って喜んでいるだけなのだ。勿論、邪な意味合いで。
それなのに言葉通りの意味に受け取り、立派な人だと周りが賞賛の気持ちでその目を曇らせているだけで、実態はとても賞賛できるようなものではない。でも、そのことに今のところ、この学園で気づいてるのは僕だけで。
・・・というか、着実に被害が広がっているような気がする。
気だけではないのは分かっていたが、僕だって人の子。王族ではあっても時には直視したくないことから多少視線を逸らしたり、少しの間、気づかない振りをしたくなるもので、だから今だって本当はそんな気がしているだけということで纏めておきたかったのだが・・・、まぁ、自分で自分を誤魔化しきれない性格の所為か、目を逸らして逃げたはずなのにすぐに現実を直視してしまう。
そう、間違いなく、被害は広がっている。被害者に被害を気づかせないうちに。
リロウの人脈を広げることは、その役割として正しい。・・・ただ、その役割がある意味、悪用されているのが結構な問題だ。
悪用されていると相手は勿論気づいていないが、リロウの邪な触手は同じ世代の少女達だけではなく、上級生達上の世代まで広がり、更には学園を飛び出してその姉妹や姪にまで伸び始めている。
まだ赤子に何かするとか厭らしい目を向けるとかは思っていないが、しかし成長した暁にはとよからぬことを考えていることは確実だし、その為に今から何らかの手を打とうとしている可能性はあった。あった、というかその可能性しか存在しないのかもしれない。
とにかく、危険だった。何が危険かといえば、リロウを諫める人間が周りにいないことが危険で、誰も止めない所為で学園でのリロウの行動が危険な方角へまっしぐら状態になっているのだ。
しかしかといって、誰かに気づいて止めてほしいわけじゃない。正確に言えば止めてはほしいが、リロウのあの趣味嗜好に気づいてほしくはないのだ。誰か一人にでも気づかれてしまえば、僕のこの九年は無駄になってしまうし・・・、将来にだって差し障りが出る。
でも、だからといってこのままただ見ているだけにしておくわけにはいかない。明らかに、リロウに暴走傾向が見られるのだから。
もしかして、リロウの趣味嗜好を根本的にどうにかするなんて目標を目指している場合じゃなかったのかもしれないな。
当初の目標を今の現実と照らし合わせてみれば、そんな結論が出てきてしまう。学園にいる間は、もうリロウの被害者が増えないように、彼女の趣味嗜好がバレないようにするだけで精一杯なんじゃないかと、そんな気がしてきて。
やっぱりまずは基本を抑えなくてはと、自分でも基本ってなんだと自分で自分に突っ込みを入れずにはいられなくなりつつも、とにかく改めてリロウには学園での注意事項を言い聞かせようと誓いを新たにして・・・、ふと、自分の考えに没頭した結果逸れていた視線をリロウに戻せば、そこには満面の笑みを浮かべたリロウの姿がある。
何の後ろめたさもない、無邪気な少女の笑みを浮かべるリロウの姿が。
・・・こんなにも裏表のない、素直な笑みを浮かべる人間で、笑みだけではなく実際に裏表のない性格をしている人間なのに、どうしてこんなにも隠さなくてはいけないことが多いのだろうか?
考えれば考えるほど、色々と不思議で仕方がない気がしてくる。間違いなく、僕が今まで出会った人間の中で最も裏表のない純粋で素直な人間なのに、最も隠し事だらけで周囲を偽らなくてはいけない人間であるという、その矛盾が。
しかしそんな矛盾に頭を悩ませている暇はない。考えても解決しない問題を考えるより、今は考えて解決しなくてはいけない問題が山積せいているのだから。
案外上手くいっていると思っていたのにな・・・。
僕自身の周りにいる者達、その者達のリロウへの評価等以外は上手くいっている、だから僕さえ気をつけたらどうにかなる・・・、と思っていたはずの学園生活は、そんな甘いものではなかったようで。
まだ始まったばかりの学園生活であるにもかかわらず、無事、残りの学園生活が切り抜けられるのかどうかに不安を覚えずにはいられなかった。




