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「疲れた・・・」
「殿下、勉強のしすぎですわ。王族として、学ぶべきことが多岐に渡るのは分かりますが、そんなに疲れ切った声が出てしまうほど根を詰められなくてもいいのでは?」
「・・・いや、そういうアレじゃなくて」
「責任感をお持ちなのは素晴らしいですわ。ですが、私達、まだ子供ですのよ。高位貴族として、子供とはいえ気をつけるべきことが多々あるとはいえ、完璧に今から全てをなさらなくても宜しいと思いますの。特に殿下はいつも何にでも真面目に取り組んでいらっしゃるのですもの、疲れてしまって当然ですわ」
「・・・褒めてくれているのは有難いんだけど、どうして僕が疲れているのか、その理由を理解して原因の改善に取り組んでくれないと意味がないんだよね」
リロウとの交流は、週に三回近く行われていた。通常、婚約者との交流は週に一度ペースだという話なのだが、何か、僕の行動が全て裏目に出て巨大な誤解が生まれ、それをどうにもできないでいる間に僕がリロウに会うことを痛切に望んでいる、ということになってしまった結果、恋慕う婚約者にできるだけ会わせてあげよう、という配慮によってこのペースになってしまったのだ。
その要らない、というか間違った配慮を一番強く発揮したのが母上だというのだから、正直、裏切り者、という叫びが胸の中で生まれそうになる。
母上を助ける為に戦っていたのに、当の母上が僕を窮地に追いやるなんて、と。
勿論、母上は良かれと思ってやっていることだし、誤解を持たれてしまう行動をとった僕自身に非があるのだとも思うのだが、しかし週に三回、波乱のお茶会をしていれば、その開催に力を尽くしている母上に恨言の一つや二つ、言いたくもなるだろう。
そしてお茶会が重なるごとに疲れが溜まっていき・・・、ついに零した疲れ切った声に、リロウの労りに満ちた声が聞こえてくるのだから頭痛までしてくる。
彼女も彼女で善意しかない発言をしているので無下にもし辛いが、原因となっている当人なので、心配するより自身の言動の改善に励んでほしい。是非、そうしてほしい。
しかしそれを強く申し出る力もなく、それでも辛うじて少しだけ回りくどい言い方ではあるが切なる願いを申し出たわけなのだが・・・、リロウにはそんな遠回しな願いなんて届くわけもなく、僕の言葉なんて全く聞こえていないかのように瞳を輝かせて突然、はしゃいだ声を上げたのだ。
勿論、その声が象る言葉は僕が望んでいた言葉ではなかった。
「そうですわっ! ライナス殿下、息抜きをいたしましょう!」
「・・・息抜き?」
「えぇっ、街歩きですわ!」
「・・・何の話をしているの?」
「うちの侍女達が話しているのを聞いたのです、あの子達、気分転換に特に目的のお店を決めることなく、街を歩き回っているそうなのです」
「まぁ・・・、侍女達はそうなんじゃないのかな?」
「それがとっても楽しいようなのですの」
「うん・・・、そう、なんだろうけど・・・」
「元気になるそうですわよ」
「気分転換に行っているんだから、そうなるだろうね」
「お買い物もしているそうですわ!」
「まぁ、街に気分転換に行くなら、たぶん何か美味しい物を食べたり、気に入った物を買ったりというのがメインだろうからね」
「偶々入ったお店で、思ってもみない素敵な物を見つけることもあるそうですの」
「掘り出し物ってことかな」
「殿下!」
「えーっと・・・、なにかな?」
「行きましょう!」
「・・・僕達で、ってこと?」
「当たり前ではないですか! そして見つけなくてはいけませんわっ、素敵な物を!」
「リロウ、あのね、気持ちは有難いんだけど・・・」
「王妃様の為に!」
「何故母上が出てくるの?! 僕の息抜きの話だったよね?!」
・・・最終的に、目的が大幅に変わってしまったのだが、それでも何故か街を二人で散策、という案は通ってしまった。
勿論二人とはいっても護衛がつくのだが、それでも王族と公爵家の令嬢が街を散策するなんて普通は許可されるものじゃない。それなのに許可されてしまったのが、リロウの「殿下がお疲れのようですので、息抜きをしていただきたいのです!」という、何故あの瞬間だけ当初の目的を思い出した? と聞きたくなるような主張が通ってしまったからだ。
ちなみに通したのは母上で、僕はまた、母上を恨む羽目になる。なんせ、リロウは母上に何かプレゼントを買うつもりなのだ。野放しにしていたらどんな物を買うか分かったものではないので僕が監視する羽目になるのに、そんなことを知らない母の、『貴方の為に話を通してあげたわよ』と言わんばかりの笑顔を見れば、恨みが募っても仕方がないだろう。
しかしどれだけ恨みが募ろうとも、決まってしまえばその日はきてしまうわけで。
「まずはプレゼント探しからですわねっ!」
「違うから。違うというか、僕が許可しない物は買わせないからね」
「まぁ、殿下は私のセンスを疑うのですか?」
「問題はそれ以前にあるんだよ」
「・・・? 王妃様の他にも、素晴らしい侍女達に何か些細な物でもプレゼントできたらとは思っていますわ」
「いや、プレゼントの人選でもなくて・・・、まぁ、それもあるけど・・・、あ、そうだ、自分用に選んだら?」
「私の、ですか?」
「そう、それなら問題がない気がする」
「でも私、まだ胸が膨らんでおりませんのよ」
「キミは本気で何をプレゼントに選ぶつもりなの?!」
当日、目立たない馬車の中で始まった会話に、早くも頭痛が激しくなる。自分達で買い物をしたい、というリロウの要望が通ってしまった結果、すぐに駆けつけられるところに護衛を引き連れて、お金を持っての街歩き、という形になることになったのだが、実際にお金を持っているのは僕だけで、支払いは僕がすることになっていた。
まだ子供に入る年齢とはいえ、貴族として女性に支払いをさせるわけにはいかないからという理由ではあるのだが、正直、買い物なんてしたことがない、お金自体持ったことが初めてで、通常、必要な物、欲しい物はそれを伝えれば手に入る身としては、初めてする支払いという行為に内心、激しく緊張していたのだが、リロウとの会話の後は心底支払い役が自分でよかったと安堵せずにはいられなかった。
お金を持たせたら、とんでもない物を買われるところだった・・・。
何も買わないというわけにはいかないから、無難なプレゼントを選ばせるか、さもなければ先程の思いつきの通り、リロウ自身へのプレゼントを勝手に選んで切り抜けよう、と内心、決意を強く固めているうちに馬車は予定の場所につき、リロウと二人、馬車から下される。
賑わう大通りに程近いそこに降り、さりげなく横に立つ護衛に誘導される形で大通りに出て・・・、その瞬間、二人揃って足が止まったのは、貴族のいない空間、平民達の気取っていない楽しげな明るい空気が満ちる空間に圧倒されたからだ。
雑然として、騒がしくて、でも耳障りではなく、落ち着かないけど気持ちが沸き立つような場所。
直前まである種、悲壮な決意を固めていたのだが、そんな気持ちがどこかに吹き飛ばされそうになるほど、初めて目の当たりにする街の様子は好奇心を煽られる光景だった。
それは当然、僕だけではなくて・・・。
「でっ・・・、ら、らいさっ」
「リー、様は駄目だよ」
「えっ! えぇっ、そ、そうでしたわね・・・。えっと、ら、らい・・・、ライ、行きましょうっ!」
「そうだね、歩こうか」
殿下ではなく、ライナス様でもなく、またリロウでもなく、予め決めていた貴族と分からないような互いの呼び方をしながらも、口調は完全に貴族のまま、楽しげに目を輝かせるリロウのその様子は、今から始まる大冒険に心を躍らせている冒険者のようだった。
散策するのは大通りだけ、護衛が何人もついている状態なので、冒険になんてちっともならないけれど、それでもその時、リロウに応える自分の顔に、彼女と同じような笑みが浮かんでいるのは鏡を見なくても分かっていて。
はぐれないように、離れないようにそっとリロウの手を取って、今にも走り出しそうな彼女を連れて大通りをゆっくり歩き始めた。
「なんだか目移りしてしまいますわね。色んなお店があって」
「そうだね」
「私、買い食いというのをしてみたいですわ。串に刺さったお肉を頭を振るようにして歯で噛みちぎりながら豪快に食べるのが醍醐味らしいですわよ」
「・・・何故、そんなことを知っているの? というか、それは本当に街歩きの醍醐味なの?」
「・・・? 屋敷の下働きの子達に習ってきましたわ。滴る油が堪らないそうです」
「・・・とりあえず、まだ午前中だし、いきなりお肉は止めようか。朝食も食べてきているんだし、お腹だってそんなに空いていないでしょ?」
「そうですけど・・・」
「たぶん、それ、お腹が空いている時に食べると美味しいってことだと思うよ」
「なるほど、そういう意味だったのですわね。で・・・、ら、ライは、街歩きは初めてと仰っていましたけど、お詳しいのですね? ライも、街歩きを学習してきてましたの?」
「・・・学習しなくてもなんとなく分かることもあるからね」
「まぁっ、そうなんですのね! 流石ですわ!」
ぶつかるほどではないけれど絶えず人が溢れている通りで、近くにいる護衛も聞こえないレベルの小声で二人、話しながら歩いて行く。
たぶん、二人とも興奮とともに緊張をしていて、だから自然と身を寄せ合うようにして近づきながら声量を落として話していたのだが、視線は絶えず周りに向けられ、気になるもので溢れた街中で目が回りそうになっている。
しかし僕と同じように目が回りそうになるほど方々へ視線を向けているリロウではあるのだが、当然のことながらその視線の先が僕と一致しているわけではなく、ついでに言えば僕より遥かに興味の対象が多いようで、周りへ向けるその視線は僕よりいっそう忙しない。
おまけに小声で僕にしか聞こえないようにはしているが、その忙しなく眺める対象に関する感想は垂れ流し状態になっていて。
「煌びやかな美しさはありませんけれど、皆さん、素朴で明るい美しさに満ちておいでですわね」
「そう、だね」
「やっぱり油滴るお肉の効果でしょうか? 膨らみも生命力に溢れた力強さで盛り上がっている気が致しますわ」
「・・・」
「腰や手足も、私達貴族ほどは細くない方達ばかりですのね。初めてお見かけする体型の方々ですが・・・、少しふっくらして弾力がありそうで、元気そうな感じが素敵ですのね」
「腰は、コルセットとかをしないからだと思うけど・・・」
「あぁ、そういえばそうですわね。でも、侍女達はコルセットをしていなくても、もう少し細い方が多いように思いますわ」
「王宮や公爵家の侍女達は、見た目にも色々気を遣っているから・・・」
「細くて折れそうな腰も素敵ですけど、包容力がありそうな腰も素敵ですわね。お肌の張りや滑らかさが少し足りない方も多いようですけど、小麦色の肌が健康的で素敵ですわ。私達とは違って、遠慮なく笑っていたりするのもよいですわね、なんだか見ているだけでこちらも楽しくなってきますわ」
リロウは大通りに並ぶ店だけではなく、周りの人々、平民達・・・、の、女性のことも気になって仕方がないようだった。きょろきょろと周りを見ては、視界の先にいる女性達を目を輝かせて見つめ、嬉しそうに、楽しそうに褒めている。
褒めて、いる。
その褒め言葉の内容、というか褒めている部分に偏りが見られはするものの、貴族の女性と比べて劣っていると貶すわけではなく、別の魅力があると褒めているそれに、次第に周りに対する興味より、リロウのその言葉が気になり始めてしまう。
平民を馬鹿にしたり、見下したりする気はない。そんなことは王族も貴族も決して許されることではないと思っている。
・・・が、それでも尚、貴族には平民を下に見る風潮がある。勿論、それを言葉や態度に出すかどうかは別で、きちんとした教育を受けた貴族ならば内心で何を思っていても決して外に見せることはないのだが。
ただ、それは思っていることを表に出さないだけで、平民を褒めるとなればまた違っていて。
リロウは、心の底から素直に平民の姿を褒めているようだった。貴族女性と違う部分があることを承知の上で、その違いこそを貴族女性とは違う魅力として褒め称えている。
そんな姿が、言葉が、何か、とても新鮮で眩しい気がして。知らぬ間に開いた口は、自然とその問いを象っていた。
「随分、素直に褒めるんだね」
「・・・?」
「いや、貴族の中には、平民を下に見てしまう者もいるから・・・、そんなことは許されることではないけれど・・・」
「まぁっ、そんな方がいるんですの?」
「いる、というか、そういう者の方が多いくらいじゃないかな」
「それは間違っていると思いますわ」
「勿論だよ。僕も、そう思って・・・」
「膨らみの元に、人は皆、平等ですわ」
「・・・いや、そんな平等はないから。というか、それだと男性は平等に扱われないことになると思うけど」
「まぁ、膨らみを愛でる仲間として、ちゃんと平等に扱われますわよ」
「えっと・・・、何をどう言えばいいのか、迷うんだけど・・・」
「貴族だろうと平民だろうと、素晴らしいところは素直に褒め称えるのが当然ですわ。だって素晴らしいんですもの。えぇ、素晴らしいですわ」
「そう・・・、楽しそうだね」
「・・・? それは楽しいですわ。皆さん、楽しそうではありませんの。楽しそうにお過ごしの方々を見れば、見ている方だって楽しいものですわ。ライは違いますの?」
「え・・・?」
「こんなに皆さんが楽しそうにしているのですもの、そんな姿を見ていれば、楽しくなるに決まっているではありませんの」
リロウはそう言って、笑みを浮かべる。何の衒いもない、無垢とすら言えそうな笑みを。
その笑みを向けられて、僕は思わず言葉に詰まってしまう。決して、リロウの言葉に承服し兼ねたから黙ったわけじゃない。・・・いや、一部発言には激しく承服し兼ねているのだが、なんというのか、その一部の承服し兼ねる発言を蹴散らすほど、それ以外の発言と笑みが衝撃的で。
平民を一切忌避しない、下に見ないその笑みは、計算のない、善良で明るい美しさで彩られていた。赤を纏うリロウは花をイメージすると赤い薔薇になるはずなのに、その笑みが健康的で素直な所為か向日葵をイメージさせるので、そのギャップが胸を突くようで。
欲塗れの言動を繰り返すくせに、悪意はなく、計算もなく、いっそ清々しいほどに素直なリロウのそれに激しい疲れを感じるのに、決して嫌な気分になったことはないのだと、今、改めて気がついてしまった。
それどころか、女性の一部分限定の話をしていない時のリロウにはその疲れすら感じないというか、一緒にいるとなんだか嬉しくなるような発言すらすることに気がついて・・・、気がつけば自分の顔にも笑みが浮かんでいて、その笑みに気がついた瞬間、危機感のようなものを覚えてしまう。
──だって、リロウが僕が浮かべた笑みを見て、いっそう嬉しげに笑うから。




