③
ヨーダ・グランシス公爵令息は、僕より一学年上の生徒だ。
彼もまた、将来の僕の側近候補の一人で、その為、当然、付き合いも多い。学年が違うので学業では一緒になることはないが、生徒会の仕事は多岐に渡り、その多岐に渡る仕事をまだ僕が生徒会に入ったばかりで仕事を学ぶ段階だった頃に教えていたのがヨーダであることもあって、今でも色々と付き合いがある。
側近候補だからこそ、僕の仕事のフォローをする人間として優秀なのだと示す為に生徒会の仕事を教える係も率先して行っていたのだろうが、そうして付き合いが増えれば自然、婚約者であるアーネストと接近する機会も増えるわけで。
あまり社交的ではない彼女と挨拶以外で話す機会自体はそうそうない。ただ、ヨーダと共にいる時に彼女が近づいて来てヨーダに何か話しかけたり、ヨーダと彼女が話しているところに偶々通りかかって声をかけたりする機会がある程度だ。それでも彼女とクラスが違い、接点がなかなか持てないリロウにしてみれば僕のことが羨ましいようで。
結果、時折こうして羨望の眼差しを向けられて愚痴られる。・・・愚痴りたいのは僕の方なのだけれど。
そもそも、僅かな接点を持つ時のアーネストは、僕に対しても素っ気ないのでそんなに羨ましがられるようなことでもないと思う。
身分が身分なので、大抵の人間からは興味を持たれるし、好意的な振る舞いをされるけれど、アーネストは不敬というわけではないが、ごく普通の態度、というよりあまり親しく無い人に接しているという態度を崩さない令嬢だった。
確かに親しくはないが、そこを親しくなろうとするのが大抵の貴族の反応だというのにあの反応をするということは、本当に基本的な社交性があまりないのだと思う。
そんな人間がリロウと親しくなれるわけがなく・・・、いや、それ以外にもリロウが親しくしてもらえていない理由に多少、心当たりがあるというか、もしかしたらと思うことがないわけでもないのだが。
・・・まさかと思うけど、リーへの不満を彼女に吹き込んだりしていないよね?
ヨーダもまた、リロウに不満を持つ人間の一人で、ドゥータほどあからさまにそのことを言わないまでも、リロウの姿を見かけることがあればさり気なく、僕の婚約者としての資質について苦言を呈すことがある。
そんなヨーダがリロウが自分の婚約者を何度もお茶に誘っているということを知れば、何を言うか分かったものではなく・・・、僕にはさり気なく言っていた内容を、具体的にはっきりとアーネストに告げていてもおかしくないだろう。
もしもそんなことを言っていれば、ただでさえリロウと合わなさそうな彼女がいっそうリロウを忌避することは間違いないわけで、そうなるとリロウの願いは叶わないし、僕は延々と愚痴を聞かされる羽目になるに違いなく。
頭をよぎる多少恐怖を感じる今後の展開に、微かに首を左右に振ってその可能性を脳裏から追い出すと、自分の世界に入ってアーネストへ向けた愛の言葉に近いそれを垂れ流しているリロウへ、どうにか冷静な思考を取り戻してもらうべく口を開いた。
もっとも、口を開いた瞬間ですら本当にリロウが冷静な思考を取り戻してくれると信じていたわけではないのだが。
「そもそも、彼女をお茶会に誘うこと自体が彼女に距離を置かれる原因の一つなんじゃないの?」
「どうしてですの?!」
「いや、だって彼女って、物静かに時間を過ごしたいタイプの人でしょ? いつも読書しているし、彼女と一緒にいる女生徒達も同じようなタイプの子達なんじゃないの? 偶に見かけるけど、皆、静かに本を読んだり自分達の読んでいる本を交換しあったりしているようだし」
「えぇ、確かに読書はお好きなようですわ。あの細くてすべすべとした、思わずむしゃぶりつきたくなるような優雅な指でページを一枚一枚捲っているお姿を何度もお見かけしていますもの!」
「・・・うん、途中の表現は聞かなかったことにするね。えっと・・・、そう、だからね、そういう物静かなタイプの人がお茶会なんてお喋りの場に好んで行くとは思えないんだけど」
「ですから今回は上級生をお誘いしてあったのです!」
「・・・?」
「上級生は私達より落ち着いた雰囲気をお持ちでしょう? それに上級生の方々がいれば、皆さん、いつもより控えめにお話されますでしょうし・・・、そういう雰囲気のお茶会でいたら、アーネスト様も気兼ねなく参加できるではないですか!」
「いや、だからね? そもそも彼女はお茶会そのものが好きじゃないタイプなんじゃないの? そういうタイプの人なら、どんなお茶会でもお茶会自体に参加したがらないと思うけど・・・」
「そんな! それではどうやって貴族令嬢として親しくなっていけばいいのですかっ!」
「・・・まぁ、確かに、公爵家の令嬢なのだから苦手ってだけで全てのお茶会を断るわけにはいかないとは思うけど」
リロウは絶望を滲ませた悲痛な叫び声を上げ、顔を両手で覆って髪を振り乱さんばかりに首を左右に振っている。赤い髪が華やかに視界の中で舞う様を眺めながら、どうしたものかと思いつつも、半ばどうにもできないと諦めてお茶を手に取り、一口飲み干す。
ただ、貴族令嬢には令嬢同士の人脈を築く必要性があり、それをするのがこの学園生活の目的の一つでもある以上、苦手だろうとなんだろうと多少はお茶会に参加するべきではある。お茶会は貴族令嬢が他の令嬢と親しくなる場として存在するわけで、そこに参加するのは貴族令嬢の義務に近いものがあるのだから。
でも、アーネスト嬢やその周りにいる女生徒達のように、貴族令嬢でも社交が苦手な人というのは一定数、いるものだ。それは性格だから仕方がない。
勿論そういう令嬢達も貴族である以上は人脈作りは必要で、その場合、まずは社交が苦手な似たようなタイプ同士が集まり親しくなって、それからお茶会に出席する場合にその集まっているメンバーで纏って出席する、という形になることが多い。
不思議と、社交が苦手な者達はお社会を開かなくても自然と同じタイプ同士で集まれるようだし、集まったメンバー同士で仲良くなって集団を形成できれば、お茶会という彼女達にとって心理的にアウェーな場所でも、皆で参加することでどうにか耐えられる、ということらしい。
だから、たぶん、これからなのだ。確かに今もアーネスト嬢達は似たようなタイプで固まってはいるが、それでもまだもう少し時間をかけて親しさを深めてから、参加しなくてはいけないお茶会に皆で参加するのだろう。
それなのに、まだ入学して三ヶ月という期間しか経っていないのに、お茶会に誘う・・・、しかも絶対に向こうが苦手に思っているに違いないリロウが誘うなんて断られるに違いないし、なんなら誘うごとに何かよからぬことでも考えているのではないかと疑われても仕方がないと思う。
同じ公爵家、敵対しないまでも、張り合うのは当然なのだ。・・・あの、商売以外には積極性がないというか、わりと気が弱いというか、常にリロウを案じている動揺甚だしい姿しか見たことがない気がする公爵や、同じく社交界よりリロウの言動を注視している公爵夫人が他の公爵家のことなんて気にしている余裕があるとも思えないのだが。
リロウは顔を覆っていた手を外し、代わりにその手をきつく組み合わせて祈りの形を作ると、目を瞑って僅かに上向いている。たぶん、何かの祈りを捧げているのだろうが、その祈りがどんな内容なのかは聞く気にはならない。というか、間違いなく聞いてはいけない類のものに違いないので、その祈りは見なかった振りで触れないようにして口を開く。
「あのね、リー、とにかくアーネスト嬢はお茶会が苦手な令嬢で、今はまだお喋りしたりするより、読書したりする仲間内だけで静かに過ごしたいと思っているんだろうから、そっとしておいてあげなよ」
「わっ、私だって無理にお喋りしていただきたいと思っているわけではないのです!」
「そうなの? お喋りして、仲良くしたいから誘っているんじゃなく?」
「勿論、そうしていただけるならそれが一番嬉しいですわっ! でも私だってアーネスト様がそういった他愛無いお喋りなどを好まれないということくらい、見ていて分かっておりますの。えぇ、それはもう、見ていましたものっ、目が乾くくらい!」
「・・・あのね、淑女が目が乾くくらい女性を凝視するっていうのはどうかと思うんだけど」
「だから私は、べつにお茶会にお誘いしているからといって、そこでアーネスト様が好まれないお喋りに延々とお付き合いしていただくつもりはありませんのよっ」
「それならどうしてそんなに何度もお茶会に誘っていたんだい?」
「それはあのお美しい指でお菓子を摘んで、あの麗しい唇でそのお菓子を口に含まれる様を距離ゼロで拝見したいからですわっ!」
「距離ゼロ?! リー! それは流石に聞かない振りができないんだけど?!」
「そしてお茶を一口含んだ際にあの唇がいっそう麗しくなる様を愛でたいのです! 勿論、こちらも距離ゼロで!」
「だから距離ゼロってどういう状況を想定しているわけ?! まさか触ろうとしているんじゃないよね? それは完全に犯罪だからね? 分かっているよね?!」
「・・・わっ、分かっておりますわ!」
「本当に?」
「分かっておりますのよっ! だってこの数年間、ライが私に散々仰ったではありませんの!」
「あー・・・、一応、僕のこの数年は無駄になってなかったんだね・・・」
「でも、心は自由ではありませんか!」
「キミの場合、心だけじゃなくて口に出ていると思うんだけど」
「ちゃんとライの前だけですわっ!」
「・・・まぁ、そうだね。今はそれでいいって妥協しているのは僕だものね」
「だから自由な心で距離ゼロを思うくらいはよいではありませんか!」
「・・・うん、えっと、言いたいことは大量にあるんだけど・・・、とにかく、お茶会は諦めようか?」
「諦められませんわっ!」
リロウの叫びが響き渡った。・・・が、廊下に聞こえてしまうかもしれないと心配する力が湧かないほど、今はあらゆる力を使い果たしている。それこそ椅子の背もたれに全身がめり込むのではないかと思うほどの脱力ぶりだ。
しかしそんな僕の様子にいつも通り気づかないリロウは、尚も力強く叫び続けている。アーネスト嬢をどうしても諦めきれない、何故諦めきれないのかという熱き想いを、それはもう、力一杯訴えてきて。
その訴えを遠退いた意識の端で聞くともなしに聞きながら、その時は僕は思わずにはいられなかった。
もういっそ、ヨーダにはアーネストにあらん限りの不安を吹き込んでもらうしかないのかも、と。
そうしてアーネストが永遠にリロウに近づかないようにしてもらう、それが現状、唯一にして絶対の解決方法なんじゃないかと思わずにはいられずに。
リロウは邪な気持ちはあるものの、その気持ちの中に計算や悪意はない。ただ、素直にその人を好ましく思い、親しくしたいと願っているだけだ。・・・その好ましく思う内容がアレなものではあったとしても。
でもきっと周りはそうは思っていないだろう。リロウとアーネストは同じ公爵家、立場として同じなら張り合うものだし、リロウは王族の婚約者になっているのだからその張り合う状況から一歩、有利な状況に抜け出ていると思われるだろうし、そうして均衡が崩れてしまえばいっそう両家が相手を意識しているに違いないとそう判断されるはず。
実際には、エンバー公爵家の一同は真剣にこの婚約に胃を痛めていて、たぶん、婚約が決まった際は医者を呼ばなくてはいけないほど心身共に追い詰められた状況になったのに違いないのだが。
しかしそんな内情を知らなければ、リロウがしつこくアーネストをお茶会に誘うだなんて何か魂胆があるようにしか見えないのだから、アーネストからしてみればお茶会が好きかどうか以前に警戒するに決まっているし、そこに加えて婚約者からリロウの悪評を聞けばとにかく近づかないでいてくれるだろう。
それはそれでどうなんだろうと我ながら思わないでもないし、リロウが実態とは違う悪評に塗れるのは個人的にあまり愉快だとは言えない。というか、はっきり不愉快ではあるので、いずれはその悪評は払拭するつもりだが、とにかく今はアーネストにリロウと接触を持たないようにしてもらい、その間にリロウに彼女を諦めてもらうよりほかない。
「とにかく・・・、あまり無理に誘ったりしたら駄目だよ。嫌がっているのを無理に誘い続けていると、本気で嫌われる可能性だってあるんだからね」
「わっ、分かって、おりますわ・・・」
「そもそもキミとライオネル嬢は公爵家としてそれぞれの派閥を率いているのだし、他の派閥の令嬢と個人的に接触していると他からおかしく思われたり・・・」
「派閥なんてつまらないですわ」
「・・・えっと、」
「そんなもの、私達とは関係ないところで誰かが勝手に作っただけではありませんの。私には関係ありませんわ。そもそもお父様だってそういうことは気にしておられませんし」
「そうなのかい?」
「えぇ、ご商売上の関係は気にしておられるようですけど、派閥なんて何の集合体かも分からないもの、気にはしてはおられませんわ。ましてやそんな何の為にあるのか分からないようなものに縛られて個人の付き合いを決めるなんて、ありえませんでしょう? 個人がお付き合いするお相手は、個人が決めればよいのですわ。自分の目で見て、自分で考えて、それで決めれば宜しいではありませんの。私、間違っておりますでしょうか?」
「・・・いや、その通りだと僕も思うよ」
リロウが小首を傾げて問いかけてきたそれに、一拍の間を置いてではあるが、しっかり肯定した。するとリロウはにっこりと微笑んで頷いてきて。
何の憂いもない笑みに、自然と力の抜けた笑みが自分の顔にも浮かぶ。いつものことではあるけれど、リロウのこの笑みを見てしまうと、もう駄目なのだ。
勿論、彼女が自分で決めた付き合いたい人というのがどういう類いの人かは分かっているが、しかしそれでも彼女は言葉通り、他の人が身分や立場を超えて親しくしていても、その様を眉を顰めて眺めたりはしないだろう。個人で選んで決めたことなのだと素直に受け取るはずだ。
女性の体に異様なまでに興味を示すリロウではあるが、それ以外は平等で素直で、ある意味偏見の塊で他人の話を聞かない性格をしているのに、別の意味では一切の偏見を持たず、他人のどんな話も忌避せずに受け入れることができる。
たぶん、こういう、リロウの良い面を知ってもらえれば悪評なんてすぐ収まるんだろうけど。
知られてほしくない面は知られないまま、知ってほしい面だけを知ってもらう、それに加えて僕達が冷たい関係なんかじゃないということも知ってもらえれば、リロウに対する誤解も完全に解けるとは思うのだが・・・、そこまで考えて少々気になったのは、リロウがどういう人間なのか、その人間性への誤解はともかく、僕達の関係を誤解している面々の能力に対する評価だ。
今、僕の周りを固めているのは皆、将来の側近候補で、つまりそれなりの能力を認められて配置されているはず。能力だけではなく、勿論家柄もそれなりの者達で、それなら王城への伝手もそれぞれ持っているだろう。・・・だというのに、リロウと僕の関係を学園内だけの様子を見て、決めつけている。
王城では、僕達の関係を冷たい関係だなんて思っている人間は一人もいないのに、だ。




